レオナと顔を合わせた翌日、アキトは羽衣丸の酒場で朝食を摂っていた。彼と同じテーブルに着いているのは二人。
女性らしい曲線に富んだ体つきをしている美女がコトブキ飛行隊の副隊長を務めるザラ。そして長い白髪を二つ結びにして分厚い本に視線を落としているのがケイト。
アキトが朝食のために酒場へ足を踏み入れたところ、先に来ていた二人から手招きされたので、挨拶がてら誘いに乗ることにした。
正式な顔合わせは朝食後という話だったが、親交を深めるのは早ければ早いほどいい。
「ええと、他の人たちはどちらに……?」
互いの自己紹介もそこそこに、アキトは先ほどから抱いていた疑問を口にする。
この場にはザラとケイトの二人だけ。アキトが聞いた話ではコトブキ飛行隊は六人。隊長のレオナ、そしてあと三人がいるはずだ。
サラダを咀嚼していたザラが苦笑いを浮かべる。
「お説教よ」
「お説教?」
首を傾げるアキトにケイトが補足を述べる。
「昨晩、飲み屋で酔っ払いに絡まれた際、エンマがビールを頭から被せた。激昂した相手が掴み掛かろうとしたところをチカが投げ飛ばし、キリエが顔面に蹴りを食らわせた」
「えぇ……」
言葉を失うアキトに、ケイトは言葉を続ける。
「相手の態度は乱暴であり、女性に対する侮辱的な発言を繰り返していたため、エンマたちの対応はある程度適切であったとケイトは判断している」
「あれは流石にね〜。レオナにも状況が状況だったから手心加えてあげてねとは言ってあるけど……。あ、いつもこうってわけじゃないから、気にしないでね?」
ザラが微笑みを浮かべてフォローを入れたが、イマイチ説得力に欠ける。
「ここ一月でレオナが隊員を呼び出した回数はキリエが19回、チカが23回、エンマが3回……」
「えっ」
「こら、余計なこと言わない」
「謝罪する。今のは聞かなかったことにしてほしい」
まずいところに雇われただろうか。これなら震電を十機撃墜してくれていた方がよかったかもしれないと、アキトは思った。
微妙な空気を払拭すべく、口を開いたのはザラだった。
「話を変えましょう……。今日、レオナと模擬空戦やるんでしょう?」
「ええ、実力を見てもらうには一番手取り早いかと」
ケイトが視線を上げ、本を閉じた。
「ケイトは初耳。アキトは何に乗っている?」
「隼Ⅱ型です」
「あら偶然。私たちもみんな隼よ。Ⅰ型だけどね」
「隼Ⅰ型の最高時速は490、Ⅱ型は515。速度はⅡ型の方が上だけど、Ⅰ型の方が軽量。格闘戦に持ち込めればレオナに分があるとケイトは推測する」
「まぁ、その辺りは実際に見てもらえば、はっきりしますよ」
「自信はあるみたいね」
「負けるつもりで戦う飛行機乗りはいないでしょう」
アキトにも大手貿易会社で長年用心棒を勤めてきた経験がある。簡単に勝てるなどと思ってはいないが、負ける気もさらさらなかった。
「我らが隊長を甘く見ちゃだめよ?」
「もちろん、模擬戦とはいえ、全力で行かせてもらいますから」
ちらりと壁の時計を見れば、もう三十分も話し込んでいた。
アキトはルゥルゥから呼び出されていたことを思い出す。雇用主との約束に遅刻するのはさすがによろしくない。
「じゃあ僕はそろそろ失礼します。マダムから呼ばれているので」
残っていた朝食のパンを口に押し込んで、アキトは席を立った。
「はいはーい、後でね」
手を振るザラとケイトに会釈しつつ、酒場の出口へ向かう。
アキトとすれ違う形で、レオナが姿を現した。その背後にはやや暗い顔をした女性が三人。
おそらく、このうちの一人が男にビールをぶっかけ、別の一人が投げ飛ばし、さらにもう一人が顔面に蹴りを入れたということだろう。
「おはようございます」
「おはよう。これからマダムのところへ行くのか」
「はい」
「私たちも食事を済ませたらすぐに行くよ」
「もしかして、レオナが言ってた新しく入ってきた人!?」
アキトの前に、ピンクの上着を羽織った小柄な少女が飛び出してきた。
「え、マジ? そうなのレオナ?」
赤を基調としたダブルボタンの上着を着た女性が、アキトとレオナの顔を交互に見比べながら続く。
青い服に身を包んだ女性は何も言わなかったが、興味はあるようでことの成り行きを見守っている。
「アキトです、どうぞよろしく」
アキトが名乗ると、二人も元気よく名乗りを上げた。
小柄なピンクが、
「コトブキ飛行隊の一番槍、チカ!」
——男を投げ飛ばした人だ。
赤色の方が、
「キリエだよ! よろしくっ」
——男を蹴った人だ。
つまり、残りの青いドレス風の衣装を来ている人が、
「エンマですわ。以後、お見知り置きを」
——男にビールをぶっかけた人だ。
初対面の人間の覚え方としてはいかがなものか。しかし最初に聞いた話がそれだったのだから仕方ない。
