サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
炬燵の中は、冬の匂いがした。
布団に閉じ込められた空気が、じんわりと足にまとわりつく。
動かそうとすると、どこかに当たる。炬燵の脚か、誰かの足か、あるいはその両方だ。
「……動かないで」
布団の向こうから、低い声。
「ごめん」
そう言った直後、脛に重みが落ちた。
『ここ、空いてたにゃ』
黒歌だった。
俺の足を枕にするみたいに丸まり、満足そうに喉を鳴らす。
「空いてない」
「もう取られてる」
布団の端から、ジバニャンの耳がぴょこっと出てくる。
トムニャンはその後ろで丸くなり、フユニャンは尻尾だけを外に出している。
完全に、俺より先に馴染んでいた。
「……俺の家なんだけどな」
呟くと、
「知ってる」
向かいから即答が返ってくる。
絶花は炬燵に半分沈みながら、みかんを一つ手に取っていた。
剥き始めると、皮が切れ目なく指先を滑っていく。
近い。
けど、触れない。
昔から、そうだった。
同じ空間にいるのが自然で、わざわざ距離を測らない。
伸ばせば届くのに、届かせない。
幼馴染みという言葉で片づけるには、少しだけ複雑な間。
「……静かだね」
絶花が言う。
「そうだな」
返事をしながら、俺は湯呑みに手を伸ばす。
湯気が指先をかすめて、すぐ消える。
昨日までの音が、頭の奥で遠ざかっていく。
波の重さも、刃の光も、今はここにはない。
「太郎」
名前を呼ばれて、顔を上げる。
「昨日から、少し変」
視線はみかんに落ちたまま。
皮が最後まで剥けて、白い筋を丁寧に取っている。
「どこが?」
「うまく言えないけど」
一拍。
「無理に、いつも通りでいようとしてる」
胸の奥が、ひとつ鳴った。
「そんなことない」
言い切るより先に、声が静かすぎた。
絶花はみかんを二つに割り、片方を俺の方へ転がす。
「あるよ」
淡々と。
「太郎、隠すときほど、言葉が少なくなる」
……やっぱり、よく見ている。
「王様向いてないな、俺」
半分冗談で言ったつもりだった。
「王様とかじゃなくて」
すぐ返ってくる。
「太郎だから、分かるだけ」
みかんの断面が、炬燵の明かりを吸う。
「心配してるの」
その一言で、胸の奥の張りがほどけた。
何か言おうとして、やめる。
ここで格好つける必要はない。
「大丈夫」
声を落とす。
「今は」
「“今は”ね」
繰り返される。
責めない声。
でも、逃がさない。
炬燵の中で、また足が当たった。
今度は、さっきよりはっきりと。
どちらも動かない。
黒歌の喉が鳴り、ジバニャンが寝返りを打つ。
トムニャンがそれに押され、フユニャンの尻尾が揺れた。
この部屋は、穏やかだ。
守られている、というより。
――まだ、壊れていない。
俺は湯呑みを持ち上げながら思う。
ここは、残したい場所だ。
絶花が、何も気にせず、誰かと笑える場所として。
そのために何を背負うのかは、まだ言葉にしない。
炬燵の奥で、胸の内側がかすかに熱を持った。
気づかないふりをして、みかんを一房、口に運んだ。
炬燵の中の空気が、少しだけ動いた。
黒歌が顔を上げ、耳をぴくりと動かす。
次いで、ジバニャンが布団の隙間から鼻先を出した。
『……来るにゃ』
その声とほぼ同時に、インターホンが鳴った。
電子音が、部屋の静けさを切り裂く。
ほんの一音なのに、炬燵の温度が一段下がった気がした。
「……こんな時間に?」
絶花が小さく言う。
俺は立ち上がろうとして、炬燵布団に足を取られた。
黒歌がわざと動かない。
「ちょ、退いて」
『王の家に来るやつは、だいたい面倒だにゃ』
面倒、という言葉が胸に引っかかる。
玄関へ向かう途中、背中に視線を感じた。
絶花だ。何も言わないが、空気が少し張っている。
――違和感を、感じてる。
ドアノブに手をかけた瞬間、もう一度インターホンが鳴った。
今度は短く、確認するような間隔。
ドアを開ける。
「……太郎?」
背後から、絶花の声。
その気配を感じたのか、二人の視線が一斉に動く。
俺を越えて、家の中を見る。
空気が変わる。
「突然の訪問、失礼します」
丁寧だが、硬い。
礼儀の向こうに、警戒がある。
「……二人とも、用件は?」
「あなたに会いに来た」
「偶然、のようですね」
そう言いながらも、視線は俺から離れない。
玄関という狭い空間で、三つの立場がぶつかっている。
