サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
曹操の槍が石畳に落ちたあとも、境内の空気はすぐには戻らなかった。
乾いた痛みだけが喉の奥に残っていて、灯籠の火がやけに小さく見える。
肩の力を抜いたつもりなのに、指先はまだ痺れていた。
漆黒丸の闇は引いている。けれど、引いたあとに残る重さがある。背中に立っていた家臣たちの気配が、遠くへ戻っていく途中みたいな、妙な空白だ。
「太郎」
呼ばれて振り向く。
絶花がもう剣を納めていた。顔はいつも通りに見えるのに、近づいてくる歩幅だけが少し速い。
「立てる」
先に言うと、絶花は眉をほんの少し動かした。
「聞いてない。手、見せて」
言い返す前に手首を取られる。
装甲は解けている。掌には赤い線が残っていた。血は滲んでいないが、握り込みすぎた跡だ。絶花はそれを見て、小さく息を吐く。
「……無茶してない顔してる時ほど、無茶してる」
「褒め言葉だな」
「違う」
短い返事で切られて、少しだけ笑う。笑えるうちはまだ大丈夫だ。
境内の奥では、九重が護衛たちに指示を飛ばしていた。
乱れた結界の張り直し。八坂の護衛線の確認。人払い。龍脈の揺れの記録。年齢に似合わない声の通り方で、場が整っていく。
八坂は無事だった。
救出されたあとも気丈に立っていたが、袖口に残る皺と、言葉の切れ目の浅さが、どれだけ際どかったかを教えていた。
「太郎殿」
九重が駆け寄ってくる。
その手には、布で包んだ細い板と、割れた金具があった。
「英雄派の連中が捨てていった物じゃ。護衛が回収した」
受け取る前に、絶花が先に覗く。
俺の手元を見てから、物を見る。順番があいつらしい。
布を開く。
札でも呪具でもない。薄い板に、刻印が焼き付いている。英雄派の術式だけじゃない。見覚えのある癖が混じっていた。禍の団で使われる連絡符の崩し方だ。直接の名前はない。けれど、隠し方が同じだ。
「……やっぱり繋がってるな」
「分かるの?」
絶花が横から聞く。
「英雄派だけなら、もっと見せる。これは逆だ。見せたくない線を隠してる」
割れた金具を指でなぞる。
内側に細い溝があり、そこへ黒い粉が詰まっている。輸送用の封印具だ。人ひとりを隠すには小さい。情報か、媒介か、座標か。どちらにせよ、中継点がある。
九重が唇を噛む。
「母上を攫ったのは、英雄派だけではないと?」
「手を貸してる奴がいる。あるいは、英雄派が誰かの線を使ってる」
言いながら、境内の石畳を見る。
さっきまで龍脈を引きずっていた金の流れは、もう細い。けれど一点だけ、戻りきらない揺れがある。誰かがここを“通路”として見ていた痕だ。
「追える?」
九重の声が低くなる。
王として答えるべき問いだった。
「今すぐ殴り込みはしない」
先にそう言う。九重の肩がわずかに強ばる。
その横で、絶花の視線が俺の横顔に刺さる。続きがあるかを見ている目だ。
「でも、潰す線は見えた。英雄派の尻尾を追えば、禍の団の中継を炙れる。京都の件を終わらせるだけならここで止まれるけど――止めない」
言い切ると、胸の奥が少し熱くなる。
戦いの熱じゃない。責任の熱だ。ここで拾った線を捨てれば、次に死ぬのは別の町の日常だ。
九重がまっすぐ頷いた。
「なら、京都側で持てる情報は全て渡す。借りは返させてもらう」
「借りとかいい。次の被害を減らせればそれでいい」
口にしたあと、絶花が小さく言う。
「そういうとこ」
「褒めてる?」
「半分だけ」
境内の風が少し変わった。
龍脈の揺れとは別の、静かすぎる冷たさだった。音が一枚薄くなる。九重の声も、護衛の足音も、遠くへ引く。
視線を上げる。
石段の先、夜の闇の境目に、白い影が立っている気がした。小さい。動かない。見間違いみたいに輪郭が薄いのに、目だけが残る。
「……太郎?」
絶花の声が近い。
近いのに、そこだけ箱の中みたいに遠い。
俺は割れた金具を握り直した。
禍の団へ続く線。英雄派の残した痕。
そして、まだ名前も知らない“何か”の視線。
京都の夜は、まだ終わっていなかった。
石段の先に立っていた白い影を見た瞬間、境内の音が一段薄くなった。
九重の声も、護衛の足音も、風に揺れる木の葉の擦れる音も、全部が遠い。
一歩踏み出す。
足裏の感触が消える。石畳を踏んだはずなのに、硬さが返ってこない。
気づけば、周りには何もなかった。
夜の色だけが広がっている。天井も床も曖昧で、ただ暗いのに、目だけは妙に冴える。箱の中みたいだ、と頭の隅で思う。音が死んでいるくせに、息の出入りだけがやけに近い。
白い影は、少し離れた場所に立っていた。
小柄な少女に見える。白い髪。白い服。表情は薄い。こっちを見ているのに、睨んでいる感じはない。測っている。そんな目だった。
