サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
ラドンの残骸が完全に沈黙してから数日が過ぎ、ようやく街の空気からも、あの異様な緊張が少しずつ薄れてきていた。
死者蘇生だの伝説の獣だの、夏休みの終盤にまとめて来る内容じゃなかったが、終わったものは終わったものとして片づいていくしかない。
もっとも、こっちとしては、終わった直後に大人しく休めるほど都合のいい夏でもなかったらしい。
「そうでした!」
その日、うちのリビングへ響いた第一声だけで、俺は嫌な予感しかしなかった。
事件が片づいてから数日、ようやく落ち着いた空気が家の中へ戻ってきたと思った矢先、それをぶち壊すようにニャル子が両手を打ち合わせたのだ。
ああいう時のこいつは、ろくでもないことしか思いつかない。
これは経験則だ。
「何だよ、その思い出したみたいな顔」
俺がソファへもたれたまま言うと、ニャル子は満面の笑みでこちらを見た。
この笑顔だけなら無害そうに見えるのが、本当に質が悪い。
「地球へ来た本来の目的の一つを、まだ達成していませんでした!」
「その言い方で始まる話、大体ろくでもねえな」
俺が即答すると、横で端末をいじっていたレオルドが深く頷く。
「珍しく全面的に同意だな」
「だろ」
「人身売買絡みの残処理かと思ったが」
レオルドがそう言うと、ニャル子はわざとらしく首を横へ振った。
「違います!」
嫌な間があった。
ほんの一秒にも満たない間なのに、その短さだけで十分に嫌だった。
「買い物です!」
部屋の空気が、すっと冷えた気がした。
いや、冷えたんじゃない。
全員が無言になっただけだ。
「……帰れ」
「何でですか!」
ニャル子は本気で不思議そうな顔をした。
そこが一番困る。
わざとならまだツッコミようがあるが、こいつの場合、本気で当然だと思って言ってる時がある。
「事件が終わったからこそ、安心して地球文化を摂取できるんですよ!」
「そこへ真っ先に行く精神がもう怖えよ」
「地球娯楽の研究は大事です!」
「絶対ちょっと違う目的が混ざってるだろ」
「ちょっとではありません!」
「堂々と認めるな」
そんなやり取りをしているうちに、キッチンの方から気配が一つ増えた。
絶花だ。
飲み物を持ってきたらしいが、部屋へ入った瞬間、妙にテンションの高いニャル子と目が合って、明らかに足が止まる。
気持ちは分かる。
初見だとこいつはだいぶ圧が強い。
「……あの、この人は」
絶花が困ったように俺を見る。
その視線が既に少し助けを求めていた。
だが、俺が口を開くより早く、ニャル子がすっと立ち上がる。
嫌な予感しかしない速度だった。
「はじめまして絶花さん!」
ものすごく自然な勢いで絶花の目の前まで行く。
近い。
最初から距離が近い。
「ニャルラトホテプです!
気軽にニャル子さんと呼んでください!」
「え、あ、はい……」
絶花の返事がもう細い。
人見知りの猫が、急に犬の群れへ放り込まれたみたいな顔をしている。
「それでですね、初対面記念に一緒に地球ショッピングへ行きませんか!」
「えっ」
「速えよ」
俺が思わず突っ込む。
黒歌がいたら絶対同じことを言っていただろうなと思ったが、今日はもう冥界へ戻る準備に入っている。
小猫もそっちに付き合っているから、この場にはいない。
だから今のツッコミ役は俺とレオルドと、たぶん絶花だ。
「距離の詰め方が雑すぎるだろ」
レオルドがうんざりした声を出すと、ニャル子は首を傾げる。
「雑ではありませんよ。
初動の勢いは大事です」
「勢いで押し切ってるだけだろ」
「結果として仲良くなれれば問題ありません!」
「その理屈で全部片づけるな」
絶花は絶花で、カップを持ったまま本気で困っていた。
逃げたいが逃げると失礼だと思っている顔だ。
そういうところが絶花らしい。
「……あの、少し、距離が」
控えめに言ったその一言へ、ニャル子は一切ひるまない。
「大丈夫です!」
「何がだよ」
「わたし、初対面三秒で友達になるタイプですから!」
「それが怖いです……」
絶花が本音を漏らした。
