サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
夜のコスモギャバリオンは、昼よりもずっと広く感じる。
訓練を終えた後の静けさが、金属の壁や床の奥へまで染み込んでいるせいだろう。
レオルドは整備区画の方で何かをごそごそやっているらしく、小猫は先に休むと言って自室へ引っ込んだ。
だから今この時間、ブリッジにいるのは俺だけだった。
モニターへ映るゴワシチョル星の空は、相変わらず時間そのものが凍っているみたいに鈍い。
この星での一年にも、もうだいぶ慣れたはずだった。
小猫も最初の頃よりずっと強くなったし、力の制御もようやく形になってきた。
それでも、組み手の最後に俺が素手であいつを押し切ってしまうたび、胸の奥に妙な引っかかりが残る。
悪魔であり、妖怪でもある小猫を、人間の俺が力でねじ伏せる。
訓練の成果だと頭では分かっていても、感覚まで素直に納得するわけじゃない。
宇宙警察本部で叩き込まれたものが、どれだけ普通から外れているのか、こういう時に嫌でも分かる。
「……面倒だな」
誰に向けるでもなく呟いた、そのすぐ後だった。
足元へ柔らかな感触が寄ってくる。
黒猫だ。
いつの間にかコスモギャバリオンへ住み着いていた、あの黒い猫である。
毛並みは夜みたいに艶があって、瞳だけが金色に光る。
初めて見た時からずっと思っている。
昔、家にいた猫にそっくりだ。
だから妙に放っておけないし、気づけばこうして近くにいるのも当たり前になっていた。
「お前も寝ないのか」
黒猫は返事の代わりに、俺の足へ身体を擦りつける。
まったく、仕草まで似ている。
そこまで似ていると逆に気味が悪いくらいだが、不思議と嫌じゃない。
俺はしゃがみ込み、その背を軽く撫でた。
温かい。
ちゃんと生きている体温なのに、どこか幻みたいな感覚もある。
「小猫はお前のこと、妙に気にしていたな」
黒猫の耳が、ぴくりと動く。
気のせいじゃない。
今の言葉へ、明確に反応した。
「……やっぱり、ただの猫じゃないんだな」
俺がそう言った瞬間だった。
ブリッジの空気が、ふっと揺らいだ。
音はない。
けれど確かに、空間の温度が一段変わる。
黒猫の身体を中心に、薄紫の妖気がゆっくり立ち上った。
俺は反射的に半歩だけ引き、ギャバリオントリガーへ手をかける。
だが、敵意は感じない。
それどころか、その気配には妙な既視感があった。
小猫に似ている。
いや、もっと濃い。
もっと妖怪じみていて、もっと奔放で、もっと危うい。
黒猫が、俺の目の前でゆっくり形を変えた。
艶のある黒毛がほどけるように消え、しなやかな手足と、長い黒髪が現れる。
小猫より年上の、女。
妖艶で、気だるげで、けれど目の奥だけが鋭い。
その姿を見た瞬間、俺の中でいくつかの線が繋がる。
小猫が黒猫へ感じていた、言葉にできない引っかかり。
姉に似た気配。
それが今、ようやく形を持った。
「……ようやく気づいたのね」
女は薄く笑って言った。
声音は柔らかい。
けれど、柔らかいだけじゃない。
人を試すような、猫そのものの気まぐれさが混じっている。
「気づいたっていうか、今お前が答え合わせしただろ」
俺はトリガーから手を離さずに返す。
女はそれを見て、肩を小さく揺らした。
笑ったのだろう。
「そんなに警戒しなくても大丈夫よ。いきなり何かするつもりはないわ」
「その台詞で警戒が解けるほど単純に見えるか」
「見えないわね」
女はブリッジの端へ軽く腰をかける。
まるで最初からここが自分の場所だったみたいに自然な動きだった。
その図々しさに、逆に納得してしまう。
たしかに、ただの野良猫ならここまで馴染めるわけがない。
「で」
俺はまっすぐ相手を見る。
「誰だ、お前」
女は少しだけ首を傾げ、それから悪戯っぽく目を細めた。
「黒歌」
短く、はっきりと。
その名前が落ちた瞬間、ブリッジの静けさが別の意味で重くなる。
「……塔城小猫の姉、ってことか」
「そうなるわね」
「ずいぶんあっさり言うな」
「隠し続ける理由も、もうあまりないもの」
軽い口調だった。
だが、その軽さの奥でこっちの反応をきっちり見ている。
小猫の姉。
その事実だけで終わる相手じゃないのは、気配だけでも分かった。
強い。
しかも、ただ強いだけではない。
縛られるのを嫌う種類の自由さがある。
小猫とは真逆に見えて、根っこの妖気は確かに似ていた。
「何で今まで黙っていた」
「様子を見ていたのよ」
「誰の」
「小猫のことも、あなたたちのことも」
俺の名前は出さない。
けれど、その視線はまっすぐ俺へ向いていた。
「小猫がここで修行していることも、あなたが本気で鍛えていることも、ずっと見ていたわ」
