サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
黒い蒸気が、白い蒸気の中で膨らんでいた。
観光地というのは、本来、分かりやすい場所であるべきだ。ここから先は危険です。この木道を歩いてください。この景色が見どころです。あちらが灯台です。そうやって、人間が自然の荒さに線を引き、安全と危険を分ける。
だが、今のグンヌクヴェル地熱地帯は、その線が崩れかけていた。
白い蒸気に黒い粒子が混じる。泥沼の泡が黒ずみ、木道の影がありえない長さに伸びる。噴気孔から立ち上る湯気が渦を巻き、人型とも獣型ともつかない影を形作っていた。
小型エモンズ。
まだ完全な怪物ではない。けれど、放っておけばすぐに形を持つ。そういう気配があった。
「下がってください。あれは、普通の魔力反応ではありません」
ロスヴァイセが前に出る。
淡青のルーンが彼女の周囲に浮かび、黒い蒸気との境界線を作った。
「普通じゃないのは見れば分かる」
「でしたら下がってください」
「下がった方が邪魔になる位置なら下がる」
「なぜ戦う前提なのですか」
「観光客にも自衛権はあるだろ」
「たぶん、ない」
絶花が横から冷静に刺してきた。
正論だった。
『小型エモンズ化しかけてる。中継器が周囲の不安と怒りを吸って、仮の体を作ってやがる』
レオルドの声が通信に入る。
黒い影が腕を伸ばした。
泥と蒸気と感情を混ぜたような腕だ。輪郭があるようでない。ロスヴァイセがルーン障壁を展開し、それを受け止める。黒い腕は障壁に当たり、霧のように散った。
だが、消えない。
霧になった黒い粒子は、白い蒸気に紛れ、別の場所でまた腕を作る。
「散開型……いえ、蒸気に混じって形を変えている?」
『熱と水蒸気にネガエモルギアを乗せてる。実体が薄い。普通に斬っても霧散して戻るぞ』
「つまり、核を探すしかない」
俺が言うと、ロスヴァイセがこちらを見た。
「また、あなたは……」
「観光地にいると、色々見えるんだよ」
「もう少し believable な嘘をついてください」
「急に英語混ぜるな」
「あなたの嘘が雑すぎるからです」
ロスヴァイセは文句を言いながらも、戦術を切り替えた。
いい判断だ。
疑っていても、使える情報は使う。こういう真面目さは嫌いじゃない。
黒い蒸気は木道沿いに広がり始めていた。逃げ遅れた観光客たちが悲鳴を上げる。足元を見ずに走り出そうとする者がいる。最悪だ。ここで木道から外れれば、黒い蒸気以前に地熱地帯そのものが危ない。
俺は声を張った。
「木道の右側を空けろ。押すな。転んだ奴がいたら引き上げろ」
「何なんだ、あれは!」
近くの男が叫ぶ。
「知らないもんを見るたびに叫んでたら、人生の喉がもたねぇぞ」
乱暴な言い方だが、足は止まった。
止まれば、次の指示が入る。
「風上へ動け。蒸気を吸うな。顔を布で覆え。スマホ構える余裕があるなら、前見て歩け」
観光客たちが少しずつ動き始める。
絶花も前に出た。
「こっち、ゆっくり。木道、外れないで」
前より声が出ている。
まだ大きくはない。だが、確かに届いていた。身振りで道を示し、後ろへ下がる人の流れを作る。言葉が通じない相手にも、手の動きと表情で伝えようとしている。
「声、出てるじゃねぇか」
「少しだけ」
「十分だ」
絶花は小さく頷いた。
その間にも、小型エモンズは黒い蒸気を広げている。
厄介なのは、直接殴るだけではないところだった。黒い粒子が観光客の不安を撫でる。誰かが怒鳴りそうになる。誰かが泣きそうになる。恐怖が恐怖を呼び、怒りが怒りを増やす。
「感情干渉が広がっています!」
『太郎、まずい。こいつ、戦闘より群衆の感情を餌にしてる』
「火元じゃなく、周りの燃料を増やすタイプか」
ロスヴァイセの表情が険しくなった。
「人を餌にするなど……!」
怒っている。
だが、突っ込まない。
ロスヴァイセは怒りを飲み込み、術式を整えた。
「周囲の感情干渉を遮断します。少し時間をください」
