サムライガールの幼馴染みは王様を目指す   作:ボルメテウスさん

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北欧旅行 Case3

 観光地で人が怒鳴ると、だいたい目立つ。

 

 それが外国の観光地ならなおさらだ。言葉が分からなくても、声の大きさと顔の歪みで、まともな話し合いではないことくらいは伝わる。人間は便利だ。怒っている時だけは、言語の壁を簡単に越える。

 

 大陸間の橋の向こう側で、一人の男が叫んでいた。

 

 最初は、ただの口論に見えた。

 

 誰かとぶつかったとか、写真を邪魔されたとか、道を間違えたとか。観光地で起こりがちな、つまらない苛立ち。そういうものの延長だと思えば、まだ説明はつく。

 

 だが、男の怒り方は普通ではなかった。

 

「ふざけるな……何で俺ばかり……!」

 

 声が低く、濁っている。

 

 目の焦点が合っていない。足元の黒い砂が、不自然に震えている。肩口から、薄い黒いもやが立ち上っていた。レイキャネス半島の白い蒸気に混じってしまえば、見逃してもおかしくないほど薄い。けれど、色が違う。温度も違う。あれは地面から出ている蒸気ではない。

 

 感情から漏れている汚れだ。

 

『出たな。ネガエモルギア反応だ。ただし、濃度はまだ低い』

 

 耳元の通信端末から、レオルドの声が入った。

 

 俺は観光客たちの流れから少し外れた位置に立ち、男と周囲の距離を測る。絶花は俺の半歩後ろ。蒸気の白に顔を半分隠しながら、黒いもやを見ていた。

 

「低い割には、もう人間が壊れかけてるぞ」

 

『地熱ノイズのせいで見え方が悪い。実際はもっと濃いかもしれねえ』

 

「助ける?」

 

 絶花が小さく聞いた。

 

「助ける。ただし、観光客の範囲でな」

 

 そう言った直後、ロスヴァイセが前へ出た。

 

 白と淡青の装備が、風の中で揺れる。観光客の間に立つにはあまりにも目立つ姿だったが、こういう時にはその方がいい。危険な場所へ向かう人間が一目で分かるというのは、それだけで避難誘導になる。

 

「下がってください! この方には近づかないで!」

 

 声はよく通った。

 

 丁寧だが、強い。

 

 ロスヴァイセは男の前で足を止め、淡青のルーンを展開した。光の文字が円を描き、男を囲む。攻撃ではない。拘束でも、まだ弱い。まずは暴走した感情を抑え、周囲へ飛び火させないための防壁だ。

 

「落ち着いてください。あなたの感情は、外部から刺激されています」

 

「うるさい! 全部、俺を馬鹿にしてるんだろ!」

 

 男の腕が跳ねる。

 

 黒いもやが濃くなり、細い触手のように地面を這った。ロスヴァイセの足元へ伸びる。彼女は即座に魔術で弾いたが、もやは地面に散って、また男の背中へ戻っていく。

 

「やはり、通常の精神汚染ではありませんね……」

 

 ロスヴァイセの判断は速い。

 

 だが、場所が悪い。

 

 橋の周囲には観光客が多い。強い魔術を使えば巻き込む。地熱地帯に近いせいで、木道から外れるのも危ない。足場を間違えれば、相手を助ける前に別の被害者が出る。

 

「皆さん、木道から離れず、ゆっくり後退してください!」

 

 ロスヴァイセが声を張る。

 

 けれど、観光客は簡単には動かない。

 

 逃げたい者、動画を撮る者、状況が分からず固まる者。人間は危険を前にした時、必ずしも正しく離れられるわけではない。むしろ、どうしていいか分からない時間が一番危ない。

 

 俺は近くの観光客へ声をかけた。

 

「走るな。木道から落ちたら、助かるものも助からねぇぞ」

 

 男がこちらを振り返る。

 

「でも、あれは何なんだよ!」

 

「知るか。分からないもんからは、静かに離れろ。叫んでも距離は増えねぇ」

 

 少し乱暴だったかもしれない。

 

 だが、今は優しく説明している時間がない。強い言葉で進行方向だけ示せば、人は案外動く。怖がっている時ほど、分かりやすい指示に従うからだ。

 

 数人が下がり始める。

 

 絶花も、木道の脇で小さく手を上げた。

 

「こっち……道、空いてます」

 

 声は小さい。

 

 それでも、彼女は逃げる人たちの動線を作ろうとしていた。言葉が通じきらない相手には、身振りで伝える。手を振って、足元を指して、木道から外れないように示す。

 

 ぎこちない。

 

 けれど、悪くない。

 

「悪くない」

 

 俺が言うと、絶花は少しだけこちらを見た。

 

「……今は、友達作りじゃない」

 

「人と話す練習にはなる」

 

「それ、今言う?」

 

「今だからだろ」

 

 絶花は返事をしなかったが、逃げる観光客へもう一度手を振った。

 

