サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
百足の巣は、生き物みたいに脈打ちながら、こっちの焦りを嘲笑っているように見えた。
壁の裂け目から這い出してくる妖怪たちは、もう何体目か数える気にもなれない。
首筋や肩口へ食い込んだ百足型の寄生具が、黒く濡れた光を反射するたび、あいつらが自分の意思で動いていないことだけは嫌でも分かる。
分かるからこそ、斬り捨てるわけにはいかない。
それが、この戦いを百億倍面倒にしていた。
俺はギャバリオンブレードの柄で、一体の首筋を正確に叩き砕く。
寄生具が潰れた瞬間、その妖怪の身体から力が抜けて膝をつく。
間髪入れず、横から飛びかかってきた別の個体の手首を払って、ギャバリオントリガーを至近距離で叩き込む。
狙うのは肉でも骨でもなく、あくまで百足だけだ。
殺すのは簡単でも、それを選ぶほど俺は落ちぶれちゃいない。
「右です!」
小猫の声が飛ぶ。
短い。
でも、それで十分だった。
俺は半歩だけ身体をずらし、死角から回り込んできた妖怪の肘へ蹴りを入れる。
体勢が崩れた瞬間に、小猫が足元へ滑り込み、寄生具の位置を指先で示した。
そこへ俺が一撃。
寄生が切れ、妖怪は苦しそうに息を吐いて崩れ落ちる。
噛み合っている。
癪だが、噛み合っている。
小猫は見えている。
俺は届く。
だったら、まだ戦える。
だが、数が減らない。
裂け目の奥から、また新しい影が押し出される。
壁の脈動に合わせて、百足の流れが次々と寄生個体を前へ送り出してくる。
巣そのものが戦力を補充している。
つまり俺たちは、一体ずつ勝っていても、盤面そのものでは押され続けているわけだ。
小猫が息を整える音が、すぐ横で聞こえた。
見れば、あいつの目はずっと前を向いている。
視線は鋭い。
逃げていない。
けれど、その手はわずかに握り締められていた。
「……見えてるのに」
小さな声だった。
独り言みたいに落ちたその一言に、俺は一瞬だけ横目を向ける。
「何がだ」
「どこに、何があるか。どこを壊せば止まるか。見えてるのに、私じゃ届かない」
その声は平坦だった。
平坦なのに、静かな悔しさだけがはっきり滲んでいる。
ああ、そうか。
こいつは今、自分が守られる側へ押し戻されることに、ちゃんと苛立っている。
それは悪くない。
むしろ、唆る。
そういう悔しさを持てるやつは、折れない。
「届かねえなら、届くやつに使わせろ」
俺は寄生具をもう一つ撃ち抜きながら言う。
「見えてるなら、それはもう武器だ。腐らせる方がもったいねえ」
小猫が少しだけ目を見開く。
その直後だった。
空間全体へ、嫌な笑い声が響いた。
「ははははっ……! いやぁ、実に美しいですねぇ!」
壁を這う百足の音に混じって、その声は粘つくみたいに降ってきた。
近くで喋っていないくせに、耳の奥へぬるりと入り込んでくる。
あれだけで、顔も見ていない相手をぶん殴りたくなるんだから、相当な才能だ。
「見える。だが届かない。助けたい。だが何も変えられない。実に上質な反応です。やはりあなたは、私のコレクションに相応しい」
小猫の肩が、ぴくりと強張る。
俺の中で、何かが音を立てて冷えた。
「彼もまた滑稽ですよぉ。守ると決めながら、壊せない。救うと決めながら、止めきれない。そうやって消耗して、いずれ届かなくなる」
笑い声が、また壁を伝う。
百足の群れがざわざわと床を這い回り、その言葉に合わせるように妖怪たちの動きが激しくなる。
ああ、なるほど。
こいつは、ただ人を操るだけじゃない。
心が軋む場所を見つけるのが上手い。
最低だ。
そして、そういうやつは俺が一番嫌いな種類だ。
「笑ってんじゃねえよ」
自分でも驚くくらい低い声が出た。
百足の音が一瞬だけ遠のいた気がした。
「黙って隠れてるだけの三流が、勝った気で笑ってんじゃねえよ」
壁の奥で、気配がわずかに揺れる。
聞いている。
当然だ。
聞かせるために言っている。
「人を道具扱いして、縛って、痛めつけて、それで偉くなった気か? 浅ぇんだよ。そういう安い支配欲で世界が回ると思ってんなら、百億回出直してこい」
返事の代わりに、笑い声が少しだけ止まった。
その沈黙だけで十分だった。
図星か、あるいは予想外か。
どっちでもいい。
少なくとも、気に障ったのは確かだ。
「……口の回る異物ですねぇ」
ジスキーの声が、今度は少しだけ冷える。
「ですが、それでも現実は変わりません。あなたは壊せず、彼女は届かず、私だけが選ぶ側にいる」
その直後、裂け目の奥からさらに大きな影が這い出した。
さっきまでの個体より、明らかに大きい。
肩幅も広く、腕は太く、背中には複数の寄生具が食い込んでいる。
強個体。
しかも支配の深さが違う。
理性は残っている。
だが、それ以上に痛みで縛られている。
これを傷つけずに止めるのは、正直、骨が折れるどころの話じゃない。
それでも前に出るしかない。
