サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
北欧側の仮拠点へ案内されてから、俺達は応接室ではなく、さらに奥にある解析室へ通されていた。
部屋の中央には大きな机があり、その上にはレイキャネス半島の地図が光の線で浮かび上がっている。グンヌクヴェル、大陸間の橋、ブリムケティル、レイキャネス灯台、旧地熱観測施設。それぞれの地点には淡い印が打たれ、そこから黒い線が地下制御点へ向かって集まっていた。
観光地を巡っていたはずなのに、こうして地図上に並べられると、まるで最初から事件の上を歩かされていたように見える。
「改めて見ると、随分きれいに繋がってるな」
俺が地図を眺めながら言うと、ロスヴァイセは真剣な顔で頷いた。
「エイリクは、地熱、風、地脈、海岸線の流れを術式に組み込んでいました。地形を知っていなければ、ここまで自然に中継網を隠すことはできません」
「土地に詳しい奴が土地を使って悪さをする。厄介な話だな」
「はい。ですが、問題はそこだけではありません」
ロスヴァイセは、地下制御点から回収した残留ログを投影盤に映した。青白いルーンの列の中に、黒く濁った文字列が混ざっている。見慣れない記号ばかりだが、そこだけ歪んでいることくらいは俺にも分かった。
絶花は机の端から投影を見ていたが、難しそうな顔をしている。
「これ、エイリクのじゃない?」
「はい。エイリクの術式は、地脈や地熱の流れに沿っています。ですが、この部分は流れを隠し、見る者の認識をずらすためのものです」
『幻惑、偽装、契約の歪み。こっちで解析した結果も同じだ。地熱術式の中に、まったく別系統の細工が混ざってやがる』
通信越しにレオルドの声が響く。今回はいつもの余計な酒話がないため、逆に状況の悪さがよく分かった。
「つまり、エイリクが作った仕組みに、誰かが横から手を入れたってことか」
「その可能性が高いです」
ロスヴァイセの声は硬かった。第1話で謝罪した時の硬さとは違う。今度は、自分の内側ではなく、目の前の情報へ向けた警戒だった。
その時、解析室の扉が開いた。
「ふむ。やはり、ただの魔術師の暴走では済まんか」
軽い声と共に入ってきたのは、オーディンだった。
老人は相変わらず飄々としている。だが、机の上に投影された黒い術式を見る目は笑っていなかった。
「大神自ら解析室まで来るのか」
「年寄りも歩かねば足腰が弱るからのう」
「神様にも足腰の心配があるんだな」
「あることにしておけば、周りが油断する」
「嫌な理由だな」
オーディンは楽しそうに笑い、投影盤の前に立った。ロスヴァイセは姿勢を正し、記録の一部を拡大する。
「オーディン様。やはり、この術式痕跡はエイリクのものではありません。幻惑、偽装、そして契約の意味をずらす癖が残っています」
「ロキのもの、と断じるにはまだ早いか」
「はい。ですが、似すぎています」
「似せた可能性もある。あやつなら、自分の影をわざと見せることもあるし、逆に誰かがあやつの名を利用することもある」
その言葉に、俺は少しだけ眉を寄せた。
「面倒な奴だな」
「ロキとはそういうものじゃ。力で押すだけの敵なら、まだ分かりやすい。あやつは相手の思い込み、責任感、怒り、欲、信頼の隙間に指を入れてくる」
オーディンは淡々と言った。軽い口調ではあるが、その内容は笑えない。
「今回のエイリクも、北欧を守りたいという思いを持っておったのだろう。歪んではいたが、最初から何もかも壊したかったわけではあるまい」
「そこにロキがつけ込んだってことか」
「そう考えるのが自然じゃな。守りたいという感情ほど、少し歪めれば攻撃に変えやすい」
ロスヴァイセの表情がわずかに曇った。
その言葉は、彼女にも刺さったのかもしれない。責任感、守りたいもの、北欧側の者としての立場。そういうものを利用される危険は、彼女自身にもある。
