サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
# 第6話 黒い海岸と中継網
グンヌクヴェルの黒い蒸気は消えた。
ただし、消えたからといって、全部が元通りになったわけではない。白い地熱蒸気は相変わらず地面から吐き出されているし、硫黄の匂いは鼻の奥に残っているし、さっきまで小型エモンズになりかけていた黒い感情の名残は、空気の底に薄く沈んでいた。
観光地というのは、怖い目に遭っても景色だけは平然としている。
泥沼は泡立ち、地面は赤茶け、蒸気は上がる。人間が勝手に騒いで、勝手に危険を持ち込んで、勝手に怯えただけだと言わんばかりだった。
ロスヴァイセは封印袋へ、中継器の破片を収めていた。
白と淡青の装備に、地熱地帯の湿った風がまとわりつく。額に汗はない。けれど、さっきの封印で消耗していないはずはなかった。真面目な奴ほど、疲れを表に出すのが下手だ。
絶花は少し離れたところで、蒸気の写真を見返している。怖がっていないわけではないだろうが、それでもこの土地の景色に目を奪われているのが分かる。黒い地面、白い湯気、低い空。日本の外に出たという実感が、彼女の中で少しずつ形になっているのかもしれない。
『中継器のログ、復元できた。次は海岸方面だ。ブリムケティル付近、そこから灯台方面へ伸びてる』
レオルドの声が、通信越しに入った。
「観光ルートとしては悪くないな」
「観光ではありません。調査です」
ロスヴァイセが即座に訂正する。
「調査ついでに景色を見るくらいは許されるだろ」
「あなたの場合、その“ついで”で余計なことをしそうなので警戒しています」
「太郎はする」
絶花が写真から顔を上げずに言った。
「断言するな」
「するから」
「身内からの評価が低すぎる」
ロスヴァイセは中継器の破片が入った封印袋を懐にしまい、俺たちを見た。
「次の地点へ向かいます。私の目の届く範囲から離れないでください」
「監視対象らしく大人しくしてるよ」
「その発言が既に信用できません」
信用がない。
まあ、当然だ。
財布を拾って返し、観光客を誘導し、黒い蒸気の核を見抜く手伝いをした。善行だけ並べれば、そこまで悪くないはずなのに、なぜか疑われる。いや、疑われる理由は分かっている。善行のやり方が観光客ではないからだ。
正体を出さないというのは、案外難しい。
何もしなければ人が危ない。動けば怪しまれる。なら、怪しまれながら動くしかない。実に面倒な二択だった。
俺たちはグンヌクヴェルを後にした。
黒い溶岩原を抜けると、地熱地帯の白い蒸気は少しずつ薄れていった。代わりに、海風が強くなる。冷たい風が頬を叩き、遠くから波の音が聞こえ始めた。
空は灰色で低い。
地面は黒い。
その向こうで、海が白く砕けている。
「今度は海」
絶花が言った。
「さっきまで地面が湯気を吐いてたと思ったら、今度は海が岩を殴ってる」
「言い方は乱暴ですが、間違ってはいません」
ロスヴァイセが前を向いたまま言う。
「自然現象ってだいたい乱暴だろ」
「波の音、大きい」
「海岸に近いからな」
絶花は少しだけ歩幅を速めた。とはいえ、ロスヴァイセに言われた通り、道から外れようとはしない。ちゃんと学習している。
「写真、撮れる?」
絶花がロスヴァイセを見る。
ロスヴァイセは少し迷ったあと、頷いた。
「危険がなければ、短時間なら構いません。ただし、崖や岩場へ近づきすぎないでください」
「分かった」
「意外と融通利くんだな」
「常識的な範囲なら止めません」
「俺への制限だけ厳しくないか?」
「あなたは常識的な範囲から出そうだからです」
「ひどい偏見だな」
「経験則です」
まだ会って数時間なのに、経験則を積まれてしまった。
恐ろしい観察力だ。いや、俺が分かりやすすぎるのかもしれない。
しばらく歩いていると、ロスヴァイセが少しだけ歩調を落とした。俺の横に並ぶ。真面目な横顔だった。
「んっ、どうかしたの」
「いえ、その……気になる事がありまして」
「気になる事?」
「あなたは確かに観光客とは言いますが、なぜここまで」
ロスヴァイセは言葉を選んでいるようだった。
「ここまでと言われてもなぁ」
俺は海風に目を細める。
「俺は困っている人がいれば助ける。それだけだから」
言ってから、自分でも少し真っ直ぐすぎたと思った。
