シャーレ四方山話   作:鯖人間

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健全です(澄んだ瞳


天雨アコと雨降る夜に

天雨アコ

 

執務室で1人。今日もまた、送られて来た仕事を片付ける為……長らく凝視し続けていた青白く光るパソコン画面。

 

 

全身で疲れを感じる中……ふと気が付く事があった。

 

 

 

(…外は雨が降ってるのかな?)

 

 

 

ザァーッ……と響くような雨音が聞こえた為、そこから目を離す。

 

 

もう、夜もとっくに更けたのか……シャーレの窓から見える景色は既に、人々の営む生活が灯る窓から漏れる淡い光によって照らされていた。

 

 

(……それに、雨の勢いも酷い?)

 

 

……多くの学校を訪問する予定がある明日以上、なるべく早い時間。

とりわけ明日までには晴れてくれると個人的には助かるけれど……そこはもう、自由気ままな天気の気分次第といった所だろうか?

 

 

 

(出来れば、晴れて欲しいんだけどなぁ……)

 

 

手元の時計を確認すると、長針を見ればもう既に10時を過ぎており、仕事の合間に見た時間からはもう既に6時間以上も経っていた。

 

今日。シャーレに対して、先生の仕事をサポートする当番だったであろう少女がまだ来ていない事もあり……1人で過ごす時の流れは意外と早いものだと驚くばかり。

 

 

(……何かあったのかな?)

 

 

このキヴォトスに置いて、決して少なくないであろう抗争や諍いといった荒事に対して先生が胸を痛めることは少なくない。

 

 

生徒同士の喧嘩や対立ならまだしも、大人による搾取や不当なバイトでの扱いも存在する。

 

 

……何か怪我をしてしまったのでは?

もしくは風邪を引いてしまったのでは?

 

……そんな疑問が浮かんでくるものの、あくまでも当番などと世間には伝わっているのは先生からの要望に等しい。

 

先生として、生徒の生活や受け持つ仕事が1番であり、強制的に呼び出している訳などでは無い為……今日の様に、こういったことも偶にあると言えばその通りなのだから。

 

 

しかし、考えていても仕方ないのも事実だった。先生として、生徒の安否を確認する為に連絡をしようかと思い立ったところで

 

 

 

ピコンと、モモトークの通知音が響く。

 

 

 

 

画面に表示されたのは、短い文章で……

 

 

 

 

 

『先生?今、シャーレに到着しましたよ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふぅ、やっと着きましたね」

 

 

 

もう、今日は散々な一日だった。

 

 

ここまで来るのにもかなり距離があると言うのに、まさか途中から雨が降ってくるなんて…ッ……!!!

 

 

「まさか、これもシャーレの罠?天気予報さえ確認していなかった私に対しての先生からの嫌がらせなのでは……?」

 

 

見上げた建物を見て、そんな事を呟いてしまう。

 

そんな事、天地がひっくり返っても有り得ない話なのだが、あまりにもタイミングの悪さにほぼ八つ当たりのように振舞ってしまう。

 

 

「もうっ…先生は、まだ起きていますよね…?」

 

 

本当ならば、こんな夜も更けてからこのシャーレを訪れるつもりなんて無かったのに。

 

 

こんな事になったのは、やはり言うことを聞かないゲヘナの生徒達のせいだと思うと頭が重くなるので、アコは頭を軽く振って崇拝する委員長の事でも考えることにした。

 

 

……中間管理職とは、どうしてこうも面倒なのか。

今日だって、波のように襲いかかる一段と面倒だった案件の数に何度白目を向きそうになったことか……

 

 

「……はぁ。なのに今日は委員長にも会えておりませんし、久しぶりの当番だというのにこんなに遅れてしまうなんて。本当に、ついてないったらありませんね…」

 

 

 

相も変わらず仕事が多いのは覚悟の上であるし、敬愛しているヒナ委員長に見合う存在になる為ならば。

 

 

そんな事など些事である。

 

……そう言い切れる自信がある。

 

 

けれど…今日はそんなヒナ委員長にも。

……久しぶりに会える先生にだって、まだ会えていない。

 

 

いつもと違って、今日は何だか心が不安定な気がしてしまうほどに、酷く虚ろな胸の燻りが感じられてしまう。

 

 

『〜〜〜〜ッ!もうっ…早くッ!!!シャーレにッッッ!!!出向しなくちゃいけないというのにッッッッッッ!!!!

どうしてこうなるんですかッ……!!!』

 

 

日中ですら、先生が驚く程のスピードで仕事を処理しながらも……常に、頭の中ではそんなことを考えてしまっていた。

 

 

シャーレの中は、照明がまだ付いている。

…つまり、まだ先生は仕事をしているのだろう。

 

 

コツコツとヒールの音が響く廊下を歩いていると、まるで世界に私だけしか居ないような感覚になり、不思議な気持ちになってしまう。

 

…そんな事を考えてしまうあたり、やはり今日の私は精神的に少し参ってしまっているのかも……??

