サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
ラドンの咆哮は、音というより圧力だった。
耳へ届く前に胸骨を叩き、肺の中の空気を無理やり押し出してくる。
伝説の獣。
しかもただ蘇ったのではない。
死んだ獣の器へ、複数の死者反応と、元主悪魔の歪んだ術式を縫い込んだ実験体。
だからこそ、本来の怪物らしい一つの威厳ではなく、寄せ集めの怨念が巨大な輪郭を持ったみたいな、吐き気のする不安定さがあった。
その不安定さが、今はむしろ危険だった。
一つの理性で動く怪物なら、癖も読めるし、怒りも恐れも扱いようがある。
だが、こいつは違う。
首ごとに違う死者反応が脈動し、別々の執着を抱えたまま、一体の肉へ押し込められている。
だから攻撃の軌道も、呼吸も、間も、何もかもが妙に噛み合わない。
噛み合わないくせに、一撃だけは伝説級だ。
最悪だった。
「小猫、核の位置はまだ追えてるか!」
ラドンの首が地面を抉り取るのを横へ飛んで避けながら、俺は叫ぶ。
小猫は崩れた壁の陰へ半身を入れたまま、目を閉じて呼吸を整えていた。
恐怖に飲まれていないわけじゃない。
分かる。
だが、飲まれたままでもない。
今のこいつは、怖いものを怖いと認識した上で、その先を見ようとする。
それが修業前との決定的な違いだった。
「……追えています」
小猫が目を開く。
瞳の奥に迷いはない。
「全部ではありません。
でも、一番濃い流れは見失っていません。
胸部寄り……いえ、喉の奥から胴へ落ちるところです」
「固定できるか」
「短時間なら」
そこで、黒歌がラドンを睨んだまま言葉を挟んだ。
「私が流れを縫い止める。
白音、あんたは位置を外さないで」
小猫は一瞬だけ姉を見る。
昔なら、その一瞬にはもっと色んな感情が詰まっていたはずだ。
戸惑い、遠慮、焦り、羨望、恐れ。
だが今は、そこにあるのは確認だけだった。
同じ側へ立つ者同士の確認。
「……はい、お姉ちゃん」
黒歌はそれに短く頷く。
余計な言葉はない。
だが、その短さがむしろいい。
わざわざ言い直さなくても、今の二人はもう並んでいる。
上空で、ニャル子のフルフォースフォームが閃いた。
ラドンの首の一本が横殴りに振り抜かれる直前、その視界の外から飛び込み、顎の角度だけをわずかに逸らす。
その結果、首は俺たちではなく別の首へぶつかり、鈍い激突音と共に巨体が揺れた。
理屈だけ聞けば地味だ。
だが、伝説級の怪物の出力を真正面から受けずに、全部“ずらす”ことで制御している。
あれは普通に頭がおかしい。
「太郎さん、右の二本は抑えます!」
ニャル子の声が飛ぶ。
相変わらず妙に元気だ。
こっちは胃が痛いのに、あいつだけテンションの向きが少しおかしい。
「左が戻るの早いです! そっちは任せます!」
「言うのは簡単だな!」
「やるのも簡単なら苦労しません!」
「それっぽいこと言ってんじゃねえ!」
返しながらも、身体はもう動いている。
左の首が地を這うようにこっちへ迫る。
俺は踏み込みを浅くして真正面を外し、顎の下へ打撃を差し込む。
止まらない。
だが、止める必要もない。
少しでも角度が変われば、今はそれで十分だった。
ラドンの一撃は重い。
重すぎるがゆえに、わずかなズレでも次の挙動へ響く。
「黒歌、今だ!」
「分かってる!」
黒歌の仙術が走る。
夜の空気を裂く細い光のような流れが、ラドンの首の根元へ吸い込まれた。
すると、その首だけが一瞬、ぎしりと不自然に軋む。
生前の生体反応じゃない。
