サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
霧がほどけた先は、湿った土の匂いがする暗い路地だった。
冥界の辺境だの神話だのと騒いだ直後に、こういう“生活の裏側”みたいな場所へ戻されると、戦場の緊張が嘘みたいに肩から落ちる。
落ちるが、代わりに別の重さが肩へ乗る。
黒歌が、俺の前に座った。
猫の姿のまま。喋らない。だけど、空気が喋っている。
――座れ。
「……はい」
俺は素直に地面へ正座した。
路地の端に積まれた木箱が、なぜか説教部屋の床柱みたいな顔をしている。
少し離れたところで絶花が腕を組んで立っていた。
顔が「また始まった」って顔だ。
声には出さないが、ため息が聞こえるタイプの呆れ方をしている。
黒歌が一歩、俺の正面へ。
そして、前足で地面を“とん”と叩いた。
霧が薄く揺れ、俺の目の前に、さっきの光景が一瞬だけ再生される。
ロキの不意打ち。
フェンリルの殺気。
俺が、笑って踏み込んだ場面。
……ああ、ダメだ。これは完全に説教モードだ。
「分かってる。無茶した」
俺が先に言うと、黒歌は首をかしげた。
違う。そこじゃない。と言いたいらしい。
黒歌が、もう一度前足を叩く。
霧の映像が切り替わって、ロキとフェンリルの輪郭が強調された。
あの二人に“喧嘩を売る”という行為の重さが、映像の角度で殴ってくる。
「……ロキとフェンリルに戦いを挑むな、ってことか」
黒歌は目を細めた。正解、半分。
俺は背筋を伸ばして、正座のまま頭を下げた。
「でも、あそこで引いたら、向こうが好きに遊ぶ。人が巻き込まれる。だから止めた」
黒歌は、鼻先で小さく息を吐いた。
否定じゃない。
“それをやるにしても手順がある”って顔だ。
絶花が横から口を挟む。
「太郎、黒歌が言いたいのは多分そこじゃなくて……“勝てる準備をしてから止めろ”ってことだよ」
「準備はしてた」
「してない」
即答で切られた。幼馴染の容赦のなさが、日常の味をしていた。
黒歌が、次の霧を出した。
今度は黒江残月の顔が浮かぶ。
屋上。
利害一致。
共同戦線。
その言葉の響きだけが、妙に綺麗に見える角度で。
「……怪しげな黒江の誘いに乗ったことも怒ってる、と」
黒歌は、目を逸らさない。
それが答えだ。
俺は指を膝の上で組み直した。
「黒江は信用してない。だけど、情報は本物だった。ロキが来るって当てた」
黒歌は前足で地面を二回叩いた。
霧が“ずれる”。
黒江の言葉の裏側にある別の意図――俺を動かして、誰かを釣る。あるいは、俺を測る。そういう匂いだけが濃くなる。
「……利用された可能性がある、か」
黒歌は、静かに頷いたように見えた。
絶花が呆れた声で言う。
「太郎、正座してるのに偉そうなのやめて。説教されてる側だよ」
「説教されてるからこそ、俺は筋を通す」
「意味が分からない」
「それでいい」
黒歌が、ゆっくり俺の周りを歩いた。
足音はしないのに、圧だけが回ってくる。
霧が薄く絡み、俺の袖口を撫でた。
あれは慰めじゃない。確認だ。怪我はないか、魔力の乱れはないか。
叱る前に状態を見ている。そういうところが余計に怖い。
「……分かった」
俺は息を吐いて、言葉を選んだ。
「次からは、俺が先に“勝ち筋”を作ってから動く。相手が神話でも、同じだ」
黒歌は立ち止まり、俺の正面に戻った。
そして、俺の額の前に前足を持ってきて――軽く、ちょん。
叩くんじゃない。触れるだけ。
許された、わけじゃない。
“今回はここまで”って区切りだ。
絶花が肩を落とす。
「……終わった?」
黒歌は絶花の方を見て、尻尾を一度だけ揺らした。
終わったらしい。
俺は正座を解いて立ち上がり、膝の砂を払った。
「ありがとな」
黒歌は喋らない。
ただ、目だけが「次はない」と言っている。
路地の外では、夜が続いている。
路地を抜けて、俺と絶花が並んだ瞬間だった。
背後から、靴音が砂利を弾くように近づいてくる。
「……っ、はぁ……っ、待って……!」