誤魔化すなら、もっと軽く言うべきだったかもしれない。けれど、そこまで嘘をつく必要はない。俺が何者かを隠す必要はあっても、何をする人間かまで隠す必要はない。
ロスヴァイセは少し黙った。
「普通はそこまでしないのですが……無茶はいけませんよ。大人とはいえ」
大人。
そこで、今度は俺が止まった。
そういえば、この女は最初から俺と絶花を同世代の旅行者くらいに見ていた。装備や状況のせいで、俺の年齢を深く考えていなかったのだろう。
「……あぁ、いや」
俺は雑に言った。
「俺も絶花も中学生みたいなもんだ」
絶花がこちらを見る。
ロスヴァイセの足が完全に止まった。
「えっ」
風の音が一瞬、変に大きく聞こえた。
ロスヴァイセは絶花を見た。絶花は急に視線を向けられて、わずかに肩を跳ねさせる。
「ちゅっ、ちゅっ……中学生!? えっと、その、本当ですか」
「ひゃぁ!? えっ、はっ、はい。中学生です」
絶花は本当なので素直に頷いた。
ロスヴァイセは今度、俺を見る。
目が「お前は何だ」と言っていた。
「……さ、最近の中学生って、こんな感じ……?」
「個人差だろ」
「個人差で済む範囲を超えています」
「太郎は、普通じゃない」
「お前は今日ずっと俺を売るな」
絶花は小さく首を傾げる。
「事実」
「事実の出し方を考えろ」
ロスヴァイセはこめかみに手を当てた。
「ですが、年齢がどうであれ、危険な場所で無茶をしていい理由にはなりません」
「そこは正論だな」
「なら、少しは聞いてください」
「善処する」
「その言葉は信用できません」
この短時間で、俺の扱いにかなり慣れてきている。
それがいいことなのか悪いことなのかは分からない。
『海岸方面、反応線はまだ生きてる。風と波音に紛れてるな。……それと、ブレンニヴィン、レイキャ、現地ビール系はやっぱ押さえたい』
通信の向こうで、レオルドが真面目な解析に混ぜて余計なことを言った。
「……というよりも、レオルド、俺の年齢だと酒を買えないんだが」
通信の向こうが止まった。
『なっ!?』
「いや、当たり前だろ」
『そっ、それじゃ、ブレンニヴィンは!? レイキャはっ、現地のビールは!!』
「買える訳ないだろ」
『がぁぁぁ!!』
犬の姿をした実務屋の絶叫が、通信越しに響いた。
ロスヴァイセが困惑する。
「今の叫び声は何ですか?」
「怒る翻訳アプリが、現地文化を諦めきれなかった」
「翻訳アプリは酒を買いません」
「これは買いたがる」
絶花がまた真顔で補足する。
「もう本当に何なのですか、その翻訳アプリは……」
『犬扱いの次は未成年に酒買わせようとした扱いかよ。最悪だな、ほんと』
「事実だろ」
『俺はお前に買わせるとは言ってねえ! 合法的な購入経路を検討してただけだ!』
「それを人は言い訳と言う」
『現地文化調査だって言ってんだろうが!』
「酒とつまみの情報だけ異様に早い文化調査だな」
『ハルズフィスクルにバターってのは、相当いい線いってると思うんだよ』
「解析しろ、解析」
『してるわ! 酒の話をしながらでも手は動いてんだよ!』
そこだけは本当なのが、レオルドの厄介なところだ。
文句を言い、脱線し、酒に未練を残しながら、解析の精度は落ちない。だから余計に黙れと言いづらい。
ブリムケティル付近に着くと、景色はさらに荒くなった。
黒い溶岩海岸に、波が叩きつけられている。白い飛沫が上がり、岩の窪みに水が溜まり、すぐまた次の波がぶつかる。地熱地帯の蒸気とは違う。こちらは冷たく、重く、音が強い。
海が岩を削っている。
その途中経過を、観光客に見せつけているような場所だった。
「……すごい」
絶花が呟いた。
「今日はよく“すごい”って言うな」
「本当に、すごいから」
「この辺りは波が強いです。海へ近づきすぎないでください」
ロスヴァイセの声が少し強くなる。
「今度は足元じゃなくて波か」
「自然を侮ると命を落とします」
「それは同感だな」
俺は海岸全体を見る。
岩場。波の周期。風の向き。観光客の位置。逃げ道。柵。崖下の窪み。海風で声が流される方向。
景色を見るというのは、情報を見ることでもある。
ロスヴァイセが俺の視線に気づいた。
「また何か見ているのですか?」
「景色」
「本当に景色だけですか?」
「景色には情報が詰まってるだろ」
「……あなた、本当にただの観光客ではありませんね」
「まだそこかよ」
「そこはずっとです」
ロスヴァイセは探査術を展開した。