俺は、なぜか確信していた。
この二人が、別々の日に来ることはなかった。
今日、この時間、この家で――必ず重なる。
「……とりあえず」
俺は一歩引いた。
「立ち話もなんだし」
言葉にした瞬間、胸の奥が微かに反応する。
王国の駒が、静かに脈を打つ。
「いいわ」
「中で話しましょう」
その背後で、絶花が俺を見る。
何も言わないが、はっきりと伝わってくる。
――始まるよ。
俺は深く息を吸って、二人を家の中へ招き入れた。
炬燵のある部屋へ続く廊下が、いつもより長く感じられた。
廊下を進む足音が、妙に揃わなかった。
黒江は、家の中を値踏みするみたいに視線を巡らせている。
一方で、後ろを歩く銀髪の女性は、靴を揃えるタイミングまできっちりしていた。
同じ「来訪者」なのに、空気がまるで違う。
居間の襖を開けた瞬間、その差は決定的になった。
「……」
二人の動きが、同時に止まる。
炬燵。
布団。
みかん。
湯呑み。
そして――その周囲を完全に占領する猫と妖怪たち。
『……』
黒歌が、炬燵の上で片目を開けた。
王の玉座を見るような目で、来訪者を見ている。
ジバニャンは炬燵布団から半身だけ出し、トムニャンは丸くなったまま動かない。
フユニャンは尻尾だけをぴん、と立てた。
完全に、日常だ。
「……」
最初に口を開いたのは、黒江だった。
「ふふ」
小さく、喉で笑う。
「なるほど。これが“あなたの城”」
言い方が気に入らない。
「ただの家だよ」
言い返すと、黒江は肩をすくめた。
「城っていうのは、豪華さじゃないのよ。中心かどうか」
視線が炬燵に落ちる。
「……分かりやすいわね」
一方、銀髪の女性――ロスヴァイセは、明らかに戸惑っていた。
「これは……」
言葉を探している。
「日本の……暖房、ですか?」
「炬燵」
俺が答えると、彼女は一拍置いてから、深く頷いた。
「なるほど。資料では見ましたが、実物は初めてです」
真面目すぎる反応に、黒歌が鼻で笑った。
『固いにゃ。肩こりそうにゃ』
ロスヴァイセは一瞬きょとんとし、それから視線を下げる。
「……喋る、猫?」
「細かいことは気にしないで」
俺が言うと、彼女は真剣に頷いた。
「分かりました」
分かってない。
絶花は俺の隣に座り、さりげなく距離を詰める。
言葉はないが、背中越しに伝わる――警戒。
「どうぞ、座って」
俺が言うと、黒江は迷いなく炬燵の縁に腰を下ろした。
距離感ゼロだ。
対してロスヴァイセは、一瞬だけ動きを止める。
布団。
座卓。
靴を脱いだ後の所作。
全部、未知。
「……失礼します」
そう言って、ぎこちなく正座しかける。
「普通でいいよ」
「では……」
恐る恐る炬燵に足を入れた瞬間、ぴくっと肩が跳ねた。
「……温かい」
素直な感想だった。
その横で、ジバニャンが彼女の膝に頭を乗せる。
「えっ」
『よろしくニャ!』
完全に、緊張を破壊しに来ている。
黒江はその様子を眺めながら、俺に視線を向けた。
「面白い場所ね」
「そうか?」
「ええ」
指で炬燵の縁を軽く叩く。
「力のある人間ほど、こういう場所を持たないものよ」
含みのある言い方。
ロスヴァイセは姿勢を正し、俺の方を見る。
「本日は二つ、用件があります」
黒江が、楽しそうに笑った。
「奇遇ね。私も」
空気が、また少しだけ張る。
炬燵の中で、足先が絶花に触れた。
触れたまま、離れない。
俺は思う。
――この場所に、もう“外”は入り込んだ。
日常の中心に、非日常が腰を下ろした。
それでも炬燵は温かく、猫は動かない。
だからこそ、逃げ場がない。
胸の奥で、静かに何かが目を覚ました気がした。
居間に入ると、空気が一瞬締まった。
炬燵の温もりと猫の柔らかい喉鳴らしの中で、銀髪の女は迷うでもなく座る位置を決めた。
「失礼します」
その声には、余計な装飾がない。
静かで、それでいて確実に場の中心を見る声だ。
ロスヴァイセ――銀の髪は光を吸い込むようで、青緑の瞳がこちらをじっと見つめる。
教師として来たのか、戦士として来たのか、それとも両方なのか、一瞬だけ読み取れない沈黙が流れた。
「この土地で暮らすことになりました」
その一言は簡潔だが、重みがある。
「住む、というのは……?」
俺が問い返すと、まっすぐに俺の顔を見る。
「ええ。ここで暮らします」
言葉は明白なのに、理由は添えられない。
その沈黙を、ロスヴァイセ自身が満たすような落ち着きだった。
