◆
「おい黒服......てめえ今なんて言った?」
「おや、もう一度申し上げた方がよろしいですか?」
「......その瞬間にお前のよく回る口を吹き飛ばしてやるよ」
弾丸にありったけの
これだけのエネルギーを内包していれば、あの時以上の損傷を与えることが可能なはず。
「......いや、もしかすると俺の聞き間違いかもしれないな。もう一度言ってくれてもいいぞ」
「それでは遠慮なく───」
───過負荷実験を一般の生徒を対象に行うべきです───
「......で、理由を聞こうか?」
「クックック......銃口を向けたままでも構いませんので、聞いて頂けると幸いです」
過負荷実験とは即ち、俺の"不運"を外部設備を用いて再現し"対象への干渉に失敗する"テクストを疑似的に付加する実験を指す。
俺の本質である膨大な量の恐怖に関しては全く研究が進んでおらず、そもそも神秘についても根幹的な部分が微塵も理解できていない。
「あなたもお気付きなのではありませんか?───このままリスクの低い実験を繰り返すだけでは
「───それは......」
このままでは、
そういった考えがあった事は否定できない。このままでは神秘の本質に辿り着くどころか、俺が何者であるかすら分からずに終わってしまうかもしれない。
───俺という異物の存在で、より悲惨な結末へと向かってしまうかもしれない。
「───だとしても、それだけは許容できない。生徒を実験体に、しかも過負荷実験の対象になんて......」
「クックック......では僭越ながら、私なりに発破を掛けさせて頂きましょう」
「発破だぁ......?」
そこで再び黒服の顔に視線を向ける。
───表情と呼べるモノは読み取れない。だが、そこにあったのは悪意などではなく、単に研究者としての私に対する無理解と───些細な優しさ。
発破と呼ぶにはあまりにも的確で、直視することを避け続けていたそれを目の前に突きつけられた。
「───あなたは、いつまで"先生"とやらでいるおつもりなのですか?」
「......は?」
「あなたが先生であったことを知る者はどこにもおらず、あなたが居た世界に戻る術もない。
あなたが為した偉業はどこにも記録されず、大切な生徒達とは二度と会えない。あなただってお分かりでしょう?」
「おい、やめろッ!!それ以上......ッ!!」
「なぜならあなたは───」
......本当は分かっていた。目を背けていただけだ。
俺は、俺が先生であったことをもう信じることができない。
カードもない。西水チトセというテクストを得た時にこの姿となったが、鏡で見ても俺は
鏡だけではない。写真も似顔絵も意味が無い。
俺は、先生であった頃の俺を徹底的なまでに認識できなくなっていた。
目が滑る、という現象が極端に悪化したように。
視界の中央に収めているにも関わらず、それを認識することが出来ないのだ。
───きっと、俺は。
「───あなたは、
「───あぁ......」
俺が先生であったことを証明する方法はない。
あいつらと過ごした日々も、俺の顔と名前がぽっかりと欠けているのだ。
証明する術はない、だって名前が無いのだから。
俺は───俺の存在理由である"先生としての記憶"が無意味なものであることからずっと逃げ続けていた。
俺は何だ?何をすればいい?何のためにここに居る?
俺は、何のためにここまで来たんだ?
「───それはもちろん、小鳥遊ホシノの為でしょう?」
「......」
「それだけではない。あなたの頭蓋で反響し続ける悲鳴......最後の願いを語る声に応えるのでしょう?」
「......応える?」
「無力を呪い、救いを祈る声に。
そのために、眠れない体を受け入れたのではないのですか?食事すら必要とせず、人間の枠組みから外れた怪物に成り果てることを受け入れたのは───あなたでしょう?」
───そうだ。
この耳を劈く絶叫も、自身の失った四肢を探し這い回る呻き声も、ヘイローを砕かれた友を抱き締めて絞り出した怨嗟も。
その全てから耳を背けることもできた。人並みに寝て、食事を摂り、穏やかに過ごす選択もできた筈だ。
そうだ、俺はその全てを受け入れた。全て背負うと誓ったはずだ。
俺は───
「俺はホシノと約束した......次があれば必ず、彼女の元に向かうと」
「この世界に存在する小鳥遊ホシノと別の存在であるが故に、約束を反故にするのですか?」
「......断じて違う。俺は必ず、ホシノの懊悩を晴らしてみせる。ユメ先輩とホシノを───アビドスを、そしてこのキヴォトスを守る」
「であれば、やるべきことは一つでしょう」
「クソッ......おい黒服、契約だ」
「伺いましょう」
過負荷実験は非常に危険な実験だ。
危険な点は一つ、"不運"の制御を誤った瞬間に対象者には不可逆的で因果律を無視した損傷が───有り体に言えば、ヘイローが砕ける可能性が高い。いや、間違いなく"そう"なる。
