サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
# 第1話 英雄派からの挑戦状
ロキ逮捕から一週間が経った。
駒王町の空は、何食わぬ顔で青かった。
あれだけ赤黒く歪んで、蛇だの狼だの悪神だのを吐き出した場所とは思えない。放課後の校舎には、部活に向かう生徒の足音が戻り、窓の外では運動部の掛け声が風に乗っている。
平和というのは、案外ずうずうしい。
昨日までの傷跡を、今日のチャイムひとつで上書きしてくる。
俺は旧校舎へ向かう渡り廊下で、缶コーヒーのプルタブを起こした。甘ったるい匂いが鼻に抜ける。宇宙警察への報告書、三大勢力への説明、北欧側との調整、ロキの拘束手続き。面倒ごとの山を一週間かけて少しずつ崩してきたが、山は崩したそばから別の山になった。
つまり、何も終わっていない。
「顔が死んでいます」
横から声がした。
ロスヴァイセだった。
制服姿ではない。駒王側に残ることになってから用意された、簡素な白いブラウスと紺のスカート。北欧の護衛装備よりずっと軽いはずなのに、彼女はどこか鎧を着たままみたいに背筋を伸ばしていた。手には分厚いファイルを抱えている。
「死んでるのは顔じゃなくて書類処理能力だ」
「それは最初から高くなかったのでは?」
「おい、残留一週間で言うようになったな」
「現場適応です」
「その言葉、便利に使いすぎだろ」
ロスヴァイセは少しだけ口元を緩めた。すぐに真面目な顔に戻すあたり、まだ駒王の空気に慣れきってはいない。廊下を通る生徒がちらちらと彼女を見るたび、彼女は書類を持つ手に力を入れる。けれど視線を伏せることはなかった。
あの黒い回廊で、偽のオーディンを見破った時と同じ目だった。
「報告書、追加分です」
「増やすな」
「私が増やしたのではありません。あなたがロキ様を逮捕した結果、宇宙警察側との照合項目が増えました」
「逮捕したら書類が増える。やはり逃がした方が楽だったな」
「絶対に駄目です」
即答だった。
空き缶を軽く振ると、中のコーヒーがちゃぽんと鳴った。
その音が妙に間抜けで、俺は少しだけ肩の力を抜いた。
「冗談だよ」
「あなたの冗談は時々、本気に聞こえます」
「本気ならもっと面倒くさそうな顔をしてる」
「今も十分しています」
「これが標準だ」
「標準を見直してください」
廊下の窓から風が入ってきた。初夏にはまだ少し早い、乾いた風だ。ロスヴァイセの銀髪が肩先で揺れる。彼女はそれを片手で押さえ、旧校舎の方へ視線を向けた。
「ここは、不思議ですね」
「旧校舎がか?」
「いえ。この町です。あれだけのことがあっても、放課後になると生徒が笑っている。売店ではパンが売り切れていて、帰り道には特売のチラシが貼られている」
「最後の一つだけ妙に生活感あるな」
「大事です」
「知ってる」
彼女は一瞬だけ俺を見て、すぐに目をそらした。
その横顔は、まだ少し遠くを見ているようだった。北欧に帰るはずだった場所。護衛として立つべき主の隣。置いていかれたと叫んだ声。
その全部を、彼女はきちんと抱えたまま立っている。
「居場所ってのは、慣れるまで足元が浮くもんだろ」
俺が言うと、ロスヴァイセは瞬きをした。
「……励ましているのですか?」
「報告書を増やすなという交渉だ」
「台無しです」
「照れ隠しだと思っとけ」
「自分で言いますか」
彼女は呆れたように息を吐いた。けれど、ファイルを抱える指先の力が少し緩んだ。
その時だった。
渡り廊下の先で、空気が切り替わった。
風が止まる。
運動部の掛け声が遠のき、窓の外の青空が一枚薄い膜越しになったように歪む。校舎の喧騒は残っているのに、俺たちの周囲だけが別の場所に切り取られたみたいだった。
ロスヴァイセが即座に一歩前へ出る。
書類のファイルを左手に抱えたまま、右手だけで術式を組む姿勢に入った。
「結界です」
「放課後の廊下を個室にするなよ。予約制か?」
「軽口を叩いている場合ですか」
「叩けるうちはまだ余裕がある」
廊下の先に、人影が立っていた。
長い銀の髪。異国の剣士めいた姿。背筋の通った立ち方。腰に帯びた剣の気配は、鞘越しでも空気を削っていた。
