サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
夕暮れの商店街は、どこかノスタルジックな匂いがする。
揚げ物の油の匂いと、どこからか漂う醤油の焦げる香り。
そして、少し埃っぽい空気。
それらが混ざり合って、妙に落ち着く心地よさを生み出しているのだ。
俺――唯我太郎は、その商店街の一角にある駄菓子屋の前で、ひたすらに時間を潰していた。
「……遅い」
口に含んだうまい棒(めんたい味)をかじりながら、ぼやく。
カリッとした食感と、安っぽい魚介の風味が口いっぱいに広がる。
悪くない。むしろ、王の休憩には相応しい贅沢といえるかもしれない。
だが、その王を待たせている侍がいる。
「はぁ、はぁ……た、太郎くん!」
まるで呼応したかのように、息を切らした声が聞こえた。
振り返れば、長い黒髪に桃色の差し色が目立つ少女が、こちらへ走ってくるのが見える。
宮本絶花。
俺の幼馴染みであり、自称・最強の侍だ。
「す、すみません……待たせてしまって……」
彼女は俺の前で止まり、肩で息をしている。
その仕草一つ一つが、何というか、こう……主従関係を間違えていないか?
いや、彼女の場合は単に弱いだけだ。心が。
「まったく。王たる者を待たせるとは、どこの不届き者だ」
「うぅ……ごめんなさい」
うん、謝ることではないのだが。
彼女は本当に素直だ。そして、その真面目さが仇になって、よく損をしている。
俺は残ったうまい棒を口に放り込み、立ち上がる。
「で? 何をしてたんだ? まさか、迷子になったわけじゃないだろうな」
「ち、違うよ! その……天聖が……」
「ん?」
絶花が言い淀みながら、自分の胸元を押さえる。
黒いブレザーの上からでも分かる、圧倒的な質量。
サラシで厳重に封印されているはずなのに、その存在感は隠しきれていない。
いやむしろ、強調されていると言うべきか。
『聞こえておるぞ、小僧。妾を呼んだか?』
不意に、脳内に響く声。
どこか尊大で、それでいて妙に説得力のある男の声。
絶花の神器――刀剣型神器『失楽園の双刀』の一振り、天聖だ。
こいつは絶花の胸に宿る生命力そのものといった存在で、とにかくおっぱいに関して一家言ある変態神剣である。
「天聖がどうしたんだ?」
『ふむ。街角で見かけた巨乳の女を追跡しておったのだが、どうにも振り切られてしまってな』
「……お前、神器としての威厳ないのかよ」
『何を言うか! 乳こそ正義! 乳こそ生命力!それを求めるのは至極当然の理だぞ!』
「だかららって、絶花を走らせるな!」
俺は思わずツッコミを入れる。
絶花は顔を真っ赤にして、胸元をバシバシと叩いている。
「天聖! 勝手に人のおっぱいを追いかけないでください! 私が変な人だと思われるじゃないですか!」
『主は黙っておれ! あの見事な膨らみは、もっと近くで観察し、その乳気を堪能するべきなのだ!』
「観察って……変態!」
うん、いつもの光景だ。
強くなりたい、友達が欲しいと願う小心者の少女と、その胸に住み着くおっぱい至上主義の変態神剣。
そして、それに振り回される俺。
まさにカオス。
だが、悪くない日常だ。
「まあ、いいだろう。事情は分かった」
俺は二人のやり取りに適当に区切りをつけ、再びベンチに腰掛ける。
「絶花、お前も座れ。一つ買ってやる」
「え? い、いいんですか?」
「王が家臣に褒美を与えるのは当然だ。遠慮はいらん」
俺はポケットから小銭を取り出し、駄菓子屋の棚を指差す。
絶花はおずおずと近づき、棚の商品を物色し始めた。
その背中は小さく縮こまっているが、俺には分かる。
彼女の中には、間違いなく剣士としての炎が燃えていることを。
「太郎……これ、いいですか?」
彼女が手に取ったのは、ねるねるねるねだった。
「……好きにしろ」
なんだか、王としての威厳が試されている気がする。
だが、彼女の嬉しそうな顔を見れば、それもどうでもよくなる。
俺は王になる男だ。
自分の国を作り、その民を守る。
その第一歩として、まずは腹ごしらえというわけだ。
「それにしても……」
絶花がねるねるねるねを作り始めると、ふと空を見上げる。
夕焼け空。
赤と橙が混ざり合った、美しいけれどどこか不穏な空。
何かが起こりそうな予感。
そう、まるで空の向こう側から、何かが降ってくるような――。
「……ん?」
空の一角が、歪んだように見えたのは、気のせいだろうか。
真っ二つに裂けた。
空気が、じゃない。もっと深い、次元という薄い膜が、グロテスクな音を立てて裂かれた音だ。
俺は柄にもなく、手に持っていたうまい棒の袋を握り潰してしまった。
絶花の手も止まっている。ねるねるねるねのカップの中で、いちご味の粉が呆けたように舞っている。
商店街の誰もが気づいていた。
八百屋のおじさん、コロッケを揚げていたおばちゃん、買い物袋を提えた主婦。
まるで時が止まったかのように、全員が同じ方向――空を見上げていた。
