サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
結界の中で、時間の流れだけが妙に鈍かった。
赤黒い空は相変わらず低く、駒王学園に似た輪郭を持つ建物の影が、遠くで薄く揺れている。そこにあるのは現実の校舎ではなく、ロキの術式と三大勢力側の隔離結界が重なってできた仮の地形だ。廊下のような通路も、校庭に見える広場も、結界が人の記憶と地形をなぞって作ったものにすぎない。
だからこそ、見た目を信用しすぎると足を取られる。
俺はギャバン・キングの装甲を解かず、臨時指揮区画の外側を歩いていた。エクスプレスギャバリオンは後方で待機させてある。牙痕の修復は進めているが、今回は出さない。大きな軌道を敷けば、ロキの術式にこちらの進路ごと利用される可能性がある。
まずは足で見る。
足音。
護符の揺れ。
結界壁の震え。
人の流れ。
そういう細かいものの方が、幻惑の中では頼りになる。
『太郎、地図、ずれてる』
内部通信に、絶花の声が入った。
エクスプレスギャバリオンの中で結界ログを見ている。外には聞こえない通信だ。ここで俺の名を出されると面倒だが、内部なら問題ない。
「どれくらいだ」
『少し。でも全部』
「一番嫌なズレ方だな」
大きく狂っていれば、誰でも気づく。
問題は、歩けてしまう程度のズレだ。地図と実際の位置が、半歩ずつ、呼吸一つ分ずつ食い違っていく。そういう罠は、気づいた時には人の配置を根こそぎ入れ替えている。
近くにいたリアスが、俺の方を見た。
「ギャバン・キング、何か?」
「地図と足音が噛み合ってねぇ。誰か、勝手に戦場を描き直してる」
リアスの表情が引き締まる。
「ロキの幻惑ですか」
「たぶんな。まだ薄いが、もう始まってる」
言い終える前に、通路の奥で北欧護符の光が一瞬だけ遅れて瞬いた。
光そのものは正常に見える。けれど、影が遅い。
護符の光が右へ流れたのに、地面に落ちる影だけが左へ残った。
「ロスヴァイセ」
俺が呼ぶと、オーディンの傍らにいた彼女がすぐに振り向いた。
「何でしょう」
「お前の護符、影だけ遅れてる。視界じゃなく、位置感覚を弄られてる可能性がある」
ロスヴァイセは即座に足元を見る。
その判断は速かった。疑うより先に確認する。前章からここまでで、彼女の動きはずいぶん実戦的になっている。
「……確かに、護符の反応と影が一致していません」
アザゼルが別方向から声を上げた。
「こっちの結界図もおかしい。補強地点が塞がってる表示なのに、実際の魔力流は漏れてやがる」
「リアス」
俺が視線を向けると、彼女もすでに眷属へ指示を出していた。
「退避経路の確認を中止。全員、その場で停止して。見えている道を信用しないで」
木場が一歩踏み出しかけた足を止め、小猫も地面に手をついて空気の流れを確認する。イッセーは慌てて周囲を見回したが、無闇には動かなかった。
その瞬間、結界全体に低い笑い声が響いた。
姿は見えない。
だが、声だけで分かる。
ロキだ。
『警戒が早いね。せっかく丁寧に道を整えてあげたというのに』
「お前の整えた道は、大体崖に続いてるだろ」
俺が返すと、声は楽しげに揺れた。
『崖かどうかは、落ちてみなければ分からないじゃないか』
「落ちる前に殴る主義でな」
『それでは優雅さに欠ける』
「お前の優雅は性格が悪すぎる」
ロキの笑い声が遠ざかるように聞こえた。
だが、それで終わりではない。
結界内の通路が、少し伸びた。
目で見て分かるほどではない。けれど、さっきまで三十歩で届いたはずの護符支柱が、今は四十歩先に見える。逆に、遠くにあったはずの結界外縁の亀裂が、妙に近い。
人間の目は距離を信用する。
護衛は配置を信用する。
術者は地図を信用する。
そこを同時にずらされると、戦場全体が静かに崩れる。
「オーディン様」
ロスヴァイセが、オーディンの位置を確認するように振り返った。
オーディンは彼女の背後、結界中央寄りの安全地点にいる。
少なくとも、そう見える。
だが、ロスヴァイセの表情がそこで止まった。
「……?」
「どうした」
俺が問うと、ロスヴァイセは視線をオーディンから外さないまま、わずかに眉を寄せた。
「私の視界では、オーディン様は安全地点にいます。ですが、護衛としての感覚が、それを否定しています」
