魔神ちゃん止まって!/錬金の魔女と魔神ちゃん:第一章は「1滴の泥を落とされた楽園の中であっても」 作:電子サキュバス
ノイズが走って離れない。
現実なのか、夢なのか、妄想なのかわからない。記憶が曖昧だ。
けれど、触れれば痺れ、感覚は遮断される。存在の認識はされず、抜ければ元通りになる。
嘘なの?本当なの?いけない、それではいけない。
私にはやるべきことがある。
私にも、やるべきことがある。
守らなければ。
そのために降りたんでしょ。
――――――――――
机に肘を立てて頭を抑えながら、キスアは眉間に皺をよせていた。朝に目が覚めてから気分が悪い。側に飾っている白いイースアリベアの花をつついて、香りを嗅いだ。わかってはいたが、それをしたところで一瞬気がまぎれただけだった。
「キスア大丈夫?頭が痛いの?」
クゥちゃんが心配そうに声をかける。
「う、ううん大丈夫。なんでもないよ」
頭を押さえながらも、心配させたいと笑顔を取り繕った。けれどどうしても、安心させようとしているのがクゥちゃんにもわかってしまう。わかっていても、クゥちゃんにはどうしたらいいのかわからない。
だから今は、その優しさを素直に受けたふりをして、こう言うしかない。
「……わかった」
だって『無理はしないで』だなんて。そんな言葉は知らなくて、そんな気の遣い方も知らなくて、苦しいことがわかっても何をすればいいのか。何ができるのか、わからない。
幼くて――――無知だった。
今日は定休日。キスアは、本当なら採取をしたり、商売の宣伝をしに行きたかった。だがどうしても体が動かない。すごく体が重くて言うことを聞かない。
眩暈も強く出ているが、耐えることならできた。しかし採取に行くだなんてことは、とてもじゃないが出来そうになかった。
「ごめんねクゥちゃん。わたし、あなたの力にならなくちゃいけないのに」
続きを言う力すら出なくて。情けなくて、顔を反らしてしまいたかった。
無力な自分が嫌い、そうなってしまう。
自分を傷つけるものは何も守れない、助けられない。自分を責める自傷行為だ。わかっていても、我慢しようと思っても、止められない。
泣いてしまう。泣きたくない。強い自分にならなきゃいけないんだ。
いろんな気持ちが渦巻いて、逃げてしまいたくなった。
クゥちゃんから目をそらしたくない。でも、こんな自分を見られたくない。
私がクゥちゃんの親の代わりにならなきゃ誰がこの子を守るの、誰がこの子の親を探すの。責任から逃げたくない、逃げてはいけない。
私は本当の親じゃない。イリスという人じゃない。
それでも……。
だって私は、この子を産みだしたんだから――。
キスアが今にも泣きそうで、その様子をなんとかしたくなったクゥちゃんは、テーブルに突っ伏すキスアをおもむろに抱き上げて、寝室のベッドにぶち込んだ。
「ぐえあ!」
連立カエルがつぶれたときのような、奇妙な声が聞こえた。
リビング兼、仕事用の受付となっている部屋から寝室までは、部屋を1つ挟んでいる。そしてその部屋へは隣の調合部屋から左に曲がって扉を抜けなければならなかった。
けどそれはもう過去の話。
「こんちゃーっス!キスアさんいるっスかぁ~!」
扉を開けて来たトレイルが目にしたのは、壁に大穴が開いた受付と、その穴の向こうに見える、ベッドの上で気絶しているキスアだった。
今では玄関から寝室の方へ向かって真っすぐ向かえば、すぐにベッドまでたどり着けるようになった。
新しい間取りにリフォーム!これでドアの開け閉めに煩わされることもなくなったし、扉の向こうに何かがいるかもしれないという気持ちになることもなくなった。
時折キスアに聞かされる夜の怖い話。そんなものに、もう煩わされることはなくなったのだ!素敵だね!
その代わりキスアの調合部屋からの変な匂いが流れ込んでくるが、それは些細な欠点だ。何かを得れば何かを失う。一得一失、一長一短はどんなアイデアにも起こりうるもの。キスアも寝かしたし、部屋もより効率的な運用ができるようにリフォームした。すばらしい仕事で胸が満たされるというもの。
「あ、トレイル」
トレイルの声に気付いて、クゥちゃんは振り返った。彼女の表情はいつもの色のない透明さだったが、しかし仄かに何かをやりきった顔をしていた。
「クゥちゃん、楽しそうっスね」
クゥちゃんが何かをしたんだろうということが、目の前の惨状だけで容易に想像がついてしまい、トレイルは苦笑いする。
「キスアをお世話する」
「え?」
予想していなかった言葉が突飛だったこともあり、トレイルは間の抜けた声で聞き返した。
「なんか体調悪そうだったから」
誤解を与えたと感じたのか、伝えられる言葉でクゥちゃんはその理由を述べた。しかし変な声を上げた理由はそういうことではなかったのだが――。それはともかく、トレイルは一旦疑問や質問を飲み込んだ。
「そうだったんスね。新しい遊びでも開発してるのかと思ったス」
「そういう遊びあるの?」
「師匠と体を張った遊びを色々したんスよ! しょっちゅう家が壊れたっス。 今思えばこれも一人で生きて行くための訓練の一環だったかもしれないスけどね」
なぜ壁に大穴が開いてるのかをそれとなく聞くつもりだったのだが、クゥちゃんが興味を持ってしまったので、ついつい自分の体験を話してしまった。
「んっ!今度教えて、今はキスアを苦しみから救わないと」
興味はあるといった風に語気は強かったが、手を突き出してトレイルを制止した。今はトレイルの話よりもやっぱりキスアの事が気になるようで、後ろを振り返り、ひっくり返って足の間から顔がコンニチワ~しているキスアの方を見た。
「なんか思いつめた科学者みたいスね」
苦笑してクゥちゃんと一緒にキスアの方を向いた。
「科学者?」
「ほら、マッドなサイエンティストが考え過ぎた結果、人を救うために外法を決断するとか……そういう本読んだことないスか?」
身振り手振りを交えながら話して、期待薄く聞いてみた。
「キスアが読んでた本にあったような無かったような……。んっ違う、そんなの気にしてられないの」
一瞬思い出そうとして、クゥちゃんはそんなことをしている場合じゃないと気が付き、再びトレイルを手で制止した。
「ごめんクゥちゃん邪魔するつもりじゃなかったスよ」
微苦笑しながら宥めたが、実のところ少しトレイルは驚いていた。
キスアからは産まれたばかりだという話を聞いていたトレイルは、まだ物語性のある本をキスアが読み聞かせるとは思っていなかった。
普通、赤子に絵本は読み聞かせないものだ、もちろん生後数か月となれば、赤子といえど読み聞かせたりするかもしれないが、それでも2,3か月ほどは経ってからだろう。けれどキスアは産まれて間もないクゥちゃんに読み聞かせをしていたという。
トレイルもクゥちゃんとは少なからず関わってきた仲だから、赤子だとまでは思っていない。クゥちゃんと初めて出会ったときにはそもそものところ、産まれたばかりであると聞かされて驚いたくらいだ、だからある程度の知性や知能があるという認識だった。だがそれでも尚、キスアが本を読み聞かせるとは想像もしていなかった。
キスアは思っていたよりもずっと母親をしているんだなと、トレイルは驚いた後に思った。
(というか、母性芽生えるの早すぎない?妊娠期間中に芽生えるとかならわかる、けど唐突に出産して母性って目覚めるもんなの?)
