サムライガールの幼馴染みは王様を目指す   作:ボルメテウスさん

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北欧旅行 Case5

 黒い蒸気が、白い蒸気の中で膨らんでいた。

 

 観光地というのは、本来、分かりやすい場所であるべきだ。ここから先は危険です。この木道を歩いてください。この景色が見どころです。あちらが灯台です。そうやって、人間が自然の荒さに線を引き、安全と危険を分ける。

 

 だが、今のグンヌクヴェル地熱地帯は、その線が崩れかけていた。

 

 白い蒸気に黒い粒子が混じる。泥沼の泡が黒ずみ、木道の影がありえない長さに伸びる。噴気孔から立ち上る湯気が渦を巻き、人型とも獣型ともつかない影を形作っていた。

 

 小型エモンズ。

 

 まだ完全な怪物ではない。けれど、放っておけばすぐに形を持つ。そういう気配があった。

 

「下がってください。あれは、普通の魔力反応ではありません」

 

 ロスヴァイセが前に出る。

 

 淡青のルーンが彼女の周囲に浮かび、黒い蒸気との境界線を作った。

 

「普通じゃないのは見れば分かる」

 

「でしたら下がってください」

 

「下がった方が邪魔になる位置なら下がる」

 

「なぜ戦う前提なのですか」

 

「観光客にも自衛権はあるだろ」

 

「たぶん、ない」

 

 絶花が横から冷静に刺してきた。

 

 正論だった。

 

『小型エモンズ化しかけてる。中継器が周囲の不安と怒りを吸って、仮の体を作ってやがる』

 

 レオルドの声が通信に入る。

 

 黒い影が腕を伸ばした。

 

 泥と蒸気と感情を混ぜたような腕だ。輪郭があるようでない。ロスヴァイセがルーン障壁を展開し、それを受け止める。黒い腕は障壁に当たり、霧のように散った。

 

 だが、消えない。

 

 霧になった黒い粒子は、白い蒸気に紛れ、別の場所でまた腕を作る。

 

「散開型……いえ、蒸気に混じって形を変えている?」

 

『熱と水蒸気にネガエモルギアを乗せてる。実体が薄い。普通に斬っても霧散して戻るぞ』

 

「つまり、核を探すしかない」

 

 俺が言うと、ロスヴァイセがこちらを見た。

 

「また、あなたは……」

 

「観光地にいると、色々見えるんだよ」

 

「もう少し believable な嘘をついてください」

 

「急に英語混ぜるな」

 

「あなたの嘘が雑すぎるからです」

 

 ロスヴァイセは文句を言いながらも、戦術を切り替えた。

 

 いい判断だ。

 

 疑っていても、使える情報は使う。こういう真面目さは嫌いじゃない。

 

 黒い蒸気は木道沿いに広がり始めていた。逃げ遅れた観光客たちが悲鳴を上げる。足元を見ずに走り出そうとする者がいる。最悪だ。ここで木道から外れれば、黒い蒸気以前に地熱地帯そのものが危ない。

 

 俺は声を張った。

 

「木道の右側を空けろ。押すな。転んだ奴がいたら引き上げろ」

 

「何なんだ、あれは!」

 

 近くの男が叫ぶ。

 

「知らないもんを見るたびに叫んでたら、人生の喉がもたねぇぞ」

 

 乱暴な言い方だが、足は止まった。

 

 止まれば、次の指示が入る。

 

「風上へ動け。蒸気を吸うな。顔を布で覆え。スマホ構える余裕があるなら、前見て歩け」

 

 観光客たちが少しずつ動き始める。

 

 絶花も前に出た。

 

「こっち、ゆっくり。木道、外れないで」

 

 前より声が出ている。

 

 まだ大きくはない。だが、確かに届いていた。身振りで道を示し、後ろへ下がる人の流れを作る。言葉が通じない相手にも、手の動きと表情で伝えようとしている。

 

「声、出てるじゃねぇか」

 

「少しだけ」

 

「十分だ」

 

 絶花は小さく頷いた。

 

 その間にも、小型エモンズは黒い蒸気を広げている。

 

 厄介なのは、直接殴るだけではないところだった。黒い粒子が観光客の不安を撫でる。誰かが怒鳴りそうになる。誰かが泣きそうになる。恐怖が恐怖を呼び、怒りが怒りを増やす。

 

「感情干渉が広がっています!」

 

『太郎、まずい。こいつ、戦闘より群衆の感情を餌にしてる』

 

「火元じゃなく、周りの燃料を増やすタイプか」

 

 ロスヴァイセの表情が険しくなった。

 

「人を餌にするなど……!」

 

 怒っている。

 

 だが、突っ込まない。

 