淡青のルーンが海風に流されかけ、彼女の制御で形を保つ。地熱地帯とは違い、ここでは風と波音が術式を乱しているらしい。
「反応が不安定です。波音と海風に混ざっている……」
『こっちでも確認した。中継器は地面じゃなく、岩場の影か崖側だ。波の衝撃と風切り音をノイズにしてやがる』
「地熱の次は波か。自然のノイズを使うのが好きな犯人だな」
「今、何か分かったのですか?」
「波がうるさいって話」
「違いますね」
「違わないことにしてくれ」
「あなたの情報源については、後で必ず聞きます」
「後でな」
『その“後で”を毎回踏み倒す気だろ』
「黙れ、怒る翻訳アプリ」
ロスヴァイセの疑いは濃くなる一方だった。
その間、絶花は安全柵の内側から海を見ていた。
写真を撮りたそうにしているが、風が強くてスマホを出すのを少し迷っている。ロスヴァイセは探査の合間に、それに気づいたらしい。
「海は好きですか?」
絶花は少し驚いて振り向いた。
「……分からない。でも、見たことない感じ」
「日本の海とは違いますか?」
「違う。もっと黒い。音が強い」
「この辺りの海は荒いです。ですが、だからこそ美しいと言う人もいます」
「ロスヴァイセは、ここ好き?」
今度はロスヴァイセが少し驚いた。
真面目に考えてから、答える。
「任務で来ているので、好き嫌いを考えたことはありませんでした」
「もったいない」
絶花は言ってから、少し気まずそうに目を伏せた。
「ごめん」
「いえ」
ロスヴァイセは海を見た。
波が黒い岩に砕け、白く散る。
「……たしかに、もったいないのかもしれません」
その会話を聞いて、俺は少しだけ口元を緩めた。
絶花は少しずつ話せている。
ロスヴァイセも、任務以外の顔をほんの少し見せている。
事件の最中としては、悪くない寄り道だった。
ただし、寄り道は長く続かない。
ロスヴァイセの探査術が乱れた。
太郎は岩場へ視線を向ける。
「波が当たる場所じゃないな」
「どういう意味ですか?」
「壊れたら困る装置を、波が直撃する場所には置かない。隠すなら、波音は拾えるが水は被りにくい場所だ」
ロスヴァイセは周囲を見た。
「岩陰……崖下の窪み?」
「たぶんな」
「観光客の勘ですか?」
「今回は推理だ」
「余計に不審です」
『正解だ。反応は崖下の窪みから来てる。ただし近づくな。足場が悪い』
レオルドの声が入る。
俺はそれをそのまま伝えず、岩場の一角を指した。
「あの窪み、見えるか。波が届きにくい割に、音は反響しそうだ」
ロスヴァイセが探査術を向ける。
淡青のルーンが風を切り、崖下の窪みへ走った。
「ありました。反応確認」
中継器は、岩陰に隠されていた。
前回のように露骨な罠ではない。むしろ、静かだった。地熱観測機器に似せたものではなく、黒い石片のような形をしている。波音と風切り音に紛れるように、微かな反応だけを放っていた。
ロスヴァイセが遠隔封印を試みる。
中継器が黒く明滅した。
その上に、複雑な北欧式ルーンが浮かぶ。
「これは……前回とは違います。自動発動ではなく、外部から制御を受けている?」
『こっちでも確認。微弱な通信波形がある。装置同士で繋がってるだけじゃねえ。誰かが見てる』
「監視付きかよ」
「今、何と?」
「誰かが、こっちを見てる気がしただけだ」
「また勘ですか」
「今日はよく当たる日なんだよ」
ロスヴァイセはルーンを読み取った。
彼女の眉が険しくなる。
「この術式の癖……北欧式です。しかも、地熱と海風を術式へ組み込む形。かなり土地に詳しい魔術師ですね」
「名前は分かるのか」
「まだ確証はありません。ただ、刻印の一部に“E.G.”のような署名があります」
「イニシャルか」
「おそらく。エイリク……いえ、まだ断定はできません」
エイリク。
ロスヴァイセの声は、そこで止まった。
知っている名前なのかもしれない。あるいは、候補に心当たりがあるのか。いずれにせよ、ただの犯罪者ではなさそうだ。
中継器の黒い光が急に揺れた。
「逃げるつもりです!」
「切られる前に、ログを取れるか」
「やってみます」
中継器は遠隔側から接続を切ろうとしている。
ここで失えば、次の手掛かりが薄くなる。
俺は波を見た。
大きな波が来る周期。岩に当たる角度。衝撃音が最大になる瞬間。中継器の反応は波が叩きつける瞬間に揺らぐ。なら、その一瞬を使う。
「次の大波で、反応が一瞬弱まる」
「なぜ分かるのですか」
「波を見てりゃ分かる」
「普通は分かりません」
