魔神ちゃん止まって!/錬金の魔女と魔神ちゃん:第一章は「1滴の泥を落とされた楽園の中であっても」 作:電子サキュバス
「えっあれ?」
キスアは、外へ出るべく王都の門をくぐったときに、違和感に見舞われた。それは、ある音が消失したことによるものだった。
その音とは、人々の喧騒。
背後に聞こえていたはずの活気ある賑わい。
その音が一切合切、消失した。
すぐにキスアは振り返る。
「な、なんで……」
背後にあった町は、城は、全て消え失せていた。
跡形もなく、痕跡を残さず、まるで最初から平原であったかのように、何もなくなっていた――。
「うん?どうしたんスかキスアさん、そんな顔して、まだ門をくぐっただけじゃないスか」
「え、トレイルさんは、何でもないんですか……?」
キスアはトレイルの反応が信じられなかった。すかさず街のあった方へ駆け出し、そこに建物があったはずだと、手で探った。
「よ、良かった……」
なにも良くはなかった。きちんとそこに存在することだけは確かに感じた。ただキスアの眼に、街の存在そのものがすり抜けているだけで……。
その様子を、トレイルとクゥちゃんは(おかしなことをするなぁ)と眺めていた。その間、クゥちゃんには、キスアから異様に不安な感情が流れ込み、心配になった。
けれど同時に、ささやかな安堵の気持ちもキスアの中にあったことは確かだった。
冷や汗はかいたものの、キスアは一度息を整えて二人のところへと戻ってきた。
「ほんとにもうどうしたんスか?いきなり~。何か心配事スかぁ?それとも何か忘れ物スか~?今のうちに戻るのでもあたしは全然いいっスよ~?」
優しく言ってくれているのはわかる。気遣いなのはわかるが、それは常識の範囲での心配だった。キスアが陥っている出来事はまるで加味されていない、軽い心配だった。しかし、キスアもわかっている。こんな異常な出来事、誰もわかりようも、想像のしようもないのだから。
その軽い口調が、ほんのわずかに癪に障っていても、何事もなく笑顔を取り繕える。
こんな出来事は一旦忘れて、置いておいて、後で考えなければ。そうしなければ、いつまでも進まない。
自分にだけ、王都も城下町も見えなくなっているとして、決めたことには支障はないのだから。旅をすることには変わりない。
ここを出て、イリスを探す。
それを叶えるまでは、今その問題に触れても仕方がない……。
「う、ううん何でもないですただの気のせいでした!さ、行きましょうか!」
急にテンションを上げるでもなく、先ほどの雰囲気を再現しながら、トレイルとクゥちゃんに出発の号令をかける。
わずかに早口だったのは、完全な平静までは装えないことの証左。それに気付けたのは、不安を共有できたクゥちゃんだけ。
けれどそれにクゥちゃんは対応できない。落ち着きなく、二人を交互に見ることしかできなかった。
落ち着かない旅立ち。
三人での、不安を孕んだ道のりはどのようなものになるのだろうか。
キスアに起こった出来事は何を意味しているのか。キスアにだけ見えなくなった王都、それは脳の異常や錯覚か、それとも……。
――――――――――
「さて、始まったな……。 我が神よ、その旅立ち、祝福しよう。 君の旅路に苦難と成長のあらんことを、切に願うよ」
椅子に鎮座するイリアスは、脳裏に浮かぶ『愛する者』を見届けて、瞳を開ける。
「イリアス様、最初の予定は王都近辺の街からでしょうか?」
不思議な材質のノートを手に、
「アスペロ・スィカーロト……お前はいつでもかわいい子だな」
イリアスは椅子から立ち上がるとアスペロに近づき、頭を撫で、愛おしそうに微笑んだ。
そしてすぐ、表情は無となり、人ならざる雰囲気を纏い始める。
「彼女の傾向から、王都へ来たときの逆順を踏襲するだろう。つまり……王都、ベイン、クロスベル、ルーメリア、トルスだ。 まずはベインに飼育官と観測手を向かわせる。 準備ができ次第、こちらで魔獣を出せるようにしておく」
「承知しました。あ、ついでに私も行っていいですか?」
「構わん、だがメルヴィータに着いて来てもらえ。万が一、お前たちに何かあっては困る」
機能と化してしまっても尚、イリアスの言動や指示には心を感じる。アスペロは時折見せる、イリアスの人ならざる顔すら、既に見慣れていた。
どんなに厳しくても、どれほど冷たさを感じる声色でも、今では全く怖くなかった。
「はい、じゃあモラとホロンさんにも声をかけておきます」
「あぁ、頼んだよ」
アスペロはイリアスのいる場所を出て、いくつもの廊下、部屋を抜けた。
辺りはどこもかしこも肉の壁であったが、不思議と気味の悪さは感じない。不思議な暖かさに満たされ、まるで断熱と暖房が常時適切に機能しているかのようになっている。