「……誰だ」
問いかけると、返事はすぐに来た。
「オーフィス」
名前だけ。
飾りがない。名乗りというより、事実を置いただけの声だった。
聞いたことがあるはずの音でも、今は繋がらない。
胸の奥に残る蛇の気配だけが、かすかに反応する。嫌な反応じゃない。静かすぎて、逆に気味が悪い。
「お前か。さっきから、人の中を勝手に覗いてるみたいな気配は」
否定も肯定もせず、オーフィスは一歩も動かない。
目だけが、ほんのわずかに細くなる。
「お前は、別の可能性を見せた」
言葉が落ちる。
責める声じゃない。感心にも近い。けれど温度はない。観測結果を述べているだけ、みたいな平らさがある。
「無限を持ちながら、壊す方へ行かなかった」
胸の奥で、戦いの熱が少しだけ蘇る。
漆黒丸の闇。家臣たちの衝動。暴れろと押してくる声。あれをねじ伏せた感触は、まだ手首の芯に残っている。
オーフィスが、短く問う。
「無限の力を得て、その先に何がある」
そこで初めて、喉が乾いた。
難しい問いだからじゃない。簡単な言葉で返すと、嘘になる気がした。
しばらく黙る。
暗い空間なのに、絶花の剣が石畳を打った音だけははっきり思い出せる。九重の切れた声も、八坂の袖の皺も、灯籠の小さな火も、喉に残った乾いた痛みも。
俺は息を吸った。
「でかい話なら、いくらでも言える」
自分の声が、妙に静かに響く。
「支配とか、世界とか、そういうのな。でも、俺が見てるのはそこじゃない」
オーフィスの視線は動かない。
急かしもしない。その沈黙が、逆に言葉を選ばせる。
「無限の先にあるのは、残したいものだ」
言ってから、言葉が少し軽い気もした。
だから続ける。
「炬燵でもいい。帰り道でもいい。くだらない雑談でもいい。守る価値なんて説明できない時間を、ちゃんと次の日まで残す。そのために力が要るなら使う。無限だろうが、闇だろうが、そこに使う」
胸の奥の熱が、すっと下がる。
言葉にしたことで、戦いのあとに残っていたざらつきが少しだけ整った。
「……終わらせるためではなく、続けるため」
オーフィスが小さく呟く。
初めて、ただの復唱じゃない音に聞こえた。
「変だな、お前」
「よく言われる」
肩をすくめる。
この相手に通じる冗談かは分からない。けれど口に出したら、少しだけ楽になった。
オーフィスは黙る。
白い姿が揺れもしない。なのに、空間の端がかすかにほどけ始める。箱の壁みたいだった夜が、薄く裂けていく。
「見ている」
短い声が落ちる。
「お前が、その答えを最後まで守れるか」
試す、とは言わない。
期待、とも言わない。
ただ観測を続けるという言い方が、この存在らしかった。
「好きに見てろ」
返す。
強がり半分、意地半分。
でも、それでいい気がした。
白が遠のく。
同時に、京都の夜の音が戻ってくる。風。足音。誰かの呼ぶ声。喉の奥の乾いた痛みまで戻ってきて、妙に安心した。
最後に残ったのは、白い目の残像と、胸の中で静かになった蛇の気配だけだった。
部屋に戻った時、まだ夜は終わっていなかった。
障子の向こうは濃い紺のままで、遠くを走る車の音だけが、ときどき細く入ってくる。京都の町は静かだったが、静かすぎるわけでもない。その半端な気配が、かえって現実に引き戻してくる。
卓の上には湯呑みが二つ置かれていた。
どちらも湯気が立っている。絶花が先に戻って、淹れておいたらしい。
「座って」
短く言って、絶花は向かいに座る。
剣は壁に立てかけてある。鞘の口だけ、手元に向けていた。いつもの癖だ。
言われた通りに腰を下ろすと、膝の奥が少し遅れて重くなる。戦っている間は消えていた疲れが、部屋の灯りに触れた途端、順番を守るみたいに戻ってきた。
湯呑みに手を伸ばす。
熱い。熱いのに、その温度が妙にありがたい。
絶花はこっちを見ない。
見ないまま、包帯を机の端へ寄せる。使う気満々の置き方だった。
「手」
「またそれか」
「またそれ」
返す声に隙がない。
黙って右手を出す。掌の赤い線を見た絶花が、ふっと息を吐いた。怒っている時の息じゃない。数を数えて、落ち着かせる時の息だ。
包帯が指の間を通る。
きつすぎず、甘すぎず、ちょうどいい。黙って巻く手つきが慣れていて、そこに今さら礼を言うのも変だと思ってしまう。
「……さっき、どこ見てたの」
唐突に聞かれて、少しだけ手が止まる。
絶花の指先も一瞬止まって、それからまた動く。
「神社で?」
「うん。急に遠く見た。聞こえてない顔してた」
誤魔化そうと思えば、いくらでも言える。疲れてたとか、龍脈の残りを見てたとか。
でも、今はそれを選ぶ気にならなかった。
「変なやつに会った」
「男? 女?」
「……たぶん、女」
