シュレーディンガーの猫被り。 作:もんさん
20XX年──日本。
そこは、多様な種族が同じ空の下で同じ時を刻む、多種族共存社会。千差万別の「異能」が、人間の利己的なイメージを現実に変えていく、異能飽和社会。
いつからか日常へと相成った超常は、今日もどこかで私たちを視ている──。
さて。突然だがここで少し、昔の話をしよう。
かつて...平安の世であっただろうか。
「獣人族」
現代の人々は、彼らをそう呼称し、畏怖し、軽蔑し、忌避している。何百年も前から繰り返されてきた残虐非道な行いは、やがて被害者である者たちの怒り心頭に火をつけたのだ。
「カバーアカデミー
日本語に訳して、多種族交流学部。「種を超え、異を尊び、和を為す」をキャッチフレーズに掲げるそこは、多種族共存社会の混乱の中を、先陣切って台頭してきたイノベーションアカデミーだ。
そして、そのカバーアカデミーに併設という形で
「カバーアカデミー併設 ホロライブ学園」
──これは、ただのしがないクローンである少女が、一人の獣人族に出会い、歴史を変えるまでの物語だ。
○
ぽつぽつ、しとしと、時にざぁざぁと──絶えず降り注ぐ雨粒に全身を濡らしながら、重い体を引きずる。向かい風なのが災いして、かなり体力を消耗してしまった。だがもうすぐで、このじめついた路地裏から抜けられそうだ。
「お腹空いた...」
腹の虫が鳴く。食えるものを寄越せと、空っぽの胃袋が悲鳴をあげている。当たり前だ。ここ数日ずっと飲まず食わずで、ろくに睡眠時間も確保しないまま歩き続けていたのだから。
こんななりでも一応人間なのだから、そりゃあ食わねば餓えるに決まっておろうに。
「ゴミ箱とかないかなぁ」
別に食にこだわりがあるわけじゃないから、正直口に入れられれば何でも良かった。残飯でもリンゴの芯でも良い。何か、何か腹の足しになるものはないのか...。
「──ね、そこの君。どう見ても普通じゃない格好だけど、大丈夫?」
(...びっくり。さすがの私でも生きた人間を食べようとは思えないなぁ)
よもやモノではなくヒトがやって来るとは。多くは望まぬ質である私にとって、この贈り物はいささか過剰である。
だが逆に考えれば、これは僥倖。ちょうど一人で生きるのに限界を感じていたところなのだ。
それに──何だか不思議な予感がする。
この猫又の獣人に着いていけば、私にとって何か良いことが起こる気がしてならない。寒さではなく、妙な高揚感が体を震わせ、そう訴えてくるのだ。
だから、私は迷わず頭を下げ、救いを乞うた。
「大丈夫じゃないです。どうか、お助けください」
これが、とあるクローン体である私──ナズナと、猫又の獣人──おか姉が、薄汚い路地裏のたもとで出くわした瞬間である。
○
突然ですが、可愛らしい女の子を拾いました、まる。
「うーんと...どうしようかな」
普段通りの大学の帰り道。強いて言えば天気が荒れていたくらいで、やはりそこは変わり映えのしない閑散とした住宅街。
その近くの路地裏で、僕は見るからに異常な様相の子供を見つけた。衣服はボロボロ、髪は濡れてびちゃびちゃ、目は虚ろ、呂律は回らないわ体は震えてるわ──さすがに無視して立ち去るのは良心が傷んだのでとりあえず声をかけて、そしてなぜか自宅まで連れ帰ってしまった。
「...おにぎりとお茶漬け、どっちがいい?」
ひとまずお風呂に入らせて暖かいパジャマを着せた。と来れば、次に何をすべきかと言われたら、それはすなわち食事であろう。元気がない時は、美味しいご飯をたらふく食べるに限る。僕のばあちゃんの入れ知恵だ。
「どちらでも。食に拘りはありません───食事というものを摂ったことがなくて」
「...そっか、じゃあおにぎり作ってあげるね」
