サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
# 第2話 協定に落ちた影
## 再構成版
警報音というものは、どうしてああも人間の神経を逆撫でするように作られているのだろう。
いや、逆撫でしてくれなければ困るのは分かる。心地よい警報音など警報ではない。眠気を誘うサイレンなど、もはや子守唄だ。だが、それにしたって二学期初日の夕方、旧校舎の空気を裂いて響く電子音は、趣味が悪すぎた。
部室の中で、レオルドが端末を睨んでいる。
俺はそこにいない。
少なくとも、唯我太郎としては。
旧校舎の隣の空き教室。使われなくなった机と椅子、埃っぽい床、夕暮れの光。そこに俺はいた。部室とは通信だけが繋がっている。
『商店街南区、聖光類似反応。だが純正じゃねえ。負の感情波が混ざってる』
レオルドの声は低い。
『ネガエモルギア反応も確認。濃度はまだ低いが、拡散速度が速い。放っておきゃ一般人に飛び火するぞ』
ネガエモルギア。
宇宙警察側では、すでに把握している厄介な反応だ。感情を歪め、負の方向へ増幅させる。怒り、憎しみ、恐怖、拒絶。そういうものを燃料にして、本人の判断を曇らせる。
単純に操るわけではない。
そこが質が悪い。
元々ある小さな棘を見つけて、そこに毒を塗り、傷口を無理やり広げる。そういう類のものだ。
『天使の聖光に、ネガエモルギアが……?』
イリナの声が揺れた。
『そういう面倒な話だ。しかも今回は天使系の術式に混ぜてやがる。悪趣味にも程があるな』
『私たちも出るわ』
リアスの声。
『待て』
レオルドがすぐに止める。
『悪魔側がぞろぞろ出ると、場が荒れる。今回の反応は天使寄りだ。悪魔への敵意を煽る仕込みなら、下手に出た瞬間に油を足すことになる』
『けど、商店街だろ!? 一般人がいるんじゃ――』
『だからこそだ、兵藤。今の問題は敵をぶっ飛ばすことじゃねえ。火種を広げないことだ』
正しい。
悪魔側が悪いという話ではない。だが、今この場で悪魔が前に出れば、相手の狙いに乗る可能性がある。
正しい行動と、安全な行動は、いつも同じとは限らない。
『私が行きます』
イリナの声が硬くなる。
『天使の力が関係しているなら、私が確認しないと』
『ああ。だが勘違いすんなよ。お前が行くのは裁くためじゃねえ。確認と鎮静だ』
『……分かっています』
『分かってるならいい。分かってねえなら、今ここで置いていく』
レオルドの言葉は荒い。
だが、荒いだけではない。
危険を知っている大人の荒さだ。優しく言っている暇がない時の言葉。耳触りは悪いが、現場ではそういう言葉の方が役に立つこともある。
『小猫、お前は外周と避難導線だ。前に出すぎるな。悪魔側の反応を拾われると面倒になる』
『……了解です』
小猫の返事は短い。
迷いはない。
あいつはもう、守られるだけの顔をしない。
『……太郎は?』
絶花の声が聞こえた。
部室の空気が、ほんの一瞬だけ止まる。
レオルドは間を空けずに返した。
『あいつは別件で動いてる。今は呼べねえ』
『でも……』
『心配すんな。あいつはそう簡単に死なねえ。嫌になるくらいな』
おい。
そこはもう少し言い方があるだろう。
まあ、実際そう簡単には死なないが、本人が聞いている前で言うことではない。いや、聞いていない前提なのだろう。残念だったな、聞いている。
『絶花さんはここにいて。私たちが守るわ』
リアスが続ける。
『……はい』
絶花は小さく頷いたようだった。
俺は端末を専用通信へ切り替える。
『キング、聞こえるな』
レオルドの声が、俺だけに届く。
俺は返事をしない。短い通信信号だけ返す。
『よし。今回は太郎としては出るな。ギャバン・キングとして出ろ。ギャバン・キング自体はもう周知されてるが、お前と結びつけられるのは別問題だ』
俺は窓辺に立った。
夕暮れの駒王町が見える。いつもの町だ。通学路、商店街、住宅の屋根、夕飯の匂い。そういう日常の上に、白く濁った光が落ちている。
『ネガエモルギアは既知の案件だ。解析手順もある。だが、天使の聖光と混ぜられたケースは面倒だぞ。サンプルを取れ。派手に壊すな』
通信信号で返す。
『あと無茶すんな。……いや、どうせするんだろうけどよ。やるならせめて、こっちが後始末できる範囲にしろ』
