サムライガールの幼馴染みは王様を目指す   作:ボルメテウスさん

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京都SOS Ⅴ

路地の湿り気がまだ靴裏に残っている。

絶霧が引いたのに、空気だけが遅れて戻ってこないみたいだ。石畳の冷たさが膝に上がり、指先の汗が乾く前にまた冷える。

 

絶花が俺の腕を一度だけ掴んで、すぐ離した。掴みっぱなしにしない。立てるかどうかを確かめただけだ。

 

「……立てる?」

 

「立てる。大丈夫」

 

声を出すと、京都の夜の音が返ってくる。車のタイヤが遠くで水を踏む音。どこかの店の戸が閉まる音。人の笑い声が、霧の箱の外から届く感じ。

さっきまでの“無音”が嘘みたいで、逆に胸がざわつく。

 

黒江はもういない。背中だけ残して消えた。

追う気にもなれない。あいつの目は、助けたとか協力とか、そういう色をしていなかった。

 

――「英雄派が騒げば戦争になる。人が死ぬ。だから止める」

 

言葉は短かった。

けれど、あの短さが本気だ。排除だの正義だのを振り回している場合じゃない、と言っていた。人の未来を守るために、俺を死なせない。そういう理屈だった。

 

……ありがたい、で済む話じゃないのが面倒だ。

 

絶花がスマホを見下ろし、画面を俺に向けた。

地図の上で、小さな点が脈を打っている。黒江が霧の縫い目に貼り付けた“信号”だ。心臓みたいに点滅するたび、方向だけがはっきりする。

 

「追えるんだ」

 

「追えって言われた。……追う」

 

言い切った瞬間、喉が少し乾いた。

追うのは英雄派。けれど、黒江の視線は“別の何か”にも向いていた。縫い目の主。上から霧を被せていた手。

あれが動けば、京都だけじゃ済まない。黒江の言葉が、背中に冷たい板みたいに貼り付いている。

 

「英雄派がいる場所、分かるの?」

 

「“分かる”ってほどじゃない。だが、この信号が示す方向に……いる可能性は高い」

 

言いながら歩き出すと、足音が自分でも聞こえる。ありがたい。

霧の中だと、足がどこに落ちたか分からなくなる。今は石畳がちゃんと返事をする。湿った硬さで、コツ、と。

 

夜の京都は、灯りが柔らかい。

提灯の赤が路地の角を丸くして、古い木の匂いが鼻の奥で甘くなる。観光客の群れが一つ通り過ぎ、香の匂いと揚げ物の匂いが混ざって消える。

この“普通”が、さっきの箱と地続きなのが嫌だ。

 

絶花が俺の半歩前を歩く。

人の流れが切れる瞬間だけ、肩越しに目を向けてくる。俺の顔じゃなく、口数と歩幅を見る目。

 

「……さっきの人、黒江。助けた理由、言ってた?」

 

「戦争になるって」

 

「英雄派が?」

 

「英雄派が火種を投げれば、三大勢力も妖怪も動く。京都は観光地だ。巻き込まれる人間が多い。……そういう計算」

 

言葉にすると、胸の奥が少し重くなる。

正義の話じゃない。死体の数の話だ。黒江はそこだけ見ていた。

 

絶花が短く息を吐いた。怒っているのか、呆れているのか分からない。

 

「太郎ってさ、こういう時だけ“王様”の顔するよね」

 

「してない」

 

「してる」

 

返す言葉が見つからず、口を閉じた。

舌が乾いている。今、余計な言い訳を出すと、内側の蛇が喜びそうで嫌だった。

 

信号の点滅が少し早くなる。

近い。そういう意味に見える。単純で助かる反面、単純すぎて怖い。誘導される感覚が、また戻ってきた。

 

路地が一本、さらに細くなる。

壁の漆喰が湿って、指で触れたら冷たそうだ。頭上の電線が低く見え、遠くで猫が鳴く。

猫の声が、やけに近い。

 

……違う。近いんじゃない。周りが遠い。

 

足を止めた瞬間、空気の温度が一段落ちた。

霧は出ていない。見える白さはない。なのに、音だけが薄くなる。観光客の声が、布越しみたいに丸くなる。

 

絶花も止まる。

俺の横に並んで、半歩だけ前へ出る。いつでも引ける位置。いつでも押せる位置。

 

路地の先に、誰かが立っていた。

背が低い。白い服。裸足。灯りの下で、足の指がほんのり赤い。

髪は黒いのに、目だけが妙に静かだ。水面みたいに光を返す。

 

「……誰だ」

 