とも、思った。
「とにかく、キスアを直すの。食べ物を用意して、口に入れればきっと元気になる」
クゥちゃんは食料を保存している倉庫に向かおうとした。
「クゥちゃんそれよりも薬とかを飲ませた方がいいっスよ。あたしはあんまり詳しくないスけど、街にいけば力になってくれそうな人に出会えるはずス」
トレイルの言葉で立ち止まり振り返ったクゥちゃんは、無言でトレイルの目の前まで近づいていき、早く行こうという圧力をかけた。
「ううわかったから、ちょっ!近いってば」
体を反らして極力クゥちゃんの圧力を軽減しようと試みるものの、前抱っこの要領でしがみついてきて、 じわじわ登ってくるので徐々に怖くなってきた。
(やめて、ひえぇぇやめてこわい……っ!)
そんな思いも空しく、頬を寄せられてトレイルは放心するのだった。
その後クゥちゃんは薬の手がかりを探すことに決めたようで、トレイルから離れた後、彼女を急かしながらキスアのアトリエを出発していった。
そしてテーブルに残された白い花が、誰もいなくなったリビングで寂しく揺れていた。
街に行ってキスアの症状を緩和する方法見つける――あわよくば完治する術を探すべく、暇を持て余しているトレイルと、いつもとは違う外出が始まった。
意識が目覚めて、しっかりキスアに問診してからでなくて良いのだろうか。そんな疑問を持ったものは、残念ながらこの場にいなかったのであった。一人壁のぶち壊れた家のベッドで放置されるキスアが不憫である。目覚めた後にキスアがどう思うかを考えるという発想さえあれば……。
――――――――――――――――――――――
二人が出て行った後、しばらくしてキスアは目が覚めた。不格好な態勢をしていたからか、首と腰が少し痛い。
ひっくり返った態勢を直して、布団に入りなおした。そうして、クゥちゃんの行動を振り返る。
(きっとダメな大人だと思われた)
キスアは布団をかぶって、反省会に暮れた。
(私、お母さん代わり失格だ……。クゥちゃんを守らなきゃいけないのに、心配させちゃいけないのに、心配させちゃった。)
(私が不甲斐なくて、心配になっちゃったから、出て行っちゃったんだ。ちょっと乱暴だったけど、クゥちゃんなりに気を遣わせちゃったんだ。ダメなお母さんだぁ……私)
はぁ。とため息をついて布団から顔を出し、キスアはベッドで寝がえりを打った。
「どうしよっかな……壁の穴……」
視線の先にはクゥちゃんとキスアの共同作業。作品名【壁の穴】がキスアに問題を提示し続けていた。
――――――――――――――――――――――
枯れ葉を拾う者、そこに憂いは何もなく、むしろ希望を抱えて前を向いていた。望めぬ未来という自身の運命を最初から受け入れて、それでも前を向いていた。
落ちた枯れ葉に時間はない。いずれ消えゆく木っ端の運命。だから自身の名前にそれを選んだ。その時憂いがあったかもしれない、けれど今はその葉を大切にしまって、時の流れから隔離した。
「あぁエレナちゃんこんなところに……!」
王都プルプァ、その中心街で見知った声が飛んでいる。
エルフの魔導配達所・ウィフオンス山拠点の看板娘、受付の元気っ娘ポーシェが彼女を見つけた声だった。
「だからジエツレナだって言ってるじゃないか、人の名前はちゃんと覚えてくれ」
呆れたように言うのは何度となくしてきた。だからそこには諦めを含んだ『いつものノリ』としての冗談、そんな軽い雰囲気が感じられる。
「人……って、でもエレナちゃん人の形じゃないよ?その魂」
(あぁ、そうだったっけ。エルフは魂の形を見ることができるんだったね)
「言葉の綾、と思っておくれよ。君は魂が人の形をしていないと、名前を覚えられないわけじゃないだろ?」
「もちろん忘れてるわけじゃないよ?ちゃんと覚えてるもん」
「発音しにくい、だったっけ?前にも聞いたよ。 それでボっクに何か用でも?」
「特別用があるわけじゃないけど、街で見かけたのが珍しかったからぁ」
ポーシェは愛らしい笑顔で、後ろ手に頭をかいて、照れたようにはにかんだ。
「そうかい。でも残念だけどボっクはこれから用があるんだ、弟子が増えちゃったからね……。 教えなくちゃいけないことが多くて時間をあまりかけて居られないんだ」
「えぇ!弟子っ!?エレナちゃんって何者なの? 白衣を着てるからドクターかと思ってたけど」
「そうか君にはボっクのことを、あんまり話してなかったっけ……。 ボっクは、うーんそうだなぁ……。 天使、かな」
「あははっエレナちゃんかわいいもんねぇ!でも……
「っ!?」
―― ―― ――
その瞬間、ノイズが走り、ポーシェの声は忌まわしい者となり、瞳は赤い輝きを放った。
「あははっエレナちゃんかわいいもんねぇ!でも……ん?どうしたの?」
先ほどと同じ言葉が聞こえた。続きを言おうとしたときに、ポーシェは彼女の様子がおかしい事に気が付いて、心配そうに声をかけてくれた。
「っ……。な、なんでもない」
優しさを無下にするつもりはなかった。少々蔑ろにするように言ってしまったが、それどころではなかった。
ポーシェが、失った経緯を知るはずはない。そのはずなのにどうしても、それを一瞬比喩ではないように錯覚してしまった。
そもそもポーシェには見えるはずがないもので、見えたとしてそのような存在を現実にいるとは思わないはずだった。
それにその言葉は、もともとそれが有ったはずという認知をしていなければ出ようがない言葉だった。
(ちょっと刺激しすぎた影響かな……。それとも浸食の範囲が物質をついに越え始めたか……どちらにせよ時間はないかもしれないね)
彼女は自身の仮説によって、動揺していた心をひとまず落ち着かせることに成功した。少なくとも自身の思考が異常をきたしているわけではなく、そのうえ精神に攻撃を受けているのでもないことはわかった。
だがそれは当然仮説であるし、自身に異常が起きている可能性は0ではない、しかし限りなく起こりえない事象であると結論づけた。懸念は懸念として頭に残し、それを考慮したうえで次の行動をするだけ、そう考えた。