ジークフリート。
前に会った時と同じ目をしていた。
いや、少し違う。
あの時は、英雄という言葉をまっすぐ掲げた目だった。今は、その旗の布地を指先で確かめているような、わずかな沈黙が混じっている。
「久しいな」
「一週間を久しいと言うなら、お前の人生かなり濃いな」
「神を捕らえた後なら、一週間でも十分に長い」
「捕まえたのは悪神だ。しかも書類付き。割に合わねぇ」
ジークは薄く笑わなかった。
代わりに、視線を俺の手元の缶コーヒーへ落とした。
「お前は変わらないな」
「缶コーヒーの銘柄は変わったぞ。前のやつは甘すぎた」
「そういう意味ではない」
「知ってるよ」
ロスヴァイセが横で警戒を強める。淡い青のルーンが足元へ薄く広がった。
「英雄派のジークフリートですね。目的を述べてください」
「戦いに来たわけではない。今は」
「今は、という言葉を付ける相手を信用するのは難しいですね」
「正しい判断だ」
ジークはあっさり頷いた。
その仕草に、ロスヴァイセの眉がわずかに動く。敵意だけなら受け止めやすい。だが、正しさを認めてくる相手は厄介だ。斬りかかる理由も、見逃す理由も、どちらも少し曖昧になる。
ジークの視線が、俺へ戻った。
「一つ、聞きに来た」
「アンケートなら三問までだ。景品があるなら五問でもいい」
「お前は以前、言ったな。英雄を名乗ったところで、助かる者が増えるわけではないと」
ロスヴァイセの目が、俺へ一瞬向いた。
ああ、そこか。
空気の膜が、少しだけ重くなる。窓の外で止まっていた風が、硝子をかすかに鳴らした。放課後の校舎は薄く遠のき、俺とジークの間にだけ、前の戦場の残響が戻ってくる。
ジークは静かに続けた。
「ならば、お前は何として戦う」
「質問が重いな。昼休み明けにする話じゃねぇぞ」
「放課後だ」
「なお悪い。脳が帰宅準備してる」
「答えろ」
缶の中身を飲み干す。
甘さが舌の上に残った。やっぱり、この銘柄も少し甘い。
「必要なら動く。それだけだ」
「名は要らないと?」
「名前で殴れるなら便利だが、そうじゃねぇだろ。英雄だろうが宇宙刑事だろうが通行人Aだろうが、目の前で誰かが落ちかけてるなら手を伸ばす。看板は後で勝手につければいい」
ジークは黙っていた。
廊下の外で、止まっていた木の葉が一枚だけ揺れた。薄い膜の向こう側で、世界がまだ動いていると知らせるように。
「……その答えを、盤上で見たい者がいる」
「出たよ。面倒の本体」
俺がそう言った瞬間、ジークの背後に霧が生まれた。
白い霧ではない。淡い灰色の、輪郭をぼかす霧。その中から、二つの人影が現れる。
一人は、長身の青年。柔らかな笑みを浮かべ、手には長い槍を携えている。その槍の存在感は、廊下という日常の幅に収まっていなかった。先端が光っているわけでもないのに、目を向けるだけで背筋に細い針が走る。
曹操。
もう一人は、眼鏡をかけた魔術師風の男。ゲオルクだ。彼の周囲だけ霧が濃く、足元の影が床に沈むように広がっている。
ロスヴァイセが低く言った。
「英雄派……」
曹操は軽く片手を上げた。
「警戒しないでほしい、と言っても無理だろうね。だから最低限の礼儀だけ示そう。今日は襲撃ではない」
「廊下を結界で切り取って現れる奴が礼儀を語るな」
「君に会うには、この方が話が早いと思ってね」
「電話しろ」
「番号を知らない」
「教えないから正解だな」
曹操は笑った。
その笑いは、ロキのそれとは違う。悪意を隠すための笑みではなく、刃物を布で包んだような笑みだ。柔らかいが、触れば切れる。
「ロキを捕らえた宇宙警察の執行者。神喰狼を押し返した黒金の急行。英雄を名乗らず、けれど英雄のような結果を残す者」
「肩書きを並べるな。重くなる」
「重いものをどう扱うかに興味がある」
「俺は荷物持ちじゃねぇ」
「そうだろうね。君は荷物を持つより、道を作って運ばせるタイプだ」
曹操の視線が、俺の足元へ落ちる。
その瞬間、ゲオルクが杖を軽く鳴らした。
廊下の床が変わった。
