サムライガールの幼馴染みは王様を目指す   作:ボルメテウスさん

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天使 Case4

 秘密を守るというのは、単に黙っていればいいという話ではない。

 

 黙るだけで守れる秘密なら苦労はない。世の中の秘密はたいてい、沈黙の隙間から漏れる。視線から漏れる。間から漏れる。呼び方から漏れる。知っている者同士の空気から漏れる。

 

 つまり、秘密とは水みたいなものだ。

 

 器に穴が空いていれば、少しずつ染み出す。

 

 で、その穴になりそうな女が、朝っぱらから旧校舎の空き教室に立っていた。

 

「やあ、おはよう、唯我くん!」

 

「声がでけぇ」

 

 杉浦碧は、ハルバートを肩に担いで笑っていた。

 

 朝日を背負い、制服でもなければ教師然とした格好でもなく、しかし妙に学校という場所へ馴染んでいる。年上の余裕と、年上にあるまじき暑苦しさ。その二つを同じ鍋で煮込んだような女だ。

 

「昨日も言ったが、天使の前で俺の名前を出すな」

 

「心得ているとも。君は表向き、ただの高校一年生なのだろう?」

 

「表向きじゃなく高校一年生だ」

 

「裏向きが派手すぎるのだよ、君は」

 

「うるせぇ」

 

 裏向き。

 

 言い方はふざけているが、事実でもある。

 

 表の俺は唯我太郎。高等部一年生。口が悪く、性格もさほど良くなく、面倒ごとを嫌う男子生徒。

 

 裏の俺はギャバン・キングを扱う宇宙警察側の執行者。

 

 こうして並べると、本人確認書類を二枚出せと言われそうな人生である。

 

 碧は窓際に寄り、外の景色を見た。

 

「昨日の濁った光は危険だ。正義を信じる者ほど、足元から持っていかれる」

 

「だろうな。お前みたいな正義バカほど危ない」

 

「否定はせん」

 

 意外にも、碧はすぐに頷いた。

 

「だからこそ、私が見ておく必要がある」

 

「あ?」

 

「私は自分が絶対に正しいとは思っていない。正義の味方などと名乗ってはいるがね。名乗るからこそ、間違える可能性を忘れてはいけない」

 

 ふざけているようで、ふざけていない。

 

 こいつの面倒なところはそこだ。

 

 大声で名乗る。大仰に笑う。いちいち芝居がかっている。だが、その芯は軽くない。正義という言葉を玩具にしていない。むしろ重いものだと知っているから、持ち上げる時にわざと明るく振る舞う。

 

 そういう女だ。

 

「レオルドに従え。今日の説明と現場指揮はあいつがやる」

 

「うむ。喋る実務担当くんだな」

 

「その呼び方やめろ。あいつがキレる」

 

「では、レオルドくん」

 

「それもたぶんキレる」

 

「難しい男だな」

 

「犬だしな」

 

「犬ではないと言っていたぞ」

 

「見た目は犬だろ」

 

「なるほど。君たちは仲がいいのだな」

 

「どこをどう聞いたらそうなるんだよ」

 

 碧は楽しそうに笑った。

 

 俺はため息を吐く。

 

「俺は表に出ない。出るならギャバン・キングだ。三大勢力の前で、俺とギャバン・キングを結びつけるような真似はするな」

 

 そこだけは、ふざけさせない。

 

 碧もそれを分かっていたのだろう。笑みを少し引っ込めた。

 

「了解した。君ではなく、宇宙警察の執行者として扱えばいいのだな」

 

「ああ」

 

「正義の味方は、仲間の正体を売ったりせんよ」

 

「なら声量も守れ」

 

「善処しよう!」

 

「絶対しねぇ返事だな」

 

 朝の旧校舎に、碧の笑い声が響いた。

 

 窓の外で、鳥が一羽逃げた。

 

 その後、俺はいつもの通り隣の空き教室へ移動した。

 

 太郎としては出ない。

 

 会議にも出ない。

 

 説明もしない。

 

 通信で聞くだけだ。

 