ジエツレナの考える仮説は、世界の認知に、自身の記憶やトラウマが投映される――。一種の、『記憶の再体験』を強制的に引き起こさせるものでは。といったものだ。
本来それほどのストレスとなる記憶ではなかったそれを、増幅させてしまうだけの力が、これにはあるようだ。
この事象は『記憶災害』とでも呼ぶべきものだろうか、あの後から起こり始めたそれは、ジエツレナの身を止めさせるには十分な衝撃を与え、ポーシェにもわかるほどに違和を認知させた。
だがもしそうでないとするならば、それは身内のせいだ。
どちらにせよジエツレナの障害であり、解決するべき問題に違いはなかった。
「なんでも、ない……?うーんそうは見えなかったよ。でもうーん、今日のエレナちゃんは忙しいみたいだから、お暇しよっかなぁ……。もしも体調が悪いなら、病院にいくか適度に休むかするんだよ?お弟子さんがいるんでしょ?あまり心配かけないようにね!」
「全く誰のせいだと……いや、大体ボっクのせいか……」
いつものように突風みたくやってきて、つむじ風の如く去っていくポーシェを見送って、ジエツレナは留めた足を再び進めた。
ポーシェは心配をしてくれた、しかしそれだけで十分。やるべきことは変わらない、だから少しも時間は無駄にできない。
できることには限度がある。今のままでは目的を達成できる未来が見えない。だから準備をしなければならないのだ。
必要なものは「知識」「人」「繋がり」だ。とにかく多くと関わって、使えるものを集めなければ……。
時間は待ってはくれないものだ、例え繰り返されるとしても――。
(さて、弟子のために買い物をしよう)
今日はそういう日だった。
ポーシェと別れたのち、すぐにその足はとあるところへ向かっていた。
それは愛する我が子、というには少々言い過ぎではあるかもしれないが――弟子のためだ。
二人いる弟子の名前はレムとヘヴィグ。レムは眠るのが大好きで、ヘヴィグは人助けが好き。
そんな二人にはそれぞれ喜びそうなものを買おう。そういうことだった。
レムには枕でもたくさん買おう。いろいろな種類で買おう。どれか1つはお気に入りが見つかるかもしれない。
ヘヴィグにはそうだな、便利グッズを紹介する本とかはどうだろうか。自作できるようにいろいろな資材も買って、錬金術などもどうだろうか。いろいろ買っておいて損はないだろう。彼女は向上心があるからね、いろいろとあるに越したことはない。
「あぁ、枕をなるたけたくさん見繕ってほしいんだ」
王都一番の店通り。そこには国中の物品たちが集まり並ぶ。そこに手に入らないものなんて何もない。
ちょっと言い過ぎかもしれないが、『だいたい世界の九割は集まっていることだろう』とは、古人の言葉。お隣には魔族領だってあるのにね。そんなところで、ジエツレナは荷物いっぱいのまま店員に注文だ。
「そんなにたくさん買っていいのか?持ちきれないだろう」
店員のもっともな言い分、しかしジエツレナは問題ないと手を振った。そして手元から、既にいくつか抱えていた荷物が消えるのを店員に見せて、「ね、問題ないんだ」と笑顔で答えた。
「驚いた、あんた魔術師かい?いや、詠唱も術式もなく……ってことは魔法使い……?でも予兆がなかったぞ、マナの流れにも変化が無かった……」
ぶつぶつ不思議そうに考え込んで、店員は興味深そうに考察を始めた。
「まぁまぁ、残念ながらこれは手品さ。そんな大層なことじゃないよ」
「手品……?うーん、そうか。世の中は広いんだな、ま、面白いものがみれたからちょっと安くしよう!ちょっとだけ、だがね」
考察の結果本人から語られたのは、あまりにもあっけない答えだったが、納得はあまりしなかった。だがお互いの言い分は尊重されるべきという思想だからか、店員はそう言ってこの話はここで終わりとした。詮索は気持ちのいい事じゃないからね。それに後で種明かしがされるかもしれないし、あるいはショーを今後開催して、その技を披露したりするかもしれない。その時に既にネタを知っていたらせっかくの催しものを最大限に楽しめないじゃないか。知らないことが一種のスパイスになることだってたくさんあるからこそ、店員は深く聞くことは特にしなかった。
「うんうん、ちょっとでもありがたいよ。ありがとう店員さん」
笑顔で感謝を伝える彼女は、美しくもあり、かわいらしかった。
まくら、毛布、毛布、もふぅ、まくら、まくら、まくら。
受け取ったそばから虚空に消える商品を見て、店員は逐一反応していた。
最後にジエツレナがお礼を言い、店員もまた、面白いものを見せてくれたお礼を言ったのだった。
「さてと、次はヘヴィグのだな。まずは本……それから、雑貨屋ってところか」
寝具屋を抜けて、通りをまた歩く。
正直ジエツレナは全部の店を把握してはいない。さすがは王都一。店の数も多く、通りも複雑で、目的の店を的確に探すのは難しかった。そもそも基本的に実験道具を買うくらいにしかこの通りは来ないし、今までも興味を持ったことが無かったためか、1つ1つ店を見ていくしかなかった。
「うーん……パッと見、どの店も目的のものはありそうだけど、中に入って見ないことには、あるかどうかは判断できないかなぁ……。うん、よし」
独り言ちたあと、悩むよりも行ってみることに決めて、目についた雑貨屋へ足を踏み入れていった。
「ら~~しゃっせーら~しゃっせ~」
気の抜けた声が店内から聞こえる。ジエツレナはなんじゃそりゃと思ったが、一旦気にせず店内を物色していった。
「もしかしてお客さん錬金術師ぃ~?」
どこにいるとも知れなかったが、先ほどより近くに聞こえ、その声の異変に気が付いた。振り向いてその主を見たとき、ジエツレナは首を痛めさせ、同時に興味を惹かれた。
彼女はあまりにもだらけ過ぎていて、怠惰極まるその姿は、カウンターに突っ伏すどころか、天井に突っ伏していた。意味が分からない。人はだらけ過ぎると重力が反転してしまうのか?