故に───
「生徒に与える苦痛は限界まで取り除け。"不運"の仕様上、彼女たちの意識が無い状態でも構わない筈だ」
「もちろんです。それらの苦痛は実験においてノイズにしかなり得ないので」
「それと───お前のミスで失敗したら殺す。俺のミスで失敗したらあらゆる手段で責任を取る。それでいいな?」
「ええ、契約成立ということで」
俺は、悪魔よりももっと恐ろしいものに魂を売ってしまったのかもしれない。
それは───希望。
届くかも分からない理想に向けて、自身どころか他者の命まで賭けて手を伸ばすその愚かしさは───悪魔と契約し現実的な望みを叶えようとする輩と比べて幾分かマシなものだろうか。
今の俺には、分からなかった。
◆
酷く、見覚えのある景色だった。
「......ん?ここキヴォトスじゃね?」
だが同時に、どこか違和感を覚える。
俺の知るそれとは、何かが違う。その理由に思い至るまでそう多くの時間は掛からなかった。
「......サンクトゥムタワーを基準に、現在地点は南南西に当たる。
確かこの方位には直線状にビルが二棟存在するはずだが───」
───どういうことだ?俺はあの時間違いなく死んだはずだ。
(太陽高度は約50度、影の向きから見て時刻はおよそ午前10時。気温は16......17℃、糊のきいたカッターシャツ───春か)
どうやらここは裏路地らしい。表参道を歩く生徒達の中には、幾人か見知った顔が見て取れた。
とりあえず行動を───
「いやお前誰だよ?」
見知った顔と、見知らぬ顔。前者の生徒は俺が赴任した当時、三年生として在学していた。
それが混在しており、一部の建物が見当たらない。
これはもう確定と言って構わないだろう。
(───過去、か)
「で、お前誰?」
「いやこっちのセリフな?」
名前を聞こうとしたが、それ以前に俺の名前を思い出せない。
他の記憶は明瞭に思い出せるものの、名前だけがぽっかりと穴が開いたように欠落している。
......不具合か、あるいはそういった"仕様"か。
今の俺がどのような存在であるかは、目の前の彼女の表情を見れば一目瞭然だ。
「にしても......
「たしかに持ってない。どうしよこれ」
「私に聞くなよ......身包み剥がされた後ってとこか?まあ生徒でもなければ銃なんて持ったところで大した意味はないが」
大人の男。つまり生徒として転生した訳でもないらしいが───
足が縫い付けられている訳でもない。例えるなら腰に遊びのないリードを括りつけられて固定されているかのようだ。
地縛霊というやつか?確かに未練ならあるが───
(───まさか......
先生として赴任する二年前。つまり───この時点で
いや、落ち着け。一つずつ整理していけ。
「ちなみにシャーレって知ってる?」
「シャーレ?実験とかで使うやつか?」
「おっけ、大体理解した」
本編開始前で確定。連邦生徒会長が先生を呼ばないというパターンも考えられたが、時系列が平行的に存在していたとしても俺という存在には連続性がある。
ここに俺が居る以上、連邦生徒会長は先生を呼ぶという選択を取るはず。それがブルーアーカイブという物語である以上、先生は必ずやってくる。
早く───早く行動しなければ。
「初対面なのに色々と親切にありがとな」
「お、おう......何かして欲しい事とかあるか?このままほっといて流れ弾で───とかになったら流石に後味悪いんだが......」
「そうだなぁ......じゃあ「ここに"先生"を名乗る幽霊が出る」って噂を流しといてくれないか?」
「そんな事でいいのか?───ってか幽霊なのかお前!?」
「言葉の綾ってやつだよ」
こうしておけば少なくとも連邦生徒会長の耳には届くはずだ。"先生"という言葉が持つ意味の重要性を彼女以上に理解している存在は居ないだろう。
「ありがとう、助かったよ!!じゃあね!!」
「いや、あたしら何もしてないんだが......」
◆
〈......なぜ脱出しようとしないのです。それになぜ───〉
「あー、どこから説明したもんかなぁ......」
高度75km。崩壊しつつあるこの船から脱出することを、俺は既に諦めていた。
常識的に考えて助かる高度ではないが、俺には奇跡がある。
アロナと......それにプレナパテスが持っていたシッテムの箱のアロナが合流すればもしかするかもしれないが......そんなものは無意味な仮定だ。
そもそも───
「......俺が奇跡を信じてワンチャン飛び降りたところで
姿勢を制御したところで五分以上、アロナにお願いしたら速度を落としてバリアを張ることになるだろうから地上まで十分はかかる」
〈......まさか、そこまで───〉
「無計画にバカスカ使っちまったもんだからよ、
プレナパテスからシロコを頼まれて、俺はそれに応えた。
あいつらならきっと、違う世界線のシロコも受け入れてくれるだろう。