「時間稼ぎなら、観光客でもできる」
「普通はできません」
「俺は普通じゃない観光客らしいしな」
「それを自分で言うのが、さらに怪しいのです」
言いながら、俺は周囲を見る。
噴気孔。木道。風向き。観光案内板。保護柵。ロープ。濡れた板。黒い蒸気は風下へ流れている。なら、人間は風上へ逃がす。ロスヴァイセの術式は黒い蒸気の正面を抑えている。なら、動線はその外側に作る。
観光案内板を支えていたロープを外し、黒い蒸気の進路の手前に掛け直した。
ロープそのものに力はない。
だが、人間は線があると止まる。
「ここから先に行くな。白い蒸気ならまだしも、黒いのは触るな」
観光客が頷く。
ロスヴァイセがその動線を見て、ルーン障壁の配置を変えた。
俺が作った人の流れに合わせて、防御の範囲を絞る。無駄に広く守るより、逃げ道を固めた方が効率がいい。
「……助かります」
「気のせいだ」
「その言い方は感謝を受け取り慣れていない人のものです」
「分析するな」
ロスヴァイセは真面目な顔のまま、少しだけ困ったように眉を動かした。
『見えた』
レオルドの声が割り込む。
『核は噴気孔の奥、割れた中継器の内側だ。蒸気の渦が邪魔で、ロスヴァイセの術式が届きにくい』
「つまり、蒸気を割る必要がある」
『ああ。ただし、お前がやると正体が近づく』
「分かってる」
俺はロスヴァイセを見る。
「ロスヴァイセ、あの黒い蒸気、風で割れるか」
「可能ですが、十分な隙を作るには時間が――」
「なら、風向きを使え」
「風向き?」
俺は海の方を指した。
冷たい海風が、ずっとこの地熱地帯を撫でている。蒸気はそれに流されている。つまり、ここの風は敵でも味方でもない。ただの条件だ。条件なら、使えばいい。
「自然の風に術式を乗せれば、力を全部自前で出す必要はない」
ロスヴァイセが一瞬黙った。
「……観光客の提案とは思えませんね」
「旅行中に風を読む趣味がある」
「嘘が雑です」
「便利だろ」
「雑な嘘がですか?」
「風が」
ロスヴァイセは何か言いたそうだったが、すぐに前へ向き直った。
「ルーン展開。風向き補正、術式同期」
淡青の文字が風に乗る。
白い蒸気と黒い蒸気が、刃物で裂かれたように左右へ割れた。一瞬だけ、噴気孔の奥が見える。割れた中継器の内側で、黒い小さな核が脈打っていた。
「見えました!」
小型エモンズが危険を察知する。
黒い腕が伸び、ロスヴァイセの術式を妨害しようとした。
俺は近くの金属ポールを蹴った。
ポールは転がり、黒い腕の進路に当たる。わずかに軌道が逸れた。その隙に、ロスヴァイセのルーンが保たれる。
「足場、悪いな」
「今、明らかに狙いましたよね?」
「気のせいだ」
「あとで聞きます」
「覚えてたらな」
ロスヴァイセは追及を切り捨て、封印術に集中した。
「封印術式、収束。対象、ネガエモルギア中継核!」
淡青の光が槍のように伸びる。
小型エモンズが咆哮した。
咆哮というより、複数の怒鳴り声と泣き声を混ぜたような音だった。黒い蒸気が一気に膨らみ、ロスヴァイセを押し返そうとする。
「絶花、後ろの観光客をもう一段下げろ」
「分かった」
絶花は走らず、しかし急いで動いた。
「下がって。もう少し。こっち」
声は震えている。
それでも、足は止まらない。手も下げない。観光客たちを後ろへ誘導し、木道の端から離す。
俺は横目でそれを確認し、ロスヴァイセの術式へ視線を戻した。
淡青の槍が黒い核へ届く。
「封印!」
光が弾けた。
黒い核を包むように、ルーンが幾重にも重なる。小型エモンズの輪郭が一瞬膨らみ、泥沼の泡が黒く噴き上がった。
次の瞬間、黒い蒸気が急速に薄れていく。
腕の形が崩れる。
伸びていた木道の影が戻る。
黒く泡立っていた泥沼が、元の濁った色へ戻っていく。
完全な怪物になる前に、封じた。
ロスヴァイセが膝をつきかけた。
だが、踏み止まる。
「無理すんな。今のは消耗がでかいだろ」
「……なぜ、そう分かるのですか」
「顔色」
「そこまで見ていたのですか」
「観察力のある観光客なんだよ」