(いっつつ……。うーん実に不可思議)
「まぁ……そんなとこかな、弟子の為に本を探していてね」
当たり障りなく答える。
自分は何術士かと問われることはよくあった。実際のところは何術士でもない。強いて言えば職業は研究者だろうか、とある目的のために時間をすべてそれに捧げているのだから。
「ふぅん、じゃこういうのとかいかが~?」
天高くから何かを投げて……否、落としたものを、ジエツレナはキャッチした。
「っと、これは……。ふむ、丁度よさそうだね」
投げられたものはまさかの本であった。さすがに本屋と言えど、そんな粗雑に扱うとは思ってなかったので少し動揺するが、態度に出るほどではなかった。そも、めったなことでは態度に出ないくらいには、悪く言えば鈍感で、よく言えば広い心を持っている。
本は勝手に開かないよう、ベルトで留められていて、表紙には『誰でも作れる初めての錬金術』と書かれていた。
(いつ本棚から出したんだ……? 全く興味が尽きないねぇ)
店員と顔を合わせてからというもの、上がった広角が戻らない。
「どうせこういうのでしょ、求めてるのって」
「態度のわりに慧眼だね店員さん」
「まねぇ~、本職の人はこういう本屋にあんまり来ないんだよ。ここは一般向けの物しか置いてないから」
「ふーん、そうだったんだねぇ」
興味があるような、ないような相槌を打ちながら、受け取った本の表裏を眺める。
(この内容であればヘヴィグでも理解しやすそうだね)
「この街の人以外が来るなんて珍しいね」
本を眺めるジエツレナを、気だるげな瞳で観察しながら聞いてきた。
「いや?ボっクはこの街の人だよ。君も言ったじゃないか、本職の人はここにはめったに来ないって」
「んー、それもそっか。……んじゃはいこれも、オススメ」
唐突に興味を失ったのか、本をもう1つ投げ落とすと、のそのそと天井の梁を乗り越えながらカウンターの真上に戻っていった。
「おっとと!商品は大切にすべきだろうに……。まぁいい、どれどれ……、これは」
この場に似合わない専門書。タイトルには「免疫の進化」と書かれていた。
(なんでこれを今……?)
疑問には思ったが、薬学の事も多少は触れている内容だったことから、錬金術で再生ポーションのような応用にも使えるからなのだろう。敢えて深く悩む必要もなかったので、あとは手近にあった本をいくつか加えてカウンターに向かい、本を置いた。
(さて、天井の君はどうやって会計をするんだい?)
のそ、のそ。
「はいはい会計ね~。……なに、どうしたの」
「んん……?」
カウンターの奥から、大きなとんがり帽子を被った背の高い女性が現れていた。ジエツレナと同じくらいで、傍から見ると圧巻だ。
その者の瞳は青い宝石を思わせ、腰まである藤色の髪は、わずかな所作できわどく揺れる。
「なに。……あぁ、あれね、バイトよ」
「へぇ……。君、ボっクのところで助手を……」
「ウチの子勝手に勧誘しないでくれる?ま、面白い子なのは認めるけど」
でも駄目よ。と続けられ、ジエツレナは少々惜しい気持ちを残しながら、肩をすくめると会計を済ませた。
「あの子の休みはいつかな?」
「うちの子を取らないでほしいのだけれど」
「もう助手の勧誘はしないさ、ちょっとだけ話を聞きたかっただけだよ」
「そう?……夕方」
少しの間のあと、藤髪の女はあまり悩んだように見えない表情で言った。
「ふむ」
「あとはあの子と決めればいいわ」
そういうと、店主と思われる藤髪の君は、店の奥へと消えていった。
「淡白な人だねぇ、君のところの」
「ま、それでもあの人じゃないと、ウチは今こうしていられなかった」
「ふむ、浅からぬ関係なようだねぇ」
「そゆことそゆこと」
「それで、夕方なんだが……」
「ん~そだなぁ、じゃあ魔女協会で」
「わかった、それじゃあまた後で」
「ありやしぃやしてあ~」
相変わらずその挨拶は何なのだろうと思いながら、ジエツレナは本屋を後にした。
胸に抱えた本を虚空にしまって、さて今日の主目的といこう。
今日の予定は買い物をするだけではない。それは思い立ったが吉日というやつで、本来の目的はこちらだ。
この前起きた事件の調査。といえば聞こえはいいが、それは建前で、本当の理由が目的となっている。
「ロアーズ……」
人形の魔女が暴走していた事件……。より正しく言えば、人形の魔女の『人形』が暴走していた事件。
あの事件には当然理由があるはずなのだが、この世界においてそれは異常な事だった。
この世界は本来そういった事件が起きりえないはず。あくまでも推測ではあった、しかし長年の調査でわかっているのだ。
人々には善性と言われるものしかない。悪性情報が一切見られない。
報告には、アーリーシャは「敵」と言ったらしい。つまり恨むべき相手、もしくは倒さなければならない相手であったということだ。
これがどういうことか、すなわち『悪』の概念が既にあったということだ。しかしこの世界において、あの時に限って言えば
産まれたのはあの瞬間だ。
誘導して生み出させた。無いと不便で、なにより不健康だから。よく言うだろう、「悪いものはぺってしなさい」とかさ。
だから、アーリーシャがあの時点で『悪』を認知していたのは異常だ。これが起こりえるのは外部からの手が入れられたときだけだ。
つまり、ロアーズが関係しているということ。こいつを何とかしなきゃいけない。
ボっクはあくまで作り手本人じゃない。色んな検体の解剖をし、生物の調査をしているし、奴からの改善の出汁としてロアーズモドキを送りつけられてはいる。だが、一向にロアーズと出くわしたことが無い。まるで避けられているかのように。
しかし今回はかなり違う。推定ロアーズによる被害者の情報、そして現場が近くにある。そこには必ず情報が残されている。
多少いろいろあって時間は立ってしまったが、今までほとんどの情報がなかったのだ、多少失われていてもその収穫は大きい。
