サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
結界の夜は、音がやけに鮮明に跳ねる。
砂を踏む音。吐息。刃が空を裂く音。
拙者は霊剣・断絶丸を構えたまま、目の前の獣――フェンリルの肩の上下を見ていた。
フェンリルは前回の戦いを覚えている。
いや、覚えているというより、こちらの“間合いの取り方”を学習している。
飛び込んでくる角度が、微妙に嫌らしい。
こちらが刀を振りやすい距離を、わざと踏み外してくる。
「――来るか」
拙者が踏み込む。
断絶丸を横薙ぎに走らせた瞬間、フェンリルは跳ねない。
跳ばない代わりに、首を落として滑るように潜り、拙者の足元へ噛みつく軌道で入ってくる。
「……っ!」
刃が空を切った。
外した、ではない。外させられた。
フェンリルは“斬られる前提”で角度を選び、斬撃の終端に自分の身体を置かない。
そして拙者の重心が一瞬だけ前に流れたところを、牙で持っていこうとする。
拙者は踏み込んだ足を引き、砂を削って後ろへ退く。
刃を返し、喉元へ突く――そのはずが、フェンリルはそこで引かない。
引かないまま、前脚で地面を叩く。
衝撃で砂が跳ね、視界が薄く霞む。
「……目眩ましか」
言いながら拙者は目を細める。
だが、霞んだのは視界だけではない。
呼吸のテンポも、わずかに乱される。
その“半拍の乱れ”を、フェンリルは待っていた。
次の瞬間、影が消えるほどの速度で横から来た。
首筋に冷たい圧が触れる。
爪だ。
拙者は刀を立てて受けたが、金属が鳴くような音がした。
「……重い」
受け止めたのに、押される。
フェンリルの体重ではない。
体重に“意志”が乗っている。
こちらの防御を割るつもりで、力のかけ方を最初から決めている。
拙者は足を開き、腰を落とす。
それでも、じりじりと押し戻される。
砂が踵の下で崩れ、踏ん張りが削られていく。
遮蔽物のない校庭で、この押し込みは逃げ道を奪う。
フェンリルは吠えない。
吠えて威圧するより、黙って確実に削る。
前回の“勢い任せ”とは違う。
こちらの反撃を許さないための沈黙だ。
「……拙者を、舐めるな」
刀を捻って一瞬だけ圧を逃がし、斬り返そうとする。
だがフェンリルは斬り返しの“起点”を見ている。
刃が動くより先に、牙が来る。
喉元を狙う軌道。
拙者は反射で刀を下げ、受ける。
その瞬間、フェンリルの前脚が跳ね上がり、拙者の手首を叩き落とした。
「――っ!」
断絶丸が弾かれ、腕が痺れる。
手放してはいない。
だが、握力が一段落ちた。
落ちた瞬間、フェンリルは距離を詰めてくる。
逃げるために退けば、背中を取られる。
攻めるために踏み込めば、牙が先に届く。
このまま続ければ、拙者のほうが先に“形”を崩す。
「……不利だな」
口にしたのは認めるためじゃない。
次の一手を選ぶためだ。
紅丸のまま押し切るのは、美学としては正しい。
だが、勝つためには正しくない。
フェンリルが再び踏み込む。
今度は正面ではない。
拙者の利き腕側を殺す角度。
刀を振るための軸を折りにくる。
拙者は断絶丸を構え直し、呼吸を整える。
砂の匂いが肺に刺さる。
視界の端で、遠くの戦いの火花が瞬く。
ここで倒れれば、盤面が崩れる。
フェンリルの影が迫った。
拙者の足が、半歩遅れた。
遅れた分だけ、牙が近い。
――追い詰められている。
砂を蹴るたびに、紅い羽織の裾が夜気を裂いた。
霊剣 断絶丸を握る指先が、わずかに痺れる。
相手はフェンリル。
巨体のくせに、影の移動だけが先に見える類の速さで、牙と爪が「当たれば終わる」角度で飛んでくる。
拙者は間合いを測り、一太刀だけ通すつもりで踏み込んだ。
だが次の瞬間、背骨の内側を冷たいものが滑った。
黒い蛇。
気づいた時には遅い。
違和感は「異物」じゃない。
「最初からそこにいた」みたいに、拙者の呼吸と拍動に馴染んでくる。
視界の輪郭が、じわりと黒く滲む。
耳が熱い。
喉の奥が、笑う寸前のようにひくつく。
冷静に戦えと言う声が、遠い。
代わりに、もっと単純で荒い衝動が、腹の底から湧き上がる。
壊したい。
切るより先に、殴って確かめたい。
勝ち負けより先に、この胸のざわめきを止めたい。
刃を振ろうとして、手首が言うことをきかない。
いや、違う。
拙者が「刃をいらない」と判断している。
刀は道具だ。
だが今の拙者の中で、道具は邪魔だ。
理屈が崩れたわけじゃない。
理屈を踏み潰す快楽が、理屈より速いだけだ。
――黒い毛並みの幻が、皮膚の下から盛り上がる。
骨格が軋み、筋肉が再配置される感覚。
呼吸が深くなるほど、胸が広がり、背中が重くなる。
「巨大な猫の怪物」みたいな姿に寄せていくのに、動きだけは軽い。
軽いのに、怖い。
自分が自分を制御できない軽さだ。
フェンリルが突っ込んでくる。
神を噛み砕く牙。
拙者は避けない。
避けるという選択肢を、本能が笑う。
前脚で砂を抉り、上体を沈め、次の瞬間に跳ね上げる。
拳――いや、前肢で、真正面から受け止める。
衝撃が腕の骨に響く。
痛い。
だが痛みが、なぜか嬉しい。
「生きてる」証拠みたいに、脳が勝手に解釈してくる。
フェンリルの爪が肩口を掠めた。
血が出たかどうかより先に、熱が走る。
拙者は吠える。
声にならない。
喉の奥で、獣の音だけが鳴る。
その音に、拙者の理性が一瞬だけ震える。
――今のは誰の声だ。
答えを探す前に、体が動く。
右の拳で顎を打ち上げ、左で頬を叩き落とす。
フェンリルの首が揺れ、巨体がよろめく。
ありえない。
この質量差で、殴って揺らすなんて。
なのに出来てしまう。
出来てしまうから、もっとやりたくなる。
フェンリルが距離を取ろうとする。
速い。
追えないはずの速さ。
だが拙者は追える。
追えてしまう。
砂を蹴る足音が、自分のものに聞こえない。
身体が勝手に最短距離を選び、最短の角度で、最短の暴力を当てにいく。
怖いのは、フェンリルじゃない。
フェンリルの牙でもない。
「このままなら勝てる」という手応えが、一番怖い。
勝てた瞬間に、拙者は戻れるのか。
戻れないなら、勝利は敗北と同じだ。
その判断だけは、まだ残っている。
まだ残っているからこそ、拙者は歯を食いしばる。
止まれ。
止まれ。
止まれ――と、心の中で命令する。
だが、黒い蛇は笑っている気がした。
「止める理由が、どこにある」と。
次回の王は
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