「それで通すつもりですか」
「通るまで通す」
「無理がある」
絶花が言った。
『無理だな』
レオルドまで言った。
「お前らは黙ってろ」
ロスヴァイセは息を整えながら、封印された中継核の残骸を確認した。
黒い金属片はひび割れ、淡青の封印光に包まれている。だが、その表面には細い線のような刻印が残っていた。地図ではない。だが、反応の流れを示すログだ。
『太郎、これ一個で終わりじゃねえ。中継器のログに別座標が残ってる』
「複数あるのか」
しまった、と思った時には、もう遅い。
ロスヴァイセがこちらを見た。
「複数?」
俺は何食わぬ顔をする。
ロスヴァイセは残骸へ視線を戻し、自分の術式で情報を読む。数秒後、彼女の表情が険しくなった。
「……あなたの言う通りです。これは単独の装置ではありません。中継網の一部です」
「面倒だな」
「本当に、あなたは何をどこまで分かっているのですか」
「観光客の勘」
「その言葉、次に言ったら信じません」
「今まで信じてたのか?」
「信じていません」
「じゃあ問題ないな」
「あります」
ロスヴァイセは俺をじっと見た。
疑いは強い。
だが、警戒だけではない。さっきまでとは少し違う。俺の判断が実際に役に立つと分かった上での目だ。厄介だ。疑いながら使えると判断されるのは、ただ疑われるより面倒である。
「あなた方には、もう少し同行してもらいます」
「拒否権は?」
「あります。ただし、拒否した場合、私はあなたを不審者として扱います」
「実質ないじゃねぇか」
「不審者」
絶花が呟く。
「繰り返すな」
「安全確保のためです」
ロスヴァイセはまっすぐに言った。
「あなた方が何者かは分かりませんが、少なくとも人を助ける側であることは分かりました」
少しだけ、返事が遅れた。
人を助ける側。
簡単に言われると、どうにもむず痒い。
「そいつはどうも」
「ですが、信用したわけではありません」
「面倒な信頼関係だな」
「信頼関係ではありません。監視です」
『よかったな。観光客から監視対象へ昇格だ』
レオルドが余計なことを言う。
「何もよくねぇ」
ロスヴァイセは中継器の残骸から次の反応を読み取った。
淡青のルーンが地図のように広がり、一本の線が海岸方面へ伸びる。
「次の反応は海岸方面……ブリムケティル付近か、灯台方面に伸びています」
「観光名所を順番に回る気かよ」
「観光できる?」
絶花が少しだけ期待した声を出す。
「事件がなければな」
「事件があるから向かうのです」
ロスヴァイセが即座に言った。
「分かってるよ」
海風が強く吹いた。
白い蒸気が流れ、黒い粒子の残滓は薄く消えていく。見た目だけなら、地熱地帯は元の観光地に戻りつつあった。
だが、レオルドの端末には新たな反応線が残っている。
『こいつは思ったより広い網だな。単なる現地犯罪じゃねえかもしれねえ』
俺は遠くの海を見る。
灰色の波が、黒い溶岩の海岸に当たって白く砕けていた。
「北欧観光、完全に仕事になったな」
「でも、写真は撮りたい」
「余裕があればな」
ロスヴァイセがため息をついた。
「あなた方、本当に緊張感があるのかないのか分かりません」
「あるから、余計な力を抜いてんだよ」
それは半分本当で、半分嘘だった。
正体はまだ隠す。
ギャバン・キングはまだ出さない。
今は、怪しい観光客で十分だ。
ロスヴァイセはそう思っていないだろうが、俺たちは次の中継地点へ向かうため、グンヌクヴェルを後にした。
次回の王は
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妖怪王
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機械王
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怪獣王
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幻想王