術式ごと縫い止められた時にだけ起きる、嫌な硬直だった。
「そこです!」
小猫が叫ぶ。
ラドンの喉奥から胴へ落ちる流れ、その一瞬の“濁り”を見抜いたんだろう。
俺はそちらへ意識を向ける。
見えた。
ほんのわずかに。
首ごとの反応とは別に、もっと深い場所で一つだけ濃く淀んだ核が脈打っている。
ラドン自身の命というより、元主の術式が食い込んでいる核。
あれを断てば終わる。
逆に言えば、あれを断たなきゃ終わらない。
『太郎! 今のが本命寄りだ!』
レオルドの声が弾ける。
『完全に一点へは収束してねえが、一番深いのはそこだ! そこが切れれば全体が崩れる!』
「十分だ!」
そう返した直後、元主悪魔の声が響いた。
どこか近い。
だが、まだ姿は掴めない。
この男は最後まで前へ出たがらない。
前へ出る価値があると思った時にだけ、ようやく顔を見せる種類だ。
「なるほど。
その程度で、そこまで読まれるとは思わなかった」
「驚くには早えよ」
俺は吐き捨てる。
「てめえの手品は、もうネタが割れてきた」
元主はそれに対して怒りもせず、むしろ少しだけ楽しそうに笑った。
「それでこそ意味がある。
単に踏み潰すだけでは記録にならない。
抵抗があるから、結果は鮮明になる」
「最後まで実験気分かよ」
「当然だ。
失敗も成功も、すべて次に繋がる」
「……ほんとに救いようがないわね」
黒歌が低く吐き捨てる。
「白音を潰しかけた時から、何も変わってない」
「変わったとも」
元主の声が、そこで少しだけ愉悦を帯びた。
「生前は制約が多すぎた。
だが今は違う。
失って困る立場も、守るべき名も、もうない。
なら、より純粋に試せる」
その声音に、小猫の肩がぴくりと揺れる。
だが、こいつはもう俯かない。
前を向いたまま、はっきりと言い返した。
「だから何だって言うんですか」
ラドンの咆哮すら一瞬遅れて聞こえた気がした。
それくらい、その一言は真っ直ぐだった。
「私は、もうあなたの素材じゃありません」
元主の気配が、ほんのわずかに揺れた。
たぶん、予想よりもずっと真っ直ぐ返されたんだろう。
昔の白音なら、名を呼ばれただけで恐怖に足を取られていたはずだ。
今の小猫は違う。
怖い。
それでも、その怖さごと踏み越えて立っている。
「……なるほど」
元主の声が低くなる。
「実に興味深い変化だ」
「感心してる場合じゃねえだろ」
俺が言うと、ちょうどその瞬間、ラドンの残る首の一本が死のブレスを溜めた。
青白い光に黒い濁りが混じる。
あれをまともに食らえば、地形ごと消し飛ぶ。
「ニャル子!」
「分かっています!」
返事と同時に、ニャル子の姿が掻き消えた。
次の瞬間には、ブレスを溜める首の喉元へ衝撃が叩き込まれている。
光の向きが逸れ、吐き出された死の奔流が廃ビルの残骸を斜めに消し飛ばした。
破片が空を舞い、砂塵が吹き荒れる。
「太郎さん、今です!」
ニャル子が叫ぶ。
「首の連携、四秒止めます!」
「十分だ!」
俺はギャバリオントリガーを強く握る。
ラドンは伝説級。
ジバンだけでは足りない。
単純な火力だけでも足りない。
必要なのは、あの最終核を“貫いて”“止めて”“終わらせる”一撃だ。
そう考えた瞬間、頭の中で三つの輪郭が重なった。
ジバン。
法を執行し、暴走を止める者。
メタルダー。
鋼の闘志で、正面から運命をぶち抜く者。
ジャンパーソン。
機械の冷徹さで、目標へ最短最速で到達する者。
全部いる。
今回は、全部要る。
「……なら、まとめて叩き込む」
『太郎、お前まさか!』
レオルドの声が飛ぶ。
だが、もう迷いはなかった。