「感覚ってのは?」
「魔力の重さです。護衛対象の位置を把握するために、私は常にオーディン様の神気の揺れを追っています。視界上の位置と、その揺れが噛み合っていません」
「なら視界を捨てろ」
「簡単に言いますね」
「簡単じゃないから言ってんだろ」
ロスヴァイセは一瞬だけ息を呑み、それでも目を閉じなかった。
視界を完全に閉じるのではなく、視界を疑ったまま使う。護衛として、それはかなり難しい判断だ。
その時、彼女の耳元で声がしたらしい。
ロスヴァイセの肩がわずかに動いた。
「ロスヴァイセ、下がれ。ここは安全じゃ」
オーディンの声だった。
いや、オーディンの声に聞こえた。
ロスヴァイセの足が、一瞬だけ止まる。
「オーディン様……?」
俺は彼女を見た。
「今の、本物か?」
ロスヴァイセは唇を引き結ぶ。
その目は揺れていた。護衛として、主の命令を疑うのは容易ではない。だが、彼女はその揺れを飲み込んだ。
「……違います」
「根拠は」
「今の命令は、オーディン様らしくありません。あの方は私を下げる時、必ず次に何をすべきかも言います。ただ下がれとは言いません」
少し離れた本物のオーディンが、杖を鳴らした。
「その通りじゃ、ロスヴァイセ。わしなら、下がれと言った後にもう一つ仕事を押しつける」
「威張ることですか、それ」
俺が言うと、オーディンは薄く笑った。
「今は役に立ったじゃろう」
「癖の悪さが識別キーになる神様、嫌すぎるな」
ロスヴァイセは短く息を吐き、姿勢を立て直した。
「今の声は幻惑です。私の判断を下げさせようとした」
「声じゃなく、判断を偽ってる」
俺は周囲を見回した。
「視界、地図、声、配置。全部を少しずつずらして、護衛が自分で間違った動きをするように仕向けてる。ロキらしい、性格の悪い術式だ」
『褒めてくれているのかな』
ロキの声が、また結界の上から落ちてくる。
「褒めてねぇ。診断してるだけだ」
『なら、処方も見せてほしいね』
「薬より先に患部を切る」
俺は歩き出した。
エクスプレスギャバリオンは使わない。
今、派手な軌道を敷けば、ロキの幻惑に「道」として利用される。なら、歩いてズレを見る。
通路の端に残る足跡。
北欧護符の影。
三大勢力側の結界支柱に付着した黒いルーン。
リアスたちが本来向かうはずだった退避経路。
全部が少しずつ違う方向を指している。
「ギャバン・キング、こちらの退避経路も違います」
リアスが通信を飛ばしてきた。
「安全地帯のはずが、フェンリルの牙痕に近い。誘導されていました」
「そこで止まれ。イッセーたちは動かすな」
「分かりました」
アザゼルの声も続く。
「結界補強位置が三十メートルずれてる。図面上では塞がってる亀裂が、実際には開いたままだ。こりゃ、見たものを信じたら終わるな」
「本物の反応を追うな」
俺はロスヴァイセへ言った。
「揺れてない場所を探せ」
「揺れていない場所?」
「幻は見せるために動く。視線を引くために揺れる。声も光も、こっちに信じさせるために過剰に働く。逆に動いてない場所が支点だ」
ロスヴァイセはすぐに北欧式の探査術を組み替えた。
「北欧式探査、反転。魔力の強弱ではなく、揺れのない点を抽出します」
淡青のルーンが彼女の周囲に広がり、結界内へ薄く伸びていく。
普通なら強い反応を探す。
だが今回は違う。強い反応ほど偽物の可能性がある。ロキは、見せたいものを強く見せる。なら、見せたくないものほど静かに隠れる。
「……ありました」
ロスヴァイセが顔を上げる。
「結界外縁寄り、フェンリルの牙痕の裏側です。黒いルーンの反射点が、ほとんど揺れていません」
「そこだな」
「ですが、直接向かうと通路が歪みます」
「なら、通路を使わない」
俺はギャバリオンブレードを抜いた。
刃に黒金の光が走る。
大きく振る必要はない。狙うのは敵ではなく、術式の支点だ。
「ロスヴァイセ、反射層を固定しろ。俺が斬る瞬間だけでいい」
「はい。三秒なら固定できます」
「十分だ」
「二秒半かもしれません」
「言い直すな。面倒になる」
「正確な方がいいでしょう」
「こういう時だけ律儀だな」
ロスヴァイセは返事をせず、術式に集中した。
淡青のルーンが、黒い幻惑の層を押さえ込む。