振り返ると、長い銀髪の女が、壁に手をついて息を整えていた。
走ってきたのは見れば分かる。肩が上下して、胸元のリボンが忙しなく揺れている。
俺は反射で絶花の半歩前に出た。
黒歌も同じタイミングで、空気が一段冷えたみたいに気配を締める。
「誰だ」
俺が短く問う。
女は「敵意はありません!」と両手を上げた。
言葉は早いのに、呼吸が追いついていない。真面目な人間ほど、焦るとこうなる。
「……私はロスヴァイセです! 北欧神話勢力、主神オーディン陛下の護衛で……っ」
「オーディン?」
絶花が首を傾げる。俺も同じだ。名前だけは聞いたことがある。だが、こちらの世界で“今その名”が出るのは、だいぶ物騒だ。
黒歌が目を細めた。
「……護衛が、何でここまで走って来る」
声が冷たい。説教モードの残り香がまだある。
ロスヴァイセは一瞬言葉に詰まり、すぐに背筋を伸ばした。
息が切れているのに、姿勢は崩さない。根性があるタイプだ。
「オーディン陛下が……あなた方に興味を持たれました」
「光栄だな」
俺は棒読みで返す。光栄の中身が槍なのが問題だ。
絶花が俺の袖を引いた。小声で。
「太郎、誰……?」
「知らん」
「堂々と言うな」
「知らないことは知らない」
ロスヴァイセはそのやり取りを見て、少しだけ表情を和らげた。
それから慌てて続ける。
「誤解しないでください! 陛下は敵意で追わせたわけではありません。私は……その、あなた方が突然消えたので、状況が読めず……!」
「つまり迷子の護衛だ」
俺がまとめる。
「ち、違います! 任務です!」
絶花が困ったように笑った。黒歌は相変わらず油断なく見ているが、殺気は出していない。
こっちの三人とも、たぶん同じことを感じていた。――この人、悪い人ではない。悪い人はこんな息切れで律儀に自己紹介しない。
ロスヴァイセは一呼吸置き、覚悟を決めた顔になった。
「お願いします」
頭を下げる。勢いが良すぎて、銀髪がさらりと前に落ちた。
「陛下を守るために、協力していただけませんか」
「守る?」
俺は眉を上げる。
「オーディンを狙う奴がいるのか」
ロスヴァイセは顔を上げる。瞳が真っ直ぐで、嘘が苦手そうだ。
「……います。陛下は“釣り餌”にもなり得る立場です。ロキが動く以上、何が起きてもおかしくありません」
ロキ。
その名が出た瞬間、絶花の指がわずかに震えた。さっきまでの日常じみた空気が、糸を切られたみたいに張り詰める。
黒歌が俺を見た。
「……太郎。さっき言うたこと、覚えとるな」
「覚えてる」
「なら、条件は」
「俺が決める」
俺はロスヴァイセを正面から見た。
「協力はする。ただし俺の条件は三つだ」
ロスヴァイセがごくりと息を呑む。
俺は指を立てる。
「一つ、俺たちの正体を詮索しない」
「……はい」
「二つ、俺たちの行動は俺が指揮する。護衛の邪魔はしないが、足を引っ張られたら切る」
「わ、分かりました……!」
「三つ、絶花を巻き込むな」
絶花が「太郎」と呼び捨てで抗議しかけたが、俺は目だけで黙らせる。
黙らないなら、もっと強く言う。今は話が先だ。
ロスヴァイセは一瞬迷って、真剣に頷いた。
「……承知しました。できる限り配慮します」
黒歌が小さく息を吐いた。
「……この子、真面目すぎて逆に心配やな」
「真面目は使える」
俺が言うと、絶花が呆れた顔をした。
「太郎、その言い方」
「事実だ」
ロスヴァイセは、状況が飲み込めずに数回まばたきした後、なぜか少し安心したように笑った。
「……ありがとうございます。では、急ぎましょう。陛下が、あなた方を――」
「待て」
俺は手で制した。
「まず俺が聞きたいのは一つだけだ。今、どこが一番危ない」
ロスヴァイセの笑みが消える。
仕事の顔になる。
「……会場の外周です。護衛の視界の外で、“穴”を作られます」
黒歌の瞳が細くなる。
絶花が息を呑む。
俺は頷いた。
「分かった。行くぞ」
こうして俺たちは、息切れの護衛を引き連れて、面倒の中心へ戻ることになった。
次回の王は
-
妖怪王
-
機械王
-
怪獣王
-
幻想王