サムライガールの幼馴染みは王様を目指す   作:ボルメテウスさん

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修羅場 Case9

 その日、ゴワシチョル星の空はいつもより静かだった。

 風は吹いているのに、どこか遠慮しているみたいに弱い。

 コスモギャバリオンの外、岩場の向こうへ少しだけ開けた場所で、小猫は一人、目を閉じて呼吸を整えていた。

 仙術の流れを乱さず、妖力と悪魔の魔力を無理なく重ねる。

 それはもう、この星へ来たばかりの頃みたいに苦しいだけの時間じゃない。

 痛みはある。

 けれど、今はちゃんと、自分の内側へ触れている感覚があった。

 

 だからこそ、背後の気配にもすぐ気づいた。

 音はない。

 敵意もない。

 けれど忘れようとして忘れられなかった、あの気配だった。

 

「……出てきてください」

 

 小猫が言う。

 振り返らず、ただまっすぐ前を見たまま。

 少しの沈黙のあと、乾いた風の中へ柔らかな声が落ちた。

 

「気づいてたんやね」

 

 その声に、小猫はゆっくり目を開いた。

 振り返る。

 そこに立っていたのは、長い黒髪を揺らす女。

 自分と同じ妖気をどこかに宿しながら、それでももっと自由で、もっと危うく、もっと掴みどころのない存在。

 塔城黒歌。

 小猫の姉だった。

 

 小猫はすぐには何も言わなかった。

 黒歌もまた、ふざけたように笑うことなく、ただ静かに立っている。

 似ていない。

 そう思っていた。

 けれど今こうして向かい合うと、黙った時の空気だけが妙に似ていた。

 

「……やっぱり、お姉ちゃんだったんですね」

 

 黒歌がわずかに目を細める。

 

「そう呼んでくれるんや」

 

「呼ばない理由は、ないです」

 

「怒ってるんか思うた」

 

「怒ってます」

 

 即答だった。

 黒歌は少しだけ肩を落として、それから困ったみたいに笑う。

 

「それは、まあ、そうやろね」

 

「ずっと、何も言わなかったので」

 

「うん」

 

「近くにいたのに、何も言わなかったので」

 

 小猫の声は低い。

 責めるように強くはない。

 その代わり、長く押し込めていたものが静かに滲んでいる。

 

「どうして、すぐ出てきてくれなかったんですか」

 

 黒歌は少しだけ空を見る。

 答えを選んでいるというより、もう一度自分の中で確かめている顔だった。

 

「怖かったからや」

 

 小猫が目を瞬く。

 予想していた答えではなかったのだろう。

 

「……お姉ちゃんが?」

 

「せや」

 

 黒歌は誤魔化さなかった。

 

「小猫に会うんが怖かった。うちが出てって、あんたの顔見て、もしほんまに嫌われてたら思うたら、足が止まった」

 

 小猫は黙る。

 黒歌はそのまま続けた。

 

「それにな、あんたがやっと自分の足で前に進もうとしてる時に、うちが急に出たら、また余計なもん背負わせる気ぃしたんよ」

 

「……だから、猫の姿で」

 

「そう」

 

「見てたんですね」

 

「見てた」

 

 黒歌の声は思ったよりずっと静かだった。

 気まぐれで、軽くて、どこか人を食ったような姉のイメージは、小猫の中にずっと残っていた。

 けれど今、目の前で話している黒歌は、その軽さの奥にひどく不器用なものを抱えていた。

 

「勝手やと思うよ」

 

 黒歌が自分で言う。

 

「近くにおって、でも名乗らへんで、様子だけ見とるなんて。そんなん、あんたからしたら腹立って当たり前や」

 

「……はい」

 

「でもな」

 

 黒歌はそこで一度言葉を切った。

 金色の瞳が、真っ直ぐ小猫を見る。

 

「うちは、あんたを捨てたかったわけやない」

 

 小猫の肩が、かすかに揺れた。

 

「離れたかったわけでもない。忘れたかったわけでもない。むしろ逆や。近づいたら、あんたを巻き込むんが分かってたから、どうしても真正面から行けへんかった」

 

「巻き込む……」

 

「うちは不器用やからなあ。守ろうとしても、やり方が下手なんよ」

 

 それは、冗談みたいな口調ではなかった。

 小猫はずっと、自分だけが置いていかれたのだと思っていた。

 姉は自分を見捨てて、勝手にどこかへ行ってしまったのだと。

 怖くて、寂しくて、苦しくて、その全部が怒りにも悲しみにも変わりきらないまま、長く胸の奥に残っていた。

 

 けれど今の黒歌の言葉には、逃げた者の軽さがなかった。

 むしろ逆だ。

 近づけないまま、ずっと見ていることしかできなかった者の苦さがあった。

 

「……私は、ずっと」

 

 小猫がようやく口を開く。

 

「お姉ちゃんは、私を置いていったんだと思っていました」

 

「うん」

 

「見捨てられたんだとも思っていました」

 

「うん」

 

「でも、違ったんですね」

 

 黒歌は少しだけ笑う。

 その笑いは嬉しそうでも、気楽でもない。

 ただ、ようやくそこまで辿り着いたことへ、静かに息を吐くような笑いだった。

 