「なんだ…あれ…」
絶花の口からこぼれた声は、か細く震えている。
それもそうだ。
ついさっきまで夕焼けだった空が、まるで腐ったミカンのように黄金色に変色し、そのど真ん中に、黒く脈打つ「傷口」が開いているんだから。
傷口はまるで生き物のようだった。
ドクン、ドクン、と鼓動し、そのたびに黄金の汚物――光の粒子が、重力を無視して逆流し、空へと吸い込まれていく。
嫌な汗が背中を伝う。
心臓が早鐘を打つ。アラームが鳴っているんだ、俺の本能が。
逃げろ、と。
そして、見えた。
傷口の向こう側から、伸びてきたもの。
最初はロープか何かかと思った。
いや、違う。
あまりにも長い。あまりにも異質だ。
鱗だ。黄金と漆黒が混ざり合った、ぬめりを帯びた巨大な鱗。
それが連なった「首」が、傷口からにじり出るように延びてくる。
まるで、腐った繭から這い出る芋虫のようだ。
いや、芋虫はまだ可愛い。
あれはもっと根源的に醜悪な何かだ。
二本。
三本。
五本――。
やがて、八つの首の中心に、ぎょろりとした眼球が輝く。
虹彩などない。ただ、純粋な黄金の輝きだけが、そこに渦巻いている。
そして胴体が現れた。
ドス黒く、岩盤のようにゴツゴツした身体。
八本の首を支えるにはあまりに小さく、歪な胴。
だというのに、その一脚、一脚が、商店街のアーケードを軽々と踏み潰せるほどの質量を誇っている。
近くのビルが、ただその足音だけで窓ガラスを粉々に割った。
「ヤマタノオロチ…!」
誰かの叫び声が、商店街を支配していた沈黙を粉々に打ち破った。
それを皮切りに、日常は崩壊を始めた。
「うわあああああぁぁぁっ!!」
パニックだ。
混乱という言葉すら生温い。
人々は悲鳴を上げ、踵を返し、我先にと逃げ惑う。
さっきまで「日常」だった商店街は、一瞬で「戦場」へと塗り替えられた。
誰かがぶつかり合う。
誰かが転ぶ。
それを助ける余裕など、誰にもない。
ただひたすらに、圧倒的な死の影から、己の命を遠ざけるために。
まさに、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
グオオオォォォォン!!
咆哮だ。
八つの首が同時に咆えた悲鳴は、空気を震わせ、俺の腹の底まで直接殴りつけてくるような重低音だった。
耳が痛い。
心臓が縮み上がる。
駄菓子屋のガラス瓶が、甲高い音を立てて割れる。
「太郎!」
絶花が俺の腕を掴む。
もう既に、その手は白くなって震えている。
彼女の目つきはもともと悪い方だが、この時ばかりは、獲物を前に震える小動物のような恐怖に彩られていた。
「あの数じゃ、私の天聖でも…」
普段ならここで、胸元の天聖が「あのモンスター娘どもを乳気の徒になどできるか!」とかなんとか、間抜けなことを言い出すのだが、今回は静かだ。
それだけで事態の深刻さが分かる。
アイツは純粋だが、バカではない。あれが「神話の再現」だというなら、神器ごときの一振りでどうにかできるレベルじゃないのだ。
直後、オロチの首が、ゆっくりと、しかし正確に、俺たちのいる方角へ向けられた。
ゾクリ。
全身の毛が逆立つ感覚。
数百万の複眼的視線が、俺たちを「餌」として認識した時、人間の本能はここまで冷え切るのか。
足がすくむ。身体が言うことを聞かない。
「くそっ…動け…動けよ…!」
王である前に、俺は人間だ。
信じられないかもしれないが、勇気だけで巨大な怪獣に立ち向かえる奴なんて、この世には存在しない。
立ち向かえるのは、ただのバカか、あるいは「ウルトラマンゼロ」のような、特別な何かだけだ。
俺が今、背中に感じているのは、あまりにも無力な自分の惨めさ。
王を目指すと大口を叩きながら、家臣一人守れずに死ぬのか、俺は!
「太郎っ!早く!」
絶花が俺の手を引き、無理やりにでも駆け出そうとする。
その必死さが、逆に俺の頭を冷やした。
「…ああ! 逃げるぞ、絶花! 全力でだ!」
俺たちは走り出した。
背景では、ついに動き出したオロチの首が、手近な建物を無造作に薙ぎ払う。
鉄骨が悲鳴を上げ、コンクリートが崩れ落ちる。
逃げ遅れた人々の悲鳴が、破壊の轟音に掻き消されていく。
走れ。走れ。
思考は後回しだ。
この、地獄のような黄金の夕暮れから、まずは生き延びなくては――。
そう、この時は、まだ知らなかったのだ。
この最悪の非日常が、まだ始まりに過ぎないことを。
次回の王は
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妖怪王
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機械王
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怪獣王
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幻想王