 これが地味に面倒くさい。何が面倒かと言えば、口を挟みたい時に挟めない。俺は自分で思っているより口を挟む人間らしい。黙って見ていると、だいたい胃のあたりに言葉が溜まる。

 

 溜まった言葉は内臓に悪い。

 

 だから俺の胃はいつも重いのかもしれない。

 

 部室の音声が端末越しに入る。

 

『諸君、おはよう! 正義の味方・杉浦碧、協力者として参上した!』

 

 朝から鼓膜に悪い。

 

『また濃い人が来たな……』

 

 兵藤の声が聞こえた。

 

『あらあら、賑やかですわね』

 

 朱乃は楽しそうだ。

 

『……声、大きい』

 

 絶花の声も混じっていた。

 

 あいつは中等部だが、今日はリアスたちの近くに置いている。昨日から続く事件で、下手に一人で帰らせるより安全だ。本人は荷物扱いを嫌がるだろうが、安全と機嫌を天秤にかければ、安全が勝つ。機嫌はあとで何とかする。たぶん。何とかならないこともあるが、それはそれでその時だ。

 

『朝から鼓膜に来るな。勘弁しろ』

 

 レオルドが疲れた声を出した。

 

『すまんすまん。声は正義の基本装備でね』

 

『そんな装備は外せ』

 

『それは難しいな!』

 

『難しいんじゃなくて、やる気がねえだけだろ』

 

 椅子の上に座っているであろうレオルドの姿が、音声だけでも目に浮かぶ。犬ではないと主張する喋る実務屋が、朝から熱血正義女に振り回されている。絵面だけで胃もたれする。

 

『杉浦さん、でいいかしら』

 

 リアスが言う。

 

『碧で構わん。肩書きは正義の味方だ』

 

『正式な肩書きじゃねえだろ』

 

『心の肩書きだ』

 

『一番書類に困るやつだな』

 

 レオルドは端末を操作する音を挟んで、説明に入った。

 

『杉浦碧は、過去にネガエモルギア類似案件へ関わった協力者だ。天使でも悪魔でもねえ。人間だが、特殊能力持ちだ』

 

『特殊能力……神器ですか?』

 

 イリナが問う。

 

『違う』

 

 レオルドの声が少し低くなった。

 

『HiMEは、地球産の神器でも、天使の奇跡でも、悪魔の駒でもねえ。分類するなら、宇宙人由来の能力体系だ』

 

『宇宙人由来……?』

 

 イリナの声が、明らかに処理落ちした。

 

 まあ、分かる。

 

 天使、悪魔、堕天使、神器、聖剣。そのへんまでなら、この世界の神話体系で飲み込める。そこへいきなり宇宙人由来と言われたら、そりゃ誰でも一瞬止まる。

 

『そういう顔になるのは分かる。だが、こっちじゃ珍しくても宇宙警察側では扱う案件の範囲内だ。感情と縁を媒介にして、エレメントとチャイルドって外部兵装を出す。神話体系の外側にある力だと思っとけ』

 

『宇宙人の力で、感情と縁を……』

 

『混乱するだろ。俺も最初は面倒くせえと思った。今も思ってる』

 

『難しい説明は任せた、レオルドくん!』

 

『お前も自分の力くらい自分で説明しろよ』

 

『私は正義担当、君は説明担当だ』

 

『役割分担が雑すぎるだろ』

 

 俺は空き教室で少し笑った。

 

 レオルドの苦労は増えている。悪いとは思う。思うが、少し面白い。

 

『説明だけでは分かりにくいわ』

 

 リアスの声がした。

 

『地下の結界を使いましょう。実際に見た方が早いでしょうし』

 

『ああ。現場でいきなり出されるよりはマシだ。先に見ておく』

 

 レオルドが同意する。

 

 旧校舎地下の訓練場。

 

 俺も何度か使ったことがある。結界で外部への影響を抑えた、便利だが便利なだけにろくでもないものが出がちな場所だ。訓練場という名前はしているが、実質的には非常識の実験場である。

 

 音声と一緒に、映像も端末へ入ってきた。

 

 結界内の中央に碧が立つ。

 

 右手を掲げる。

 

 光が集まり、巨大なハルバートが現れた。

 