木目が消え、黒い盤面が浮かび上がる。升目のような線が走り、その上に霧の駒がいくつも立った。通路の奥は霞み、窓はただの白い壁へ変わる。俺が無意識に足元へ黒金レールを敷こうとした瞬間、盤面の線がねじれ、進路が霧に吸われた。
レールが通らない。
いや、通る前に道が消される。
「道を消す盤面か」
俺は舌打ちした。
「性格悪い奴が続くな」
ゲオルクは静かに言った。
「本番では、もっと精度を上げる」
「予告するタイプの嫌がらせ、初めて見たぞ」
「君の能力は、盤面を壊す。ならば、盤面側も対策をする。当然だ」
「当然を悪用するな」
曹操が一歩前へ出た。
「これは宣戦布告ではなく、招待だ」
「招待状を霧で渡すな。湿気るだろ」
「英雄派は、君にレーティング・ゲームを申し込みたい」
ロスヴァイセのルーンが強く光った。
「レーティング・ゲーム……悪魔側の形式を使うつもりですか」
「形式は借りる。観測もしやすい。三大勢力にとっても、宇宙警察にとっても、無秩序な衝突よりは望ましいはずだ」
「お前らが望ましいと言うもの、大体こっちにとって面倒なんだよ」
「面倒は嫌いかい?」
「大嫌いだ」
「けれど避けない」
「避けられるなら避ける。避けた先に誰かが潰れそうなら戻る。それだけだ」
曹操の目が細くなる。
ロキの時とは違う種類の沈黙が落ちた。
悪神の罠は黒い水のように足元から染みてきたが、曹操の沈黙は磨かれた槍の柄に触れるようだった。冷たく、まっすぐで、手を離すタイミングを間違えると血が出る。
「君が英雄を名乗らない理由を、盤上で見せてもらいたい」
「見せ物じゃねぇんだよ、こっちは」
「では、対話と言い換えよう」
「槍と魔術と魔剣を持ち込む対話、治安が悪すぎる」
ジークが口を開いた。
「俺も出る」
短い言葉だった。
けれど、その一言で空気が変わった。
ジークの視線は曹操ではなく俺へ向いている。前の問いの続きを、今度は剣で確かめるつもりなのだろう。
ロスヴァイセが俺の横に立った。
ほんの半歩。
だが、その半歩で、彼女は自分がどちら側に立つのかを示した。白銀のルーンが床の黒い盤面へ触れ、霧の線を少しだけ押し返す。
「この申し入れ、三大勢力側には?」
「正式な手順を踏む。アザゼル総督、グレモリー眷属、北欧側にも話は通すつもりだ」
「北欧側もですか」
「君がいるからね。ロスヴァイセ」
彼女の肩がわずかに動いた。
曹操はそれを見逃さず、柔らかく続ける。
「悪神を捕らえた戦いに、君もいた。白銀の護衛が黒金の急行とどう連携したのか、英雄派として興味がある」
「私は見世物ではありません」
「もちろん。戦力として敬意を払っている」
「敬意のある人は、廊下を霧で満たしません」
「手厳しい」
「現場適応です」
俺は少しだけ吹き出しかけた。
ロスヴァイセが横目で睨んでくる。
「何ですか」
「いや、いい感じに悪影響が出てきたなと思って」
「嬉しくありません」
「俺も複雑だ」
曹操は、そのやり取りを面白そうに眺めていた。
その目に油断はない。人の関係の隙間まで盤面に入れてくる目だ。
こいつはロキとは違う。
壊して笑うタイプじゃない。並べて、測って、勝つために使うタイプだ。
「で、断ったら?」
俺が聞くと、曹操は槍を肩に軽く預けた。
「残念だが、別の形で接触することになる」
「つまり面倒が増える」
「そうなるね」
「正直でよろしい。よろしいが腹立つ」
ジークが静かに言う。
「受けろ。お前の答えを、俺はまだ聞き終えていない」
「さっき答えただろ」
「言葉では足りない」
「脳筋め」
「剣士だ」
「だいたい同じ分類だろ」
ジークは初めて、ほんの少しだけ口元を緩めた。
すぐに消えたが、前よりも人間らしい隙だった。
外のチャイムが鳴った。
結界越しの音は、遠い水底から聞こえる鐘みたいに濁っていた。放課後の終わりを告げる音が、霧の盤面の上で薄く揺れる。
ロキを捕まえた一週間後。
ようやく日常が戻りかけたと思ったら、今度は英雄を名乗る連中が盤面を持ってきた。
本当に、世界はずうずうしい。
こっちが息を整える前に、次の面倒を差し出してくる。
俺は空になった缶を握りつぶした。軽い音が、黒い盤面の上に落ちる。
「条件がある」
曹操が笑みを深める。
「聞こう」
