サムライガールの幼馴染みは王様を目指す   作:ボルメテウスさん

724 / 724
北欧旅行 Case3

 観光地で人が怒鳴ると、だいたい目立つ。

 

 それが外国の観光地ならなおさらだ。言葉が分からなくても、声の大きさと顔の歪みで、まともな話し合いではないことくらいは伝わる。人間は便利だ。怒っている時だけは、言語の壁を簡単に越える。

 

 大陸間の橋の向こう側で、一人の男が叫んでいた。

 

 最初は、ただの口論に見えた。

 

 誰かとぶつかったとか、写真を邪魔されたとか、道を間違えたとか。観光地で起こりがちな、つまらない苛立ち。そういうものの延長だと思えば、まだ説明はつく。

 

 だが、男の怒り方は普通ではなかった。

 

「ふざけるな……何で俺ばかり……!」

 

 声が低く、濁っている。

 

 目の焦点が合っていない。足元の黒い砂が、不自然に震えている。肩口から、薄い黒いもやが立ち上っていた。レイキャネス半島の白い蒸気に混じってしまえば、見逃してもおかしくないほど薄い。けれど、色が違う。温度も違う。あれは地面から出ている蒸気ではない。

 

 感情から漏れている汚れだ。

 

『出たな。ネガエモルギア反応だ。ただし、濃度はまだ低い』

 

 耳元の通信端末から、レオルドの声が入った。

 

 俺は観光客たちの流れから少し外れた位置に立ち、男と周囲の距離を測る。絶花は俺の半歩後ろ。蒸気の白に顔を半分隠しながら、黒いもやを見ていた。

 

「低い割には、もう人間が壊れかけてるぞ」

 

『地熱ノイズのせいで見え方が悪い。実際はもっと濃いかもしれねえ』

 

「助ける?」

 

 絶花が小さく聞いた。

 

「助ける。ただし、観光客の範囲でな」

 

 そう言った直後、ロスヴァイセが前へ出た。

 

 白と淡青の装備が、風の中で揺れる。観光客の間に立つにはあまりにも目立つ姿だったが、こういう時にはその方がいい。危険な場所へ向かう人間が一目で分かるというのは、それだけで避難誘導になる。

 

「下がってください! この方には近づかないで!」

 

 声はよく通った。

 

 丁寧だが、強い。

 

 ロスヴァイセは男の前で足を止め、淡青のルーンを展開した。光の文字が円を描き、男を囲む。攻撃ではない。拘束でも、まだ弱い。まずは暴走した感情を抑え、周囲へ飛び火させないための防壁だ。

 

「落ち着いてください。あなたの感情は、外部から刺激されています」

 

「うるさい! 全部、俺を馬鹿にしてるんだろ!」

 

 男の腕が跳ねる。

 

 黒いもやが濃くなり、細い触手のように地面を這った。ロスヴァイセの足元へ伸びる。彼女は即座に魔術で弾いたが、もやは地面に散って、また男の背中へ戻っていく。

 

「やはり、通常の精神汚染ではありませんね……」

 

 ロスヴァイセの判断は速い。

 

 だが、場所が悪い。

 

 橋の周囲には観光客が多い。強い魔術を使えば巻き込む。地熱地帯に近いせいで、木道から外れるのも危ない。足場を間違えれば、相手を助ける前に別の被害者が出る。

 

「皆さん、木道から離れず、ゆっくり後退してください!」

 

 ロスヴァイセが声を張る。

 

 けれど、観光客は簡単には動かない。

 

 逃げたい者、動画を撮る者、状況が分からず固まる者。人間は危険を前にした時、必ずしも正しく離れられるわけではない。むしろ、どうしていいか分からない時間が一番危ない。

 

 俺は近くの観光客へ声をかけた。

 

「走るな。木道から落ちたら、助かるものも助からねぇぞ」

 

 男がこちらを振り返る。

 

「でも、あれは何なんだよ!」

 

「知るか。分からないもんからは、静かに離れろ。叫んでも距離は増えねぇ」

 

 少し乱暴だったかもしれない。

 

 だが、今は優しく説明している時間がない。強い言葉で進行方向だけ示せば、人は案外動く。怖がっている時ほど、分かりやすい指示に従うからだ。

 

 数人が下がり始める。

 

 絶花も、木道の脇で小さく手を上げた。

 

「こっち……道、空いてます」

 

 声は小さい。

 