 刃は大きく、柄は長い。単純な斧でも槍でもない。振り回せば重い。だが、碧はそれを軽々と扱う。力任せではない。重さの流れを読んでいる。

 

『これが私のエレメントだ。見ての通り、少々大きい』

 

『少々……?』

 

 兵藤が引き気味に言う。

 

『……かなり大きいです』

 

 小猫が淡々と補足した。

 

『正義は大きい方が分かりやすいからな!』

 

『いや、武器のサイズは思想で決めるな』

 

 レオルドが即座に刺す。

 

 イリナはハルバートを見つめていた。

 

『魔力とも聖力とも違う……でも、強い感情の気配があります』

 

『そうだ。HiMEの力は、感情や大切な縁と深く結びついている。だが、根は宇宙由来のシステムだ。この星の神器や奇跡とは違う』

 

 碧が珍しく、まともに説明している。

 

 いや、珍しくというのは失礼か。

 

『本来、チャイルドの運用には大切な相手や鍵が関わる』

 

 レオルドが引き取った。

 

『だが碧の場合、王国の駒が補助楔になっている。駒は兵士。こいつが外部補助になって、愕天王を安定運用できる』

 

『王国の駒……悪魔の駒とは違うんですか?』

 

 アーシアが不安そうに尋ねる。

 

『別物だ。似た名前で混乱するが、悪魔の駒に組み込まれたわけじゃねえ。HiMEの力そのものを悪魔化したわけでもない。宇宙由来の力を、別系統の駒が補助してる。そう考えろ』

 

『便利そうに聞こえますけど……危険はないんですか?』

 

 イリナが言う。

 

『あるに決まってるだろ』

 

 レオルドは容赦なく言った。

 

『感情由来の外部兵装を、補助で安定させて引っ張り出してるんだ。便利だから安全、なんて話じゃねえ』

 

『承知している』

 

 碧の声が落ち着く。

 

『だが、危険だから使わない、では守れないものもある』

 

 イリナが黙った。

 

 この言葉は刺さるだろう。

 

 天使として正しくあろうとするイリナには特に。

 

 危険な力をどう扱うか。

 

 信じる正義が歪められる時、どう踏みとどまるか。

 

 今の彼女にとって、それは他人事ではない。

 

 碧が結界の中央でハルバートを掲げた。

 

『来い、愕天王!』

 

 地面が震える。

 

 獣のような駆動音が響く。

 

 空間の奥から、四足獣型の巨大なチャイルドが姿を現した。愕天王。金属と獣の中間のような輪郭。背には碧を乗せるための鞍めいた部位。後脚には車輪を思わせる機構。

 

 宇宙人由来の力。

 

 感情と縁を媒介にした外部兵装。

 

 そう説明されても、初見ではまず「何だこれ」となる。

 

『……大きい』

 

 絶花が呟く。

 

『ロボ……いや、獣? 何だこれ!』

 

 兵藤が言う。

 

『……チャイルド』

 

 小猫は短く答えた。

 

『召喚獣、ですか?』

 

 イリナが問う。

 

『近いが違う。普通の召喚獣扱いすると判断を間違える』

 

 レオルドが説明する。

 

『感情と縁を基点に出る宇宙由来の外部兵装だ。自律性もある。装備であり、相棒でもあり、力の延長でもある。雑に分類するな』

 

『雑に分類しているのは君の説明ではないかね?』

 

 碧が笑う。

 

『うるせえ。正確に言うと長いんだよ』

 

 碧は愕天王へ飛び乗った。

 

 その動きは慣れている。派手だが乱れていない。ハルバートも、愕天王も、碧の一部のように動く。

 

『愕天王は突撃、突破、撤退路の確保に向く。正面から道を開くには最適だ!』

 

『要するに、うるさいブルドーザーだな』

 

『正義の突破力と言ってくれたまえ!』

 

 愕天王が低く咆哮した。

 

 結界内に衝撃が走る。絶花が少し肩を揺らした。アーシアが目を丸くする。イリナは警戒と興味の両方を隠せていない。

 

 レオルドが端末を見る。

 