俺が一歩踏み込むと同時に、その個体が地面を砕く勢いで迫ってきた。
重い。
受け流した腕に、鈍い衝撃が走る。
ギャバリオンブレードを差し込んで軌道をずらすが、寄生具の位置が深すぎる。
表面だけ壊しても止まりきらない。
「太郎!」
「分かってる!」
小猫が叫ぶ。
だが、その声には焦りだけじゃなく、悔しさも混じっていた。
こいつは見えている。
核も、流れも、寄生の深さも。
それでも、自分の手だけじゃ足りない。
その現実が、いちばん歯痒いんだろう。
ジスキーがまた笑った。
今度は前よりずっと下品に、大きく。
「ほらほら、何もできない! 見えているのに何もできない! 実に素晴らしいですねぇ!」
その瞬間。
笑い声が、途中で断ち切れた。
空気が変わる。
何かが走る音すらない。
だが、確かに“何かが通った”と分かる圧だけが、空間の奥を撫でていった。
「――っ!?」
今度はジスキーの方が息を呑む番だった。
次の瞬間、巣の奥で金属が裂ける音がした。
高い。
鋭い。
しかも一つじゃない。
連続だ。
何かが、見えない速度で次々と機材を断ち切っている。
「な、何だ……!?」
ジスキーの声が、初めて明確に揺れる。
俺と小猫は顔を上げるが、見えない。
見えないのに、巣のあちこちで火花が散り、寄生を制御していたらしい装置が断たれていく。
百足の流れが一瞬だけ乱れ、壁の脈動まで狂い始める。
また斬れる。
まただ。
今度はもっと近い。
でも、やっぱり何もいない。
「誰だ! どこにいる!?」
ジスキーが叫ぶ。
さっきまでの余裕はどこにもない。
観察者を気取っていた声が、一気に“訳の分からないものに狙われる側”の声へ落ちる。
面白い。
ものすごく面白い。
何が起きたかはまだ見えていない。
けれど一つだけはっきりしている。
今、ジスキーの安全圏が壊れている。
巣の奥で、さらに大きな斬撃音。
その直後、何か重いものが倒れる。
百足の流れが乱れ、寄生個体の動きまで鈍る。
「ふざけるな……! 何だ、何なんだ貴様はっ!」
ジスキーの叫びは、もはや悲鳴に近かった。
そして、そのまま気配が移動する。
逃げている。
しかも、かなりの勢いで。
「……逃げた」
小猫が呟く。
「みてえだな」
次の瞬間、裂け目の向こうから、男が転がり出るように飛び出してきた。
細長い身体。
白い仮面めいたマスク。
外套の下で小瓶や器具がじゃらつき、肩越しに何度も後ろを振り返っている。
蟲使いジスキー。
予想していたよりもずっと小物っぽい顔で、だがそれ以上に余裕を失った顔で、俺たちの前へ現れた。
俺と小猫は、ほぼ同時に構えた。
何が起きたか分からない。
だが、今この瞬間にこいつが“追われてここへ出てきた”ことだけは分かる。
なら十分だ。
盤面はもう、こっちのもんだ。
「何があったか知らねえが、出てきたならちょうどいい」
ギャバリオントリガーをジスキーへ向ける。
小猫も、その隣でじっと相手を見据えていた。
前みたいに俺の後ろへ隠れる距離じゃない。
ちゃんと、隣だ。
「……今度は、逃がしません」
小猫の声は低く、短い。
だが、その一言だけで十分だった。
ジスキーは俺たちを見て、初めて“挟まれた”ことを理解したらしい。
顔の下半分が、引きつるみたいに歪む。
その時だった。
視界の端、巣の上部の闇の中で、一瞬だけ紫が光った。
本当に、一瞬だけだ。
人影かどうかも分からない。
だが、確かにいた。
風を裂くような、静かで鋭い気配。
それが高い位置からこちらを見下ろし、次の瞬間には、声だけを落とした。
「これ以上は無粋。風波流影無し」
短い。
だが、その一言と同時に、気配は完全に消えた。
紫の反射も、視線も、風も、何もかも。
まるで最初から存在していなかったみたいに。
俺はほんの一瞬だけ、その方角を見た。
今のは何だ。
誰だ。
そう思う。
思うが、追わない。
今は目の前だ。
目の前の蟲使いを取り逃がす方が、百億倍つまらない。
俺は視線をジスキーへ戻し、ギャバリオントリガーの照準をぴたりと合わせた。
「面白ぇ横槍だったな。けど、仕留めるのは俺だ」
ジスキーの喉が、ごくりと鳴る。
さっきまで笑っていた男の顔は、もうどこにもなかった。
あるのは、自分が狩る側ではなく狩られる側へ落ちたと理解したやつの顔だけだ。
いい顔だ。
ようやく唆る。
俺は小さく息を吐き、ジスキーを真っ直ぐ見据えた。
次で終わらせる。
そう決めるには十分な位置まで、もう来ていた。
次回の王は
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妖怪王
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機械王
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怪獣王
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幻想王