絶花が横でみかんを齧りながら、ふと眉を上げる。
俺より先に、わずかな違和感を察している。
「……理由、あるんだよね?」
言葉は柔らかいが、核心を突く。
ロスヴァイセは一瞬だけ目を伏せて、次にそっと瞳を上げた。
その目には「言いにくい」という種の戸惑いとは違う、抑えた緊張がある。
「……話せる段階ではありません」
冷静だが、曖昧でもない否定だ。
理由を語らないという意思表示。
「……そうか」
俺は無理に詰めようとはしなかった。
外套の女――黒江が隣で薄く笑っている。
その微笑みに、鉄の刃みたいな確信が混ざっていた。
「まあ、驚きはしましたけど」
黒江が肩越しに言う。
「このタイミングで“ここに住む”って……偶然かしら?」
問いかける口調は軽いが、目は真剣だ。
ロスヴァイセは一度深く息を吸い、視線を黒江に向けた。
誰かを警戒しているのではなく、誰かを認識しているような――そんな芯のある眼差し。
「私は、この町に縁ができたのです。理由の詳細は後ほど」
その声は丁寧だが、確固たる決意を帯びていた。
そして次の瞬間、感触が変わった。
まるで、言葉の重みが部屋の中の空気まで引き締めたように。
「それで」
俺は慎重に続ける。
「……教師とか眷属って形式はどういう?」
問いのニュアンスは柔らかいが、中身は核心だ。
ロスヴァイセは僅かに微笑む。
「必要とされる場所がある、というだけです」
その一言に、含みがある。
でも、それ以上を語る気配はない。
絶花が俺の横で小さく息を吐く。
“理由を話さない”という選択は、妙に彼女の胸に刺さったらしい。
「そう……ですか」
言葉だけが、静かに部屋に落ちていく。
炬燵の温もりが、ふいに遠くなる。
炬燵を挟んで静かに座る全員の目が、ふと黒江――ライバルの男に集まった。
その眼差しは、冗談でも、興味でもなく、戦いの宣告そのものだった。
黒江は一呼吸置き、細い声で言った。
「太郎、聞いてるか?」
その声には、いつもの軽口とは違う緊張があった。
俺は手元のみかんを一瞬止めて、顔を上げる。
「……ああ。なんだ?」
「……俺からの話がある」
黒江は言うと、右手を軽く上げた。
動きに余計な力はなく、ただ視線だけが真っ直ぐだ。
「俺は――」
一瞬だけ、間。
「お前に、――レーティングゲームを申し込みに来た」
その言葉だけで、空気が一段冷えた。
レーティングゲーム――
悪魔同士の力量を測り、互いの実力や社会的地位を示すための公式戦だ。
それは戦いだが、ただの衝突ではない。
互いの価値と存在を示す、名誉ある戦いの場だ。
「レーティングゲーム……?」
俺が呟くと、絶花が首を傾げる。
黒江は続ける。
「説明は簡単だ。お前が“盤面を作る王”ならな――俺とぶつかれ、ってことだ」
彼の声に、挑発も煽りもない。
だが、そこに揺らぎは一切ない。
「……俺と?」
問い返した俺の声に、黒江は軽く笑った。
「そうだ。公式かどうかはともかく――
評価をつけてもらう。お前の強さを、ここで示してもらうための戦いだ」
その宣告は、戦闘そのもの以上に重かった。
呼ばれた戦場は、自分で選ぶ場所でも、仕掛ける場所でもない。
対峙を請け負う側からの挑戦――
それは、俺自身の存在証明でもある。
俺は一度、視線を下げた。
炬燵の湯気が、ほんのわずかに揺れる。
黒江の視線は、逸らない。
逃げる気配でも、軽い冗談でもない。
「太郎」
絶花が、静かに言った。
「……やるんでしょ」
それは問いでも、励ましでもなく、当然のような視線だった。
俺は黒江の目を見返し、ゆっくりと答えた。
「……わかった」
その声は、震えていなかった。
ただ、重く、真剣だった。
そして黒江は、にやりと笑う。
「当然だろ?」
その笑顔は――
勝利を約束するものでも、敗北を期待するものでもなく、
戦いを始める準備ができている者の顔だった。
次回の王は
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妖怪王
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機械王
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怪獣王
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幻想王