「……この件は、ただの魔術師犯罪ではなくなりました」
ロスヴァイセは投影盤から目を離し、俺と絶花を見た。
「ロキ様が関わっている可能性があるなら、あなた方をこれ以上同行させるのは危険です」
またそれか、と思った。
ただ、彼女がそう言う理由は分かる。前回より危険が大きくなったから、今度こそ引き返させたい。自分が案内したことで、太郎と絶花をさらに深い場所へ連れていきたくない。真面目な彼女なら、当然そう考える。
だが、当然だから正しいとは限らない。
「危険だから下がれって言葉は便利だな。言う方は責任を果たした気になれる」
ロスヴァイセの顔が少し強張った。
絶花も俺を見上げる。
俺はロスヴァイセを責めるつもりで言ったわけではない。ただ、ここで綺麗に遠ざけられた方が余計に面倒になる。
「俺達が何も知らないまま狙われる方が厄介だ。相手がロキだか何だか知らねぇが、もう一度こっちを利用する気なら、情報を持って動いた方がまだマシだろ」
「ですが、私はあなた方を」
「また謝る気か。謝るのは最後にしろって言っただろ」
ロスヴァイセは言葉を詰まらせた。
絶花が地図から視線を外し、小さく言う。
「知らない方が怖い」
その一言で、ロスヴァイセの表情が変わった。
絶花は続けて、投影盤の黒い線を見た。
「何があるか分からないまま帰る方が、たぶん怖い」
ロスヴァイセは返事をしなかった。けれど、視線が揺れたことで、その言葉を受け取ったのは分かった。
『俺も太郎達に同意だな。関わった後で情報を切るのは危ねぇ。ロキ絡みならなおさらだ』
「翻訳アプリもこう言ってる」
「その翻訳アプリは、時々判断が現実的すぎます」
「便利だろ」
「便利という言葉で済ませるには怪しすぎます」
オーディンがそのやり取りを見て、楽しそうに目を細めた。
「よいではないか、ロスヴァイセ。本人達が歩くと言うなら、無理に檻へ入れることもあるまい」
「オーディン様」
「もっとも、檻が必要なほど危うい少年かもしれんがのう」
「俺を猛獣みたいに言うな」
「猛獣は自分を猛獣とは言わん」
「面倒な爺さんだな」
「よく言われる」
オーディンは悪びれもせずに笑った後、投影盤へ指を向けた。
「さて、問題はロキの影がどこへ向かっているかじゃ。ロスヴァイセ、この残留ログをもう一段深く開け」
「はい」
ロスヴァイセが淡青のルーンを投影盤へ重ねると、黒い文字列が細く伸び始めた。レイキャネス半島の地図から離れ、別の記号へ向かう。地名ではない。予定表のような断片だった。
いくつかの記号が、北欧側の移動経路を示している。
その中心に、オーディンを示す印があった。
「……これは」
ロスヴァイセの声が低くなる。
「エイリクの中継網で集められたデータは、すでに別の場所へ送られています。送り先は隠されていますが、その経路がオーディン様の移動予定と重なっています」
「つまり、ロキはこっちの爺さんの動きを見てるってことか」
「その可能性があります」
オーディンは笑った。
今度の笑いにも、楽しさは少ない。
「なるほど。あやつ、わしの次の足取りを見ておるな」
「狙われてる本人が楽しそうに言うな」
「重く構えたところで、ロキが喜ぶだけじゃ。あやつは怯えや焦りを餌にする」
「余裕を見せれば見せたで、別の餌にされそうだけどな」
「ほっほっほ。そこまで分かるか」
「面倒な奴の考え方は、面倒な奴を見れば多少は分かる」
「それは自分のことかの?」
「爺さんのことだよ」
ロスヴァイセが額を押さえた。神様相手にこの調子で話す俺も悪いが、それを面白がっているオーディンも大概だと思う。
絶花は、投影された移動予定を見ながら首を傾げた。
「これ、誘ってる?」
「誘っているのか、待ち伏せしているのか、それともこちらがそう考えるように仕向けているのか。ロキ相手では、そこを分けて考える必要がある」
オーディンの声は落ち着いていた。
「エイリクの中継網は、土地の感情を集める実験場だったのかもしれん。だが、その結果を使って何を起こすつもりかは別の話じゃ」