 ロスヴァイセは暴走者を抑えながら、こちらを見ていた。視線が鋭い。財布を拾った時から疑われていたが、今のでさらに疑いが濃くなったらしい。

 

「あなた……なぜそんなに冷静なのですか!」

 

「日本人観光客は、案外肝が据わってるんだよ」

 

「絶対に違います!」

 

「じゃあ、個人差だ」

 

「そういう問題ではありません!」

 

 ロスヴァイセが言い返した直後、黒いもやが彼女の足元へ伸びた。

 

 気づくのが半拍遅い。

 

 ロスヴァイセは前の男に意識を割かれている。観光客もまだ完全には下がり切っていない。強い動きで避ければ、背後の人間に接触する。

 

 面倒だな。

 

 俺は足元の小石を蹴った。

 

 特別な動きではない。

 

 ただ、靴先で転がしただけだ。観光地で足元の石を蹴ってしまうことくらい、誰にでもある。

 

 小石は黒いもやの節に当たった。

 

 軌道がわずかに逸れる。

 

 その隙に、ロスヴァイセのルーンがもやを切り払った。

 

「今の……」

 

「足元、危なかったぞ」

 

「あなたが蹴ったのですか?」

 

「転がったんだろ」

 

「嘘が下手ですね」

 

「よく言われる」

 

 正確には、嘘が下手なのではない。

 

 隠す気が半分くらいしかない嘘をつくから怪しまれるのだ。分かっている。分かっているが、全部真面目に取り繕うのは性に合わない。

 

『太郎、妙だ』

 

 レオルドの声が低くなった。

 

『反応の中心が暴走者じゃねえ』

 

「どういうことだ」

 

『こいつは受信側だ。外部から感情を増幅されてる』

 

 俺は男の背中を見る。

 

 黒いもやは男から出ているように見える。だが、流れが逆だ。地面の蒸気に混じった細い線が、男の背中へ入り込んでいる。

 

「発信源は?」

 

『地熱ノイズが邪魔で絞れねえ。ただ、大陸間の橋からグンヌクヴェル方面へ線が伸びてる』

 

 白い蒸気の奥を見る。

 

 一瞬だけ、黒い筋が混じった。

 

「蒸気に隠してるのか」

 

『だろうな。地形を使って反応を散らしてる。素人じゃねえ』

 

「犯人、別にいる?」

 

 絶花が聞く。

 

「ああ。面倒な方のやつだ」

 

 暴走者の状態が悪化した。

 

 男の腕が黒く膨らみ、もやが筋肉のように絡みつく。本人の肉体が変質しているわけではない。外側から感情の汚れが貼りつき、無理やり力を増幅している。

 

 近くの観光案内板が殴られ、金属が歪んだ。

 

 観光客が悲鳴を上げる。

 

「まずい……このままでは身体が耐えられません!」

 

 ロスヴァイセがルーンを強める。

 

 男を傷つけないように、外側のもやだけを剥がそうとしている。いい判断だ。だが、狙う場所が少し違う。

 

 感情を切るんじゃない。

 

 外からの線を切る。

 

『正解だ。暴走者の背中側、黒いもやの根元に細い接続線がある』

 

 レオルドの解析が届く。

 

 俺にも見えた。

 

 薄い。

 

 地熱の白い蒸気に紛れて、ほとんど糸みたいな黒い線が男の背中へ入っている。

 

 ロスヴァイセに言えば怪しまれる。

 

 言わなければ間に合わない。

 

 どちらが面倒か。

 

 考えるまでもなかった。

 

「おい、ロスヴァイセ!」

 

「何ですか!」

 

「背中だ。本人じゃなく、後ろの黒い線を狙え」

 

 ロスヴァイセが一瞬だけ目を見開いた。

 

「なぜそれを……!」

 

「見りゃ分かる」

 

「普通は分かりません!」

 

 それでも、彼女は切り替えた。

 

 疑問は後回し。

 

 目の前の人命が先。

 

 その判断は嫌いじゃない。

 

「ルーン拘束、対象背面へ展開!」

 

 淡青の光が男の背後へ回り込む。黒い接続線を縛る。男の身体からもやが剥がれかけた。

 

 だが、最後の抵抗が強い。

 

 黒い線がロスヴァイセの魔術を押し返す。地面の蒸気が噴き上がり、視界が白く染まった。線の根元が案内板の陰に隠れ、ルーンの光が届ききらない。

 

 俺は近くに倒れていた観光用の金属ポールを拾った。

 

 ただのポールだ。

 

 魔法でも武器でもない。

 

 観光客でも持てるし、持ったところで正体はばれない。たぶん。

 

「太郎」

 

 絶花が小さく呼ぶ。

 

「大丈夫だ。観光客でも棒くらい拾う」

 

「拾うかな」

 

「拾うことにする」

 

 ポールを地面に差し込み、てこの要領で歪んだ案内板をずらす。

 

 金属が軋んだ。

 