しかし反応は芳しくない。むしろ悪いと言っていい。どうやら僕が思っていた以上に、この子の内情は闇が深いのかもしれない。
「おーい、入るよおかゆーん」
「おがゆ大丈夫〜?」
「お邪魔しまーす!」
時刻は午後9時過ぎ。そんな夜深まる時間に玄関の戸を叩いたのが、僕の学友。フブキちゃんにミオちゃん、そしてころさんだ。「迷子を拾った」と救援要請をしてすぐに駆けつけてくれた、心優しい親友です。
「あ、きたきた」
「...誰ですか?」
「んー?僕のお友達、怖くないよ」
ほかほかのご飯を握りながら、流し目で答える。掴みどころのない子だ。僕には
「件の迷子っていうのがその子?」
「そー。ご飯作ってるから、出来上がるまでこの子の面倒見てあげて欲しくて」
「えぇ...そういう役回りって、ウチよりフブキとかころねの方が適してる気が...」
「白上がどうかしたー?」
「はぁい!迷子ちゃん一緒に遊ぼうねぇ!ゲームしよっか!」
「ちょ、そんなグイグイしたらびっくりしちゃうでしょ!?ころね、まずは優しく自己紹介から──」
後ろから聞こえてくる会話が不安を助長させる。冷静に考えれば、あのメンツでまともに子守りができるとは思えない。けれど沈黙が続くわけじゃないと思えば、ある意味及第点か。気まずい空気よりも騒がしいくらいの方が、あの子の居心地も幾分かマシになるだろう。
数分経って、握ったおにぎりを適当なお皿に載せ、なずなちゃんの前に運ぶ。みんなの話し声を盗み聞きして、あの子の名前だけは何とかキャッチできた。
なずな──とっても可愛い名前だ。なずなとおかゆ...ナズナと、おかゆ...七草粥?全然関係ないけど、変にシンパシーを感じてしまってムズムズする。
などと余計なことを考えていた矢先、なずなちゃんが不可解なことを口にした。
「私──クローンなんです」
ポツリと紡がれた独白。騒がしかった...ってより、一方的に騒がしくしていた僕たちの間に、張り詰めた空気が流れる。続けざまに放たれた衝撃的なワードに、僕は耳を疑った。
「『ビーストパペット』、聞いた事ありませんか?」
「...獣人族の体内吸収、そして封印を目的として造られた、量産人間」
「それが、なずなちゃんなの...?」
ミオちゃんが幽鬼の如き様相で立ち上がり、牙を見せる。信じられないと言ったトーンでフブキちゃんが続けた。
「ビーストパペット」──近年ニュースにも取り上げられるようになった「超常」の一種だ。ミオちゃんの説明通り、一部の人間を基体にして生産されたクローン。僕たち獣人族を体に吸収し、封じ込めるための代物らしい。最終的な目的は不明。誰が、いつ、どこで、どうやって、なんのために造り出しているのか...その全てが謎に包まれた、僕らにとってはまさに天敵とも言える事象。
仮にその話が本当なら、僕たちの命綱はなずなちゃんに握られていると言っても過言では無い。いつ封印されるかわからない恐怖が、思考を鈍らせる。
「でも私、不良品だったんです。獣人の封印は不完全だし、自我もこの通りハッキリしてるし...とにかく私を造った人達にとって、私はいらない子だったという訳です」
「おがゆ...ナズちゃんからは嫌な気配、感じない。この話本当かも」
素体が犬神であるが故に感覚が鋭いはずの、あのころさんがこう言うのだ。少なくとも、信じるに値する話であることは間違いない。
「いらない子は、例外なく捨てられる...気がついた時、私の体は小川に浮かんでいました。沈めて溺死でもさせたかったのでしょう。そうして運良く生き残り、彷徨うようになってから数日、私は恩人のおかゆさんに会えたのです」
「...なるほど、ねぇ」
波のように押し寄せてきた情報の密度に、僕は目眩がした。食事を摂ったことがない...なずなちゃんがそう話した理由が、何となく理解できてしまった。