しかもかなり素直な本音だ。
俺は思わず頷く。
「分かる」
「分かるわよね……」
絶花が半泣きみたいな目でこっちを見る。
レオルドまで小さく肩をすくめた。
「珍しくお前がまとも側だな」
「珍しくって何だよ」
「今この場で一番まともなの、たぶん絶花だぞ」
「それはそうですね!」
「お前が言うな」
ニャル子はまるで堪えていない。
そこからさらに、絶花の好きなものは何か、普段どこへ行くのか、地球の女子高生として何が今熱いのかなど、妙に楽しそうな勢いで質問を重ね始めた。
絶花は最初こそ明らかに引いていたが、押しが強すぎて逆に諦めたのか、ぽつぽつ答え始める。
その光景を見て、俺は何とも言えない気分になった。
こいつ、宇宙人どうこう以前に、純粋なコミュ力の暴力がある。
「……すごいです」
しばらくして絶花が真顔で呟いた。
「何がだよ」
「知らない人と、あんなに自然に話せるのが……」
「分かる」
俺が返すと、レオルドも深く頷く。
「分かるな」
「お前らまで何なんですか」
ニャル子が不満そうに言う。
「これは訓練と経験の賜物ですよ!」
「訓練って何のだよ」
「会話のです!」
「勢いで押してるだけにしか見えねえ」
「勢いも会話の一部です!」
理屈っぽいのか雑なのか、ほんとうに分からない。
ただ、絶花はその後も明らかに怯えていた。
怯えていたのに、完全には逃げ出さなかったのは、たぶんニャル子の押しが強すぎて逃げる隙がなかったからだろう。
そんな騒ぎの最中、別の部屋では小猫と黒歌が冥界へ戻る準備を進めていた。
俺は途中でそっちを覗きに行ったが、部屋の空気はこっちとは対照的に妙に静かだった。
荷物は多くない。
小猫は必要最低限のものだけを揃え、黒歌はそれを壁際から見ている。
昔なら、こういう空気の中には、もっと重い沈黙があったはずだ。
今は違う。
静かではあるが、もう息苦しさはない。
「にぎやかね」
黒歌が、遠くから聞こえるニャル子の声を聞きながら言った。
「……はい」
小猫は短く頷く。
「でも、嫌ではないです」
その言葉に、黒歌が少しだけ目を細めた。
「変わったわね」
「この夏に、色々ありすぎただけです」
小猫は荷物を整えながら、少しだけ考えるように言う。
「修行もありましたし、事件もありましたし、お姉ちゃんとも話せましたし」
「最後のが一番大きい顔してるわよ」
「……そうかもしれません」
小猫がそう返した時の声は、前よりずっと柔らかかった。
黒歌もまた、その声を受けて、それ以上余計なことは言わない。
その距離感が、今の二人にはちょうどいいんだろう。
やがて、出発の時間が来た。
玄関先で小猫と黒歌を見送りながら、俺はほんの少しだけ肩の力を抜く。
長い夏だった。
修行へ行って、黒歌が出てきて、死者蘇生が起きて、ラドンまで出てきた。
そこから後日談がニャル子の買い物騒動だ。
情報量が雑に多い。
「……行ってきます」
小猫が静かに言う。
「おう」
俺は軽く手を上げる。
「向こうでも変に無理すんなよ」
「太郎にだけは言われたくないです」
「言うようになったな」
俺が苦笑すると、黒歌が横から口を挟んだ。
「そのくらいでちょうどいいのよ」
小猫は少しだけ口元を緩める。
その表情を見て、黒歌も何か言いたそうにしたが、結局それ以上は言わなかった。
代わりに、ほんの少しだけ柔らかい視線を小猫へ向ける。
「またね」
黒歌がそう言うと、小猫は少しだけ間を置いてから頷いた。
「……はい。また」
そのやり取りだけで十分だった。
言葉を盛らなくても、今の二人がもう以前とは違う場所へ立っているのが分かる。
小猫たちを見送った後、俺はそのまま強制的にニャル子の買い物へ連行された。
いや、正確には俺だけじゃない。
絶花も半ば巻き込まれ、レオルドはレオルドで「何で俺まで」と言いながら付いてきた。
たぶん一番理不尽なのはこいつだ。
行き先は、いかにも夏休み終盤らしく人の多いショッピングモールと、その周辺の店が集まった一帯だった。
ニャル子は最初の一店舗目から目を輝かせていた。
「素晴らしいです!」
「うるせえな」
「この密度!