「大神の移動予定に合わせて何か起こすなら、狙いはあんたか、あんたの周りにいる奴らか」
「あるいは、わしを餌にして別の者を動かすことかもしれん」
「本当に厄介だな」
俺は投影盤の黒い線を見る。
ロキの影は、直接殴りに来る影ではない。誰かの感情を使い、土地を使い、動く予定すら使う。こういう相手は、正面から力で押すだけでは止まらない。
だから余計に面倒だった。
ロスヴァイセはしばらく投影を見つめていたが、やがて俺に向き直った。
「太郎さん。先ほどの言葉、理解しました。情報を共有せずに遠ざける方が危険な場合もある。ですが、それでも私は、あなた方の安全を軽く見るつもりはありません」
「それでいいだろ。安全を考える奴が一人くらいいないと、全員前に出て終わる」
「あなたはその代表のような人です」
「否定はしない」
「否定してください」
絶花が小さく頷いた。
「太郎は、前に出る」
「お前は毎回解説するな」
「事実」
「また事実かよ」
ロスヴァイセは少しだけ笑った。まだ重さは残っているが、先ほどよりは呼吸が楽になったように見える。
その時、ふと第1話の最後に感じた視線を思い出した。
「そういえば、拠点の外にいた剣士みたいな影は何だったんだ」
ロスヴァイセの表情がすぐに変わる。
「剣士、ですか」
「絶花も少し見た。北欧側の奴か?」
「少なくとも、私が知る配置ではありません。オーディン様、心当たりはありますか」
オーディンは少しだけ目を細めた。
「さてのう。ロキの影に惹かれて、別の影が寄ってきたのかもしれん」
「答えになってないぞ」
「年寄りは時々ぼかすものじゃ」
「都合のいい年寄り設定だな」
「英雄を気取る者たちも、匂いを嗅ぎつけたかもしれんのう」
その言葉に、ロスヴァイセが警戒を強めた。
「英雄を気取る者たち……」
「何だよ、神様、魔術師、今度は英雄気取りか。面倒の見本市だな」
『笑えねえな。ロキに英雄派まで絡むなら、敵味方の線引きがややこしくなるぞ』
「最初から分かりやすかった場面が少ないだろ」
『それはそうだが、納得したくねえ』
解析室の投影盤では、ロキの痕跡がまだ黒く揺れていた。オーディンの移動予定をなぞる線、エイリクの中継網から抜けたデータ、そして外からこちらを見ている剣士の影。
事件は終わるどころか、むしろ形を変えて広がっている。
俺達は解析室を出て、仮拠点の外へ向かった。
灰色の空の下、冷たい風が建物の壁を撫でている。第1話の時と同じように、周囲には何もないように見えた。
だが、何もない場所ほど怪しい。
俺は足を止め、遠くの建物の影を見る。
「……まただ」
ロスヴァイセが隣で構える。
「見えますか」
「一瞬だけな」
遠くに、剣の輪郭が見えた。人影はもう消えかけている。追うには距離がありすぎるし、相手も見られることを承知で姿を出しているようだった。
オーディンが後ろから歩いてきて、小さく笑った。
「ロキの影に、英雄の影か。騒がしくなってきたのう」
「楽しそうに言うな。巻き込まれる側はたまったもんじゃねぇ」
「お前さんは、巻き込まれたというより自分から歩いておるようにも見えるがな」
「勝手に分類するな」
俺は灰色の空を見上げた。
ロキの痕跡は、オーディンの足取りをなぞっている。
それを追うこちらを、別の剣士が見ている。
神様、魔術師、英雄気取り。
観光客の地位を失った俺の周りには、面倒の数だけ増えていく。
「本当に、面倒の数だけ増えていくな」
俺がそう呟くと、絶花が隣で小さく頷いた。
「でも、知らない方が怖い」
「だろうな」
灰色の空の向こうで、見えない何かが動き始めている気がした。
それがロキの影なのか、英雄の影なのか、あるいはその両方なのかは、まだ分からなかった。
次回の王は
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