『出力は高いが、暴れてはいねえ。制御は安定してるな』

 

『王国の駒の補助があるからな。以前より無理が利く』

 

『無理が利くって言い方がもう不穏なんだよ』

 

『事実だから仕方ない』

 

『仕方なくねえ。現場でそういうこと言う奴はだいたい無茶する』

 

 まったくもってその通りだ。

 

 俺が言うのもなんだが。

 

『愕天王は状況次第で、さらに姿を変えることもできる』

 

 碧が続ける。

 

『巨大な愕天大王、あるいは私自身と合わさる愕天神だ』

 

『合体まであるのかよ!』

 

 兵藤が即座に食いついた。

 

『男の子が好きそうですわね』

 

 朱乃が楽しそうに言う。

 

『否定できません!』

 

『今日は出すなよ』

 

 レオルドが釘を刺した。

 

『地下で巨大化されても困る。天井を直すのは俺じゃねえけど、報告書を書くのは俺なんだよ』

 

『残念だ』

 

『本気で残念がるな』

 

 訓練場に少し笑いが生まれた。

 

 だが、イリナだけはまだ真剣な顔をしていた。

 

 実演が終わり、愕天王が一度姿を消す。

 

 碧がハルバートを肩に戻すと、イリナが近づいた。

 

『碧さんは、怖くないんですか?』

 

『何がだね?』

 

『感情を力にすることです。今回のネガエモルギアは、正義感や怒りを利用しています。なら、あなたの力も……』

 

 イリナは言いづらそうに言葉を止める。

 

 だが、言いたいことは分かる。

 

 感情を力にするなら、感情を歪めるものに弱いのではないか。

 

 正義を掲げるなら、正義を腐らせる力に呑まれるのではないか。

 

 碧は少し黙った。

 

 そして、笑わずに答えた。

 

『危ういだろうな』

 

 イリナが目を見開く。

 

『私は、自分の正義が絶対に正しいとは思っていない。だが、目の前で誰かが傷つくなら、私は動く』

 

『正しいか分からなくても、ですか?』

 

『正しいか悩むのは大事だ。だが、助けを求める手を前にして、悩むだけで終わるのは違う』

 

 静かな声だった。

 

 いつもの大声ではない。

 

 だからこそ、よく響いた。

 

『君は天使だ。背負っているものは私より重いのだろう。だが、正義が誰かを守るためにあるなら、まず見るべきは旗ではなく人だ』

 

『旗ではなく、人……』

 

『正しくあろうとするのは悪いことではない。ただ、正しくあろうとするあまり、人を見失えば本末転倒だ』

 

 イリナは目を伏せる。

 

『私は……天使として、正しくあろうとしていました』

 

『それは悪いことではないさ』

 

 碧は柔らかく言った。

 

『ただ、正しさだけを見ていると、目の前で泣いている人を見落とすことがある』

 

 その言葉に、俺は少しだけ黙った。

 

 碧は暑苦しい。

 

 だが、こういうところで、ちゃんと大人だ。

 

『まあ、正義論はそこまでだ』

 

 レオルドが横から割って入った。

 

『長くなると面倒くせえ。現場じゃまず、被害者を減らす。話はそっからだ』

 

『実に現実的だな、レオルドくん』

 

『現実を見ねえと死人が出るからな』

 

 会話がそこで終わりかけた時だった。

 

 端末に警告が走る。

 

 訓練場の端に保管されていた黒く焦げた羽根。

 

 昨日回収した証拠品の一部が、ケースの中で震えていた。

 

『おい、羽根の残滓が反応してる』

 

 レオルドの声が一気に現場のものになる。

 

『訓練場内の感情出力に引っ張られたか。くそ、密閉が甘かったか?』

 

『まさか、碧さんの力に?』

 

 イリナが息を呑む。

 

『正確には、碧の正義感と愕天王の感情出力に反応したんだろうな。ネガエモルギアは感情の濃い奴に寄る』

 

 黒い光が羽根から滲む。

 

 それは訓練場の疑似敵システムに絡みついた。模擬敵が起動する。だが、動きがおかしい。訓練用の単純な挙動ではない。関節が軋み、黒い光が中から漏れている。

 