何せあいつらは───
「───だが、あいつらは俺と違って優秀だ。シロコとそっちのアロナのことも任せられる」
〈あなたは、生徒をとても信頼しているのですね〉
「ああ......自慢の生徒だからな」
通信回線は何とか生き残っていた。スピーカーが損傷したようで声は聞き取れないが、こちらの発言するタイミングで音が止むあたりあちらは聞き取れているらしい。
〈......随分と若く見えますが、いくつなのですか?〉
「今年で19になるはずだった。法律上は一応大人だったぜ」
〈───私が、来なければ〉
「あんま気にすんなよ
〈ですが......〉
大人のカードによる奇跡の行使は、残り寿命の消費割合によりその規模が決まる。
ここまで大人のカードを濫用して計測した愚か者でない限り、その事実に辿り着く存在は居ないだろうが。
「だからよ......最期にこれ飲まねえか?」
〈......お酒、ですか?〉
「あいつらにバレないようこっそり......な?」
先生としてあるまじき行為であるが、ブラックマーケットかつプライベートで購入したものだ。
通信機から明らかに声の勢いが増す。この声は恐らくユウカとアコだろう、普段であればこの後の説教を恐れて引き下がるが......
「悪い、最期の我儘ってことで許してくれ!!という訳でかんぱーい!!」
〈───乾杯......〉
残念だが談笑を楽しむにはあまりにも残された時間が少なかった。
俺にも、そしてプレナパテスにも。
あと三分、といったところか。
〈......あなたは、やり残したことはないのですか?〉
「やり残したこと、ねぇ......」
プレナパテスはほぼ全てを失った。
生徒を、キヴォトスを徹底的に破壊され───その身を色彩の嚮導者にやつしてなお、シロコとアロナを任せられる先生を探してこのキヴォトスに辿りついたのだと。
その点、俺は大外れと言ってもいい。
大人のカードの濫用により表面上は完璧に事態を終息させたように見えているが、そのツケを未来の自分に押し付けているだけ。
その結果がこのザマでは笑い種にもならない。
やり残したことなど、どの面で語ればいいのだろう。
だが一つ......一つだけ、言葉にしてもいいと言うのなら。
「......
〈......〉
「───すまない。俺は最善を尽くしたが......お前の懊悩を晴らすことが出来なかった。俺の、力不足だ」
今日まで発生したあらゆる出来事を、俺は文字通りに全力を以て対応してきた。できる事は全てやった、排除できる脅威は全て取り除いた。
───だが俺は結局のところガキのままで、一つしか年が離れていないホシノから真の意味で信頼を勝ち取ることが出来なかった。
手本となるべき正しい大人の姿を示し、彼女の助けとなることが出来なかった。
過去を変えることは出来ないし、死者を生き返らせることもできない。
ただそれだけの、現実的な無力だけが俺に突きつけられた結論だった。
「情けない限りだが......無責任の極みだが頼みがある。
───アビドスを、そしてキヴォトスを頼む。お前が必要だ、ホシノ───お前ならきっとできる」
俺は、先生失格だ。
だがお前らは100点だ。文句の付けようなんて無い、俺の大切な......
「......お前ら、後は頼むぞ!!俺の自慢の生徒であるお前たちならきっと───」
───きっと、今後何があっても大丈夫だ。
俺が不在でも業務がつつがなく回るようにマニュアルを組んだ。引継ぎや資産の管理に困らないように遺書も書いた。
キヴォトスはもう、俺なしでもやっていける。
「......時間だ。なあ兄弟、最期に───名前を聞いてもいいか?」
〈───無くしてしまいました。今の私は
......こんな私ですが、あなたの名前も聞いてもよろしいでしょうか〉
「ああ、そうだな」
万感の思いを込め、その名を口にする。
それは、誇りだ。
何者にもなれず、夢を語るほど愚かにもなれず、夢を抱くほど強く在れなかった俺。
噛み終えたガムのような日々を無感動に咀嚼し続けるだけの、つまらない無意味な人生に意味を与えてくれたこの世界に。
この名を誇りに思えることへの、感謝を。
「俺の、名前は───」
チトセは18歳の時に交通事故で命を落とし、その後キヴォトスにて先生として活動
しかし早生まれだったこともあり、キヴォトスで年を重ねることは叶いませんでした
千歳という長寿を願う名前は単なる皮肉です
次に書くかもしれないもの
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アビドス編
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アビドス(過去)編
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エデン条約編の後