後始末できる範囲。
いい言葉だ。
世の中の無茶は、だいたい誰かの後始末の上に成り立っている。俺の無茶はレオルドの後始末の上に乗っているし、レオルドの文句は俺の聞き流し能力の上に乗っている。
お互い様だ。
エモルギアが低く鳴る。
銀と金の光が、夕暮れの影を裂いた。制服の輪郭が消え、装甲が身体を覆う。視界が一度暗転し、次の瞬間には索敵表示が網膜の裏に重なった。
ギャバン・キング。
宇宙警察側の執行者。
その存在は、すでに関係者には知られている。
だが、その中身が俺だと知られるわけにはいかない。
知られている鎧と、知られていない中身。
面倒な話だが、秘密というのはだいたい面倒な形をしている。
俺は窓枠を蹴った。
商店街は、すでにざわついていた。
買い物客。部活帰りの学生。店先の声。シャッターの音。普段ならただの日常として流れていくはずのものが、今は薄く濁った白い光に撫でられている。
白い。
だが、澄んでいない。
綺麗ではある。けれど、美しくはない。
水面だけ透き通っていて、底に泥が溜まっている池みたいな光だった。
「お前らがいるから……!」
中年の男が、若い男へ怒鳴っていた。
若い男は人間のふりをしているが、反応を見る限り悪魔側の関係者だろう。けれど、今この場ではただ商店街にいるだけだ。
「悪魔なんかが人間の街を歩くから!」
男の背中に、濁った光が貼りついている。
本人の怒りだ。
だが、本人だけの怒りではない。
誰かが掘り起こし、膨らませ、燃えやすくしている。
「聖光……でも、違う」
イリナが到着した。小猫もいる。レオルドは小型の浮遊端末を飛ばしながら、犬の姿で足元を走っている。
天使と少女と喋る犬。
相変わらず情報量が多い。
「見た目は聖光だ。だがネガエモルギアが混ざってる。怒りを増幅してやがるな」
レオルドが言う。
「そんな……天使の力に、そんなものを」
「落ち込むのは後だ。今の問題は、巻き込まれてる奴をどう止めるかだ」
「……はい!」
小猫が周囲を見る。
「……数名、感情が乱れています。魔力ではなく、精神への干渉に近いです」
「やっぱりな。小猫、左側の路地を押さえろ。逃げ道を作る。イリナ、お前は聖光の濃い場所を確認しろ。ただし直接触るな。ネガエモルギアが噛んでる以上、感情を引っ張られるぞ」
「分かりました!」
俺は建物の影に降りる。
まだ出ない。
現場に介入するというのは、ただ飛び込めばいいわけではない。目立つ姿で出るなら、出た瞬間に場の流れが変わる。ならば、変わる意味がある時に出るべきだ。
その瞬間は、すぐに来た。
濁った光が膨れた。
怒鳴っていた男が、近くにいた小さな少女へ手を伸ばす。少女は悪魔でも天使でもない。ただ母親の買い物についてきただけの、今日の夕飯を気にしていた程度の一般人だ。
そこへ、怒りが流れ込もうとしている。
俺は地面を蹴った。
一歩で割って入る。
銀と金の装甲が、少女の前に立つ。
男の腕を掴む。
折らない。捻らない。止めるだけだ。
「離せ! 悪魔を庇うのか!」
俺は何も言わない。
言う必要はない。
レオルドがすかさず声を飛ばす。
「ギャバン・キングだ。宇宙警察側の執行者が入った。暴れるな。怪我したくなきゃ深呼吸しろ」
イリナは俺を見ても、正体を問わなかった。
ギャバン・キングの存在自体は知っているからだ。
問題は、そこではない。
「キングが入ったなら、こちらは周囲を抑えます!」
「そうしろ。詮索も感想も後だ。今は現場だろ」
レオルドの声が飛ぶ。
俺は男の腕から力を逃がすように、関節の動きを押さえた。力で潰すのは簡単だ。簡単だからこそ、やらない。
男は膝をつく。
濁った光が、背中から薄く剥がれた。
小猫が目を細める。
「……干渉が薄れました」
「外部付着型だな。本人の感情を利用してるだけで、完全支配じゃねえ」
レオルドが端末を操作する。
「なら、まだ助けられる」
イリナの声が変わった。
動揺の中に、芯が戻る。
「ああ。だから焦るな。焦った奴から、ネガエモルギアの餌になる」
レオルドが低く言う。
俺は男の背中から剥がれた光の一部を、掌で掬うように捕捉した。装甲の表面に白い光が触れ、すぐに黒い脈動が走る。
エモルギアが反応した。
嫌な震え方だ。