絶花の手元が、ぴたりと止まる。
それから包帯の端を引いて、結び目を作る。
「たぶんって何」
「説明しにくい。白くて、静かで、質問だけして消えた」
「何それ。最悪」
言い方が平坦なのに、湯呑みを持つ手が少し強い。
口をつける前に、ひと呼吸置く。熱を確かめるためだけじゃない間だった。
「……何を聞かれたの」
湯気の向こうで、視線がやっとこっちに来る。
逃がさない目だ。責める目じゃない。置いていくな、って目。
俺は湯呑みを持ったまま、しばらく黙る。
言葉にしたばかりの答えなのに、ここで言うと形が変わる気がした。神様みたいな相手に返した言葉と、絶花に渡す言葉は、同じでも少し違う方がいい。
「無限の力の先に、何があるかって聞かれた」
絶花が眉を寄せる。
難しい顔を作ろうとして、途中でやめたみたいな顔だった。
「……で」
「残したいものだって答えた」
そこで、絶花は何も言わない。
代わりに湯呑みを置く。小さく音が鳴る。
その音が、部屋の中でよく響いた。
「太郎」
名前だけ呼ばれる。
その呼び方に、戦いの時の鋭さはもうない。代わりに、いつもの帰り道みたいな温度がある。
「お前さ、そういうの、外ではちゃんと言えるのに」
「外?」
「私には、変に回る」
図星だった。
思わず笑いそうになって、笑うと逃げる気がして、喉の奥で止める。
窓の外はまだ暗い。
夜は続いている。終わったはずの戦いのあとで、まだ続いているこの時間を、たぶん俺は守りたかったんだと思う。さっき答えた言葉の中身は、こういう部屋の空気まで含んでいた。
湯呑みを置く。
指先の熱が木の卓に移る。
「……これからも、一緒にいてほしい」
言ったあとで、妙に静かになった。
大げさなことは言っていないはずなのに、胸の奥だけがうるさい。
絶花はすぐに返さない。
視線を落として、包帯の余った端を指で撫でる。癖みたいに、端を揃える。そうしてから、顔を上げた。
「今さら何言ってるの」
呆れた声だった。
でも、口元は少しだけ緩んでいる。
「先に無茶やめて」
「それは努力する」
「努力じゃなくて、やめる」
「……善処は」
「却下」
間を置いて、絶花が小さく笑う。
短い笑い方だった。けれど、その後に部屋へ落ちた沈黙は重くない。
「いるよ」
それだけ言って、湯呑みを持ち直す。
言葉は短いのに、肩の力が抜ける。背中のどこかに残っていた戦いの硬さが、やっと床に落ちた気がした。
障子の向こうで、風が一度だけ鳴る。
夜はまだ続いていた。
それでも、この部屋の灯りは消さなくていいと思えた。
ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。
『サムライガールの幼馴染みは王様を目指す』の「妖怪王」編、無事に完結です。
今回の章では、「妖怪」というテーマを正面から扱ったことで、自分の中でもかなり書いていて楽しい場面が多くありました。
妖怪という存在は、怖さや不気味さだけではなく、人の暮らしのすぐそばにある気配や、名前のつかない感情まで描けるのが面白いところだと思っています。そういう意味でも、太郎が“妖怪の王”として戦うだけでなく、日常を守る側に立つ形は、この作品らしい軸になったかなと感じています。
また、黒江というライバルの存在も、この章を大きく支えてくれました。
ただ強い相手というだけではなく、思想や目的のズレがあるからこそ、太郎との対比がはっきり出せたのは大きかったです。ぶつかるたびに太郎の立ち位置が見えてくる、そんな役割を黒江に持たせられたのは、書き手としても手応えがありました。
そして何より、ここまで応援してくださった皆さまに感謝しています。
感想や反応のひとつひとつが、本当に励みになっていました。続きを書く力をもらいながら、ここまで辿り着けたと思っています。
改めて、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
これからも、太郎たちの物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。
そして、明日からの『宇宙刑事編』もお楽しみに
次回の王は
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妖怪王
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機械王
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怪獣王
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幻想王