 ロスヴァイセは怒りを飲み込み、術式を整えた。

 

「周囲の感情干渉を遮断します。少し時間をください」

 

「時間稼ぎなら、観光客でもできる」

 

「普通はできません」

 

「俺は普通じゃない観光客らしいしな」

 

「それを自分で言うのが、さらに怪しいのです」

 

 言いながら、俺は周囲を見る。

 

 噴気孔。木道。風向き。観光案内板。保護柵。ロープ。濡れた板。黒い蒸気は風下へ流れている。なら、人間は風上へ逃がす。ロスヴァイセの術式は黒い蒸気の正面を抑えている。なら、動線はその外側に作る。

 

 観光案内板を支えていたロープを外し、黒い蒸気の進路の手前に掛け直した。

 

 ロープそのものに力はない。

 

 だが、人間は線があると止まる。

 

「ここから先に行くな。白い蒸気ならまだしも、黒いのは触るな」

 

 観光客が頷く。

 

 ロスヴァイセがその動線を見て、ルーン障壁の配置を変えた。

 

 俺が作った人の流れに合わせて、防御の範囲を絞る。無駄に広く守るより、逃げ道を固めた方が効率がいい。

 

「……助かります」

 

「気のせいだ」

 

「その言い方は感謝を受け取り慣れていない人のものです」

 

「分析するな」

 

 ロスヴァイセは真面目な顔のまま、少しだけ困ったように眉を動かした。

 

『見えた』

 

 レオルドの声が割り込む。

 

『核は噴気孔の奥、割れた中継器の内側だ。蒸気の渦が邪魔で、ロスヴァイセの術式が届きにくい』

 

「つまり、蒸気を割る必要がある」

 

『ああ。ただし、お前がやると正体が近づく』

 

「分かってる」

 

 俺はロスヴァイセを見る。

 

「ロスヴァイセ、あの黒い蒸気、風で割れるか」

 

「可能ですが、十分な隙を作るには時間が――」

 

「なら、風向きを使え」

 

「風向き?」

 

 俺は海の方を指した。

 

 冷たい海風が、ずっとこの地熱地帯を撫でている。蒸気はそれに流されている。つまり、ここの風は敵でも味方でもない。ただの条件だ。条件なら、使えばいい。

 

「自然の風に術式を乗せれば、力を全部自前で出す必要はない」

 

 ロスヴァイセが一瞬黙った。

 

「……観光客の提案とは思えませんね」

 

「旅行中に風を読む趣味がある」

 

「嘘が雑です」

 

「便利だろ」

 

「雑な嘘がですか?」

 

「風が」

 

 ロスヴァイセは何か言いたそうだったが、すぐに前へ向き直った。

 

「ルーン展開。風向き補正、術式同期」

 

 淡青の文字が風に乗る。

 

 白い蒸気と黒い蒸気が、刃物で裂かれたように左右へ割れた。一瞬だけ、噴気孔の奥が見える。割れた中継器の内側で、黒い小さな核が脈打っていた。

 

「見えました!」

 

 小型エモンズが危険を察知する。

 

 黒い腕が伸び、ロスヴァイセの術式を妨害しようとした。

 

 俺は近くの金属ポールを蹴った。

 

 ポールは転がり、黒い腕の進路に当たる。わずかに軌道が逸れた。その隙に、ロスヴァイセのルーンが保たれる。

 

「足場、悪いな」

 

「今、明らかに狙いましたよね?」

 

「気のせいだ」

 

「あとで聞きます」

 

「覚えてたらな」

 

 ロスヴァイセは追及を切り捨て、封印術に集中した。

 

「封印術式、収束。対象、ネガエモルギア中継核!」

 

 淡青の光が槍のように伸びる。

 

 小型エモンズが咆哮した。

 

 咆哮というより、複数の怒鳴り声と泣き声を混ぜたような音だった。黒い蒸気が一気に膨らみ、ロスヴァイセを押し返そうとする。

 

「絶花、後ろの観光客をもう一段下げろ」

 

「分かった」

 

 絶花は走らず、しかし急いで動いた。

 

「下がって。もう少し。こっち」

 

 声は震えている。

 

 それでも、足は止まらない。手も下げない。観光客たちを後ろへ誘導し、木道の端から離す。

 

 俺は横目でそれを確認し、ロスヴァイセの術式へ視線を戻した。

 

 淡青の槍が黒い核へ届く。

 

「封印!」

 

 光が弾けた。

 

 黒い核を包むように、ルーンが幾重にも重なる。小型エモンズの輪郭が一瞬膨らみ、泥沼の泡が黒く噴き上がった。

 

 次の瞬間、黒い蒸気が急速に薄れていく。

 

 腕の形が崩れる。

 