迷子なんて生半可なものではない。触らぬ神に祟りなし、とはよく言ったものだ。僕はとんでもない子供を拾ってきてしまったのかもしれない。
「...ここに、住まわせては頂けませんか」
「え?」
「見ての通り、私には行く宛がありません。加えてこんな子供のなりでは、できることも限られます。横暴な要求であることは理解しています。ですが、それ以上に私はおかゆさんの近くに居たい...そう思ってしまうのは、悪いことですか?」
断れなかった。あんな残酷な話を聞かされた挙句、自分より一回りも二回りも小さな女の子にここまで懇願されてしまっては、その頼みを引き受けるのが道理ってもの。第一、この子を拾ったのは僕だ。ならば、乗りかかった船だと思い、最後まで責任を果たすのが務めであろう。
「──はい。僕の魂の一部、なずなちゃんにあげる」
「あ...これは?」
「僕は猫又。世にも珍しい、五つ尾のね」
僕の尻尾が煙に包まれて一つ減り、代わりになずなちゃんに一本の尻尾が生えた。黒紫色のくせっ毛ロングヘアーの隙間から、ちょこんと薄紫色の猫耳も生えている。
猫又の幻術、その応用にあたる「憑依術」だ。僕の体の機能や猫又の異能が、なずなちゃんにも扱えるようになったはず。
あとは──。
「なずなちゃん、ホロライブ学園においで」
「...初めて聞く名前です。どんな場所なんですか、そこは」
「一言で言うなら、君の未来を保証できるすっごいところかな」
そう。あの学園なら、なずなちゃんだって輝けるはず。この際居候させてあげる分にはどれだけでも結構。しかし、凄惨な過去の落とし前を付けられないまま、燻り続けるのはやめて欲しい。この子には、未来を自分で切り拓く力が必要だ。その一歩を踏み出すため、背中を押してあげるのが、拾った人間のすべき役割なのだ。
顎に手を当てて、少し考え込んだあと、なずなちゃんは顔を上げて言った。
「...
「よし、決まりだね!あと三ヵ月後くらいに学園の入試が待ってる。それまでに、猫又の力をなずなちゃんに叩き込めるだけ叩き込むよ〜!」
「...ふふ。お手柔らかに、お願いします」
ここに来てずっと固い表情をしていたなずなちゃんが、一瞬だけ微笑んだ気がした。けれどそれは本当に一瞬で、次に目を向けた頃には、思い出したようにおにぎりにかぶりついていた。
「おかゆん、良かったの?」
「良いの、ミオちゃん。心配しないで」
「そうは言ったって...」
「大丈夫、僕があの子についてる──文字通り、
ニッ、と笑って両手の爪を見せる。その様子に拍子抜けしたのか、ミオちゃんは苦笑するだけで、それ以上は何も言わなかった。
「ナズちゃん!こぉねも応援するよ!よしゲームやろ!」
「こぉね!ダメだってば!ゆっくりおにぎり食べさせてあげようよ!ていうかゲームしたいだけでしょ!?」
ころさんとフブキちゃんがなずなちゃんに言い寄っている。二人も終始僕を見て目を丸くさせていたけれど、すぐに状況を飲み込んだのか、あとはなずなちゃんと仲良く戯れているだけだった。間に挟まれて揉みくちゃにされているなずなちゃんも、心なしか柔らかな表情をしている気がする。
きっと、不安だったのだろう。あの子に背負わされた十字架は、一人で背負い続けるにはあまりに重すぎた。何度も何度も押し潰されかけただろうに。
...もう怖くはないはず。勇気を出して、僕たちに内情を打ち明けてくれた今。十字架を背負うのは君だけじゃなくなった。僕も隣に立って、君を導こうと思うよ。
「──おかゆさん」
「なぁに?なずなちゃん」
「おにぎり、とっても美味しいです。今度はお茶漬けも食べさせてくださいね」
この子の穏やかな表情を見ていると、どうしようもないくらいに愛情が湧いてしまう、弱い僕なのであった。