「俺は普通じゃない観光客らしいしな」
ロスヴァイセは突っ込む余裕もなく、術式を構えた。
波が岩へ叩きつけられる。
白い飛沫。
轟音。
その瞬間、中継器の黒い光がわずかに揺れた。
「今」
「ルーン記録、抽出!」
淡青の光が黒い装置へ走り、通信ログの一部を抜き取る。
次の瞬間、中継器が自壊した。
黒い光が岩陰で弾け、波音に混ざって小さな爆発が起きる。ロスヴァイセがすぐに防御結界を張り、飛散を抑えた。
「自壊しました……ですが、ログの一部は取れました」
「向こうも手際がいいな」
「やはり、あなたは状況を理解しすぎています」
「勘がいいだけだ」
「その説明は却下します」
その時、絶花が海岸の方を見た。
「誰か、見てた?」
俺とロスヴァイセは同時に反応した。
「見えたのか?」
「見えたわけじゃない。でも、視線みたいなの」
ロスヴァイセの表情が引き締まる。
「子供の直感と切り捨てるべきではなさそうですね」
俺は絶花を見る。
「お前、いい感覚してるな」
「褒めた?」
「たぶんな」
「たぶん」
絶花は少しだけ不満そうだったが、どこか嬉しそうでもあった。
ロスヴァイセが抽出したログを確認する。レオルドも同時に解析していた。
『冗談抜きでまずいぞ。こいつ、観光地を点で押さえてるんじゃねえ。半島全体を線で繋いでやがる』
通信越しの声が、さっきまでの酒の話とは違う温度になった。
「グンヌクヴェル、大陸間の橋、ブリムケティル、灯台……地熱、裂け目、海岸、信号点を結んでいる?」
ロスヴァイセがログを見ながら言う。
「感情を集める網か」
「北欧圏にこれを仕掛ける意味……オーディン様の来訪前に、何かを起こすつもりでしょうか」
オーディン。
その名前に、俺は少しだけ引っかかった。
なるほど。
ただの地元犯罪ではない。北欧神話勢力の上の方が動く前に、感情汚染の網を張る。下準備。妨害。挑発。言い方は何でもいいが、嫌な匂いがする。
「偉い人が来る前に嫌がらせってのは、分かりやすい」
「嫌がらせで済む規模ではありません」
「だろうな」
ロスヴァイセはログを閉じず、しばらく俺を見ていた。
警戒。
困惑。
そして、少しの頼りたさ。
それが混じった視線だった。
「……それにしても、彼は一体」
「んっ? なんだ」
「いえ、その、本当にあなたは一体何者なんですか」
真正面から聞かれた。
俺は海の方を見る。
黒い岩に波が砕ける。白い飛沫が上がり、すぐ風に散る。
「さぁな」
「答える気はないのですね」
「答えたところで、たぶん面倒になる」
「今でも十分面倒です」
「じゃあ、これ以上増やす必要はねぇだろ」
ロスヴァイセは黙った。
納得はしていない。
でも、追及しても答えが出ないことは分かったのだろう。
今はそれでいい。
ロスヴァイセはログを閉じ、灯台方面へ視線を向けた。
「次はレイキャネス灯台方面です。あそこは見通しがよく、信号点としても使われやすい」
「灯台を中継器にするのは、発想としては分かりやすいな」
「また分かったようなことを……」
「灯台は光を飛ばす場所だろ。何かを送るには向いてる」
ロスヴァイセは反論しかけて、やめた。
たぶん、言っていること自体は正しいからだ。
「灯台、写真撮れる?」
絶花が聞く。
「危険がなければ」
「危険がなければ、って前置きがもう怪しいな」
『太郎、そろそろ本気で警戒しろ。相手はこっちを見てる。次は罠が強くなるぞ』
レオルドの声が低くなる。
俺は海の向こう、灯台方面を見た。
白い灯台が、灰色の空の下にぼんやりと見える。
「分かってる。観光客らしく、慎重に行くさ」
「あなたの場合、その言葉が一番信用できません」
ロスヴァイセの返しは即答だった。
俺たちはブリムケティルを後にした。
黒い海岸では、波が変わらず岩を叩いている。
その音に紛れるように、見えない誰かの視線が、まだこちらに残っている気がした。
次回の王は
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妖怪王
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機械王
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怪獣王
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幻想王