 黒いもやが絡みついていた遮蔽物が動き、接続線が露出する。

 

 ロスヴァイセが即座に反応した。

 

「今です!」

 

 彼女のルーンが収束する。

 

「解除!」

 

 淡青の光が黒い線を断ち切った。

 

 男の身体からもやが抜ける。黒い感情の塊は空中でほどけ、蒸気に混じろうとして、ロスヴァイセの魔術に封じられた。

 

 暴走していた男は、その場に崩れ落ちる。

 

 ロスヴァイセが駆け寄り、呼吸を確認した。

 

「呼吸はあります。命に別状はありません」

 

 観光客たちのざわめきが戻る。

 

 さっきまでの緊張が、遅れて恐怖に変わっていく。こういう時、人は助かった後に初めて震える。

 

 俺はポールを元の位置へ戻した。

 

 何食わぬ顔をする。

 

 絶花がじっと見てくる。

 

「今の、観光客?」

 

「観光客でも棒くらい動かすだろ」

 

「動かさないと思う」

 

「地域差だ」

 

「日本でもしない」

 

 反論できなかった。

 

 ロスヴァイセがこちらへ歩いてくる。

 

 表情には、感謝と疑念が同じくらい乗っていた。なかなか器用な顔だ。

 

「助かりました。あなたの指摘がなければ、解除に時間がかかっていたでしょう」

 

「偶然だ」

 

「偶然で背中の接続線は見抜けません」

 

「目がいいんだよ」

 

「それだけでは説明がつきません」

 

 俺は肩をすくめた。

 

「財布を拾うし、目もいい観光客。便利だろ」

 

「便利というより、不審です」

 

「太郎、不審」

 

「お前はどっちの味方だ」

 

「事実の味方」

 

 絶花の返しは淡々としている。

 

 ロスヴァイセは少しだけ息を吐いた。

 

「あなた方は、しばらくこの地域から離れてください。危険です」

 

「観光途中なんだが」

 

「命より観光を優先しないでください」

 

「正論だな」

 

 正論は苦手だ。

 

 特に、相手が真面目に言っている時の正論は扱いに困る。

 

 その時、ロスヴァイセが封じていた黒いもやの一部が、するりと蒸気へ溶けた。

 

 逃げた。

 

『逃げたぞ。反応の線はグンヌクヴェル方面へ戻ってる』

 

 レオルドの声がすぐに飛ぶ。

 

「やっぱり本命は別か」

 

 俺は呟いた。

 

 ロスヴァイセがこちらを見る。

 

「まだ、終わっていない……?」

 

 危ない。

 

 今のは、こちらの情報源を知っている前提の反応だった。

 

 俺は蒸気の方へ目を向ける。

 

「蒸気の方、嫌な感じがするな」

 

「あなた、本当に何者ですか」

 

「善良な観光客」

 

「その言葉の信用度が、会うたびに下がっています」

 

「じゃあ、財布を拾った観光客」

 

「それだけは事実ですね」

 

 ロスヴァイセは悩むように眉を寄せた。

 

 俺たちを追い払いたい。

 

 だが、追い払ったところで勝手に動きそうだと思っている。

 

 正解だ。

 

 よく分かっている。

 

 彼女は数秒だけ沈黙したあと、諦めたように言った。

 

「分かりました。あなた方をここに放置する方が、かえって危険そうです」

 

「それはどういう意味だ」

 

「そのままの意味です。私の目の届く範囲にいてください」

 

「同行?」

 

 絶花が聞く。

 

「一時的に、です。あなた方は観光客として振る舞ってください。ただし、勝手な行動はしないこと」

 

「観光客として振る舞えって言われたのに、勝手な行動するなって矛盾してねぇか」

 

「あなたの場合、必要な制限です」

 

『見抜かれてんじゃねえか』

 

 レオルドが笑うように言った。

 

「うるさい」

 

 ロスヴァイセはグンヌクヴェル方面を見た。

 

 白い蒸気が濃く立ち上っている。

 

 その奥に、黒い揺らぎが一瞬だけ見えた。

 

「本命は、あちらですね」

 

 俺も同じ方向を見る。

 

「北欧観光、ますます面倒になってきたな」

 

「でも、少し楽しい」

 

 絶花が言った。

 

 その顔は、ほんの少しだけ明るい。

 

 さっき、観光客を誘導した時の緊張がまだ残っている。だが、それ以上に、日本ではない場所で、自分が何かをしたという小さな実感があるのかもしれない。

 

 なら、悪くない。

 

「なら、元は取るか」

 

 蒸気の向こうで、黒い反応がまた揺れた。

 

 ロスヴァイセは真面目な顔で前へ歩き出す。

 

 俺は観光客の顔をしたまま、その少し後ろを歩いた。

 

 正体はまだ出さない。

 

 今はまだ、怪しい観光客で十分だった。

 

次回の王は

  • 妖怪王
  • 機械王
  • 怪獣王
  • 幻想王
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