サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
黒い核が、一際大きく脈打った。
地下制御点の空気が揺れる。
それは風ではなかった。
地熱の蒸気でもない。
感情そのものが、空間の中で膨らんでいるような感覚だった。
床に刻まれた黒いルーンが、脈に合わせて光る。
地熱配管の中を走る蒸気が、白ではなく黒に染まり始めていた。
「この核を封印します。エイリク、これ以上は――」
ロスヴァイセが淡青のルーンを展開しようとする。
だが、その前にエイリク・グリムソンは静かに笑った。
焦りはない。
怒りもない。
さっきまで見せていた激情すら、どこか遠くへ置いてきたような顔だった。
「遅い。ここはもう用済みだ」
「用済み?」
俺は、その言葉に目を細める。
エイリクは杖を軽く床へ突いた。
黒いルーンが広がる。
それは攻撃ではなかった。
むしろ、何かを閉じる為の動きに近い。
「データは得た。土地の感情、外来者への拒絶、神々の揺らぎ。それらは十分に集まった」
「あなたは、この土地を実験場にしたのですか」
ロスヴァイセの声が低くなる。
「実験ではない。準備だ」
「悪い奴はだいたいそう言うな。実験じゃない、準備だって」
俺が言うと、エイリクはゆっくりとこちらを見る。
「観光客がよく喋る」
「観光先で妙な置き土産を見せられたら、文句くらい出る」
「置き土産か」
エイリクは、黒い核を見た。
「確かに、そう呼ぶのが相応しいかもしれんな」
黒い核がまた脈打つ。
どくん。
その音に合わせて、地下空間の壁に走るケーブルが震えた。
古い観測装置が火花を散らす。
壊れかけたモニターに、意味のない波形が映っては消える。
『太郎、こいつ本気で制御を切り離してるぞ』
レオルドの声が通信に割り込む。
『地下制御点を捨てる気だ。いや、捨てるってより、暴走するように置いていくつもりだな』
「最悪な後片づけだな」
「後片づけなど不要だ」
エイリクが言う。
「この炉は、あとは勝手に燃える。私がここにいる必要はない」
ロスヴァイセが一歩踏み出した。
「逃がしません!」
「待て、そいつ――」
俺が言い切る前に、ロスヴァイセは駆け出していた。
淡青のルーンが彼女の足元に広がる。
だが、エイリクの身体はそこにあるようで、もうそこにはなかった。
黒いルーンが滲む。
姿が揺れる。
水面に映った影が乱れるように、エイリクの輪郭が崩れていく。
ロスヴァイセの手が届く寸前。
その姿は、黒い粒子になってほどけた。
「残像……?」
ロスヴァイセが息を呑む。
地下空間に、エイリクの声だけが残った。
「ヴァルキリーよ。追うなら追え。だが、次に目覚める地はここではない」
「エイリク!」
ロスヴァイセの声が地下に響く。
だが、返事はない。
絶花が俺の袖を掴んだまま、黒い粒子が消えた場所を見ている。
「もう、いない」
「ああ。最初から、長くいる気はなかったってことか」
俺は舌打ちしたくなるのを堪えた。
相手は戦う気がなかった。
少なくとも、ここで決着をつける気はなかった。
俺達を足止めし、黒い核を押しつけ、本人は次の場所へ行く。
用済み。
その言葉通りだった。
ロスヴァイセは悔しそうに拳を握る。
だが、すぐに感情を押し込めた。
彼女は残された黒いルーンへ膝をつき、淡青の術式を重ねる。
「これは……エイリクの術式だけではありません」
「何か混ざってるのか」
「はい」
ロスヴァイセの表情が険しくなる。
「幻惑、偽装、契約を歪める癖……この組み方は」
彼女の声が小さくなった。
さっきまでの怒りではない。
もっと深い場所で、何かに気づいたような声だった。
「まさか、これはロキ様の、まさか」
「ロキ?」
俺が聞き返すと、ロスヴァイセははっとしたように顔を上げた。
「まだ断定はできません。ですが、もしそうなら……」
そこまで言って、彼女は言葉を切る。
言いたくないのではなく、言えないのだろう。
確証がない。
けれど、疑念だけは濃くなった。
『ロキって、北欧の厄介な神の名前だよな。おいおい、話が神話案件に跳ね上がってきたぞ』
レオルドの声にも、さすがに軽さはない。
「最初から十分面倒だったろ」
『さらに面倒になったって言ってんだよ』
