サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
場内にはまだ雷の残滓が肌を刺すように残っていた。
さっきまで轟いていた雷光の余韻が、観客の鼓膜と網膜にこびりついて離れない。白く焼きついた視界の隅で、霧散した敵チームの残影がかき消えるところだった。
「これで一勝だな」
隣でレオルドが息を吐く。俺は短く返した。
「次を決めるぞ」
だが、その「次」はこっちの都合を待たなかった。
どん、と床が鳴る。
観測席のざわめきが一瞬で止まった。向こう側の控え区画から、二メートル級の影がひとつ、歩き出してきたのだ。
灰色の髪。学ラン風の上着の下に覗くギリシャ風の鎧。鍛え抜かれた肉体が一歩踏むたび、場内の空気を押し潰す。
「次は俺だ」
ヘラクレスが、不敵な笑みを浮かべて進み出る。
たったそれだけだ。名乗りも、挑発も、まだ何も言っていない。なのに、会場全体が圧に沈んだ。雷の残滓なんて比にならない。物理的な重さで空気が軋んでいる。
「……なるほどね」
観測席からそんな声が聞こえた気がした。次はパワー型をぶつけるべきだ、と。常識で言えば当然の読みだ。スピードで取った一勝の後、相手は真正面から力で潰しにきた。ならばこちらも力で応じる。それがセオリーというものだろう。
俺は口元を歪めた。
「面倒だな。なら俺がやる」
言いかけたレオルドを手で制する。
「いや、お前じゃない」
「は?」
「あいつは殴り合いを望んでる。真正面から受ける気はないよ。だったら――」
俺は肩越しに、控え区画の隅を見た。
誰も気づいていなかった。
照明の届かない影の中に、青い小さなシルエットが静かに立っている。
「出番だ」
声をかけると、ドロロは静かに一歩前へ出た。
「承知したでござる」
場内がざわつく。ヘラクレスが見下ろすように眉をひそめた。
「カエル?」
「拙者の名はドロロ、ケロン人である」
そこに立つのは、青いカエル。その姿は、まるで忍者である。
だが、その対格差は、明らかに大きすぎる。
「なんだ、その青いの。ガキの使いじゃねえんだぞ」
ドロロは表情を変えない。ただ、その場の空気に溶けるように、存在感が薄れていく。
「――小さい者が、大きな者に勝てぬ道理はござらん」
言い終わる頃には、もう影が揺らいでいた。
俺は背を向けて自分の席へ戻る。
「好きにやれ。ただし、負けんなよ」
「無論でござる」
背後でヘラクレスの拳が唸りを上げる気配がした。だが、もうそこにドロロはいない。
観測席がどよめく。誰もが「パワー対パワー」を予想した場で、俺はあえてそれを外した。
常識で戦う気なんざ、最初からねえんだよ。
「第2試合、開始」
審判の声が場内に響いた瞬間、空気が爆ぜた。
ヘラクレスが一歩で間合いを潰す。二メートル級の巨体が、たった一歩で十メートル以上を跳び越えたのだ。足元の床がひび割れ、衝撃が観測席まで伝わってくる。
「潰れんなよ、小さいの!」
拳が落ちる。
避けるとか、受けるとか、そういう次元じゃねえ。単純な質量が、単純な速度で、ただ一直線に叩きつけられた。それだけで盤面の中央が陥没した。
ドゴン、と音が遅れてくる。
床が割れ、石柱が傾ぎ、巻き上がった霧が爆発するように散った。ドロロの姿はもうない。
「ちっ、逃げ足はあるな」
霧の中から声だけが返る。
「逃げ足ではなく、忍び足であります」
ヘラクレスが笑った。
「同じだろ!」
二撃目。今度は石柱を狙った横薙ぎだ。太さ一メートルはある石柱が、根元からへし折れて吹き飛ぶ。瓦礫が弾丸のように飛び散り、観測席の防護結界を揺らした。
その瓦礫の影を、青いシルエットが滑るように抜ける。一瞬、姿が見えたかと思うと、次の瞬間には別の影へ消えていた。
観測席がざわつく。
「逃げているだけか?」
「ヘラクレスの攻撃を受けたら終わるぞ」
「兵士駒で持つのか? パワー型をぶつけるべきだったんだ」
ロスヴァイセが盤面を見つめ、眉をひそめる。
