サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
屋上のフェンスにもたれながら、俺は黒江の顔を見た。
さっきまでの空の青さが嘘みたいに、こいつの目だけが夜の色をしている。
黒江は余計な前置きをしない。
言いたいことは最初から決まっている男の顔で、短く言った。
「場所は押さえてある。今から行くぞ」
「……押さえてある、ね」
俺はその言い方が気に入らなかった。
“押さえる”って言葉には、勝手に決めた匂いがある。
それが戦場なら尚更だ。
「レーティング・ゲームの形式でやるなら、条件がある」
黒江は眉ひとつ動かさない。
聞く気はある。でも譲る気はない。そういう目だ。
「言え」
命令みたいに短い。
俺は腕を組み直して、順番に並べた。
「まず、観客はいらない。記録もいらない。誰かの耳に入るような派手なこともいらない」
「次に、余計な第三者の介入は無しだ。誰かが“調停”とか“監視”とか言い出した時点で終わりにする」
「最後に、日常の側に迷惑をかけない。学園の中でやるならなおさらだ」
黒江は一拍置いた。
その一拍が、俺の条件を値踏みしている時間だと分かった。
「……お前らしいな」
褒めているのか、からかっているのか。
どっちとも取れる声だった。
「俺らしいとかどうでもいい。必要な線引きだ」
黒江はフェンスの向こう、校庭の方を一度だけ見た。
それから俺に視線を戻し、淡々と言う。
「第三者はいない。結界で区切る」
“結界”。
その単語が出た瞬間、空気が一段冷えた気がした。
便利な言葉だ。
見えない壁を作って、世界を切り分けられる。
でも、便利なものはだいたい厄介だ。
「結界は便利だが、外から見えないってことは、外の都合も入ってきやすいってことだ」
俺が言うと、黒江は口角をわずかに上げた。
いつもの薄い笑みじゃない。
“刺しに来る”笑みだ。
「だからこそ、お前に頼むんだろ」
「頼んでるようには見えないが」
「申し込んでる。挑んでる。……言い方の違いだ」
黒江の声は淡々としている。
だけど、その淡々さの奥に、変な熱が混じっている。
こいつは本当に“越えたい”んだ。
自分の何かを。
俺は息を吐いた。
風が穏やかな屋上で、胸の奥だけが騒がしい。
「確認する」
俺は指を一本立てた。
「勝敗条件は?」
黒江は迷わず答えた。
「互いの戦意喪失。逃げたら負けだ。折れたら負けだ。変身が解除されたら負けだ」
言い切る声に、逃げ道がない。
“俺を越えるため”って言葉が、ただの格好つけじゃないと分かる。
こいつは、勝ち負けを道具にして、何かを試そうとしてる。
俺は次の指を立てた。
「殺しは無しだな」
黒江の目が一瞬だけ細くなる。
「……当然だ」
即答ではない。
“当然”と言いつつ、そこに引っかかりがある。
それが黒江の危うさだ。
「よし」
俺はフェンスから背を離した。
「じゃあ、行く」
黒江が一歩前に出る。
その動きは、まるで最初から俺が乗ると分かっていたみたいだった。
……腹が立つ。
でも。
こいつの目的も察してる。
こいつは俺を利用してるんじゃない。
“俺に止めさせる”つもりで、俺を呼んでる。
「太郎」
黒江が、呼び捨てで言った。
その呼び方が、距離を詰めるためじゃなく、覚悟を揃えるためのものだと分かった。
「お前は恐れてるのか?」
俺は足を止めずに答えた。
「恐れてるんじゃない」
「守る対象を数えてるだけだ」
黒江は小さく鼻で笑った。
「……それが、お前の弱さだ」
「それが、俺の線だ」
言い返すと、黒江はもう何も言わなかった。
屋上の扉へ向かう足音だけが、やけに大きく響く。
日常の中に戻る。
廊下に出れば、生徒の声がある。
部活の掛け声がある。
下校の靴音がある。
屋上の扉を押し開けた瞬間、空気が変わった。
さっきまでの風は、開放された場所のものだった。
廊下の空気は薄い。人の匂いと、ワックスと、制服の布の匂いが混ざっている。
黒江は先に歩き出す。
足音がやけに一定で、迷いがない。
俺は半歩遅れてついていく。
追いかけてるつもりはないが、こいつの背中を見失う気にもならない。
すれ違う生徒が、俺たちをちらりと見る。
二人とも制服だ。顔も普通。歩き方も普通。
それなのに、視線が引っかかるのは、俺たちの間に言葉がないからだろう。
喋らない二人組は、それだけで“何か”を抱えているように見える。
「普通に歩け」
俺が低く言うと、黒江は振り返りもしないで返した。
「普通だ」
「普通の定義が違う」