『おいおい、訓練場の敵が勝手に動いてるぞ!』

 

『最悪だな、ほんと。残滓のくせに面倒なことしやがる』

 

 模擬敵がイリナへ向かう。

 

 イリナが聖光を構えた。

 

『イリナ、撃つな!』

 

 レオルドの声が飛ぶ。

 

『聖光に食いついて膨らむ!』

 

 イリナの動きが止まる。

 

『では、どうすれば!』

 

 その前に、碧が出た。

 

『私が止める』

 

『待て。お前の感情出力にも反応してるんだぞ』

 

『なら、呑まれないように踏み込むだけだ』

 

『簡単に言うな、正義バカ!』

 

 碧がハルバートを構える。

 

 愕天王が再び現れる。低く唸り、脚部に黒い光がまとわりつこうとする。

 

 その時、声が響いた。

 

『正義を掲げるなら、裁け』

 

 誰の声でもない。

 

 だが、耳の奥に入ってくる。

 

『悪しき者を、許すな』

 

 イリナの表情が強張る。

 

 碧は動じなかった。

 

『断る』

 

『なぜだ。お前は正義の味方だろう』

 

『正義の味方だからだ』

 

 ハルバートが地面に打ち込まれる。

 

 鈍い音。

 

 結界の床に亀裂が走る。

 

『正義とは、誰かを裁くために振り回す旗ではない。助けるために掲げるものだ!』

 

 愕天王が咆哮した。

 

 黒い光が弾かれる。

 

 レオルドが端末を睨みながら指示を飛ばす。

 

『碧、右脚の反応が濃い! そこを切り離せ。力で潰すな、剥がせ!』

 

『了解した!』

 

『ほんとに分かってんだろうな!』

 

『たぶんな!』

 

『たぶんで返すな!』

 

 愕天王が走った。

 

 重い。

 

 速い。

 

 普通なら、その二つは両立しにくい。だが愕天王は、地面を噛むように駆ける。碧はその背でハルバートを回し、ネガエモルギアの核だけを叩き落とした。

 

 模擬敵の胴が砕ける。

 

 だが、破壊そのものは最小限。結界への被害も、見た目ほど大きくない。

 

『……力任せではないです』

 

 小猫が呟く。

 

『声とノリは力任せだけどな。動きは悪くねえ』

 

 レオルドが認めた。

 

 その直後、砕けた核が細かい粒子に分かれた。

 

 黒い粒子が散る。

 

 向かう先は、イリナ、アーシア、絶花。

 

 俺は椅子を蹴った。

 

 考えるより先に身体が動いていた。

 

 窓を開け、外へ出る。

 

 エモルギアが鳴る。

 

 銀と金の装甲が身体を覆う。

 

 ギャバン・キング。

 

 太郎ではない。

 

 訓練場上部の転移導線から降りる。

 

 黒い粒子が、絶花の前へ伸びていた。

 

 不安。

 

 疑念。

 

 置いていかれる感覚。

 

 そういうものは、正義や怒りと同じくらい燃えやすい。

 

 俺は無言で割って入る。

 

 掌を翳す。

 

 エモルギアが黒い粒子を束ねる。潰すのではなく、集める。集めて、圧縮する。

 

『キングが封じる! 全員動くな! 下手に聖光や魔力を出すと混ざるぞ!』

 

 レオルドが叫ぶ。

 

 絶花が息を呑んだ。

 

「……また」

 

 その声は小さい。

 

 俺は反応しない。

 

 反応できない。

 

 ギャバン・キングとしてここにいる以上、太郎として絶花へ声をかけることはできない。

 

 イリナも顔を上げる。

 

『ギャバン・キング!』

 

 碧が笑った。

 

『相変わらず無言で美味しいところを持っていくな!』

 

『感想は後にしろ!』

 

 レオルドが怒鳴る。

 

 俺は黒い粒子を掌の中へまとめ、小さな結晶へ圧縮した。

 

 黒い。

 

 軽い。

 

 なのに嫌な重さがある。

 

 それをレオルドへ投げ渡す。

 

『雑に投げんな! 危険物だぞ!』

 