「さて、ここが報告にあった通りか」
今では壊れた建物の修繕も終わり、人々が往来していたが、何もないと決めるのは早すぎる。まずは隅から隅まで見て回ろう。
――――――
一通り見終わった結果、何もなかった。
これほどまでに何1つ見つからないとは思っていなかった。少なくとも血の一滴くらい見つかるものだと思っていたのだが、そう甘くはないようだ。
しかし妙なのだ、見た目には一切の変わりがないのに何かがおかしい気がしている。普通にはない何かがここに残されていると直感が告げていた。
「ここで何かをする必要がありそうだ……だが、何をする」
目には見えない何か。そしてロアーズは善性の反対に位置する悪性の塊。もしや――。
「初めての試みだけど、やってみる価値はあるかな……。
ジエツレナは、左手から光球を作り出す。
普段はこれで洞窟内の周囲を照らすのが主な術式だ。しかしこれの出力を反転させるとどうなるか。
光球は徐々に小さくなり見えなくなっていった。
そして、光球の合ったところから黒く光る球が現れだした。いや、黒い球が光を反射しているのではない、まぶしいモヤだったものが、薄い闇が広がっているように置き換わって見えるのだ。黒い球が闇を放つ、といったところだろうか。
「よし、ひとまずこれでもう一度辺りを見てみよう」
まずは隅の方から見て回るが、何も見つからなかった。
「隅には無いか……つまりは隠れて何かしたわけじゃないんだな」
通りの真ん中を歩いたとき、異変が起こった。
「……っ! これは……」
闇が明らかにしたのは、空間の揺らぎ、そして影法師だった――――。
現状わかったことは2つ。
1つ目は、反転させたレビオルの暗闇を当てたときのみ、実体化するということ。
2つ目は、持ち帰れるということ。
「なんだか思わぬ収穫になっちゃったなぁ」
彼女にとっては最高の結果で、勝手に頬もほころんじゃうというものだった。
例に漏れず、その影法師は虚空にしまってあるし、空間の揺らぎのおかげか、周囲の誰にも知られることはなかった。
早急にやらなければならないことは無くなった。ひとまず一度帰ってもいいだろう。
(ん?あれは……)
通りを歩くある二人組。別段、今は用があるわけではないが、やはり気になってしまった。少しの間、目を向けていると、その内の一人と目が合った。
「あの……」
――――――――――――――――――――――――
トレイルたちはキスアの症状をよくする方法を探すために、知り合いを思いつく限りで探していた。何人か当たっていたが、どれもあまり当てにならなかった。
民間療法に眉唾な噂、果てには気合いで何とか!というものすらあった。しかしクゥちゃんは、そんなことでは納得できず、『なぜなぜ期』よろしく詰めて詰めて詰めまくる質問攻めをして、ことごとくを潰していった。
やれ「冗談だ」とか、「聞いた話だし」とか、信憑性のないものばかり。クゥちゃんのストレスも神速術式に掛かっていた。
「まぁまぁ、流石にそう簡単には行かないスよ」
明らかに不機嫌なクゥちゃんを宥めて、いくつもの心当たりに向かっては成果なし。
だんだんとトレイルも、いっそのこと王宮図書館で治療法を探しに行ったほうが良いのではないか、と思い始めていた。
「ん……別に怒ってない、それより、誰か見てる」
クゥちゃんは視線に気がついて、辺りを見回した。言われてトレイルも、気配がないか目を閉じ集中してみた。
すると1つの線が見えた、この一筋こそ気配の出どころだった。目を開けてその先にいたのは……。
白衣を着た、背の高い女性だった。
トレイルはクゥちゃんに合図をすると、二人でそちらに向かってみた。視線の感じからすると敵意は感じなかったので、安全と判断したためだ。
後ろ手に髪をまとめた長身の女性。
深い青が腰まで伸びた長髪に、私服の上から羽織った白衣。見た目からは聡明さが伺える。
この人ならば解決に導いてくれるかも知れない。キスアの症状を完治させられるかも知れない。二人はそんな期待をしながら、声をかけることにした――。
「あの……」
その女性は、近くで見れば見るほど美人で、賢そうだった。こちらを向いた表情には冷たさを感じたが、それは一瞬で氷解した。
「ん?おや、なんだい来たのかい?まぁじっと見られてたら気になっちゃうもんね、ごめんね」
微苦笑しながら答えた顔からは優しさが感じられて、身構えていたクゥちゃんは、ちょっとだけ緊張が緩んだ。
「いやぁ、それはちょっと気になったスけど、実は聞きたいことがあって声をかけたんス」
意外な答えに女性はキョトンとした顔を見せる。
「はて、ボっクに聞きたいこと?何かな」
「実は……あたしが懇意にしてる人が体調不良らしくて……詳しくはこの子が」
そう言ってクゥちゃんの両肩に手を乗せて、トレイルは説明を促した。
「ん……キスアが、頭を押さえて辛そうにしてたから、何とかしたくて……」
言いにくそうに、けれどなんとか知ってることを説明しようと、必死にクゥちゃんは言葉を連ねる。見たままのこと、見て感じたことを――。
「うーん、ふむふむ……ちょっとその症状に心当たりがある。けど治療するための薬を切らしていてね、材料となる素材を集めてくれたら、作れないこともないよ」
ちょっと演技掛かった言い方だったが、それは努めて不安を煽らないようにするための配慮だった。救いを求める暗い顔には安心をあげるべきだ。安心を得てから正常な思考をしてもらう。問診の始まりは大事だ。
「……わかりました。探してくるス、それでその素材ってどういうものなんですか?」
「二種のキノコだ」
「キノコ……」
「ん?キノコは嫌いかい?」
「まぁ、昔毒キノコに当たってしまって……」
トレイルは言いにくそうに顔を反らしていた。
「専門の人ですら完全な同定は難しいからねぇ。万が一毒である場合を覚悟をするのと、適切な調理ができないと、安全には食べられないものだ。一度その経験を味わえばトラウマとなり苦手意識が芽生えるのも無理ないさ」
