サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
夜の校舎は、昼とはまるで別物だ。
人気の消えた廃校舎の裏手に立つと、空気そのものが用途を失ったように感じられる。人のために整えられていたはずの場所が、今はただ“境目”としてそこにある。
俺は足を止め、校舎裏の壁を見つめた。
理由ははっきりしない。だが、ここだけが浮いている。音も、風も、温度も、周囲と微妙に噛み合っていない。
「……ここだな」
独り言のはずの声が、妙に吸われた。反響しない。まるで壁の向こうに余白があるみたいだった。
白雲朧が、俺の肩越しにふわりと漂う。
いつもの軽い調子はなく、雲の身体がわずかに緊張している。
「若」
その一言だけで、背筋が正された。
「空が……切れてます」
「切れてる?」
「はい。風が、そこで行き止まりになるんです。空気が先に進めてない」
白雲の示した先には、何もない。フェンスも、扉も、魔法陣もない。ただの壁と影だけだ。
俺は一歩、近づいた。
瞬間、肺に入る空気が変わった。冷たいわけじゃない。だが、密度が違う。吸っているはずなのに、半分しか入ってこない感覚。
その時、背後から静かな声が落ちた。
「……冷えています、若」
モネだった。
視線は一点に固定され、表情はいつも通り薄い笑みのまま。
「雪の冷たさじゃありません。
これは……境界の冷えです」
俺は無言で頷いた。
この感覚に、覚えがある。
――黒い野良猫。
実家の縁側で、何の警戒もなく膝に乗ってきたあの黒猫。確かに生きているのに、どこか“こちら側だけの存在じゃない”気配。
同じだ。
この場所には、あれと同質の歪みがある。
「黒歌……」
名前を口にした瞬間、空気がきしんだ。
ほんの一瞬。だが、確かに“正解だ”と告げられた気がした。
俺は校舎の壁に手を当てた。
冷たい。そして、薄い。壊れそうという意味じゃない。存在そのものが、向こう側と重なりかけている薄さだ。
「今は、まだ通れないな」
白雲が小さく頷き、モネは何も言わず視線を逸らした。二人とも理解している。ここは入口だが、まだ開く時じゃない。
それでも確信はあった。
黒歌は、ここを通った。
正確には――ここを“擦った”。
完全な門ではない。だが、境界が削れた痕跡が、確かに残っている。
「行き先は……冥界の辺境だ」
俺はそう結論づけた。
本土じゃない。秩序の中心でも、権力の座でもない。はみ出した存在が流れ着く場所。拒まれ、捨てられ、それでも生き延びた者たちの溜まり場。
黒歌が行くなら、そこだ。
俺は一度、背後の校舎を振り返った。
昼の喧騒が嘘のように、窓は暗く沈んでいる。世界はまだ日常の顔をしている。
「……戻るぞ」
今は観測でいい。踏み込むのは、その先だ。
だが道は見えた。
この廃校舎の裏――ここが、次の一歩の始点になる。
夜風が吹き、影が揺れた。
一瞬、影の奥で何かがこちらを見ていた気がしたが、振り返った時にはもう何もいなかった。
ただ、薄く歪んだ空気だけが、そこに残っていた。
次回の王は
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妖怪王
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機械王
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怪獣王
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幻想王