黒江はそれ以上は返さない。
この男は、会話を武器として扱わない。
会話は確認事項で、残りは全部、行動で示す。
俺とは真逆だ。俺は言葉で線を引く。こいつは線を越える。
階段を下りる。
上履きのゴムが段を擦る音が、妙に大きく聞こえる。
部活帰りの連中が笑っている。
誰かが「マジでそれウケる」と叫ぶ。
それを聞きながら、俺は考える。
——この笑い声の真横に、戦いが挟まる。
それが許せない。
だから、俺は“形式”を選んだ。
結界で切り分ける。
日常の外側に、非日常を置く。
そうしないと、俺の中の線が折れる。
昇降口が近づくと、黒江が足を止めた。
靴箱の前。人がいる。
靴紐を結ぶ奴がいる。
先生に見つかって叱られてる奴がいる。
黒江は、そこだけ妙に丁寧だった。
誰かにぶつからないように、流れを読む。
そういう気遣いができるなら、最初からそうしろよと思う。
「……お前、こういうときだけ器用だな」
俺が言うと、黒江は小さく息を吐いた。
「巻き込むのは嫌いだ」
初めて聞く種類の言葉だった。
俺の言った“守る対象を数える”と、似ている。
似ているのに、決定的に違う。
黒江は“嫌い”で止める。俺は“責任”で止める。
靴を履き替え、外へ出る。
夕方の校庭が見える。
ボールの音。笛の音。砂の匂い。
今日も同じ。平和。
黒江は校舎の影に沿って歩いた。
目立たない道を選ぶ。
そのくせ、目的地に最短で向かう。
まるで、世界を二枚に分けて重ねて歩いているみたいだ。
「どこだ」
俺が問う。
黒江はようやく横目を寄こした。
「体育倉庫の裏。誰も来ない」
「来ない、じゃない。来させない、だ」
黒江は口角を少し上げた。
否定しない。
体育倉庫の裏へ回ると、音が減った。
笛も笑い声も、壁一枚で遠くなる。
砂利の上を踏む音だけが残る。
そこに、黒江が立った。
背中を倉庫に預けるわけでもなく、余計に構えもせず、ただ立つ。
俺は距離を取って向かい合った。
三十メートル、ではないが、互いの間合いを測れる距離。
黒江が片手を上げる。
何かを取り出すでもない。
ただ、空を掴むような動き。
その瞬間、空気が一枚、剥がれた。
風の匂いが消える。
湿度が変わる。
音が、布で包まれたみたいに鈍くなる。
——結界。
見えない壁が、ここだけを切り取った。
校庭の夕方は続いているはずなのに、今いる場所だけ夜の静けさに沈む。
まるで、日常のページを一枚めくって、裏側に落ちたみたいだ。
「……おい」
俺が言う。
「今の、どうやった」
黒江は淡々と答えた。
「準備してた」
「準備って言葉で誤魔化すな」
「誤魔化してない。お前が来る前から、ここは“場”にしてある」
そう言って、黒江は足元を軽く踏む。
砂が、ほんの少しだけ沈んだ。
俺には見えないが、何かが埋め込まれているのだろう。
札か、符か、刻印か。
どれでもいい。台無しにしないなら。
俺は息を吐いた。
背中の奥で、王国の脈が静かに鳴る。
変身しなくても分かる。
この空間は、もう日常じゃない。
黒江が言う。
「戻れないわけじゃない」
「戻る戻らないの話じゃない」
俺は黒江を見据える。
「ここに立った時点で、俺たちは“選んだ”んだ」
黒江の目がわずかに細くなる。
「そうだ」
短い肯定。
それだけで十分だった。
俺は一歩、砂を踏みしめる。
音が乾いている。
足裏の感覚がはっきりしすぎて、逆に現実味が薄い。
「形式は守れ」
俺が言う。
「余計なものは持ち込むな」
黒江は頷いた。
「お前もな」
「俺は俺のままだ」
そう言って、俺は腕に視線を落とす。
——まだ、変身はしない。
今は“合図”だけでいい。
日常から非日常へ。
ただ歩いただけなのに、世界が裏返った。
さっきまでの廊下のワックスの匂いが、もう遠い。
今は砂と静けさと、目の前の男の殺気だけがある。
黒江が、最後に言った。
「……来てくれて、助かる」
その言葉が、妙に腹に落ちた。
挑んだのはこいつのはずなのに、助かると言った。
つまりこいつは、自分だけでは越えられない線を知っている。
俺は答えた。
「勘違いするな」
「助けに来たんじゃない。止めに来たんだ」
黒江が、ほんの少し笑った。
「それでいい」
そして、沈黙。
静けさが完全に定着した。
ここから先は、言葉より先に動きが出る。
黒江が指を鳴らしたわけでも、呪文を唱えたわけでもない。
ただ、空気の“継ぎ目”が見えた。見えた気がした、じゃない。確かにそこにあった。体育倉庫の壁の影と影の間に、夜よりも暗い縦の線が一本走っていて、近づくほどにその線が「入口」だと主張してくる。