「うぅ、好き嫌いはなるべく無くせって師匠には言われてるスけど……どうしても苦手っス。 ……それで、そのキノコってどういうものなんですか?」
「あれは様々な形態をとることが知られていてね、よく見るキノコ状の形から、カビのように土壌に展開されていたり、あるいは昆虫などに寄生している」
「つまり生息地にあるそれらを片っ端から集めればいいっスか?」
「そうだね、それが一番手っ取り早い。持ってきたらボっクが同定して成分を抽出する。それともう1つの方なんだが、その辺のチーズの生産工場からアオカビをもらってくるだけで良い」
「アオカビ?」
「古い家屋を見たことあるかい?部屋の角とかが変色していたりするだろう、あれだよ。種類によっては発酵食品に利用されていたり、薬品に使われることもある。今回はどのアオカビでもいいからね、その辺のチーズの製造場から少し分けてもらえればいい」
「了解ス、持ってきたらどこで落ち合うスか?」
「そうだねぇ……。そのキスアという子、今は家にいるんだったかな?そこに連れて行ってくれ、そこで待つことにするよ。どうせ君たち、病人を一人にしてここまで来たんだろ?看病する者がいた方がいい」
「あっ……はい、よろしくお願いします」
「うんうん……、おや?何やら花の香りがするね。もしかして白い花に心当たりはあるかい?」
「え?いやあたしは知らないスけど……」
「……あ」
「ん、どうしたスかクゥちゃん」
「キスアの部屋に飾ってたかも」
「あ、確かにあったかもしれないス」
「そうか、じゃあついでに花屋に行こう。あの花は鎮痛・鎮静作用のある薬にもなるんだ。御粥と一緒に摂取するのがいいさ、それに飾ってあるものを食べるのは気が引けてしまうだろうからね」
「わかりました、それじゃまずは花屋に行きましょう」
「案内は頼んだよ、ボっクは地理に疎いんだ」
「了解ス、じゃあついてきてください。 いこ、クゥちゃん」
「ん」
そして一行は花屋に向かって歩き出した。
「そういえば自己紹介、まだでしたね。 あたしはトレイル・ラースっス、それからこっちがクゥちゃん」
道中を幾分か歩いた頃、トレイルは言いにくそうに口を開いた。
「うんうん、よろしく頼むよ二人とも、ボっクのことは気軽にドクターとでも呼んでくれ」
彼女は笑顔で頷いた後、優しく微笑みながら自己紹介した。
「ドクター?」
トレイルは不思議そうに返したが、尚も彼女は微苦笑しながらこう返した。
「素性を知らない方が、気兼ねせずに接することができる人もいるってことさ。 例えば憧れのあの人だとしたら、その人がせっかくお忍びで一般人として生活していたのに、正体を知られたら忙しなくなっちゃうだろう?」
「確かに……そうかもスね。わかったス、本名とかは気にしないでおくスよ!」
「いい子だね、ありがとう」
よしよしとドクターはトレイルの頭を撫で、彼女はそれを嬉しそうに受けていた。そしてその光景をみてクゥちゃんは、骨を投げたらトレイルは取ってくるような気がすると思った。
それから再び、他愛ない会話を交わしながら歩いていき、花屋に着いた。
「ここがあたしが時々買いに来る花屋さんス」
「ほーう……。 君はこういう店が好きだったんだねぇ」
人々の営みの中でささやかに咲く花のような、愛らしい花屋さんだった。時折人々を癒やしてくれる、疲れた時にふと目に入る、そんな花屋。
「いやっそれはその、あたしには似合わないとは思うっスけどっ!縁があって時々っスよ! それに、あたしだって女の子……ですし」
「そっかそっかぁ、かわいいかわいい、よしよし」
「もぉ!もぉ……早く花を、買いましょう」
恥ずかしい気持ちと嬉しい気持ちが
「ラケルさん!イースアリベアの花はあるスか?」
「もちろんあるよッ!けど珍しいねトレイル、マキリスの祝い日はまだ先だろ?」
「その話はいいっスから!今は連れがいるんでやめてほしいス!」
「あららら友達っちゃあ驚くじゃないかいトレイルやトレイル!ウチのトレイルと今後ともよろしくしてやってくれ!あの子は良い子だから!」
「だからラケルさんいいんだってば今は!こ、今度時間とって改めてしてほしいス!」
「はいはいはいはいわかったよトレイル、それでイースアリベアの花だね、どのくらいほしいんだい?」
「そうだねぇ、今のところは一輪あれば事足りるけど……まぁ、せっかくだしいくらかの束でお願いしよう」
「プレゼントかいお友達さん?」
「そういうことだねぇ、あの花が一番効くんだ、癒しの効果は絶大だからね」
「ふぅん?そうなんスね?」
「おいしい?」
「お花は食べるものじゃないスよクゥちゃん」
「食べられる花だってあるよトレイル!」
「けど食べない方がいい花もあるねぇ。あ、イースアリベアは意外とおいしいらしいよ」
「た、食べたいような食べたくないような」
「じゃあ食べてもおいしい花を1つオススメしてあげるよ! はいこれ、
ラケルは大きな気泡を差し出して見せた。中央にある黄色くとろける物体は、よく見ると花の形をしていた。
「ほおぉぉ……おいしそう!」
クゥちゃんは眼を輝かせて今にも口に含んでしまいそうなほど顔を近づけた。
「あっ待ってクゥちゃんまだお会計してないからまって!」
今にもかじり着きそうなクゥちゃんを止めたが、『どうしても食べたい』とその顔が訴えていた。
トレイルは誰にでも甘やかすような性格ではないものの、小さい子の扱いが特段うまくはない。
どうしたものか考える。
トレイルの気持ちとしては、甘やかしたい。
かわいいクゥちゃんの笑顔が見られるという確定事項、しかしキスアがなんというか……。それに、年上としても姉貴分としても、そういうのは教育上よくないと直感が言っていた。
迷う……。一瞬のうちではあったが、とても逡巡していた。
そして決断した――。
「そこまでの値段じゃないスけど……こういうのはなるべく我慢してほしいかな……」
