サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
コスモギャバリオンが地球圏へ進路を取った時、操縦席の前に広がる星の色は、ゴワシチョル星で見慣れた鈍い銀じゃなく、ちゃんと見覚えのある青を帯びていた。
それだけで、長かった修行の終わりを実感する。
外の時間で言えば、きっと大した間も空いていない。
けれど、俺たちの中に積もった時間はそんな軽いもんじゃなかった。
何年もかけて積み上げた呼吸と、何年もかけて削った迷いと、何年もかけてようやく形にした覚悟がある。
だったら、それはもう充分に“帰還”と呼んでいい。
ブリッジの静けさは、最初にこの船へ小猫を乗せた時とはまるで違っていた。
あの頃のこいつは、緊張と警戒を丸ごと抱えたまま、どこかで肩を強張らせていた。
今は違う。
小猫は前方モニターへ映る地球を見ながら、静かにそこへ立っている。
無表情なのは相変わらずだ。
でも、その無表情の質が違う。
押し殺して固めた静けさじゃない。
ちゃんと自分の内側を制御した上で、外へ向けて立っている静けさだ。
レオルドは操縦補助をしながら、珍しく余計な茶化しを入れずに前を見ていた。
たぶんこいつなりに、この帰還が軽いものじゃないと分かっているんだろう。
そしてブリッジの端、機器の上では黒猫が丸くなっている。
黒歌だ。
人の姿で真正面から同じ空間にいるには、まだ早い。
そう判断したのは黒歌自身だし、俺もそれでいいと思っていた。
居候の姿は相変わらず黒猫のまま。
だが今はもう、あれを“ただの猫”だと見間違えるやつはいない。
「……終わりですね」
ぽつりと、小猫が言った。
小さい声だった。
でも、船内の静けさの中ではやけにはっきり響く。
「終わり、か」
俺はその言葉を一度転がしてから、肩をすくめた。
「修行としては、な」
小猫がこっちを見る。
視線は落ち着いている。
昔みたいに、何かを聞く時の遠慮や、自分の方を引っ込める感じが薄い。
それだけでも、この時間の意味はあった。
「……はい。修行としては、です」
「言うようになったな」
「かなり、長かったので」
「外から見りゃ一瞬だけどな」
「私たちから見れば、一瞬ではありませんでした」
「それはそうだ」
その返しに、俺は少しだけ笑う。
正しい。
正しすぎて、否定する余地もない。
こっちで積んだ時間は、外へ出た瞬間に消えるわけじゃない。
技術も、呼吸も、躊躇いを越えた感覚も、ちゃんと残る。
それが今回の修行の全部だ。
小猫はモニターへ向き直った。
地球の青が、少しずつ大きくなる。
「……太郎」
「ん?」
「ありがとうございました」
短い。
でも、今のこいつにはそれで充分だった。
余計な飾りをつけないからこそ、そのまま重い。
「礼を言うのはまだ早いだろ」
「そうですか」
「おう。帰ってからが本番だ」
「……また、そういうことを言います」
「当たり前だろ。ここで終わりです、全部解決しました、なんて都合のいい世界なら最初から苦労してねえ」
小猫は少しだけ目を細めた。
呆れ半分、納得半分って顔だ。
「でも」
「でも?」
「前より、その言葉が嫌じゃなくなりました」
そこで俺は、一瞬だけ黙った。
こいつがそう言うなら、本当にそうなんだろう。
前なら“また面倒が来る”って言葉は、そのまま不安に繋がっていた。
今は違う。
面倒が来ても、自分の足で立てるって感覚が、少しはある。
そういう意味だ。
「……それならまあ、悪くねえな」
俺がそう返した時だった。
機器の上で丸くなっていた黒猫が、ふいに顔を上げた。
耳が立つ。
金色の目が、前方モニターじゃなく、もっと遠く――地球の方角そのものを見る。
俺も同時に、嫌な引っかかりを覚える。
空気が変わった、なんて大げさなもんじゃない。