「ここからだ」
黒江が短く言う。
俺は頷いたが、肯定したのは言葉じゃない。足裏だ。砂を踏む感触が一歩ごとに軽くなる。重力が弱まるんじゃない、世界の方が“俺を受け止めるのをやめていく”感じだ。日常が薄紙みたいに破れて、破れ目から覗く向こう側が、こっちを覗き返している。
入口の直前で、黒江が一瞬だけ止まった。
見えないものを見ている目で、空間を確かめる。こいつの集中が伝染して、俺の肩も勝手に上がる。息を吐いて落としたつもりでも、胸の奥の鼓動だけが妙にうるさい。
「宇宙人の空間だ」
黒江は説明になってない説明を投げてくる。
けど、十分だった。こいつが“場”を作る側じゃなく、誰かの作った“場”に入る側だという事実だけで、緊張が一段増す。相手の土俵に上がるってのは、礼儀じゃなくて危険だ。
縦の線に手を伸ばすと、指先が冷たい水に触れたみたいに沈んだ。
水じゃないのに濡れない。壁じゃないのに抵抗がない。感触だけが「ここから向こうは別」と告げる。俺は視線を横にやって黒江を見る。黒江も同じように入口を見ていたが、その目は既に“向こう側”を数えていた。
「形式は守れ」
俺が言うと、黒江は鼻で笑った。
「お前が言うな」
言い返した瞬間、入口がわずかに脈打った。
こっちの空気が薄くなり、代わりに向こうの匂いが差し込む。金属でも土でもない、乾いた無臭。なのに妙に“新しい”。病院の新築みたいな清潔さが、逆に不気味だ。
俺は一歩踏み込んだ。
視界が一度、白くなる。まばたきする暇もなく、耳が遅れてついてくる。音が戻るより先に、足元の感触が変わった。砂じゃない。硬いのに沈む、足場が“床”のふりをしている何か。身体が浮きそうになって、踏ん張った足に遅れて重力が噛みつく。
次に見えたのは、空だった。
いや、天井だ。天井の形をした宇宙だ。黒い背景に薄い光が漂い、星みたいな点が規則正しく並んでいる。俺は反射で上を見上げたまま、息を止めた。広い。体育館の広さじゃない。距離感が狂う広さで、視線が焦点を結ぶまでに時間がかかる。
「……おい」
思わず声が出た。
黒江も同じ場所に立っているのに、足音がほとんどしない。空間が音を吸っているのか、俺の耳がまだ現実に戻れていないのか分からない。分からないことが増えるたび、緊張は勝手に膨らむ。これは俺の意思じゃなく、空間の設計そのものがそうさせている。
入口は背後にあるはずなのに、振り返っても見えない。
戻り道が“視界から消されている”。それだけで逃げ道が奪われた気になる。実際に逃げるつもりなんてないのに、人間の本能は勝手に不満を言う。
黒江が口を開いた。
「ここは、観客も外も関係ない。戦意が折れた方が負けだ」
俺は黙って頷いた。
言葉の説明は頭に入る。でも体が納得しない。空間が静かすぎる。広すぎる。清潔すぎる。つまり、誰かが意図して“戦うためだけの世界”を用意している。そんな場所で、俺たちは今から互いの限界を叩き合う。
俺は手を握り、開いて、もう一度握った。
指が冷たい。血の巡りが遅れている。怖いわけじゃない。身体が先に危険を理解して、準備を始めている。
「……増幅してくるな」
俺がぽつりと言うと、黒江は短く返した。
「場がそういう作りだ。迷いがあるほど、重くなる」
迷い、か。
俺は一歩だけ前に出た。前へ出ると、妙に空間が“軽く”なる。逆に黒江が半歩でも引けば、空気がまた重くなる気がした。つまりここは、躊躇を罰する場所だ。意志の弱い方から削っていく、宇宙人らしい合理性。
俺は息を整え、視線を落とした。
床の表面に、薄く円が浮いている。魔方陣じゃない。けど、魔方陣みたいに意味を持った模様だ。境界線。開始線。舞台装置。あらゆる“戦いのルール”が、言葉じゃなく床に刻まれている。
「行くぞ、黒江」
俺が言った瞬間、空間がわずかに鳴った。
鐘でも笛でもない。静寂そのものが割れるような合図。入口のない会場で、逃げ道のない緊張が、ようやく“戦い”の形に収束していく。
次回の王は
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妖怪王
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機械王
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怪獣王
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幻想王