「ん、ありがトレイル」
「感謝を名前で省略しないでほしいかな……」
三人は花屋を後にして、トレイルは結局クゥちゃんの押しに負けて買ってしまい、これを無駄遣いとするべきか苦悩していた。
「それほど大したことじゃないだろうに、さっさと買ってしまえばなんてことないじゃないか」
「そういう問題じゃないスよ……子育ては大変って聞いたことないんスか……?」
「おやおや、いったい誰に何を言われたのか……。難しいことを考えるのならもっと時間のある時に――」
「わかったスから考えすぎなのは!それで、このあとは……」
お花を買って、トレイルはこの後の予定をもう一度話し合う。
確認の会話を三人で話しておくのはいいことだ。誰が忘れても、どこかしら覚えている。記憶の穴を埋めてあげるのは仲間にしかできない、大事な役割。
これから2つの素材を集めに行く。
1つはキノコの一種。
北の森へ行き、いくらか微小に含まれていそうなものを集めまくる。正直どんなものであるかはよくわからなかったが、虫の死骸だとか土だとかを集めればいいらしい。正直虫の死骸は触りたくないから土を掘っていくつもりだ。ドクターもそれでいいと言っていたので問題はないだろう。あと枯れ葉などにも含まれているとのことで、土よりかは枯れ葉の方が多めにしておきたい。土は思ったより重いし。
もう1つがアオカビ。
発酵食品などに使われているもので、町の製造工場から少しだけ分けてもらう。
必要な素材を集めたら、キスアのアトリエに集合だ。
ドクターは先にアトリエに行ってキスアの看病をすると言っていた。ありがたい。
そしてトレイルたちはドクターと離れ、それぞれのするべきことをしにいった。
ドクターはキスアの看病をしにアトリエへ、そしてトレイルとクゥちゃんは、まず素材の1つを採取するため北の森へ向かうのだった。
――――――――――――――――――――
コンコンコン、ノックを3回。
「ま、安静にしてるのだから反応はないか」
独り言ちて手を下ろす。
「勝手にお邪魔するよ」
ギッと開いて、中に入った。返答のない部屋、誰の気配も感じない。テーブルには白い花がそのままで、二人から匂っていたイースアリベアの花がそれであることに得心した。
「あぁ、そこか」
話に聞いていた穴、クゥちゃんが開けた大きな風穴をくぐって、研究部屋を抜けてアトリエの寝室へ向かう。そこにはベッドで寝息を立てるキスアがいた。あの時はひっくり返って情けない姿を晒していたと聞く。トレイル達がちゃんと寝姿を直してあげたとは思えない、恐らく自力で態勢を直して大人しく寝ることにしたのだろう。
「はぁ」
ひとつ息を吐いて、隣に備え付けてる小型のテーブルに小瓶を置いた。
椅子に腰を掛けて、小鉢を並べた。
薬を作るのに使う、いわゆる乳鉢。一般的な小鉢との違いは溝が無いこと。それは、見た目に美しい光沢を見せていて気に入っていた。セットで使う乳棒のなめらかな形状もまた素晴らしい。
そんなことを考えながら、無言で花をすり潰す。傍から見ると、病人の横でニヤニヤと笑みを浮かべながら薬を作る危険な絵面だったが、幸い誰もそれを見ていない。
作業の側で、置かれた小瓶は淡く光り、その花の入れられるのを待っていた。
「初めまして、あるいは久しぶりだね。勝手にお邪魔させてもらってるよ」
寝ているキスアには意味はない。意識には残らないはずだが、それでも口をついて出てしまう。
時に人は睡眠学習をすることもあるという、それに肉体の意識がないというのに、声をかけてくれたことを覚えているといった事例もある。だからだろうか、静かなのには特別苦手だとか、耐えられないということなどはないのだが、この行動にも意味があるのだろうと直感的に思って、それ故に寝息を立てる少女にこうも無駄にも思えることをしているのかもしれない。
やるべきことが多く残っていても、苦しむ人がいたら助けたい。
時々自分の行いが全て無意味ではないかと思うこともある。何をやっているんだろうと、すべてを投げ出したいと思うこともある。
それでも――。
「
少し自分のしていることがおかしくて、微笑してしまう。
「部外者でしかないというのにね。どうあっても
すり潰したイースアベリアを小瓶に入れて、軽く振る。やや白濁した溶液、それは優しい白光となって仄かに照らした。この花はボっクにも通ずるところがある。だから少しだけ思い入れがあるんだ。
花言葉は「眠り」「忘却」「疑惑」「推測」「わが毒」。
「安心して、今君に必要な効果が含まれている、ただの鎮痛薬だから。これをお粥にして振舞うのが一番いい。少し待っているといい……っていっても、君はまだ寝ているんだったね」
小瓶を持って一度席を離れていった。調理場を借りるようだ、しかしキスアのところに今食材はない。そもそも他人の家に材料を求めることはしないだろうから、既に材料もどこかに持ち込んでいるのだろう。
――少し経って、調理場の方から音が聞こえる。特に問題が無いのだろう、材料を漁るような動きはなかったし、なんなら今は少し鼻歌も薄っすら聞こえてくる。
キスアは途中で目が覚めていた。しかし起きるタイミングを失って、少しだけ寝たふりをしていた。
「誰、なんだろう……」
ほとんど目をつぶっていたから何をしているのかわからなかったが、音を聞くに薬を作っていたみたいだ。お粥を作ってそれを混ぜるのかもしれない。薬膳料理、というものだろう。どうしてここまでしてくれるのか、キスアの頭には疑問が尽きなかった。しかし答えが出ることなかった。
「さてと、これであとはトレイル達が戻ってくるの待つだけだね」
お粥を作って戻ってきた彼女は、ベッドに腰掛け、キスアの頭を撫でた。キスアは一瞬ドキっとして、思わず寝たフリがばれてしまうのではないかと思った。
(トレイルさんの知り合いだったんだ……それに、達ってことは、クゥちゃんも……?)