「ドロロさん、攻撃していません。ですが、移動経路が不自然です。回避だけならもっと効率的な位置取りがあるはず」
俺は腕を組んだまま、目だけを動かす。
「逃げてるように見えるなら、見えてる場所が違うんだろ」
ゲオルクが細めた目の奥で、盤面の影を追っている。
「影に術式を置いているな。それも、一つ二つじゃない」
曹操が微笑を浮かべた。
「兵士の一歩か。確かに、駒の特性を活かしている」
だが、気づいたのはこっちだけじゃない。
ヘラクレスが三撃目を振り下ろす直前、足を止めた。ドロロがさっきまでいた場所の床に、小さな影の札が残っている。ヘラクレスはそれを一瞥し、笑った。
「罠か」
そして、拳を逆手に床へ叩きつける。
「なら、全部壊せばいい!」
衝撃が盤面全体を走った。
床が波打ち、石柱がさらに崩れ、仕込まれていた影札がいくつも砕け散る。同時に、霧の中のドロロの気配が一瞬だけ乱れた。隠れ場所そのものを粉砕されたのだ。
「ぐ……っ」
「力で壊せるなら、壊す。分かりやすいだろ?」
ドロロは瓦礫の影に着地し、小さく息を吐く。
「分かりやすい相手ほど、足跡は深く残るであります」
ヘラクレスの拳がさらに盤面を砕く。石柱が倒れ、床の亀裂が広がっていく。広がった亀裂は、砕かれた影札の残骸を通り、別の影札へと繋がっていく。
俺は口元を緩めた。
「よし。盤面ができてきたな」
ロスヴァイセが聞き返す。
「盤面が、壊れているのでは?」
「壊させてるんだよ」
盤面全体に走った亀裂が、無数の影札を結ぶ線になっている。ドロロは逃げながら、壊される前提で罠を張っていたのだ。壊れれば壊れるほど、影札同士の繋がりは強くなる。
ヘラクレスは気づいていない。
いや、気づく必要がないと思っている。壊せるなら壊す。それがこいつの強さであり、同時に――足跡だ。
ヘラクレスの拳が唸るたび、盤面が悲鳴を上げた。
もう石柱は半分以上が倒れ、床はひび割れだらけだ。ドロロの隠れる影は減り、霧も衝撃で吹き飛ばされて薄くなっている。退路は確実に狹まっていた。
ドロロの左腕から青い体液が滲んでいる。さっきの衝撃で瓦礫をかわせず、かすめたのだ。
「そろそろ隠れる場所もなくなってきたんじゃねえか」
ヘラクレスが瓦礫を蹴り飛ばす。ドロロはそれをかわしたが、着地の瞬間に体勢が傾いだ。
「ひとつ聞くがよ」
ヘラクレスは拳を構えたまま、笑った。
「お前、元は侵略者なんだろ? ケロン星だか何だか知らねえが、地球を攻めに来た側だって話じゃねえか」
会場の空気が変わった。
観測席のざわめきが、少しだけ質を変える。
「元侵略者が、今さら守護者を名乗るのか?」
ドロロは答えない。
「何が楽しくて、自分の星でもねえ場所を守るんだ? 笑わせるなよ。どうせ偽善か、気まぐれだろ」
ドロロはゆっくりと息を吐いた。忍者装束の端が、かすかに震えている。傷のせいじゃない。
「……かつての拙者は、ゼロロという名の侵略者でありました」
静かな声だった。
「ですが、今はドロロ。地球を傷つける者を、見過ごすわけにはいかぬ」
「理由になってねえな」
「理由で守っているわけではござらんから」
ヘラクレスが踏み込む。拳が振り抜かれる。ドロロは紙一重でかわしたが、衝撃波だけで小さな体が吹き飛んだ。
その衝撃の余波が、観測席へ向かう。
安全結界がきらめいたが、ヘラクレスの力はその結界の一部を揺らがせた。ひびが入る。観測席の前列にいた者が息を呑んだ。
ドロロは吹き飛ばされながら、手を結んだ。
「忍法・影渡り」
観測席の影から影へ、衝撃が流れ込む直前、軌道が逸れた。結界の外側を滑るように、破壊の余波が霧散する。
ドロロは壁に叩きつけられ、崩れた。
ヘラクレスが動きを止める。
「……なんだ、今の。お前、今のでかわせたはずだろ。なんで観測席を庇った」
ドロロは壁に背を預け、ゆっくりと立ち上がる。
「地球には、拙者の大事な仲間がいるでござる」
それだけ言って、構えを取った。