 それでも、彼女は逃げる人たちの動線を作ろうとしていた。言葉が通じきらない相手には、身振りで伝える。手を振って、足元を指して、木道から外れないように示す。

 

 ぎこちない。

 

 けれど、悪くない。

 

「悪くない」

 

 俺が言うと、絶花は少しだけこちらを見た。

 

「……今は、友達作りじゃない」

 

「人と話す練習にはなる」

 

「それ、今言う?」

 

「今だからだろ」

 

 絶花は返事をしなかったが、逃げる観光客へもう一度手を振った。

 

 ロスヴァイセは暴走者を抑えながら、こちらを見ていた。視線が鋭い。財布を拾った時から疑われていたが、今のでさらに疑いが濃くなったらしい。

 

「あなた……なぜそんなに冷静なのですか!」

 

「日本人観光客は、案外肝が据わってるんだよ」

 

「絶対に違います!」

 

「じゃあ、個人差だ」

 

「そういう問題ではありません!」

 

 ロスヴァイセが言い返した直後、黒いもやが彼女の足元へ伸びた。

 

 気づくのが半拍遅い。

 

 ロスヴァイセは前の男に意識を割かれている。観光客もまだ完全には下がり切っていない。強い動きで避ければ、背後の人間に接触する。

 

 面倒だな。

 

 俺は足元の小石を蹴った。

 

 特別な動きではない。

 

 ただ、靴先で転がしただけだ。観光地で足元の石を蹴ってしまうことくらい、誰にでもある。

 

 小石は黒いもやの節に当たった。

 

 軌道がわずかに逸れる。

 

 その隙に、ロスヴァイセのルーンがもやを切り払った。

 

「今の……」

 

「足元、危なかったぞ」

 

「あなたが蹴ったのですか?」

 

「転がったんだろ」

 

「嘘が下手ですね」

 

「よく言われる」

 

 正確には、嘘が下手なのではない。

 

 隠す気が半分くらいしかない嘘をつくから怪しまれるのだ。分かっている。分かっているが、全部真面目に取り繕うのは性に合わない。

 

『太郎、妙だ』

 

 レオルドの声が低くなった。

 

『反応の中心が暴走者じゃねえ』

 

「どういうことだ」

 

『こいつは受信側だ。外部から感情を増幅されてる』

 

 俺は男の背中を見る。

 

 黒いもやは男から出ているように見える。だが、流れが逆だ。地面の蒸気に混じった細い線が、男の背中へ入り込んでいる。

 

「発信源は?」

 

『地熱ノイズが邪魔で絞れねえ。ただ、大陸間の橋からグンヌクヴェル方面へ線が伸びてる』

 

 白い蒸気の奥を見る。

 

 一瞬だけ、黒い筋が混じった。

 

「蒸気に隠してるのか」

 

『だろうな。地形を使って反応を散らしてる。素人じゃねえ』

 

「犯人、別にいる?」

 

 絶花が聞く。

 

「ああ。面倒な方のやつだ」

 

 暴走者の状態が悪化した。

 

 男の腕が黒く膨らみ、もやが筋肉のように絡みつく。本人の肉体が変質しているわけではない。外側から感情の汚れが貼りつき、無理やり力を増幅している。

 

 近くの観光案内板が殴られ、金属が歪んだ。

 

 観光客が悲鳴を上げる。

 

「まずい……このままでは身体が耐えられません!」

 

 ロスヴァイセがルーンを強める。

 

 男を傷つけないように、外側のもやだけを剥がそうとしている。いい判断だ。だが、狙う場所が少し違う。

 

 感情を切るんじゃない。

 

 外からの線を切る。

 

『正解だ。暴走者の背中側、黒いもやの根元に細い接続線がある』

 

 レオルドの解析が届く。

 

 俺にも見えた。

 

 薄い。

 

 地熱の白い蒸気に紛れて、ほとんど糸みたいな黒い線が男の背中へ入っている。

 

 ロスヴァイセに言えば怪しまれる。

 

 言わなければ間に合わない。

 

 どちらが面倒か。

 

 考えるまでもなかった。

 

「おい、ロスヴァイセ!」

 

「何ですか!」

 

「背中だ。本人じゃなく、後ろの黒い線を狙え」

 

 ロスヴァイセが一瞬だけ目を見開いた。

 

「なぜそれを……!」

 

「見りゃ分かる」

 

「普通は分かりません!」

 

 それでも、彼女は切り替えた。

 

 疑問は後回し。

 

 目の前の人命が先。

 

 その判断は嫌いじゃない。

 