知り合いの知り合いということで少し安堵した。とはいえ疑問は残ったままだった。
それからしばらく彼女の独り言は続いた。ほとんどが今日起きた話であったり、物語になぞらえた自分語り……というよりも、多分彼女が思ったことを整理するための独り言に感じた。
しかしその中で少し気になる独り言があった。
「死と血。黒く、暗いそれは、天国の如き光あふるる世界には似合わない。けれど、だめなんだ。それだと穢れがなさすぎて、歪つになってしまう。この世界には拡張性、可能性が必要なんだ。わかるかい?いや、君にはわかってほしい。切り捨てた可能性は、人にとって大事なもの。悪いことを考えるような裏をかく思考が必要だ」
語り聞かせるように話すその時の彼女は真剣で、何か憂いのようなものを感じた。薄目で様子を見ていたから表情からもそれを何となく読み取れる。
「たとえ紛争に繋がるようなシステム、思考性だとしても。外敵に対して対抗するには、悪を制御する思考が必要なんだ。……今の君に何を言っても仕方がないかもしれないけど、もしも聞いてたら、そしてもしも理解できたなら、よく考えて欲しい。これは君にしか決定できないことだから」
「よく考えてほしい」とは言われているものの、何のことかキスアには分からなかった。だが彼女が真剣に、何か思い詰める理由があるのなら、考えないわけにはいかない。
けれど、知らない単語が多すぎた。
言っていることは何となくわかる、世界に関する何かを言っている。そしてそれが規模の大きい話であることも。キスア含めこの世界の住人は『嘘』がつけない。というと語弊がある、正しくは騙そうとする話、誇張して誇示する話ができない。『優しい嘘』というものならつけるのだが……。彼女の話にはどちらの感じもなさそうであった。
ただ真実のみを語っているように見えた。だからこそキスアは真剣な話だと感じた。
だからキスアはやめた。何を……?
寝たフリを――――。
「その話、ちょっと分からないことが多すぎるんですけど……」
そしてようやく、彼女は自己紹介ができるのだった。
「っ!………………おはようキスアちゃん。私はドクター……ジエツレナ、トレイルちゃん達に頼まれて看病しに来たんだ」
花が咲くような笑顔だった。キスアが声をかけてくれた時、一瞬驚いた顔を見せて、それからは眩しい笑顔だった。声色からは想像もつかないくらい表情が豊か。薄目から様子をうかがっているときにはわからなかった。名乗る時一瞬間があったのは恥ずかしかったからだろうか。
「あの、ジエツレナさん。看病していただいてありがとうございます。 それで……システムとか、紛争とか、天国とか……さっきの話、わからないことが多すぎるんですが……」
「あはは……そっか聞いてくれてたんだ、ならいいんだ。あまり負担は掛けたくないから忘れろとは言わないけど、気にしすぎなくてもいいさ」
そして、さっき一瞬見られた満点の笑顔から一転して、今度は穏やかな笑顔で宥めるように言った。
何故かはわからない、けど優しさを感じて、複雑な気持ちになった。どうしても、その優しさはただ他人に向けるには余りあるもののような気がして、ただの人であるキスアには向けるべきものではないと――。そう感じた。
「それよりも、丁度いい時間じゃないかな。 お粥を作ったんだ、体調が悪いらしいから体に優しいものをと思ってね」
「あ、ありがとうございます……いただきますね」
素直に喜べないのはなぜだろう。無償のやさしさは嬉しいもののはずなのに、どうしてか心がモヤモヤして、作り笑顔をしてしまう。
なんでそこまでしてくれるのかが分からない。それが怖いのだろうか、それとも不安?喪失を恐れている?今はまだその答えを得られそうになかった。
「あぁそうだ。そこの小瓶の中身、頭痛に効く花をすり潰して、ちょっとしたシロップにしてあるんだ。まぁ食べ合わせには向かないかもしれないから、かけて食べるかそのまま飲むかはお好みで。それに、体に合わないかもしれないから、使う使わないは自由にするといい」
「あ……」
ジエツレナに言われてわかった、素直に喜べない理由が。
疑ってしまったのだ。キスアは疑う心を得てしまった。だから優しさを素直に喜べず、得体のしれない小瓶を「使う使わないは自由」と言われるまで、お粥も小瓶も、手をつけようと思えなかったのだと。
だけどその疑念も、もう無くなった。彼女が誠実だってことがわかったから。
突然来て、怪しい薬と料理を振る舞って、何も説明せずただ飲ませ、食べさせるのであれば簡単だった。もっといえば、薬を最初から混ぜていれば確実だったのにも関わらず、そうはしなかった。
どんなものか説明したうえで、体を気遣い、使用の自由を与えた。
「ん、どうかしたかい?食べられなさそうなら、果物にするかい?」
「いえ、あの……いただきます」
「うん、お食べ」
微笑みは尚も優しく、キスアは苛まれた。ジエツレナにはキスアの心の機微は伝わらない。だからこそ、疑った自分も、誠実だとわかって態度を変えようとしている自分も嫌になりそうだった。
匙ですくい口に運んだ。味は優しく、体を労わる思いが伝わった。
何口か食べた後、シロップをかけた。ほのかに甘く、一瞬鼻を抜ける香りがキスアに安らぎをもたらした。
落ち着く花の匂い。それは含まれている香料だけの効果ではないのだろう。きっとその花特有の……。
そういえば、イースアリベアの花には鎮痛作用があると本で読んだことがあった。
鎮痛とはすなわち「安らぎ」、感覚をわずかに鈍くして、肉体の刺激を低減するもの。
きっとこの効果が、キスアにほんの少しだけ、苛むことを咎め、慰めてくれたのかもしれない。
「優しい味……」
「……」
心の内を見つめ直しているようなキスアをみて、ジエツレナは頭を撫でてあげた。
お互いに、考えてることの詳細はわからない。それでも、なんとなく、優しくしたい気持ちと、優しさを嬉しく思う気持ちが重なった。
「今しばらくは、トレイルちゃん達を待とうか」
「トレイルさん達は何をしているんですか?」
「薬の材料の調達だよ」
「薬……」
「君の紡いだ絆だ、大切にね」
「来たらちゃんとお礼しなくちゃ、ですね」
「うんうん、きみが元気になることがお礼になるよ」
「そうですよね!」
誓わずともそこにあるもの、誓ってから生じたもの。どちらもきっと、人を支えてくれるのだろう。それは他者だけでなく、巡り巡って自分にも。