問いかけた声が、自分の耳に戻るのが遅い。

この遅さが嫌だ。絶霧の時と同じ箱の匂いがする。結界とは違う。もっと、薄い。でも、確かに“外と切れている”。

 

白い少女は首を傾げた。

答えない。呼吸の音もしない気がする。近づいているのに、足音がない。石畳を踏んでいないみたいだ。

 

「太郎」

 

絶花が名前だけ呼ぶ。

それだけで十分だ。余計な言葉は要らない。今ここで必要なのは、逃げるか戦うかの選択だ。

 

……逃げる。

ただし、逃げ方を間違えると刺される。さっき学んだ。

 

ヨーヨーを握る。指先に糸の冷たさが戻る。

内側の蛇が、さっきより静かだ。静かすぎる。眠っているんじゃない。見上げている。こっちの外を。

 

少女が、俺の胸のあたりを見た。

視線が、皮膚を通る。痛くないのに、背筋がぞわっとする。冷たい指で首筋を撫でられたような感触。

 

「……君」

 

少女が小さく口を開く。声は幼い。なのに、言葉の端が古い。

 

「別の、可能性」

 

短い。

説明はない。けれど、その二語が胸の奥に落ちて、内側の蛇が一度だけ震えた。

 

「何の話だ」

 

「君が、見せた」

 

少女の瞳が揺れない。

俺の中の力を、俺が制御した。暴走しない道を作った。黒江との決闘の結末。さっきの槍の圧の中で、踏みとどまった呼吸。

それを“見た”と言っている。

 

「……見てたのか」

 

「うん」

 

返事が軽い。軽いまま、空気だけが重い。

匂いが変わらないのに、喉が冷える。京都の湿り気が、ここだけ乾いている。

 

「お前、さっきから“オーフィス”って――」

 

口にしかけて止めた。

曹操が言っていた名前だ。けれど、目の前の少女がそれだと決め打つのは早い。決め打った瞬間に、相手の箱に入る。

 

少女が、ほんの少し笑った。笑ったのに、頬は上がらない。

 

「名前?」

 

「……いや」

 

絶花が俺の袖を、指一本で引いた。

“やめろ”の合図。

そうだ。ここでやり合う理由がない。英雄派の場所へ向かう途中だ。寄り道は命取りになる。

 

少女は一歩、横へ退いた。道を塞がない。

塞がないのが、逆に怖い。通してもいい、と言っている。通した上で何かを見たい、と言っている。

 

「行くの?」

 

「行く」

 

声が硬くなる。

硬いのは仕方ない。柔らかくする余裕は今ない。

 

少女が俺の手元――ヨーヨーの糸を見た。

 

「それで、引く。押す」

 

「……知ってるみたいだな」

 

「知ってる」

 

その言い方が、妙に優しい。

優しいのに、背中が冷える。優しさが“飼う”側の匂いを持っている。

 

「君、できる。違う道」

 

少女が言い切った。

その瞬間だけ、内側の蛇が熱を帯びる。燃えるんじゃない。水面が揺れる。

俺の呼吸が一拍ずれた。

 

絶花がそのズレを見逃さず、もう一度袖を引く。

 

「太郎、今」

 

「ああ」

 

一歩踏み出す。

少女の横を通る。すれ違う瞬間、匂いがない。香も、汗も、土もない。

ただ、冬の夜の空気だけが、肌に貼り付く。

 

背中に視線が刺さる。

振り返らない。振り返ったら、箱に戻る気がする。

 

数歩進んだところで、少女の声が落ちた。

 

「……また、見る」

 

短い。

それだけで、喉が乾く。

 

絶花が小さく舌打ちを噛み殺した気配がした。

俺も同じだ。怖いというより、面倒が増えた。増えた面倒の種類が悪い。

 

信号の点滅が、また規則正しくなる。

現実が戻った。路地の先に人の声が戻り、遠くの車が近づく音がする。

 

「今の、何」

 

絶花が言う。声を荒げない。荒げると、余計なものが寄ってくるから。

 

「分からない」

 

「分からないで行くの?」

 

「行く」

 

言い切る。

言い切った瞬間、胸の奥で蛇が静かに笑った気がした。笑うな。こっちの呼吸は俺のものだ。

 

信号の点滅が、角を曲がった先を指す。

英雄派がいると思われる場所へ。

黒江が言った“戦争の芽”がある場所へ。

 

京都の夜は柔らかい。

柔らかいまま、人が死ねる。だから、急ぐ。

次回の王は

  • 妖怪王
  • 機械王
  • 怪獣王
  • 幻想王
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