「ルーン拘束、対象背面へ展開!」

 

 淡青の光が男の背後へ回り込む。黒い接続線を縛る。男の身体からもやが剥がれかけた。

 

 だが、最後の抵抗が強い。

 

 黒い線がロスヴァイセの魔術を押し返す。地面の蒸気が噴き上がり、視界が白く染まった。線の根元が案内板の陰に隠れ、ルーンの光が届ききらない。

 

 俺は近くに倒れていた観光用の金属ポールを拾った。

 

 ただのポールだ。

 

 魔法でも武器でもない。

 

 観光客でも持てるし、持ったところで正体はばれない。たぶん。

 

「太郎」

 

 絶花が小さく呼ぶ。

 

「大丈夫だ。観光客でも棒くらい拾う」

 

「拾うかな」

 

「拾うことにする」

 

 ポールを地面に差し込み、てこの要領で歪んだ案内板をずらす。

 

 金属が軋んだ。

 

 黒いもやが絡みついていた遮蔽物が動き、接続線が露出する。

 

 ロスヴァイセが即座に反応した。

 

「今です!」

 

 彼女のルーンが収束する。

 

「解除!」

 

 淡青の光が黒い線を断ち切った。

 

 男の身体からもやが抜ける。黒い感情の塊は空中でほどけ、蒸気に混じろうとして、ロスヴァイセの魔術に封じられた。

 

 暴走していた男は、その場に崩れ落ちる。

 

 ロスヴァイセが駆け寄り、呼吸を確認した。

 

「呼吸はあります。命に別状はありません」

 

 観光客たちのざわめきが戻る。

 

 さっきまでの緊張が、遅れて恐怖に変わっていく。こういう時、人は助かった後に初めて震える。

 

 俺はポールを元の位置へ戻した。

 

 何食わぬ顔をする。

 

 絶花がじっと見てくる。

 

「今の、観光客?」

 

「観光客でも棒くらい動かすだろ」

 

「動かさないと思う」

 

「地域差だ」

 

「日本でもしない」

 

 反論できなかった。

 

 ロスヴァイセがこちらへ歩いてくる。

 

 表情には、感謝と疑念が同じくらい乗っていた。なかなか器用な顔だ。

 

「助かりました。あなたの指摘がなければ、解除に時間がかかっていたでしょう」

 

「偶然だ」

 

「偶然で背中の接続線は見抜けません」

 

「目がいいんだよ」

 

「それだけでは説明がつきません」

 

 俺は肩をすくめた。

 

「財布を拾うし、目もいい観光客。便利だろ」

 

「便利というより、不審です」

 

「太郎、不審」

 

「お前はどっちの味方だ」

 

「事実の味方」

 

 絶花の返しは淡々としている。

 

 ロスヴァイセは少しだけ息を吐いた。

 

「あなた方は、しばらくこの地域から離れてください。危険です」

 

「観光途中なんだが」

 

「命より観光を優先しないでください」

 

「正論だな」

 

 正論は苦手だ。

 

 特に、相手が真面目に言っている時の正論は扱いに困る。

 

 その時、ロスヴァイセが封じていた黒いもやの一部が、するりと蒸気へ溶けた。

 

 逃げた。

 

『逃げたぞ。反応の線はグンヌクヴェル方面へ戻ってる』

 

 レオルドの声がすぐに飛ぶ。

 

「やっぱり本命は別か」

 

 俺は呟いた。

 

 ロスヴァイセがこちらを見る。

 

「まだ、終わっていない……?」

 

 危ない。

 

 今のは、こちらの情報源を知っている前提の反応だった。

 

 俺は蒸気の方へ目を向ける。

 

「蒸気の方、嫌な感じがするな」

 

「あなた、本当に何者ですか」

 

「善良な観光客」

 

「その言葉の信用度が、会うたびに下がっています」

 

「じゃあ、財布を拾った観光客」

 

「それだけは事実ですね」

 

 ロスヴァイセは悩むように眉を寄せた。

 

 俺たちを追い払いたい。

 

 だが、追い払ったところで勝手に動きそうだと思っている。

 

 正解だ。

 

 よく分かっている。

 

 彼女は数秒だけ沈黙したあと、諦めたように言った。

 

「分かりました。あなた方をここに放置する方が、かえって危険そうです」

 

「それはどういう意味だ」

 

「そのままの意味です。私の目の届く範囲にいてください」

 

「同行?」

 

 絶花が聞く。

 

