サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
夕暮れの田舎は、都会よりも早く静かになる。
空の色が橙から群青へと移ろう頃、家々の灯りがぽつぽつと浮かび、虫の声が昼と夜の境目を縫うように鳴き始める。俺が生まれ育ったこの場所は、相変わらず何も変わらない顔をして、帰ってきた人間を迎え入れていた。
里帰り――そう言葉にすれば簡単だが、俺にとっては少し意味が違う。
両親に顔を出すため。
絶花の家に遊びに行くため。
それだけじゃない。
戦いから逃げるためでも、答えを探すためでもない。
ただ一度、原点に戻りたかった。
何者でもなかった頃の自分が、何を見て、何を大切にしていたのか。それを確かめたかった。
和服に着替え、縁側に腰を下ろす。
畳の感触が膝に馴染み、夕風が袖を揺らした。遠くでヒグラシが鳴き、庭先の木々が低くざわめく。
戦場では決して聞こえない音ばかりだ。いや、正確には――聞く余裕を失っていた音だ。
「……静かだな」
独り言は、すぐに空気に溶ける。
絶花はまだ来ていない。両親も家の中で何かしている気配だけを残し、俺をそっと放っておいてくれている。この距離感も、懐かしかった。
そのときだった。
縁側の端、夕闇の濃い影が一つ、増えた。
音はない。
気配も薄い。
だが、確かにそこに“いる”。
黒い野良猫だった。
毛並みは夜に溶け込むほど黒く、目だけが微かに光を映している。逃げる様子も、警戒する様子もない。ただ、じっとこちらを見ていた。
「……来たか」
不思議と、警戒心は湧かなかった。
理由を考えるのは野暮だ。会うべくして会った。それだけで十分だった。
俺は膝を軽く叩く。
呼び寄せるというより、確認に近い仕草だ。
黒猫はすぐには動かない。
一拍、二拍。
俺の呼吸を測るような間の後、静かに歩み寄り、俺の膝元に身体を収めた。
軽い。だが、確かな重み。
生き物の体温が、和服越しに伝わってくる。
「……よし」
そう呟いて、俺は一度だけ、その頭を撫でた。
指先に伝わる毛の感触は柔らかく、思っていた以上に温かい。黒猫は鳴かず、ただ目を細め、尻尾を一度だけゆっくりと動かした。
それで十分だった。
やがて黒猫の耳がぴくりと動き、視線が庭の奥――用水路の向こう、山へ続く小道へ向けられる。
俺は何も言わず、その視線を追った。
「……ああ」
理解した、とは言わない。
だが感じ取った。ここではない、どこか。
追え、ではない。
“いずれ”だ。
黒猫は俺の膝から静かに降り、屋根へ跳び、塀を越えて影へと溶けていく。その直前、一度だけ振り返り、俺と視線を交わした。
言葉は要らなかった。
「……またな」
誰に向けたとも知れないその一言を残し、俺は立ち上がらない。
今はまだ、ここにいるべきだ。
風鈴が鳴り、縁側に夜が降りてくる。
休みに来たはずの里帰りで、次の道だけは、静かに示されていた。
次回の王は
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妖怪王
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機械王
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怪獣王
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幻想王