『キング、サンプル採取確認。ネガエモルギアで間違いねえ。ただ、聖光側に偽装というより混合されてる。天使系術式の知識がないと無理だな』
俺は短い信号で返す。
『分かってる。まだ断定はしねえ。だが、天使側の不満分子の線はかなり濃い』
イリナが漂う光を見上げていた。
「この光……祈りに似ています。でも、祈りじゃない。怒りです」
「正義感と怒りは混ざりやすい。厄介なことにな」
レオルドが言う。
「天使が、こんなものを……」
「天使だろうが悪魔だろうが、感情は腐る時は腐る。問題は種族じゃねえ。やったことだ」
イリナは言い返せなかった。
レオルドの言い方は乱暴だ。けれど、今のイリナにはその乱暴さが必要だったのかもしれない。綺麗な言葉で慰められるより、現実を雑に突きつけられる方が、まだ立っていられることもある。
白い光が、商店街の大型モニターへ吸い込まれるように集まった。
映像が乱れる。
砂嵐。
ノイズ。
そして、声だけが流れた。
『悪魔と手を結ぶ世界は、正しいのか』
人々のざわめきが止まる。
『堕ちた者と笑い合い、罪ある者を隣人と呼ぶ。そんな和平に、価値はあるのか』
声は穏やかだった。
穏やかなぶん、気持ちが悪い。
怒鳴る声よりも、穏やかな断罪の方がずっと危ない。怒りは熱を持つが、信念は温度を奪う。冷えた正義ほど、人を雑に切り分けるものはない。
イリナの顔が強張った。
「この言い回し……」
「知ってるのか」
「直接ではありません。でも、天界の古い教義を強く意識した言い回しです」
「つまり、天使側の不満分子の線が濃くなったわけだ」
「まだ断定はできません!」
「分かってる。だから証拠を取るんだよ。断定で殴るな。証拠で詰める」
レオルドの声が強くなる。
「怒りで動くな、イリナ。相手はそれを待ってる」
イリナは唇を噛んだ。
俺は上空を見上げる。
ビルの屋上。
そこに、白い翼の影があった。
手の中で、黒く濁ったエモルギアが脈打っている。
俺は地面を蹴った。
壁面を走り、看板を足場にし、屋上へ跳び上がる。
翼の影がこちらを見た。
「やはり来たか、ギャバン・キング。宇宙警察がどこまで踏み込むか、見ておきたかった」
俺は答えない。
声を出す必要はない。
「今日は挨拶だ。和平に染まった天使と、外から来た執行者。どちらがこの歪みを止めるのか、それを見たかっただけだからね」
黒く濁った光が撒かれる。
視界が白で塗り潰された。
聖光ではない。
煙幕に近い。だが、ただの煙幕でもない。視覚だけでなく、感情の奥を爪で引っかくようなノイズがある。
俺は装甲のフィルターを強めた。
次の瞬間、影は消えていた。
屋上には、羽根が一枚だけ残っている。
白い羽根。
ただし、縁だけが黒く焦げていた。
俺はそれを拾う。
『逃げたか。最初から戦う気はなかったな』
レオルドの通信。
俺は羽根のデータを送る。
『目的は実験だ。商店街でネガエモルギア混じりの聖光をばら撒いて、誰がどう動くか見てやがった。くそ、趣味悪いな』
同感だ。
俺は屋上から商店街を見下ろす。
濁った光は薄れ始めていた。イリナが人々を落ち着かせ、小猫が路地側へ誘導している。レオルドの浮遊端末が音声案内を流していた。
「はいはい、慌てるな。こっちは危険区域だ。怪我したくねえ奴から順番に下がれ。押すな、走るな、文句は後で聞く」
言い方は最悪だが、効果はある。
現場では、優しすぎる声より、はっきりした声の方が人を動かすこともある。
さっき暴走していた男が、地面に座り込んでいる。
「あ、あれ……俺、何を……」
イリナがそっと近づく。
「大丈夫です。深く息をしてください。今は安全です」
その声は、さっきより落ち着いていた。
迷っている。
けれど、迷いながらも助ける方を選んでいる。
それでいい。
迷わない正義より、迷っても手を伸ばす正義の方が、たぶん信用できる。
『キング、撤収だ』
レオルドの声が通信に入る。
『長居すると写真を撮られる。ギャバン・キングが周知されてるとはいえ、余計な露出はいらねえ』
それもそうだ。
今どきの人間は何でも撮る。謎の金銀ヒーローが商店街に現れたなどと拡散されたら、また面倒が増える。面倒ごとは、可能な限り減らすに限る。まあ、減らしても増えるのだが。
俺は建物の影へ降り、視覚認識をぼかす処理が入ったのを確認してから、その場を離れた。