俺は腕を組んだまま、口を開かなかった。ロスヴァイセも黙っている。隣で小猫が拳を握りしめているのが分かった。
茶化す場面じゃねえ。
「そうかよ」
俺は短く呟いて、盤面に視線を戻した。
ドロロの仕込みはまだ生きている。傷を負い、退路を失いながら、それでも次の一手を置いている。守るために戦うってのは、そういうことだ。
かつて侵略者だったことなんざ、今のこいつには関係ねえ。
「ドロロ」
声をかけると、小さな背中がかすかに動いた。
「終わらせろ」
「承知」
ヘラクレスが拳を握り直す。その顔から笑みが消えていた。
「……そういうことかよ。なら、手加減はしねえ」
「望むところでござる」
盤面の影札が、一斉に輝き始める。
盤面の亀裂が、一斉に光を帯びた。
ドロロが仕込んだ影札が、破壊された床の裂け目を通じて繋がり、一つの巨大な術式陣を浮かび上がらせる。光は青白く、盤面全体を網目状に覆っていた。
ヘラクレスは足を止め、周囲を見渡す。
「なるほどな。俺に壊させたのか」
「力任せは、時に力を利用される」
ドロロは壁から離れ、ゆっくりと歩き出した。傷ついた左腕を垂らしたまま、正面からヘラクレスへ向かう。
その背後で、英雄碑が燦然と輝いていた。
盤面中央から少し離れた位置。ヘラクレスが壊した石柱の向こう側。試合開始からずっと、ドロロはヘラクレスの意識を碑から遠ざけるように動いていた。だが、今は違う。
「正面から来る気か」
ヘラクレスが拳を構える。
「その小さな体で、俺の拳を受けると?」
「受けるとは言っておりませぬ」
ドロロが印を結ぶ。
「アサシンマジック――影分身」
瞬間、ドロロの姿が三つに増えた。三体が同時に走り出す。ヘラクレスは笑い、拳を振りかぶった。
「見ええええええええ!!」
振り下ろされた拳が、盤面を砕く。
三体の分身のうち二体が衝撃でかき消えた。残る一体が、真正面から拳を受け止めようと構える。青い小さな手が、巨大な拳の前に晒される。
「もらった!」
ヘラクレスの拳が、分身を粉砕した。
手応えはない。影が散る。
「――なに?」
ヘラクレスが見開いた目の前で、拳の衝撃は止まらない。ドロロが誘導した亀裂を通り、衝撃が一直線に英雄碑へと流れていく。
「しまっ……!」
振り返ったヘラクレスの視界に映ったのは、英雄碑の裏側に立つドロロの本体だった。影分身が時間を稼いでいる間に、影の中を移動していたのだ。
「ここでござる」
ドロロの手には、一本の苦無。
「忍法・影穿ち」
碑の核へ、小さな刃が突き立てられる。
それだけだ。それだけで十分だった。ヘラクレスの全力の一撃が、亀裂を通じて碑を内部から砕き、ドロロの一撃が核を貫いた。二つの力が碑の内部で衝突し、英雄碑は内側から光を放つ。
「俺の拳を……利用したのか」
ヘラクレスが呟く。
英雄碑が、音を立てて崩れ落ちた。
盤面に静寂が訪れる。
審判の声が響いた。
「英雄碑、破壊。勝者、ドロロ兵長」
ドロロは苦無を収め、ゆっくりと息を吐いた。誇らしげに叫ぶでもなく、勝ち名乗りを上げるでもない。ただ静かに、役目を終えた忍者の顔で立っていた。
瓦礫の中から、ヘラクレスが立ち上がる。
「……お前、最初からこれが狙いだったのか」
「正面からでは、拙者に勝ち目はなかったでござる」
「だから、俺の力を使った」
ヘラクレスはしばらくドロロを見下ろしていたが、やがて口元を歪めた。
「ちっ。力比べなら負ける気はしねえのによ」
ドロロは静かに一礼し、控え区画へと歩き出す。
俺は腕を組んだまま、戻ってきたドロロを見た。
「お疲れ」
「ご迷惑をおかけしたでござるか」
「勝ったんだからそれでいいだろ」
俺は短く言って、盤面の崩壊を見渡す。ドロロが仕込んだ罠と、ヘラクレスが壊した破壊の跡。その全てが、勝ちへの道筋だった。
「小さいからって、できることが小さいわけじゃねえな」
ドロロは少しだけ、目を細めた。
次回の王は
-
妖怪王
-
機械王
-
怪獣王
-
幻想王