ただ、長い修行の中で叩き込まれた勘が、じわりと背中を撫でた。
静かすぎる時ほど、何かが動いている。
そういう嫌な感覚だ。
「レオルド」
『分かってる。今、見てる』
レオルドの声も、いつもより低い。
前方パネルを操作する手が速くなる。
そこで初めて、小猫も空気の変化に気づいたらしい。
「……何か、あります」
その一言は、昔よりずっと確信に満ちていた。
曖昧な違和感じゃない。
修行を経た小猫の感覚が、地球圏のどこかにある異変をはっきり捉えている。
それだけで、こいつがここまで来た意味は充分ある。
だが、同時に嫌な予感も百億倍に跳ね上がる。
パネルの一つが短く警告音を鳴らした。
続けて、キズナエモルギアの反応に連動したサブモニターが明滅する。
青白い波形の中へ、明らかに異質な脈が走った。
『……出たな』
「何だ」
『地球圏上空じゃねえ。もっと地表寄りだ。だが、エモルギア反応が妙に荒い』
「荒い?」
『ああ。自然発生でも、単独所持でもない。何かが重なってる』
その言葉と同時に、黒猫が低く喉を鳴らした。
威嚇に近い、あまり聞いたことのない音だった。
小猫がそちらを見る。
黒猫――黒歌は何も言わない。
だが、その反応だけで充分だった。
嫌なものだと分かっている。
しかも、ただの小競り合いじゃない。
「……帰った途端にこれかよ」
俺は小さく息を吐く。
まったく、ほんとに都合が悪い。
少しくらい余韻をくれてもいいだろうに、世界はそういう気遣いを一ミリもしない。
だが、それでこそでもある。
静かに終われるくらいなら、最初から俺たちみたいなのは必要ない。
「太郎」
小猫が俺を呼ぶ。
振り返ると、その目はもう揺れていなかった。
修行前なら、不安と緊張が先に立っていたはずだ。
今は違う。
異変を感じて、それでも立っている。
ちゃんと“次”を見ている目だった。
「行けます」
短い言葉。
だが、充分すぎる。
「……はっ」
俺は口の端を少しだけ上げる。
「聞くまでもなかったな」
『おいおい、感動の帰還ムードはどうした』
レオルドがわざとらしく言う。
「捨てた」
『早ぇな』
「地球が待ってくれねえんだから仕方ねえだろ」
前方モニターの地球が、さらに近づく。
青くて、静かで、何も起きていないように見える。
だが、その内側ではもう何かが始まっている。
エモルギア反応。
小猫の感知した異変。
黒歌の警戒。
これだけ揃えば、偶然で片づける方が無理だ。
俺はギャバリオントリガーへ手を伸ばし、その冷たい感触を確かめる。
修行は終わった。
だから、次は実戦だ。
小猫がどこまで変わったのか。
俺がどこまで背負えるのか。
全部まとめて、地球で試される。
「小猫」
「はい」
「帰還祝いは後回しだ」
「……そうですね」
「いきなり仕事だ」
「分かっています」
その返事に迷いはない。
なら充分だ。
コスモギャバリオンが大気圏突入シークエンスへ入る。
船体の外で光が走り、計器の数値が変化していく。
機器の上の黒猫は細く目を閉じたまま、尻尾だけを一度揺らした。
それは、黒歌なりの準備完了の合図に見えた。
俺は前を向く。
地球がもう目の前まで来ている。
懐かしいはずの青が、今はやけに鋭く見えた。
長い修行の終わりは、静かな着地じゃ終わらない。
俺たちが戻るその先で、もう次の事件は動いている。
だったら行くしかない。
帰る場所があるなら、そこで起きる厄介事ごと引き受ける。
それが俺のやり方だ。
『着くぞ、太郎』
「ああ」
俺は短く答える。
その声に、小猫も静かに頷いた。
修行は終わった。
けれど、物語は終わらない。
むしろここからが、新しい始まりだった。
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