この人たちをまとめ上げる苦労は相当なものだろう。内心でレオナに労いの気持ちを向けた。
「はいはい、質問! アキトは何に乗ってるの?」
チカが右手をびしっと挙げて訊いてきた。
やはり飛行機乗りが初対面で出す話題といったら搭乗機の話が鉄板なのだろう。
「隼のⅡ型です」
「ほえー奇遇! あたしらも隼乗ってるよ」
仲間だね、とチカは楽しそうに笑った。
間髪入れずに今度はキリエから質問が飛ぶ。
「ホシの数いくつ? 歴長いんでしょ、50とか?」
「ちゃんと数えてないけど、60以上ですね。70は超えてなかったはずですが」
「ひゅう、やるぅ! 私も最近落としたからまた増えたんだよねー、えーと……」
指を折って撃墜数を数え始めるキリエ。
表情がころころ変わって面白いと、アキトは思った。
「あれ、アキトってどこから来たんだっけ? ポロッカ?」
「違うよバカチ、レオナが言ってたじゃん。確か、ショウトだっけ」
「ルーデですわよ。人の話はしっかり聞くものですわ、キリエ、チカ」
揃って見当違いな二人に、あきれ顔のエンマが割って入った。
「やーい、キリエも話聞いてなーい」
「はぁ!? そっちが先に間違えたんじゃん」
「空戦なら後に操縦ミスったほうが不利だもんねー」
「この間落とされたばっかりなのによく言う!」
「は? それならキリエだって——!」
売り言葉に買い言葉、キリエとチカの言い合いが始まり、にわかに騒がしくなる。
レオナが頭を抱えた。
エンマはお先に失礼します、と一礼して酒場の中に消えていく。
二人の様子からして、いつもこんな調子なのだろう。
レオナの苦労が目に見えて伝わってくるというものだ。
◆◆◆
キリエとチカの言い争いは、レオナの一喝で幕引きとなった。
レオナたちと別れたアキトは、雇い主であるルゥルゥの船室にいた。
「こちらが契約書。問題なければサインをお願いね」
このマダムと呼ばれる女社長は、昨晩と同じく真っ赤なドレスに身を包み、微笑みを浮かべながら煙管を咥えている。
その穏やかな微笑みの奥で何を考えているのか、さっぱり検討はつかない。考えても詮無いことかと思い直し、アキトは手元の契約書に視線を落とす。
「破格の待遇ですね」
契約書に目を通したアキトの口から、思わず漏れた感想だった。
商会相手の専属契約であることを考えても、そこらの用心棒の相場よりもずっと高い給与が支払われることを約束されている。
ついこの間までアキトが所属していたトルム貿易は、オウニ商会よりも規模が大きかったが、ここまで良い待遇ではなかった。
「優秀な人材に金をかけずして商売がうまくいくはずはないでしょう?」
「ごもっともです」
トルム貿易が倒産し、所属していた飛行隊も解散になった。アキトからすれば何の後ろ盾もないままに荒野に一人放り出されたようなもの。
ルゥルゥから提示された契約内容は願ってもない話だった。
契約書にサインを済ませてルゥルゥに手渡す。
「今日からお世話になります」
「あなたの働きに期待するわ」
契約書をしまったルゥルゥは、煙管をふかしながら少しだけ砕けた調子で、
「かわいい小鳥ちゃんたちが来る前に少し世間話でもしましょうか」
と切り出した。
構いませんよ、とアキトが応じると、ルゥルゥは天気の話でもするかのように続けた。
「あなたがいたトルム貿易なのだけど、なぜ倒産したのかしらね」
アキトは心臓を冷たい手でなでられたような心地がした。
「さぁ、俺は一介の飛行機乗りに過ぎませんから。業績が振るわなかったんでしょう」
アキトの内心を知ってから知らずか、ルゥルゥは相変わらず涼しい顔をしている。
「トルム貿易は、ルーデいちの貿易会社だった。多少の業績悪化でどうこうなるほどヤワじゃない、そうよね?」
アキトは半ば睨みつけるようにルゥルゥを見た。
「そこまで知っているならわざわざ聞かなくてもいいでしょう」
この女は何をどこまで知っているのだろう。
アキトにも触れられたくないことはある。場合によっては、力ずくで契約書を奪い取り、びりびりに引き裂く必要がある。
「そんなにピリピリしないで頂戴。事情はどうあれ私はあなたの雇い主。私たちはお互いに友好関係でありたい、そうでしょ?」
「その言葉を聞いて安心しましたよ、マダム」
その時、規則正しく扉がノックされた。
続けてレオナの声がする。
「コトブキ飛行隊です、マダム」
ルゥルゥはアキトに向けて片目をつむって見せると、入って頂戴、と声を上げた。
扉が開き、レオナを先頭にコトブキ飛行隊の面々が入ってきた。
六人がルゥルゥと隣に立つアキトにに注目する。
「つい今しがた、我らがオウニ商会に新たな飛行機乗りが入ることが決まったわ」
ルゥルゥに促され、アキトは一歩前に進み出て姿勢を正す。
「改めまして、アキトです。よろしくお願いします」