 

 

「先生は、怒ってませんよね…?まぁ、この私が手伝う立場ですから、そんな事はあってはならないのですが……」

 

 

 

……こんな時に限って、やれゲヘナの地区で問題を起こす生徒が大量に居るわ万魔殿からは訳の分からない要請を受けてくだらない事象の為に時間と体力を消費させられて本当に腹が立って仕方ない日だった。

 

 

「……っ、はっ、はっくしゅん!!」

 

そんな事を考えながら、もう慣れたものであるフロアへと辿り着いたものの……

 

どうやらここに来るまでに雨に打たれたのか、意外と身体が濡れていることに気がついてしまう。

 

 

それもなんだか、どうやら上着としていた服は濡れてしまっていたので、今は手掛けに持っている。

 

…その所為で、今の自分の服装は、かなり雨水が染み込んでいて────ッ!?!??

 

 

 

…………ま、前が、す、透けてッ!!?

 

 

非常に、危険な服装になってしまっていた。

 

「……ま、マズイです。このままの、こ、こんな格好で先生なんかに会えば……あわわっ!?!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

『遅かったね、アコ……って、どうしてそんな格好を……??』

 

 

「……っ、な、何かこの格好に問題があるんですか!?これは雨のせいで濡れてしまっただけで…!!それに、そっ……そもそもの原因は先生がゲヘナで問題処理に追われる私をシャーレに呼び出したことなんじゃないですか!?」

 

 

目が合った私への視線をそのまま意識させるように。下へと動かす中で、そんな私の姿を見た先生は私の方へと歩み寄ってくる。

 

 

『 いや、忙しい時に読んじゃった私も悪いとは思うけど……てっきりまた、私の事を揶揄うためにわざわざそんな格好をしてるのかと思っ』

「 はぁ!?そ、そんな事あるわけが無いでしょう!?!?!?」

 

 

部屋に響く程に、私の声が先生の言葉を遮った。

 

 

『……うん、もう夜だから少し声を抑えよっか。それに、そんな格好だと風邪ひいちゃうから……』

 

「……って、ちょ、ちょっと先生!?き、急に何をしてっ…ぁあっ!?」

 

 

先生はそのまま、私を執務室の壁際へと追い込んでくる。先生の身体に前を塞がれてしまい、おずおずと後退した所で……私の身体と壁の距離がゼロになってしまった。

 

先生の手が、指が、私の頬をサラりと撫でる。

 

 

『……それに、大人の前に、こんな格好で現れちゃいけないって事……アコにはまた、しっかりと教育しなきゃいけないかなって?』

 

 

「……ッ!?な、何をっ…!!」

 

先生が、身体を押し付けてくる。

指で強引に上を向かされてしまい、先生の顔から視線が離せない。

 

 

身体が、熱い。こんなの、いけない。ダメ……ッ!?

 

 

『じゃあ、まずはそんな生意気な口は…塞いじゃおうかな』

 

……ッ……!?!?

 

体を攀じる。しかし、壁と先生の身体に挟まれてしまって逃げ出すことが出来ない。

 

それに、囁かれる度に身体から力が抜けて……っ…

 

 

『アコ……好きだよ』

 

 

 

 

 

そ、そんなっ……!?そんな事を言われたらっ……もう、このままだと、先生から、逃げられ──────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

衝撃。

 

 

 

「ってそんな事ッ……!!この私がッ!!望んでるわけが無いじゃないですかこのバカアァァァアアアアッ!!!!!!?」

 

思わず勢い良く壁に目掛けて頭をガツンとぶつけてしまう。とても鈍く、凄く大きな音が響く。それに思ってた以上に痛いッ……!!

 

 

しかし、そんな痛みを代償に。先程までのバカな考えは何処かへと消えていったらしい。

 

火照る身体を抑え、深呼吸。

 

 

「わ、私としたことが……いけません。」

 

 

そ、そんな事を思ってここに来たわけじゃ無いのに…っ!!なんて事を考えてるんですか、私…ッ……!!!

 

 

衝撃によりヒリヒリと痛む頭を抑えると、如何に今日の自分が冷静さを欠いているのか、よく分かってしまう。

 

 

 

ストレス……そう、これも全て、ストレスの所為。

 

 

でなければこんなに取り乱したり、誰かを求めたりなんか…

 

 

そんな事が無いように、厳しく、戒めているはずなのに。

 

普段ならこんなこと、絶対にあるはずが無いのだから────

 

 

 

そんな時、1人で騒いでいる私の音を聞き付けたのか。

 

こんな私の元へ、先生は走ってきたのだった。

 

 

 

 

 

 

『アコ、大丈夫!?』

 

先生は、そんな私の姿を見て驚いた様だった。

まぁ、この人ならば当然。額を押えて涙を滲ませているのだから、真っ先に心配をするだろう。

 

 

実際は馬鹿な一人相撲の結果、自爆してしまっただけの話なのだけれども。

 

 

「……ええ、何でもありませんので、お気になさらず。それより、遅くなってごめんなさい…」

 

 

そんな、いつも通りの先生の姿を見て。毒気を抜かれてしまったのか。まるでさっきまでとは違って…極めて冷静……に、なれた私は。

 

今の姿を先生に見られるのが……何故か、とても苦痛に感じてしまっていた。

 