結界の景色が一瞬だけ剥がれた。通路がずれ、校舎の影が歪み、安全地帯だと思っていた場所の奥に、黒い牙痕の裂け目が露出する。
そこに、小さな黒いルーンがあった。
目立たない。
弱い。
けれど、まったく揺れていない。
「支点を固定しました!」
「そこだな」
俺は踏み込み、ギャバリオンブレードを振るった。
黒金の刃が空間を裂き、黒いルーンを断つ。
瞬間、結界内に重なっていた景色が音を立てて剥がれた。
通路の長さが戻る。
安全地帯と危険地帯の表示が反転する。
二重に見えていたオーディンの反応が一つに収束し、実際には彼が結界外縁寄りへ誘導されかけていたことが分かった。
ロスヴァイセの顔が強張る。
「オーディン様が……あそこまで外縁に」
「気づいたから間に合った」
俺が言うと、彼女は拳を握り込んだ。
リアスたちも足を止めていた場所を見て、息を呑む。
彼女たちが進もうとしていた退避経路は、フェンリルの牙痕に近い危険地帯へ続いていた。三大勢力側の術者も、補強すべき亀裂を見失いかけていたらしい。
ロキの声が響く。
『見事だね。目ではなく、疑い方を覚えたか』
「お前の幻は、性格が悪すぎて逆に分かりやすい」
『それは褒め言葉として受け取っておくよ』
「受け取るな。返せ」
『返したところで、もう染みているさ。君たちはこれから、見えるものを信じられなくなる』
「元から信用してねぇよ」
『なら、次は道そのものを閉じよう』
その言葉を最後に、ロキの声は消えた。
だが、完全に終わったわけではない。
斬った支点の奥に、さらに別の反応が残っている。結界の深部、普通の移動では届かない場所に、黒いルーンが折り畳まれているような気配があった。
アザゼルがそれを見て舌打ちする。
「支点の奥にまだ何かある。普通の転移じゃ届かねぇな。ロキのやつ、道を隠すんじゃなく、道そのものを畳んでやがる」
「次はそこか」
俺はブレードを収め、結界の奥を見た。
エクスプレスギャバリオンは今は出さなかった。
だが、道そのものを閉じるというなら、次は線路を敷く仕事になる。
ロスヴァイセがそばへ来た。
「助かりました。私だけなら、見えているものを信じていたかもしれません」
「違和感を口に出したのはお前だ。半分はお前の手柄だろ」
「半分、ですか」
「全部くれてやると調子に乗るだろ」
「失礼ですね」
「元気そうで何よりだ」
ロスヴァイセは少しだけ目を瞬かせ、それから小さく息を吐いた。
「……ありがとうございます。そう言われると、少し楽になります」
「礼を言うほどのもんじゃねぇよ」
「あなたはいつもそうですね」
「どういう意味だよ」
「いえ。今は言いません」
「また全部終わってからか」
「はい。全部終わってからです」
その言葉に、俺は肩を竦めるしかなかった。
結界内の幻惑は剥がれた。
だが、奥にはまだ畳まれた道が残っている。ロキは直接襲ってこなかった。フェンリルの牙も出さなかった。それでも、護衛陣は一歩間違えれば崩れていた。
戦場は、殴り合いだけで壊れるわけじゃない。
見ているものを、少しずつずらされるだけで、人は勝手に間違った場所へ歩く。
俺はエクスプレスギャバリオンの待機位置へ視線を向けた。
『太郎』
内部通信に絶花の声が戻る。
「何だ」
『奥の地図、ない』
「だろうな」
『線路、要る?』
「ああ。次はたぶん要る」
『エクスプレス、まだ怒ってる』
「ちょうどいい。閉じた道をこじ開けるには、少し怒ってるくらいがいい」
通信の向こうで、絶花が小さく頷いた気配がした。
赤黒い空の奥で、黒いルーンが一度だけ瞬いた。
ロキの笑いはもう聞こえない。
けれど、次の罠がそこにあることだけは、はっきり分かった。
次回の王は
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妖怪王
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機械王
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怪獣王
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幻想王