「盗み見かよ」
「見守っていた、と言ってほしいところね」
「言い換えで印象が変わると思うな」
黒歌はまた笑う。
その笑い方が妙に余裕で、腹が立つより先に納得してしまう。
小猫がもしこの姉に振り回されていたなら、だいぶ大変だっただろうと、百億パー想像できる。
「小猫にはまだ言うな、なんて言われたら困るぞ」
俺がそう言うと、黒歌は一瞬だけ黙った。
そこで初めて、少しだけ表情の色が変わる。
軽さの奥に、迷いみたいなものが落ちた。
「……言いたい気持ちはあるわ」
「けど?」
「今のあの子、まだ揺れているもの」
声が少し低くなる。
姉としての顔、というやつだろう。
さっきまでの気だるい猫みたいな空気とは違う。
「せっかく自分の足で前に進もうとしている時に、私が急に出たら、また余計なものを背負わせるかもしれない」
俺はそこで、少しだけ考える。
確かにそうだ。
小猫は今、自分の力の制御を覚えようとしている。
暴走しないために。
置いていかれないために。
その途中で、ずっと引っかかっていた“姉”そのものが突然目の前に現れたら、話が簡単に済むわけがない。
「……だから猫の姿で様子見か」
「そういうこと」
「面倒なことするな」
「あなたに言われたくないわね」
黒歌は俺を見る。
「あなたも、だいぶ面倒な性格をしているじゃない」
「初対面の感想がそれかよ」
「間違っていないでしょう?」
否定しにくいのが腹立つ。
俺は小さく舌打ちして、それから壁へ寄りかかった。
「で、俺にだけ正体を見せた理由は何だ」
「そろそろいいと思ったからよ」
「雑だな」
「本当のことだもの」
黒歌は猫っぽく肩をすくめた。
「それに、あなたが小猫のことをどう見ているかも、だいたい分かったし」
「どう見えてたんだよ」
「守るだけじゃなくて、ちゃんと強くしようとしている」
その一言には、試す色がなかった。
ただ事実を言っている声だった。
「……それがどうした」
「いいことだと思ったの」
黒歌はゆっくり立ち上がる。
妖気が薄く揺れ、黒髪が肩を滑る。
「だから、今だけは任せてもいいかなって」
その台詞が、軽いようでいて妙に重かった。
姉として、小猫を手放したわけじゃない。
けれど、今この時間だけは、俺たちに預ける。
そういう意味だ。
「信用された覚えはないけどな」
「していないわ」
「してないのかよ」
「全部はまだね」
そこで黒歌は、少しだけ楽しそうに笑った。
「でも、ゼロではないわ」
それだけ言って、ふっと気配が軽くなる。
また猫へ戻る気だ。
俺は思わず手を上げる。
「待て」
「なに?」
「……小猫のこと、どうする気だ」
黒歌はすぐには答えなかった。
けれど、その沈黙は逃げじゃない。
答えを選んでいる沈黙だった。
「今は見守る」
やがて、静かにそう言う。
「でも、あの子がちゃんと自分の足で立てるようになったら……その時は、私も逃げないわ」
その言葉を最後に、黒歌の姿がまた黒猫へ溶ける。
しなやかな黒い体が床へ着地し、何事もなかったみたいに尻尾を揺らした。
そして一度だけ俺を見る。
その金色の瞳は、さっきまでの女の目と同じだった。
「……ほんと、面倒な姉妹だな」
俺が呟くと、黒猫は小さく喉を鳴らし、そのまま暗い通路の向こうへ消えていった。
ブリッジには、また静けさが戻る。
だが、もうさっきまでの静けさじゃない。
小猫の背後にあるものが、ようやく輪郭を持った。
姉、黒歌。
猫の姿でずっと近くにいた存在。
俺はしばらくその場に立ったまま、閉じたままの通路を見ていた。
話すべきか。
黙るべきか。
今はまだ、たぶん後者だ。
黒歌の言う通り、小猫は今、自分の足で立とうとしている最中だ。
だったら、余計な横槍を入れるのはつまらない。
けれど、何も知らないままでもいられない。
この先、どこかで絶対にぶつかる。
その時が来るまでは、まずは今やるべきことをやるしかない。
俺は深く息を吐いて、モニターへ映る鈍い銀色の空を見上げた。
ゴワシチョル星の一日は長い。
外から見れば一瞬でも、こっちではちゃんと時間が積もる。
だったら、その時間の中で、小猫がどこまで辿り着けるかを見届ける。
黒歌のことも、その先でいい。
「……さて」
俺はギャバリオントリガーへ軽く触れ、ブリッジを後にした。
やることは増えた。
面倒も増えた。
けれど、それでこそだ。
簡単に片づく話ばかりなら、ここまで来ていない。
通路の向こうでは、どこかで黒猫の足音がした気がした。
けれど、振り返りはしなかった。
今はまだ、それでいい。
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