「一時的に、です。あなた方は観光客として振る舞ってください。ただし、勝手な行動はしないこと」

 

「観光客として振る舞えって言われたのに、勝手な行動するなって矛盾してねぇか」

 

「あなたの場合、必要な制限です」

 

『見抜かれてんじゃねえか』

 

 レオルドが笑うように言った。

 

「うるさい」

 

 ロスヴァイセはグンヌクヴェル方面を見た。

 

 白い蒸気が濃く立ち上っている。

 

 その奥に、黒い揺らぎが一瞬だけ見えた。

 

「本命は、あちらですね」

 

 俺も同じ方向を見る。

 

「北欧観光、ますます面倒になってきたな」

 

「でも、少し楽しい」

 

 絶花が言った。

 

 その顔は、ほんの少しだけ明るい。

 

 さっき、観光客を誘導した時の緊張がまだ残っている。だが、それ以上に、日本ではない場所で、自分が何かをしたという小さな実感があるのかもしれない。

 

 なら、悪くない。

 

「なら、元は取るか」

 

 蒸気の向こうで、黒い反応がまた揺れた。

 

 ロスヴァイセは真面目な顔で前へ歩き出す。

 

 俺は観光客の顔をしたまま、その少し後ろを歩いた。

 

 正体はまだ出さない。

 

 今はまだ、怪しい観光客で十分だった。

 

次回の王は

  • 妖怪王
  • 機械王
  • 怪獣王
  • 幻想王
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(必須:5文字~500文字)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

精霊仕い ~それは精霊ですか? いいえロボットです~(作者:忌野希和)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

神無き大陸の東端にとある小国があった。▼小国の更に東には人類未踏の樹海が広がり、人類の脅威となる魔獣が無数に生息している。▼魔獣から小国を守っているのは樹海と隣接している男爵家だ。▼男爵家は先祖代々、一子相伝で受け継がれる強力な精霊たちを使役する〈精霊使い〉で、小国の国防を一手に担っていた。▼事件は男爵家当主がシキという転生者の少年に代替わりした時に起こる。…


総合評価:1004/評価:7.48/連載:270話/更新日時:2026年06月03日(水) 07:10 小説情報

IS学園でホモから逃げるために婚活する(作者:アオノクロ)(原作:インフィニット・ストラトス)

 何番煎じかってくらいのオリ主イン、インフィニットストラトスです。▼ 思い付きで描いたのでいつエタるかも分かりませんがどうぞよろしくお願いします。▼ 相手がいるからってホモはあきらめるんですかね???▼※本編完結しました。活動報告にて番外編を募集してます。https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=333722&…


総合評価:10394/評価:8.34/完結:84話/更新日時:2026年04月08日(水) 18:00 小説情報

アニポケ転生者物語(作者:投稿者)(原作:ポケットモンスター)

物心ついた時、主人公はこの世界がアニメ『ポケットモンスター』の世界だと気づいた。▼リーグ制覇や最強を目指すつもりはない。ただ、この世界の空気を吸い、ポケモンたちと触れ合う「エンジョイ勢」として生きていきたい。▼そう思っていたはずが、旅立ちの日に母から託されたのは、シルフカンパニー製の試作デバイスと、データ収集用のポケモン「ポリゴン」。▼オーキド博士から貰った…


総合評価:1749/評価:7.5/連載:347話/更新日時:2026年06月03日(水) 20:33 小説情報

コードギアス・フロントライナー(作者:なべを)(原作:コードギアス)

コードギアスの世界に転生した、カイ・アサト。▼日本がイレブンになったときに、前世を思い出した。▼が、親が居ないイレブンの子供に人権なんてなかった。▼存在しない兵士として、KMFに載せられ戦争の最前線に送られる。▼これは、KMFに愛されながらも、戦争からは逃げられなかった転生者の話。


総合評価:2470/評価:6.37/完結:45話/更新日時:2026年05月05日(火) 22:00 小説情報

正義の味方と悪い魔法使い(作者:ヒフミくろねこ)(原作:魔法先生ネギま!)

本作は「ネギま!」と「Fate」シリーズによるクロスオーバー小説です。▼もともとは自ブログで公開していた作品ですが、現在ブログにアクセスできなくなってしまったため、こちらで改めて掲載することにしました。▼過去作のため、文章など至らない点もあるかと思いますが、初めての方も、以前お読みいただいた方も、お付き合いいただければ幸いです。


総合評価:5005/評価:8.67/連載:40話/更新日時:2026年06月04日(木) 20:53 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>