「違わへん部分もあるよ」

 

「え?」

 

「結果だけ見たら、置いていったんと変わらへん」

 

 黒歌は自嘲するみたいに肩をすくめる。

 

「理由がどうでも、あんたを一人にした事実は消えへん。せやから、そこはうちが悪い」

 

 小猫は何も言えなかった。

 言い訳せず、先に自分の非を認めると思っていなかったからだろう。

 

「でも、それでも」

 

 黒歌の声が少しだけ柔らかくなる。

 

「小猫のことを大事に思ってへんかった日は、一日もなかったよ」

 

 その言葉が、まっすぐ落ちる。

 飾らない。

 大げさでもない。

 だからこそ、余計に重かった。

 

 小猫は唇を噛み、それからゆっくり息を吸う。

 今すぐ全部許せるわけじゃない。

 傷ついた時間が、そんなに簡単に消えるわけもない。

 けれど、それでも分かってしまった。

 姉は自分を忘れていたわけじゃない。

 軽く捨てたわけでもない。

 ただ、不器用で、弱くて、怖くて、間違えた。

 それだけだったのだと。

 

「……ずるいです」

 

 小猫が言う。

 

「ん?」

 

「そんな風に言われたら、責めきれないです」

 

 黒歌が少し困ったように笑う。

 

「責めてもええよ。うちはそのくらいされても文句言えへんし」

 

「……それも、ずるいです」

 

 小猫の目に、うっすらと涙が滲む。

 泣くつもりではなかったのだろう。

 それでも、もう止まらなかった。

 

「私は、ずっと苦しかったです」

 

「うん」

 

「怖かったです」

 

「うん」

 

「お姉ちゃんのことを思い出すのも嫌だったし、でも忘れることもできなくて」

 

「……うん」

 

「それでも、会いたかったです」

 

 黒歌の表情が、そこで初めてはっきり揺れた。

 小猫は涙を拭わず、そのまま言葉を続ける。

 

「会って、ちゃんと聞きたかったです」

 

「小猫……」

 

「どうしていなくなったのか、どうして何も言わなかったのか、どうして私を置いていったのか」

 

 そして、小猫は一歩だけ前へ出る。

 

「でも今は、それだけじゃないです」

 

「……」

 

「お姉ちゃんが、私を大事に思っていたのも分かりました」

 

 黒歌は何も言えなかった。

 小猫の方が先に言葉へ辿り着いたからだ。

 

「だから」

 

 小猫は涙を浮かべたまま、けれどしっかりと姉を見る。

 

「まだ全部は整理できていません。でも、もう逃げません」

 

 その言葉に、黒歌はゆっくり目を閉じた。

 たぶん、ようやく許された、なんて都合のいいことは思っていない。

 でも少なくとも、小猫がここで立ち止まらず、自分と向き合ってくれていることは分かったのだろう。

 

「……強なったなあ」

 

 黒歌が小さく言う。

 

「前は、そんな風に言えへんかったやろ」

 

「太郎に鍛えられたので」

 

「それもあるやろけど、あんた自身が頑張ったからや」

 

 小猫はそこで、少しだけ目を細める。

 昔なら、その言葉すら受け止めきれなかったかもしれない。

 でも今は違う。

 

「……お姉ちゃん」

 

「なに?」

 

「私は、まだ簡単には全部許せません」

 

「うん」

 

「でも」

 

 小猫はもう一歩だけ距離を詰めた。

 

「ちゃんと、話してくれて嬉しいです」

 

 黒歌が息を止める。

 その一瞬の沈黙だけで、どれだけ待っていたのか分かる気がした。

 

「……そっか」

 

 黒歌はそれだけ言って、少しだけ笑った。

 妖艶でも気まぐれでもない、姉としての、どうしようもなく柔らかい笑いだった。

 

「ありがとう、小猫」

 

 小猫は答えなかった。

 代わりに、そっと姉へ手を伸ばす。

 黒歌もまた、その手を取った。

 

 強く握るわけじゃない。

 確かめるみたいに、慎重に触れるだけ。

 けれど、それで十分だった。

 

 長い時間をかけて積もったすれ違いも、怖さも、寂しさも、全部がここで一度に消えるわけじゃない。

 それでも、今この瞬間に二人はちゃんと向き合った。

 逃げずに、目を逸らさずに、言葉を交わした。

 和解ってのは、たぶんそういうところから始まるんだろう。

 

 風が吹く。

 銀色の空の下で、小猫は静かに息を吐いた。

 

「……ただいま、って言ってもいいですか」

 

 黒歌の瞳が、ほんの少しだけ大きくなる。

 それから、泣きそうな顔で笑った。

 

「うん。おかえり、小猫」

 

 その返事を聞いた時、小猫はようやく肩の力を抜いた。

 黒歌もまた、繋いだ手を離さなかった。

 そうして二人は、長い遠回りの先で、やっと同じ場所へ戻ってきたのだった。

 

次回の王は

  • 妖怪王
  • 機械王
  • 怪獣王
  • 幻想王
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