「こっちの正体を勝手に暴くような真似はするな。盤上で呼ぶなら、ギャバン・キングとして呼べ」
ロスヴァイセが一瞬こちらを見る。何も言わない。
彼女はもう、その沈黙の使い方を知っている。
曹操は頷いた。
「いいだろう。こちらが挑むのは、ギャバン・キングだ」
「それと、場所とルールは三大勢力と宇宙警察の監視下に置け。お前らの趣味だけで盤面を作られると、後始末が面倒だ」
「構わない。むしろ、その方が面白い」
「面白がるな」
「三つ目は?」
「報告書はお前らも書け」
ジークが眉をひそめた。
「報告書?」
「戦った後に増えるんだよ。地獄の紙束が」
曹操が声を立てて笑った。
「英雄派に報告書を求める者は初めてだ」
「じゃあ歴史に残せ」
「いいだろう。勝者が様式を決めるというのはどうかな」
「よし、絶対勝つ理由ができた」
ロスヴァイセが隣で小さく呟く。
「そこなのですか」
「大事だろ」
「大事ですが」
「今、認めたな」
「……否定しません」
曹操は満足そうに槍を引いた。
ゲオルクが杖を鳴らすと、床の盤面が霧に戻り、廊下の木目が現れる。窓の外の青空も、運動部の声も、何事もなかったように戻ってきた。
けれど、足元にはまだ霧の冷たさが残っている。
「詳細は追って知らせる。開戦は近い」
「開戦って言葉、平和な校舎で使うなよ」
「君なら似合うと思った」
「嬉しくねぇ」
曹操とゲオルクの姿が霧へ薄れていく。
ジークだけが最後まで残った。
「次は盤上で会う」
「手加減しろよ」
「しない」
「真面目か」
「剣に嘘はつけん」
「面倒なタイプの真面目だな」
ジークはそのまま背を向けた。
去り際、彼は一度だけ立ち止まる。
「お前が英雄を名乗らないまま何を守るのか、俺は見届ける」
「勝手に見物料払え」
「報告書でいいか」
「やめろ。増やすな」
今度こそ、ジークの姿も霧に消えた。
結界が解ける。
廊下の空気が戻り、遠くで誰かが笑った。まるで世界は何も知らないみたいに、放課後の音を続けている。
ロスヴァイセがファイルを抱え直した。
「受けるのですね」
「断った方が面倒そうだったからな」
「それだけですか」
「それだけだ」
彼女は何も言わなかった。
ただ、廊下の窓から差し込む光の中で、書類の角を指で整えた。
「私も、参加することになるでしょう」
「護衛任務の延長か?」
「連絡役としての立場もあります」
「便利な肩書きが増えたな」
「あなたに言われたくありません」
少しだけ、風が戻る。
彼女の銀髪が揺れた。
前よりも、校舎の光に馴染んで見えた。
俺は潰れた空き缶をゴミ箱へ投げる。
缶は縁に当たり、情けない音を立てて床へ落ちた。
ロスヴァイセが無言で拾い、ゴミ箱へ入れる。
「外しましたね」
「風だ」
「室内です」
「結界の名残だ」
「もう解けています」
「現場適応で見逃せ」
「嫌です」
放課後の廊下に、そんなくだらないやり取りが落ちる。
けれど、その足元にはもう盤面が敷かれている。
見えない霧の升目が、次の戦いへ続いている。
英雄派。
英雄を名乗る者たち。
英雄を名乗らない俺。
答えなんて、まだ形になっていない。
だが、盤面に立てば、嫌でも足跡は残る。
俺は旧校舎の窓から空を見上げた。
青い空は、さっきより少しだけ遠く見えた。
それでも、線路を敷けないほど遠くはない。
「面倒だな」
「でも、行くのでしょう」
ロスヴァイセが言った。
俺は肩を竦める。
「必要ならな」
その一言を合図にしたように、遠くでまたチャイムが鳴った。
放課後は終わらない。
次のゲームが、もう始まろうとしていた。
次回の王は
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妖怪王
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機械王
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怪獣王
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幻想王