 

それはまるで、こんな私の醜い心が、荒んだ気持ちが。目の前の大人には、とっくに見透かされているんじゃないかと思ってしまったから。

 

 

だから私は平気な顔をして、仕事中の笑顔を張りつけて。執務室の方へと歩き出そうとする。

 

 

早く、仕事をしないと。

何かが、こぼれてしまう気がして。

 

 

「それより、まだ…お仕事は残って、いますよね。ゲヘナ風紀委員会、行政官として。手早く片付けてしまいます…って、何ですか、この手は…?」

 

 

そんな時、先生の手のひらが私の額に触れた。

思わず何事かと思い、先生の方を向くと…

 

 

……先生は、ゆっくりと私の頭を撫で始めた。

 

 

「……先生。何をしているんです?」

 

 

思わず、怒気を孕んだ声が出てしまう。

 

本当はそんなふうに思ってないのに、心の防壁が決壊しないように、私は怒った振りをしている。

 

 

…なのに、先生は手を止めない。

 

それも私を労うように、励ますように。

 

 

…疲れて擦り切れた心を温めるように、ただ無言で私を撫でて、それに、自分が着ている服を、私に、かけてくれて────

 

 

遂に、私を守っていた何かが、決壊する音がした。

 

 

「……っ、先、生…?」

 

 

「あの、やめてください…」

 

 

「……っ、うぅっ……な、なんで、こんな事を……」

 

 

涙が出る。どうして、私はこの人の前で泣いているのだろう。

 

 

「……っ、み、見ないでください、っ…」

 

 

泣きながら、私は懇願する。

どうか、今の私を見ないで欲しいと。

 

それでも先生は、私から手を離さなかった。

 

 

…嗚呼。

本当に、この人は。

 

 

…だからだろう。私の方からも、何科に縋るように、その温もりへと擦り寄ってしまったのは。

 

 

 

何だかとても、自分が情けなくなってしまう。

 

 

…人よりも仕事が出来る。そんな事を言ったところで、今の私は目の前の『大人』にとってはただの子供に過ぎなくて。

 

 

 

私がひとしきり泣きじゃくる間、先生はずっと、傍で私を慰めていた。

 

 

 

 

 

 

 

「……お風呂、頂きました。それに着替えも用意して頂いて…はぁ、何だかもう、迷惑をかけてしまいましたね…」

 

『……うん?そこは気にしなくて大丈夫だよ?』

 

 

結局あの後、先生は泣き止んだ私にシャワー室を使って来るといいと言い残して、仕事に戻ろうとした……

 

 

……所で少し、一悶着あったものの。冷静じゃない私のせいもあって先生をかなり困らせてしまった気がするけれどもう、忘れた方が身のためだと割り切る事にする。

 

 

……身につけた先生の服は大きいけれど、今の私はそんな事さえ気にならない。

 

極めて冷静になった今なら、仕事なんてとっとと終わらせてしまうに限るからだ。

 

 

「……それでは先生?これより2時間以内にそこに積んである書類を『全て』終わらせますので、そのつもりで宜しくお願いしますね?」

 

そんな私の言葉を聞いて、先生も苦笑いのまま腕まくりをし、先程よりもやる気を出したのか…自分のデスクへと戻って仕事に取り掛かり始める。

 

 

だから私はそんな先生の横に立ち、徹底的にその仕事ぶりをサポートする。

 

 

今、とてもスッキリしているせいなのか、心にとても余裕が出来始めた。

それもこれもまぁ、口には出さないけれど……隣で笑う先生の力、なのだろう。

 

 

「……ところで先生?私としては、借りを作ったまま、今後を過ごすのはとても不快に感じてしまうので…何かこう、方法としては主に仕事を手伝う以外で…」

 

 

……しかしそんな私にも、考えがある。

 

 

これはそう、貸し借りは続けるべきでは無いから。

 

そんな退廃的な考えではなく、あくまでも立場上に置いて、シャーレに対しての手札はきちんと持っているべきだから。

 

 

「……これは私の落ち度であり、仕方がありませんので。一つだけ……先生の言う事も何でも言う事を聞いてあげます」

 

 

その言葉を聞いて、先生は驚いていた。

 

…そうだろう。あんな姿を晒した後だけれど、今の私はいったいどんな顔をしているのか、私自身には確認する術が無いけれど。

 

 

けれど、そんな私は…何かを期待しているのでしょう。

 

 

 

『……うーん……それじゃあ、アコ』

 

 

先生が悩みながら指さすのは、シャーレに備え付けられた仮眠室。

 

それを見てわたしは、なんというか…子気味良い気分になる。

 

先程までの姿とは少し違う。私を見る目が、違うから。

その瞳に宿っているのは────

 

 

…その言外の意図を、私は汲み取れたでしょうか?

 

 

ふぅ、と。一拍の深呼吸。

 

 

 

頬を染めながら。私の身体に、とても不釣り合いなジャケットの裾を両手で掴みながら。

 

 

「……分かりました。仕事が終われば、ですよ?」

 

 

私は挑戦的な笑顔で、先生にそう答えたのだった。

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