魔神ちゃん止まって!/錬金の魔女と魔神ちゃん:第一章は「1滴の泥を落とされた楽園の中であっても」   作:電子サキュバス

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ep30魔神ちゃん止まって!:命の終端、黄昏より還りて、≒歩むは闇の中で

 

 ノイズが走る。

 視界の端に黒いもやが揺らめいたような錯覚――まるで現実と幻の境界線がぐにゃりと歪むような、そんな不快な感覚が身体を包み込んだ。

 

 『』は死んだ。――の時、私の目の前で。

 その瞳は既に狂気を宿し、もはや誰の声も届かぬところにいた。

 発狂し、自分の剣を己の胸に突き立ててしまっていた。

 私が、私があんなだったばっかりに――。

 

 声も出なかった。ただ見ていることしかできなかった。私は手を伸ばすことも、駆け寄ることも出来なかった。

 ベッドから転げ落ち、ただ這いつくばって側に向かうだけで精一杯だった。

 叫べば誰かに届いたのかもしれない。助けを呼ぶべきだった。手当てをするべきだった。でも、私は……。

 

 呼吸機能が不全を起こしたように、不規則に息をする。

 立つこともまともにできず、なんとか近づけた『』を抱いて、一人放心してしまった。

 

 再び、ノイズは終わる。

 赫灼と輝く黄昏が彼女を照らし、流れ出した命が黄色の髪に触れ、燃えるように染まっていくのを見届けて――。

 

 『』たらしめる何かが、ゆっくりと、確実に、その場から退いていく。器に囚われたまま、『』の温度が地面を伝って広がっていく。私はそれを止められなかった。片方の腕で抱いたまま、もう片方で掬っては注いだ。無駄だとわかっていても何度も、何度も――。

 そしてその瞬間、世界から音が消えた。空は朱に焼け、沈みかけた太陽だけが無言で見下ろしていた。

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 トレイルは、まださっきの出来事を受け止めきれずにいた。強い衝撃で動悸し、息を乱しながら、気が付けば彼女はクゥちゃんに抱きついていた。涙を止めることもできず、ただ縋るように小さな身体にしがみついていた。

 

 ぐずぐずの泣き顔で、トレイルは嗚咽を漏らし、クゥちゃんは困った様子でその頭を優しく撫でていた。

 「何があったの?」

 少し落ち着いたタイミングを見て、クゥちゃんが静かに尋ねる。

 

 「いや、その……えっと」

 トレイルは言いにくそうに視線を落とす。

 幼いと思っていた少女に、心の中を晒すことに迷いがあった。先ほど目にしたことも、感じたことも、言葉にすればすべてが現実になるようで怖かったのだ。

 見間違いや幻覚であってほしかった、毒キノコを食べ見てしまった悪夢だと思いたかった。食べた直後の記憶を飛ばし、悪夢を見せるキノコのせいだと……。

 

 クゥちゃんは、そんなトレイルのために言葉を急かさず、じっと待ち続けた。指先はトレイルの髪を優しく撫で、安心できる静けさを与えていた。

 

 やがて、トレイルは意を決して口を開く。訥々(とつとつ)と語られる出来事は、断片的で、ときおり涙で途切れた。それでも彼女は必死に話した。まるで、言葉にすることで何かを繋ぎ止めようとしているようだった。

 

 話を聞き終えたクゥちゃんは、表情を一変させ、静かに立ち上がった。

 そして次の瞬間、勢いよく木々の向こうへ跳び出した。まるで魔獣を狙う時の魔術の弾のように、鋭く、迷いなく。

 

 ぽかんと立ち尽くすトレイル。

 「クゥ、ちゃん……?」

 なぜ彼女があんな行動に出たのか、理解できなかった。ただ一つわかったのは、自分が再び独りになったという事実だけだった。

 

 少しの間、呆然としていたトレイルだったが、やがて何かに導かれるように思考が動き出す。

 

 (あぁ……早く、王都に行かなきゃ)

 その考えに明確な理由はなかった。だが、誰かに会いたかった。誰かにこの胸の痛みを伝えたかった。知らない場所ではなく、知っている誰かがいる場所へ。

 

 山林を抜ける足取りはおぼつかず、ふらふらと揺れながらもトレイルは進んだ。鳥の声も風の音も、すべてが遠く感じた。ただ、自分の足音だけが、かすかに現実と彼女を繋ぎ止めていた。

 

 王都に着く頃には、空が茜色に染まっていることだろう。そのとき、自分は何を思うのだろう。何を話すのだろう。それはまだ、彼女自身にも分からなかった。

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