この情報量!
この購買欲を刺激してやまない陳列!」
「何かのレポートみたいに言うな」
「レポートでもあります!」
絶花はその横で、早くも少しぐったりしていた。
「……まだ一店舗目ですか」
「そうだな」
俺が答えると、絶花は本気で遠い目をする。
「もう少し回る気がします」
「もう少しどころじゃない気がする」
レオルドが乾いた声で言った。
その予想はたぶん当たっていた。
ニャル子は買い物そのものもそうだが、買うまでの会話がやたら長い。
店員へ自然に話しかけ、初対面とは思えない勢いで限定品の在庫や関連商品の場所を聞き出し、ついでにその場でおすすめまで尋ねている。
絶花はそれを見て、途中から宇宙人かどうかよりも、純粋に“人としての強さ”へ怯え始めていた。
「……すごいです」
絶花がぽつりと呟く。
「何が」
「知らない人と、あんなに普通に話せるのが……」
「勢いですよ!」
ニャル子が即答する。
「勢いで何とかなる領域を超えてます……」
絶花の返しが妙に切実で、俺は少し笑いそうになった。
たぶん本人は本気で怯えている。
だが、最初に比べれば、絶花も少しずつ会話へ参加していた。
嫌がっているだけなら、あそこまで素直に反応はしない。
疲れてはいるが、完全に拒否しているわけでもない。
その辺りが絶花らしいというか、押されると案外流されるタイプなんだよなと思う。
夕方になって、ようやくニャル子が満足げに買い物袋を抱えた時、俺と絶花とレオルドはそろって消耗していた。
いや、ニャル子も買い物袋の量を見る限り、だいぶ動いたはずなんだが、こっちほど疲れた顔をしていないのが納得いかない。
「いやあ、満喫しました!」
ニャル子が晴れやかに言う。
「こっちは消耗しただけだ……」
俺がそう返すと、絶花も小さく頷いた。
「……でも、ちょっとだけ楽しかったです」
「ちょっとだけかよ」
俺が言うと、絶花は少しだけ視線を逸らしながら答える。
「ちょっとだけです。
でも、そのくらいが丁度いいです」
その言い方が妙に絶花らしくて、俺は肩をすくめた。
たしかに、こいつにはそのくらいが丁度いいのかもしれない。
濃すぎる刺激は疲れる。
だが、まるで何もないよりは少しだけ楽しい。
そういう意味なら、今日一日は案外悪くなかったのかもしれない。
帰り道、夕焼けはもう夏の盛りほど強くなかった。
光が少しだけ柔らかくて、風には秋の気配が混じり始めている。
夏休みの終わりってのは、だいたいこういう空気をしている。
騒がしかった時間が、急に遠く感じられるような、妙に静かな色だ。
家へ戻ってから、俺は自分の部屋へ上がり、ようやく一人で息を吐いた。
机の上には、ニャル子が「記念です!」とか訳の分からないことを言って無理やり置いていった地球グッズが一つ、ぽつんと乗っている。
いらねえと言ったのに置いていった辺りが、ほんとうにあいつらしい。
「……長い夏だったな」
窓の外を見ながら、自然とそんな言葉が出た。
最初と最後で、世界の見え方が少し変わった気がする。
小猫との距離も、黒歌との関係も、宇宙警察の立ち位置も、冥界との繋がりも、全部。
事件は面倒だったし、休みなのに休んだ気はあまりしない。
それでも、ただ無駄に過ぎた夏じゃなかった。
机の上のグッズを見て、俺は少しだけ笑う。
面倒で、騒がしくて、まともじゃないことばかり続いた。
だが、そういう夏だったからこそ残ったものも、たしかにある。
こうして、長くて騒がしい夏休みは、ようやく終わりを迎えた。
次回の王は
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