『体の内側にある肉』というよりか、どうにも女性的というか、む……乳頭のない胸のような、すべすべとして柔らかい不思議な構造の建築物だなと思う。
慣れていると思っていたのに、時々ふと意識してしまって恥ずかしい気持ちになる。己の胸を意識させられるからだろうか。
構築士のフィーリスも、そういう設計にしたくて、そうしているわけではないとは言っているから、仕方のない事なのだろう。もしかしたら、言わないだけで何人かのメンバーは『自分の胸のことを意識させられるから苦手』だと思っているのだろうか?もしそうなら、もっと仲良く……いや、何を考えているのだろう。
そんなことよりも、今は三人に見つけなければ。
ホロン、モラ、メルヴィータ。三人とも、私とは違って、魔女協会から正式に認められた魔女様たちだ。だけど、役柄上よく関わるのはモラくらい。
久しぶりに外に出て見たくなったから、あんなこと言っちゃったけど、実はホロンさんやメルヴィータさんとも仲良くなるチャンスなのだろうか……。個人的にホロンさんはお母さんみたいで好きなのだけど、メルヴィータさんはちょっと怖いんだよなぁ。みんないい人なんだけど、
そんなこと考えてたら、居たよモラが。お菓子食べて寝転がっている。
「んあ?スペじゃんどうした?」
音立ててジュース飲みながら、こっちを見てきた。
「イリアス様が観測手使うってさ」
「あーはいはい、場所は~?」
「ベイン、クロスベル、ルーメリア、トルス。最初はベインだから、そこを急いでね」
「あいよ~」
分視の魔女……ルディッキー・モラは、自分の魂を複製して、空っぽの器に転写する魔女。便利だよね、部屋にいながら世界各地を見て回れるんだから。私がその力を持ってたら、ずっと記録に没頭出来たんだけどな。
モラの魔法、器を自前で用意できないことだけがネックで、器の作成はヒューリス様が請け負ってくれるから何とかなってるけど、それが無かったらどうしてたんだろうとか思わないこともなかったり……。ま、自分には関係ないからいいか。
「あらあら~ペロちゃんどうしたのこんなところで~?」
少し屈んで、ホロンさんは私の頭を撫でた。
「うう、イリアス様がベインに行くよう、おっしゃられました。 それからペロちゃんだと犬みたいなので、せめてアスペロか(モラみたいに)スペで呼んでほしいんですが」
「そう……」
少し曇った表情をしていましたが、ホロンさんは何を思っていたのでしょう。
「じゃあ、わたしもこれからはスペちゃんって呼ばせてもらうわね?それと、このあとメルヴィータと会うみたいだけど、あの人もあなたの事が好きだから、ぎゅーってしてみたら、いいと思うわ。それじゃ行ってくるわね」
「えっ!?なんで!? あっ!また勝手に魔法で私の選択見ましたね!?もーあの人は困りますね」
言うだけ言って、行ってしまいました。あの人は『人の起こしうる可能性を見て、自分の思うように選択させる』魔法を使いますからね……。何を言ってもあの人の手のひらの上なのが癪ですけど、お母さんみたいな柔らかさで全部有耶無耶にしてくるんですよね……。全く困ったものです。
しかし、あのメルヴィータさんが私のことを好きなのは本当なの……?もしかして、ホロンさんみたいに『かわいいと思っているから』なんじゃ……。いや、それでもかわいがられるのは悪くないですし、そうだったら、いやまぁいいか。
探し回っていたら、揺籃の外に近い広間にメルヴィータさんをようやく見つけました。
「アスペロか……どうした」
「えーとその、私もベインに行きたいと言ったら、イリアス様からお許しが出たので、メルヴィータさんと一緒に降りるようにと」
「……そうか」
ううやりづらい!いっそのこと!
「ダメですか?」
上目づかいで見つめてやるっ!
「……っ!?!??!?!?! ふふ……よしよし」
!??!?!?!?撫でられた!??!?!?!?ふふって言った!???!!?!
「もちろん駄目だが、連れて行ってやりたい」
!??!?!?!?!
「観測手とホロンで、ベインに直行していくんだろ?なら私らは遠くから見て居よう。それなら安全だ」
頭を撫で続けながら、メルヴィータさんは耳元でずっと話していた。なんか変な気持ちになる……。やめてほしい……。
そんなわけで私とメルヴィータさんでベインの離れに降り立つことになった――。
揺籃はこの大地のはるか上空、空に浮かぶエルフの里よりさらに上にある。
そこから目的地に行くには、ちょっと危険な方法を使わざるを得ない。
それは――――――『上空からの超長距離射出』だ。
「う、うわあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!いっつも!!これ!!慣れませーーーーーーーーん!!!!!!」
私とメルヴィータさんは、凄まじい速度をその身に受けながら、地上に飛んで落ちていくのでした。