「それは同感だな」
黒い核が、再び大きく脈打った。
今度は、さっきよりも明らかに強い。
床のルーンがいくつか砕ける。
配管の中で黒い蒸気が圧力を増し、古い金属が悲鳴を上げる。
地下制御点全体が、巨大な生き物の腹の中みたいに震え始めていた。
「まずいぞ」
『ああ、まずい。エイリクが制御を切ったせいで、核が自走し始めてる。このままだと地下制御点ごとエモンズ化する』
「地下施設が丸ごと怪物になるってことか」
『雑に言えばな。しかもここは地熱配管と観測系統が入り組んでる。暴れたら上の施設まで巻き込むぞ』
ロスヴァイセはエイリクが消えた場所を見ていた。
追いたいのだろう。
当然だ。
ここまで追ってきた相手が、目の前で逃げた。
それも、ロキの影らしきものを残して。
だが、目の前には黒い核がある。
放置すれば、ここがエモンズ化する。
「エイリクを追いたい……ですが、これを放置すれば」
「追うより先に、目の前の火事を消すしかねぇだろ」
「分かっています」
ロスヴァイセは悔しそうに頷く。
絶花が、黒い核を見る。
「太郎、これ……大きくなる」
「分かってる」
黒い核は、少しずつ膨らんでいた。
ただ大きくなるだけではない。
周囲の配管、ケーブル、ルーン、床の黒い影。
それらを取り込みながら、形を作ろうとしている。
腕のようなもの。
背骨のようなもの。
口のような裂け目。
まだ完全な姿ではない。
だが、今までの小型エモンズとは密度が違う。
こいつは、地下制御点そのものを身体にするつもりだ。
『太郎、もう誤魔化してる場合じゃねえぞ』
レオルドの声が低く響く。
「分かってる」
「あなたは、何をするつもりですか」
ロスヴァイセが俺を見る。
その目は、もうただ疑っているだけではなかった。
問いかけている。
確認している。
俺が何者なのか。
何を隠しているのか。
ここで何をするのか。
俺は黒い核を見る。
観光客。
随分と便利な言葉だった。
怪しい行動をした時も、余計なことを言った時も、ロスヴァイセに疑われた時も、その言葉でどうにか誤魔化してきた。
だが、今はもう違う。
観光客が地下制御点の暴走を止める訳がない。
観光客がエモンズ核の前に立つ訳がない。
観光客が、ここで踏み止まる理由などない。
だからこそ、俺は息を吐いた。
「旅は、ずいぶん予想外な方向へ向かってるな」
「旅、ですか」
ロスヴァイセが小さく言う。
「最初は試運転だったんだよ。気づいたら北欧観光で、次はネガエモルギア犯罪。今度はロキの影付きだ」
「……あなたは、やはり」
「続きは後だ」
俺は一歩前へ出た。
黒い核が、こちらを向いたような気がした。
気のせいではない。
明らかに反応している。
感情を餌にするなら、俺達の不安や焦りにも食いついてくる。
なら、逆に利用される前に動くしかない。
ロスヴァイセが淡青のルーンを展開する。
「封印術式を組みます。少し時間をください」
「時間稼ぎなら、何とかする」
「また、あなたはそうやって」
「言いたいことは後で聞く」
「本当に後で聞くのですか?」
「気が向いたらな」
「信用できません」
「今はそれでいい」
絶花が俺の袖を離した。
「太郎」
「何だ」
「無理する?」
「必要ならな」
「やっぱり」
絶花は少しだけ不満そうにした。
だが、それ以上は言わない。
その代わり、少し後ろへ下がり、ロスヴァイセの邪魔にならない位置へ移動した。
怖いはずだ。
それでも、ちゃんと動いている。
なら、俺も動かない訳にはいかない。
黒い核が一際大きく脈動する。
どくん。
地下空間が揺れた。
天井から錆びた金属片が落ちる。
配管から黒い蒸気が噴き出す。
その蒸気が、腕のような形を作り始める。
『来るぞ!』
レオルドの警告と同時に、黒い腕が伸びた。
ロスヴァイセは術式を組み始めている。
絶花は射線上にはいない。
なら、俺が前に出る。
「さて」
俺は右手を握る。
まだ、名前は呼ばない。
まだ、姿は変えない。
だが、その一歩はもう観光客のものではなかった。
黒い腕が目前まで迫る。
俺はそれを見据えながら、低く呟いた。
「本当に、観光は終わりだな」
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