 レオルドが前足で器用にケースを開き、結晶を受け止める。

 

 俺は無言で頷き、すぐにその場を離れた。

 

 長居はしない。

 

 喋らない。

 

 見せるべきものだけ見せて、消える。

 

 そういう役目だ。

 

 去り際、絶花の視線だけが背中に刺さった。

 

 イリナの視線は、疑念というより困惑だった。

 

『……あの方は、いつもああなんですか?』

 

『今日は特に喋らせてねえ。余計な情報を出したくないからな』

 

 レオルドの声。

 

『寡黙な正義もまた良いものだ』

 

『お前は少し見習え』

 

 碧の笑い声が続いた。

 

 俺は空き教室へ戻り、装甲を解除した。

 

 制服に戻ると、急に肩が重くなる。装甲を脱いだのに重い。物理的な重さではなく、隠しているものの重さだ。

 

 端末から、後片づけの音声が流れてくる。

 

『残滓でもこれか。ネガエモルギアの感情反応性が上がってる。昨日の商店街はただの実験じゃねえな』

 

 レオルドが言う。

 

『次はもっと強く仕掛けてくる可能性があるわね』

 

 リアスの声。

 

『ああ。しかも、正義感が強い奴ほど狙われる。怒りや不安もだ。感情の濃い場所なら何でも燃える』

 

 イリナが碧に問いかける。

 

『碧さんは……怖くないんですか?』

 

『怖いとも』

 

 即答だった。

 

 イリナは意外そうに息を呑む。

 

『怖いから、仲間と確認しながら進む。自分だけが正しいと思ったら終わりだ』

 

『私も……覚えておきます』

 

 レオルドが碧を見る。

 

『碧。お前の力は危ない。だが、使い方を間違えなけりゃ役に立つ』

 

『褒めているのかね?』

 

『半分だけな』

 

『では、もう半分は?』

 

『声がでけえ』

 

『そこか!』

 

『そこだ。あとレオルドくんって呼ぶな』

 

『では、レオルド殿?』

 

『悪化してんだよ』

 

 会話に少しだけ笑いが戻る。

 

 だが、空気の底にはまだ黒いものが残っていた。

 

 ネガエモルギアは、正義に反応する。

 

 怒りにも反応する。

 

 そして不安にも。

 

 絶花が、さっき何を感じたのか。

 

 それを俺は、考えないわけにはいかなかった。

 

 夕方。

 

 旧校舎の廊下で、絶花は一人立ち止まっていた。

 

 それを俺は、少し離れた場所から見ていた。

 

 声はかけない。

 

 かけられなかった。

 

 絶花は窓の外を見ている。視線の先には、何もない。けれど、何もない場所に何かを見るような目をしていた。

 

「……太郎」

 

 小さな声。

 

 俺の名前。

 

 その背後、窓の外を白く濁った光が一瞬だけ横切った。

 

 触れてはいない。

 

 だが、反応した。

 

 絶花の不安に。

 

 俺は奥歯を噛んだ。

 

 遠くの屋上。

 

 白い翼の影が、校舎を見下ろしている。

 

「正義だけではない」

 

 そいつの声は、風に乗って届いたわけではない。だが、なぜか聞こえた気がした。

 

「不安も、孤独も、疑念も……人の心はよく燃える」

 

 手の中で、ネガエモルギアが脈打つ。

 

「次は、あの少年の周囲を試そう」

 

 白い翼が、夜へ溶ける。

 

 俺は廊下の影から、絶花の背中を見ていた。

 

 面倒な火種は、もう俺のすぐ近くまで来ている。

 

 そう分かっていても、今この場で太郎として駆け寄ることも、ギャバン・キングとして守ることも、どちらも正解にはならない気がした。

 

 秘密は水みたいなものだ。

 

 穴があれば、染み出す。

 

 そして不安もまた、水みたいに隙間へ入り込む。

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

「……くそ」

 

 誰にも聞かせないつもりの悪態だけが、旧校舎の廊下に落ちた。

 

次回の王は

  • 妖怪王
  • 機械王
  • 怪獣王
  • 幻想王
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