背後で、イリナがレオルドに言う。
「……ギャバン・キングは、いつもああなのですか」
「ああって?」
「ほとんど喋らずに、必要なところだけ止めて、すぐ消えるところです」
「まあ、今日は特に喋らせてねえからな。余計な情報を出したくない」
「宇宙警察は、ずいぶん徹底しているんですね」
「徹底しなきゃ死ぬ現場を踏んでるだけだ。格好いい話じゃねえよ」
レオルドの声は乾いていた。
部室へ戻ったのは、俺ではない。
レオルドとイリナと小猫だけだ。
俺は旧校舎の別導線から戻り、空き教室で装甲を解除した。制服に戻った時、夕方の光はもう薄暗くなっていた。
端末越しに、部室の声が聞こえる。
『……太郎は?』
絶花の声。
やっぱり聞くか。
『あいつはまだ別件だ。無事だよ。心配すんな』
レオルドが答える。
『本当に?』
『ああ。嫌になるくらい無事だ』
だから言い方。
『状況は?』
リアスの声。
『商店街でネガエモルギア混じりの聖光反応。一般人の感情を煽って、悪魔への敵意を増幅してた。死人はなし。怪我人も軽微だ』
『悪魔への敵意って……』
兵藤の声が重い。
『声がありました』
イリナが言う。
『和平を否定する言葉です。天界の古い教義に近い言い回しでした』
『天使の方が、本当に……?』
アーシアの声が震える。
『まだ断定はできません。でも、可能性はあります』
沈黙。
部室の中の空気が、音声だけでも重くなったのが分かる。
レオルドが端末を操作する音がした。
『屋上に残ってた羽根だ。聖光反応あり。縁にネガエモルギアの付着反応がある。こいつは偶然混ざったんじゃねえ。誰かが意図して聖光に混ぜてる』
『ネガエモルギアを、天使の力に……』
リアスが呟く。
『ああ。宇宙警察側では既知の反応だが、この使い方は厄介だ。感情を歪めるだけじゃなく、正義感そのものに寄生してる』
イリナが息を呑む。
『天使の正義を、こんなことに使うなんて……』
『怒るのは分かる』
レオルドの声が、少しだけ低くなった。
『だが、怒りで動くな。今回の相手は、それを燃料にしてる。正義感が強い奴ほど引っかかりやすい』
『……っ』
『気をつけろ、イリナ。相手は悪意だけで動いてるとは限らねえ。自分が正しいと思ってる奴ほど、ネガエモルギアには食われやすい』
イリナはしばらく黙ってから、小さく答えた。
『……はい』
俺は端末を閉じた。
空き教室に静けさが戻る。
外はもう、夕暮れから夜へ移ろうとしていた。空の端に残った赤が、ゆっくり黒へ沈んでいく。
和平に不満を持つ天使。
ネガエモルギア混じりの聖光。
悪魔への敵意を煽る実験。
面倒な単語が、また増えた。
単語が増えると、事件は長くなる。ろくでもない経験則だが、だいたい当たる。
俺は椅子から立ち上がり、廊下へ出た。
部室へはまだ入らない。
太郎は、今日あの場にいなかったことになっている。
なら、しばらくそのままにしておくべきだ。
絶花には後で何か言われるだろう。小猫にも無言で見られるだろう。レオルドには文句を言われるだろう。
全部まとめて面倒だ。
だが、今はそれでいい。
夜の商店街。
誰もいなくなった屋根の上で、黒く焦げた羽根の欠片が風に舞った。
その欠片を、鋭い刃が地面に押さえつける。
ハルバート。
刃の主は、まだ影の中にいる。
「ほう」
明るい女の声が、夜の空気を撫でた。
「正義を名乗る光が、ずいぶんと嫌な濁り方をしているじゃないか」
少しの間。
遠くで、獣のような低い駆動音が響く。
「これは放っておけんな。正義の味方としては」
影が商店街の向こうを見る。
「さて、唯我くん。君もまた、面倒なものに首を突っ込んでいるようだな」
夜風が吹く。
黒く焦げた羽根が、刃の下でかすかに震えた。
次回の王は
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妖怪王
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機械王
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怪獣王
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幻想王