 伸びていた木道の影が戻る。

 

 黒く泡立っていた泥沼が、元の濁った色へ戻っていく。

 

 完全な怪物になる前に、封じた。

 

 ロスヴァイセが膝をつきかけた。

 

 だが、踏み止まる。

 

「無理すんな。今のは消耗がでかいだろ」

 

「……なぜ、そう分かるのですか」

 

「顔色」

 

「そこまで見ていたのですか」

 

「観察力のある観光客なんだよ」

 

「それで通すつもりですか」

 

「通るまで通す」

 

「無理がある」

 

 絶花が言った。

 

『無理だな』

 

 レオルドまで言った。

 

「お前らは黙ってろ」

 

 ロスヴァイセは息を整えながら、封印された中継核の残骸を確認した。

 

 黒い金属片はひび割れ、淡青の封印光に包まれている。だが、その表面には細い線のような刻印が残っていた。地図ではない。だが、反応の流れを示すログだ。

 

『太郎、これ一個で終わりじゃねえ。中継器のログに別座標が残ってる』

 

「複数あるのか」

 

 しまった、と思った時には、もう遅い。

 

 ロスヴァイセがこちらを見た。

 

「複数?」

 

 俺は何食わぬ顔をする。

 

 ロスヴァイセは残骸へ視線を戻し、自分の術式で情報を読む。数秒後、彼女の表情が険しくなった。

 

「……あなたの言う通りです。これは単独の装置ではありません。中継網の一部です」

 

「面倒だな」

 

「本当に、あなたは何をどこまで分かっているのですか」

 

「観光客の勘」

 

「その言葉、次に言ったら信じません」

 

「今まで信じてたのか?」

 

「信じていません」

 

「じゃあ問題ないな」

 

「あります」

 

 ロスヴァイセは俺をじっと見た。

 

 疑いは強い。

 

 だが、警戒だけではない。さっきまでとは少し違う。俺の判断が実際に役に立つと分かった上での目だ。厄介だ。疑いながら使えると判断されるのは、ただ疑われるより面倒である。

 

「あなた方には、もう少し同行してもらいます」

 

「拒否権は?」

 

「あります。ただし、拒否した場合、私はあなたを不審者として扱います」

 

「実質ないじゃねぇか」

 

「不審者」

 

 絶花が呟く。

 

「繰り返すな」

 

「安全確保のためです」

 

 ロスヴァイセはまっすぐに言った。

 

「あなた方が何者かは分かりませんが、少なくとも人を助ける側であることは分かりました」

 

 少しだけ、返事が遅れた。

 

 人を助ける側。

 

 簡単に言われると、どうにもむず痒い。

 

「そいつはどうも」

 

「ですが、信用したわけではありません」

 

「面倒な信頼関係だな」

 

「信頼関係ではありません。監視です」

 

『よかったな。観光客から監視対象へ昇格だ』

 

 レオルドが余計なことを言う。

 

「何もよくねぇ」

 

 ロスヴァイセは中継器の残骸から次の反応を読み取った。

 

 淡青のルーンが地図のように広がり、一本の線が海岸方面へ伸びる。

 

「次の反応は海岸方面……ブリムケティル付近か、灯台方面に伸びています」

 

「観光名所を順番に回る気かよ」

 

「観光できる?」

 

 絶花が少しだけ期待した声を出す。

 

「事件がなければな」

 

「事件があるから向かうのです」

 

 ロスヴァイセが即座に言った。

 

「分かってるよ」

 

 海風が強く吹いた。

 

 白い蒸気が流れ、黒い粒子の残滓は薄く消えていく。見た目だけなら、地熱地帯は元の観光地に戻りつつあった。

 

 だが、レオルドの端末には新たな反応線が残っている。

 

『こいつは思ったより広い網だな。単なる現地犯罪じゃねえかもしれねえ』

 

 俺は遠くの海を見る。

 

 灰色の波が、黒い溶岩の海岸に当たって白く砕けていた。

 

「北欧観光、完全に仕事になったな」

 

「でも、写真は撮りたい」

 

「余裕があればな」

 

 ロスヴァイセがため息をついた。

 

「あなた方、本当に緊張感があるのかないのか分かりません」

 

「あるから、余計な力を抜いてんだよ」

 

 それは半分本当で、半分嘘だった。

 

 正体はまだ隠す。

 

 ギャバン・キングはまだ出さない。

 

 今は、怪しい観光客で十分だ。

 

 ロスヴァイセはそう思っていないだろうが、俺たちは次の中継地点へ向かうため、グンヌクヴェルを後にした。

 

次回の王は

  • 妖怪王
  • 機械王
  • 怪獣王
  • 幻想王
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