サムライガールの幼馴染みは王様を目指す   作:ボルメテウスさん

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憧れの赤 Case2

 赤い光が消えたあとも、戦艦の中には焦げた金属の匂いが残っていた。壁の継ぎ目を青い非常灯がなぞり、天井の奥ではどこかの配線が傷んでいるのか、細い火花が時おり弾けては暗い通路を一瞬だけ白く染めている。さっきまで自分を商品みたいに値踏みしていた連中の声は遠ざかっていたが、だからといって安心できる空気ではなかった。

 

 裸足のまま冷えた床へ降りると、薄い布越しに鉄の硬さが足裏へ伝わってきた。波の音も潮の匂いも届かない場所なのに、胸の奥だけがまだ海辺の夕焼けに引っかかったまま、なかなか現実へ戻ってこない。目の前であんなものを見せられたら、子どもの頭なんて簡単に追いつけるはずがなかった。

 

 赤い装甲の人がいた。あの倉庫みたいな船の中で、誰よりも静かに立って、誰よりも早く終わらせた。怖かったはずなのに、その背中を見ている時だけは、不思議なくらい喉の奥が落ち着いていた。

 

 曲がり角の向こうで、小さく何かが鳴いた。反射みたいにそちらを見ると、通路の先で短い足の影がちょこんと揺れる。次の瞬間、ぴんと立った耳と丸い尻が非常灯の青さの中へ出てきて、俺は思わず目を瞬いた。

 

 コーギーだった。

 

 しかも、ただの犬なら絶対に似合わないはずの、銀色の留め具が付いた首輪をしていた。首輪の脇には薄い発光板が埋め込まれていて、その横に置かれた小型ケースの金具まで同じ色で光っている。妙に落ち着いていて、怯える様子も吠える様子もないまま、そいつは通路の真ん中でこちらをじっと見ていた。

 

「……なんで犬がこんなところにいるんだよ、お前まで攫われたのか」

 

 訊いたつもりはなかったのに、口から先に言葉が出た。こんな場所でまともな理屈を探すより、その一匹に話しかけたほうがまだ現実味があったからだ。

 

『その言い草は心外だな、私は攫われたんじゃなくて、仕事でここにいる』

 

 低い男の声が返ってきた瞬間、背中がぞわりと粟立った。声は犬の口からではなく、首輪の発光板から鳴っている。それでも、目の前のコーギーが喋ったとしか思えない絶妙な間で聞こえたせいで、俺は一歩ぶん後ろへ下がっていた。

 

「いや、待てよ、犬が喋るのはおかしいだろ、っていうか、今さらそこか俺は」

 

 通路の奥から、短く息を漏らす音がした。振り返ると、数歩先の壁際に、さっき赤い光の中にいた人が立っている。もう装甲はなく、黒いコートの裾に少し焦げた跡を残したまま、こちらを静かに見ていた。若いのに、近くへ立たれると妙に背筋が伸びる。声を荒げなくても、場の空気がその人のほうへ揃っていく感じがした。

 

「安心しろ、その犬みたいなものは一応こちら側だ」

 

 低く落ち着いた声だった。冷たいわけじゃないのに、必要なことしか言わない芯の硬さがある。俺はその人の顔と足元のコーギーを交互に見て、ようやく息をひとつ吐いた。

 

「……一応って言い方、ずいぶん雑じゃないか、怜慈」

 

 首輪の向こうから不満そうな声が返る。すると、その人――怜慈はほんのわずかだけ口元を緩めた。

 

「細かい説明をしている時間がないだけだ。あと数分で、この艦へ別働の回収部隊が入る」

 

 その言葉に、胸の奥がまた冷えた。終わったんじゃないのか、と喉まで出かかった声を、なんとか飲み込む。俺の様子を見ていたのか、コーギーが前足で小型ケースを軽く叩いた。ケースの留め具がかすかに鳴り、青いラインが細く走る。

 

『私はレオルド、銀河連邦警察の人間だ。今はこのケースと、そっちの大きいケースを本部まで運ぶ任務についている』

 

 視線をずらすと、通路脇の壁にもう一つ、少し大きなスーツケースが固定されていた。金属製のくせに妙に丁寧に扱われているのがわかる。怜慈はその二つを一瞥してから、もう一度こちらへ目を戻した。

 

「この艦にいた連中は、神器持ちの子どもを売買する商人だ。だが本命はそれだけじゃない。船そのものが中継地点で、今から来る連中のほうが本隊に近い」

 

 難しい言葉は半分も分からなかった。けれど、自分がまだ安全な場所へ出られていないことだけは、嫌になるくらいよく分かる。喉が乾く。膝のあたりが少しだけ震える。なのに、目の前の二人を見ていると、その震えを見せるのが妙に悔しかった。

 

「じゃあ、さっきので終わりじゃなかったってことか」

 

「残念ながら、そういうことになる」

 

 怜慈の返事は短い。それでも誤魔化しがないぶん、余計に現実として胸へ落ちた。

 

 レオルドはケースの前へ半歩ぶん進み、首輪の発光板を小さく明滅させた。犬の姿なのに、やっていることは妙に仕事慣れした大人そのもので、そのちぐはぐさが逆に頼もしく見える。

 

『怜慈、外周センサーが拾った反応が増えている。機関部側から三、格納庫側から二、数はまだ伸びる』

 

「予想より早いな」

 

『こちらの運が悪いのか、あちらの勘がいいのか、その両方だろう』

 

 そのやり取りを聞いているうちに、怖さとは少し違う熱が胸の奥でじわりと動いた。目の前の人たちは、当たり前みたいな顔で危険の真ん中に立っている。逃げるかどうかを迷う前に、何を守るかを決めている。その立ち方が、さっき見た赤い光よりも、もっとはっきり俺の中へ残っていく。

 

「……俺、邪魔か」

 

 気づけば、そんなことを聞いていた。子どもらしくない問いだと自分でも思う。けれど、ただ守られて隅に押し込まれるのは嫌だった。

 

 怜慈はすぐには答えず、俺の顔をまっすぐ見た。その視線には値踏みがなかった。ただ、今の俺に何が出来て何が出来ないかを、静かに量っているだけだった。

 

「邪魔かどうかは、お前がこれから決める」

 

 短い言葉だったが、そのまま胸の真ん中へ落ちた。励ましでも優しさでもない。だけど、その場しのぎの慰めじゃないぶん、変に嬉しかった。

 

 次の瞬間、艦内全域に警報が走った。甲高いサイレンが通路の壁を震わせ、非常灯が赤へ切り替わる。さっきまで青く冷えていた金属の廊下が、急に血の色みたいな明滅に染まった。

 

『来たな』

 

 レオルドの声から、さっきまでの軽さが消える。通路の奥から重い衝撃音が連続し、どこかの隔壁が外から無理やりこじ開けられているのが分かった。空気の振動が床を伝い、足裏の震えになって届く。

 

 怜慈が静かに一歩前へ出る。コートの裾が揺れ、その背中が通路の狭さを忘れさせるくらい大きく見えた。レオルドはケースのロックを確認しながら、ちらりとこちらを見る。

 

『坊主、ここからが本番だ。泣く暇くらいなら、私のそばを離れるな』

 

 言い方は雑なのに、その声には妙な安心感があった。俺は喉の奥を一度鳴らしてから、頷く代わりに拳を握る。赤い警報灯の下で、向こう側の隔壁がついにひしゃげ、黒い影がこちらへなだれ込もうとしていた。

次回の王は

  • 妖怪王
  • 機械王
  • 怪獣王
  • 幻想王
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