サムライガールの幼馴染みは王様を目指す   作:ボルメテウスさん

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京都SOS Ⅳ

霧は白いだけじゃなかった。

音が吸われ、距離が溶ける。石畳の湿りが足裏にまとわり、呼吸のたびに喉の奥が冷える。絶霧の中は、世界が“箱”になっている。逃げ道も、助けも、外の気配も――全部ここで途切れる。

 

槍の穂先が、霧を裂かずに滑ってくる。裂けない。裂ける前に、もう刺さってくる。

 

「面倒だなぁ……」

 

口に出した瞬間、曹操の声が霧の裏から落ちた。

 

「黄昏の聖槍は、蛇を殺すための刃だ。君の“蒼”が効かないのも当然だろう?」

 

効かない。分かってる。分かってるのに、体が先に反応する。

ヨーヨーの糸を握り直し、蒼赫の切り替えを手元で確かめる。遠投しない。ここで飛ばせば、切り替えが遅れる。遅れたら終わる。

 

穂先が喉へ来る。

赫で弾いて横へ跳ぶ。石畳が滑り、靴底が鳴らない。霧が音を殺す。跳んだ先に、もう槍が待っている。線が折れない。折れさせる前に、相手の線がこちらの逃げを読んでくる。

 

「太郎っ」

 

絶花の声が近い。霧の中でも、声の芯が揺れない。

半歩前に出て、俺の利き手側の余白を守っている。言葉を増やさない。増やせば霧に吸われる。だから動きで言ってくる。

 

――三十秒。

背中にその圧が貼り付いた。

 

俺は赫で踏み込み、蒼へ切り替えて足元を吸う……つもりだった。

蒼が“届いた”感触はある。空気が一瞬だけ歪んだ。なのに、曹操の槍は揺れない。足も止まらない。むしろ、槍の柄がこちらのヨーヨーの軌道に先に当ててくる。

 

「っ……!」

 

糸が震え、指の付け根が熱い。

槍の柄が叩きつけられた衝撃が、骨の芯へ残る。次の瞬間、穂先が胸の中心を狙って伸びた。避ける。避けた先にも伸びる。呼吸が浅くなる。

 

「なるほど。やはり“核”が上がる」

 

曹操が笑った。笑いは静かだ。静かなまま、殺しに来る。

霧の中で、蛇がざわつく。内側が熱くなる。熱が上がるほど、理性が薄くなるのを知っている。黒江との決闘で、そこは押さえたはずだ。それでも、槍の“刺さる理屈”が俺の中の何かを引っ張ってくる。

 

踏み込みが一歩遅れた。

 

穂先が胸板へ――いや、刺さる前に、空気が“縫い合わされた糸”みたいに震えた。

霧が、白いまま、ひび割れる。

 

白の裏に、別の色が滲んだ。

黒に近い、深い青。夜空を裏返したみたいな冷たさ。霧の端に、細い縫い目が走っている。結界の継ぎ目だ。絶霧の“壁”のはずなのに、その縫い目だけ、違う規則で光っている。

 

――上から被せられてる。

英雄派の霧じゃない。

 

その瞬間、霧が一箇所だけ、きれいに裂けた。刃で裂いたんじゃない。紙を破るみたいな乱暴さもない。縫い目を外す、という感じ。縫製を知っている手つきの破断だ。

 

裂け目の向こうから、乾いた匂いが入ってきた。金属が熱を持ったときの匂い。あと、ほんの少しのオゾン。

 

「……太郎」

 

声が落ちる。低い。迷いがない。

霧の裂け目に、黒江残月が立っていた。制服の襟が乱れていない。状況だけが乱れている。目だけが、鋭く光っている。

 

手首に光る円盤――Aウォッチ。

見慣れたはずの形が、今は異物みたいに見えた。地球の道具の顔をして、宇宙の癖で動いている。

 

「何を……!」

 

曹操が槍を引き、裂け目へ向ける。

穂先が触れた瞬間、光が薄く跳ねた。槍が“遅れる”。ほんの一拍。ありえない遅れ。

 

黒江が言う。短い。

 

「生きろ。お前は、先の人間を守る」

 

次の瞬間、黒江の腕が動いた。攻撃じゃない。合図でもない。

裂け目の縫い目に、薄い光の欠片が貼り付く。札じゃない。紙でもない。透明な板みたいなものが、縫い目の上で脈を打つ。点滅が、呼吸みたいに整っている。

 

――標識。

追跡用の“信号”。

 

黒江は俺を見ない。縫い目だけを見ている。狙いが俺の救出だけじゃないのが、動きで分かった。救って、刻む。未来のために。

 

「太郎っ、今!」

 

絶花の声が背中を押す。

俺は赫へ切り替え、反発で身体を裂け目へ投げた。石畳を蹴る。霧が背中を引っ張る感じがする。結界が、外へ出るのを嫌がっている。蛇が騒ぐ。ここで熱に飲まれるな。

 

裂け目の縁に指が触れた。冷たい。ガラスみたいに滑る。

次の瞬間、外の音が戻った。遠い車の走行音、誰かの笑い声、京都の湿った夜気。肺の奥が、やっと広がる。

 

着地の衝撃が膝へ来る。

絶花がすぐ横にいて、俺の腕を一度だけ掴んだ。強く引かない。立てるかどうかを確かめる程度。

 

「大丈夫?」

 

「……立てる」

 

答えながら、視線は霧へ戻った。

裂け目の向こう、曹操が一瞬だけ眉を動かす。苛立ちじゃない。驚きだ。自分の結界じゃない縫い目に、黒江が信号を貼り付けたのを見た顔。

 

「それは、何だ」

 

曹操の声が低くなる。

黒江は槍を見ず、縫い目の光だけを見て言った。

 

「お前たちの霧じゃない。……触るな。燃える」

 

霧が、縫い目を中心に一度だけ波打った。

白が戻り、青が引く。縫い目の光は消えない。消えないまま、奥へ引っ込んでいく。まるで、誰かが糸を巻き取っているみたいに。

 

曹操が舌打ちを噛み殺す。

英雄派の連中が霧の縁へ下がる気配がした。外の音が戻った以上、長居はしない。目立てば負けだ。英雄派の“正義”は、いつも世間の目とセットで動く。

 

「今日は退く。だが、核は必ず――」

 

言いかけた曹操の言葉を、黒江が切る。

 

「次は退けない。太郎を殺せば、未来が死ぬ」

 

その“未来”という単語が、俺の胸の奥を冷やした。

黒江は俺を救った。俺のためじゃない。先のためだ。そう割り切っている目をしている。

 

霧が引く。英雄派の気配が薄れる。

残ったのは、石畳の湿りと、息の白さと、縫い目に貼られた信号の残像だけだった。

 

絶花が小さく息を吐く。

 

「今の霧……質が違った。上から被せた、ってこと?」

 

「……ああ」

 

俺の掌がまだ熱い。糸の感触が残っている。

黒江が背を向ける。追わない。追うべきは英雄派じゃない、と言っている背中だ。

 

「待て、黒江!」

 

呼び止めた声が、夜気に吸われた。

黒江は振り返らないまま、短く返す。

 

「信号は残した。追え。八坂に繋がる」

 

それだけ言って、路地の闇へ消えた。

残った俺は、胸の奥の蛇のざわめきを、ゆっくり息で押さえ込む。守るべきものの匂いが、まだ手のひらに残っている。京都の夜は冷たい。それでも、今は冷たさの輪郭がはっきりしている。

次回の王は

  • 妖怪王
  • 機械王
  • 怪獣王
  • 幻想王
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