エモルギアが共鳴する。
ギャバリオントリガーから溢れた光が、三つの異なる質感を持ちながらも、ぶつからずに一つへ束ねられていく。
警察型制圧の硬さ。
鋼の闘志。
機械的突破性能。
それぞれが衝突せずに噛み合う感覚が、腕から胸へ、胸から全身へ走る。
「貫く」
一歩、踏み出す。
ラドンの首がこちらを向く。
だが、もう遅い。
「止める」
二歩目。
小猫と黒歌の仙術が最終核の流れを縫い止める。
ラドンの巨体が、ほんの一瞬だけ硬直する。
「終わらせる!」
『ジバン!メタルダー!ジャンパーソン!』
ギャバリオン・トリガーを構える。
銃口の向こうで、核だけが世界から浮き上がって見えた。
ジャンパーソンの照準が、そこまで連れてきた。
ジバンが逃がさず、メタルダーが道を開き、最後の執行だけが俺の役目として残る。
「狙い撃つぜ!」『エモーショナルバースト!!』
撃ち出されたのは、単なる光弾じゃなかった。
三つの光を芯へ抱えた、一本の執行そのものだった。
ギャバリオン・トリガーから放たれた一撃は、ラドンの表層を砕くためには進まない。
一直線に、最短で、最も深い最終核だけを目掛けて突き進む。
途中でラドンの死の圧がぶつかる。
残る首の咆哮が軌道を乱そうとする。
だが、ジバンの固定、メタルダーの突破、ジャンパーソンの補正を束ねた一撃は、一切ぶれずにそのまま核へ到達した。
命中。
その瞬間、ラドンの全身が悲鳴を上げた。
首が一斉に絶叫する。
骨と鱗の隙間を走っていた青白いエモルギアが逆流し、首ごとに縫い込まれていた死者反応がばらばらに引き剥がされ始める。
巨体がのけぞり、地面が沈み、空気が震え、夜そのものが裂けるみたいに音が重なった。
だが、一撃は止まらない。
ラドンという怪物の内部へ深く食い込み、そこへ埋め込まれていた元主の術式核ごと撃ち砕く。
「入った……!」
小猫の声が震える。
恐怖じゃない。
確信の震えだ。
「やった……!」
黒歌が息を呑む。
「決まりましたね!」
ニャル子の声が飛ぶ。
その時だけは、さすがに俺も否定しなかった。
ラドンの首が一本、また一本と沈黙する。
赤黒い光を宿していた目が順番に暗くなり、うねっていた首が重力へ従うように垂れ落ちていく。
咆哮は悲鳴へ変わり、その悲鳴すら途中で細く切れた。
伝説の獣として蘇ったのではない。
死んだ伝説を、無理やりこの世へ引き戻されていただけだ。
だから、その終わり方にもどこか歪な静けさがあった。
「……ラドン」
小猫がぽつりと呟く。
「蘇ったわけじゃなかったんですね」
「ええ」
黒歌が静かに答える。
「最初から最後まで、利用されていただけよ」
巨大な身体が崩れる。
最後に残った首が地面へ沈み、骨と鱗の隙間を走っていたエモルギアの光も完全に霧散した。
そこでようやく、戦場に本当の静けさが戻ってくる。
死者もどきの群れも、ラドンが核を失った瞬間に一斉に動きを止めていた。
全部、あの中枢へ繋がっていたんだろう。
俺は深く息を吐く。
重い。
さすがに今の一撃は楽じゃない。
だが、まだ膝をつくほどじゃない。
こんなところでへばってたら、この先がもっと面倒になる。
「これで終わりだ」
そう言った俺に返ってきたのは、拍手でも安堵でもなく、元主悪魔のひどく冷たい声だった。
「なるほど」
崩れたラドンの残骸の向こう、まだ消えきらない気配の奥で、元主はほんの少しだけ感心したみたいに言う。
「やはり伝説級でも、調整不足ではこの程度か」
その一言で、怒りより先に呆れが来た。
ラドンを失ってなお、こいつの思考は“失敗した実験”の確認でしかない。
「最後までそれかよ」
俺が吐き捨てる。
「当然だ」
元主は平然と返した。
「失敗もまた結果だ。
今回のラドンで分かったことも多い。
なら、次はもっと良い素材で試せばいい」
「……本当に救いようがないわね」
黒歌が言う。
その声は低く、だが揺れていなかった。
小猫もまた、元主の気配が残る方向を真っ直ぐ見ている。
「今度こそ、止めます」
小さな声だった。
だが、その言葉にはもう逃げはなかった。
「あなたが何を使おうと、何を起こそうと、もう見ているだけではいません」
元主はその宣言に対して、少しだけ笑った気配を残した。
愉悦とも観察ともつかない、嫌な笑いだった。
「そうか。
では次も、楽しみにしているよ」
その言葉を最後に、気配がわずかに遠のく。
完全に消えたわけじゃない。
逃げたんだ。
ここで自分まで削られる気はないらしい。
どこまでも実験者気取りで、どこまでも後ろへ引く。
「……逃げたか」
俺が吐くと、レオルドが通信越しにうんざりした声を返した。
『逃げたな。
しかも、次をやる気満々で』
「最悪です!」
ニャル子が妙に元気よく言う。
「でも、今回のでデータは取れました!
元主悪魔の蘇生構造、死者の流通経路、そしてラドン級への適用条件!
次は潰せますよ!」
『お前は何でそういう時だけ前向きなんだよ……』
「宇宙刑事は前向きが大事なんです!」
「いや、その前向きさはちょっと方向を考えろ」
俺が返すと、ニャル子は不思議そうに首を傾げた。
本当に分かってなさそうなのがまた厄介だ。
それでも、場が完全に沈みきらなかったのは、たぶんこいつのその妙な軽さのおかげでもある。
笑える話じゃない。
だが、あまりに重すぎると、人間はそっちへ飲まれる。
だったら、このくらいのノイズがある方がむしろ助かる時もある。
小猫は崩れたラドンの残骸を見ていた。
そこへ浮かぶ表情は複雑だ。
勝った安堵だけじゃない。
利用された怪物への痛みも、元主がまだ生きている苛立ちも、全部混ざっている。
けれど、前みたいにそれへ押し潰されてはいない。
「……終わったわね」
黒歌が静かに言う。
「ラドンは」
「ええ」
小猫が頷く。
「でも、あの人はまだ残っています」
「そうね」
黒歌は妹を見る。
その視線は、もう守るだけの姉のものじゃない。
同じ敵を見る者の目だった。
「次は、あの男を止める」
黒歌がそう言うと、小猫ははっきりと頷いた。
「はい」
俺はそのやり取りを聞きながら、ギャバリオントリガーを握り直す。
ラドン戦は終わった。
だが、これは前哨戦だ。
元主悪魔はまだ健在で、その背後にはあの黒いギャバンを思わせる気配も残っている。
面倒は終わらない。
むしろここからが本番だ。
「ラドンは片づいた」
俺は全員へ聞こえるように言った。
「次は元主だ。
あいつを止める」
「はい」
小猫が答える。
「ええ」
黒歌も続く。
「もちろんです!」
ニャル子は相変わらず妙に勢いよく乗ってくる。
『……ほんと、騒がしい連中だな』
レオルドが最後にぼやいた。
だが、その声にもさっきまでの重さは少しだけ薄れていた。
崩壊した戦場の中、ラドンの残骸はもう動かない。
死者の群れも静まり返り、夜だけが遅れて戻ってくる。
それでも、この静けさは終わりじゃなかった。
ただ、次の戦いへ向かう前の、短い呼吸にすぎない。
元主悪魔。
死者を素材にし、伝説すら実験台にする外道。
次は、あいつ自身を止める。
そう決めた時点で、俺たちの行き先はもう一つしかなかった。
次回の王は
-
妖怪王
-
機械王
-
怪獣王
-
幻想王