サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
夜の学校というのは、昼間とは完全に別の生き物だ。
廊下の蛍光灯は一本を除いて全て消されている。その唯一の光源たる非常口の緑色ランプが、暗闇の中でぼうっと浮かび上がっている様は、まるで深海の海底洞窟に棲む発光魚の lure――獲物を誘い込むための器官――のように不気味で、それでいてどこか魅惑的だ。
足元のリノリウム床は、昼間の雑踏で擦り減った箇所が微細な傷となって残り、懐中電灯の光を当てると、無数の銀色の引っ掻き傷が網の目のように浮かび上がる。それはまるで、何千もの小さな爪がこの廊下を歩き続けた痕跡のように見えた。
俺とあんなは、職員室の横を息を殺して通り抜けた。
床が軋む箇所を避けて歩くのは、京都で怪獣の足音を聞き分けていた経験が思わず活きている。王になるための修行が、不法侵入のスキルに転用されている現実に、俺は深い自嘲を覚えずにはいられなかった。
「ねえ太郎くん、こういうのって『不法侵入』って言わない?」
あんなが小声で聞いてくる。その足取りは驚くほど軽い。まるで夜の学校など粉飾された遠足の会場に過ぎないとでも言うような、能天気な歩き方だ。
「言うな。今初めて知ったよ」
「えっ!?」
「冗談だ。静かにしろ」
「冗談にしては顔が真面目すぎたよ」
あんなが唇を尖らせて抗議する。だがその瞳は暗闇の中でも明るく輝いていて、恐怖の欠片すら感じさせない。この少女の神経はどうなっているのだ。あるいは恐怖を感じる回路が、配線ミスで楽しさの方に繋がってしまっているのかもしれない。
『お前らここが理科室だ』
ブレスレットからゼロの声が響く。俺たちだけの秘密の通信回線だ。夜の学校の静寂を乱さない程度の音量だが、その声には歴戦の戦士が状況を把握した時特有の、鋭く緊張感のある響きが宿っていた。
『さっきの防犯カメラの映像。奴が最後に立ち去ったのがこの部屋だ。何か残ってるはずだ。ババルウは擬態が得意だが完璧じゃねぇ。必ず綻びがある』
俺は理科室のドアに手をかけた。
冷たい。金属のノブから伝わる温度は、夜の冷気が浸透した結果だが、それがまるでこの部屋自体が「拒絶」しているかのような冷たさに感じられた。
鍵がかかっている。当然だ。
「開かないよ?」
あんなが後ろからのぞき込む。彼女の吐息が首筋にかかる。ミント系の歯磨き粉の香りがした。
「あんな、お前ここが学校だと思ってるか?」
「思ってるけど」
「鍵のかかったドアが開かないのは、どこの世界でも同じだ」
「それ言いに来たの? わざわざ夜の学校まで忍び込んで?」
俺はポケットからクリップを取り出した。京都から戻った後、何かと必要になると思って準備していたのだ。王たる者、常に先を読むものだ。たとえその先が「鍵開け」という犯罪行為であったとしても。
『相棒、お前そんな手芸技能持ってたのか』
ゼロが驚いたような声を出す。
「持ってねえよ。ネットで見ただけだ」
「王になる男が鍵開けとはねぇ」
「うるさい。必要なことをするだけだ」
クリップを折り曲げ、鍵穴に差し込む。指先が微かに震えている。這不是恐怖じゃない。集中しているのだ。京都でゼロスラッガーを握った時と同じ感覚。工具を操る指先に、全神経を集約する。
カチャリ。
乾いた音が廊下に響いた。夜の静寂の中では、その小さな音でさえ銅鑼を打ち鳴らしたように大きく感じられる。
「開いた」
「すごい!」
あんなが小さく拍手した。
「褒めるな。罪が増えるだけだ」
「罪って…もう十分不法侵入してるけど」
「お前が褒めるたびに罪が重くなると思え」
「じゃあ褒めないほうがいいの?」
「いや、褒めろ。罪は増えるが士気は上がる」
俺はドアを押し開けた。
理科室の空気が、廊下とは質感の異なる重みを持って押し寄せてきた。
消毒用アルコールの刺激臭と、古びたゴム手袋が長年蓄積させた劣化ゴムの甘ったるい臭気。ガスバーナーの鉄芯が焼いた金属の匂い。それらが何層にも折り重なって、この部屋独特の「実験室の空気」を形成している。
だがそれだけじゃない。
俺の鼻が、それらの日常的な臭気の下に潛む、異質な分子を嗅ぎ取った。
「…何か、腐ったような匂いがする」
あんなが鼻をひくつかせる。その仕草が小動物のようで、状況の深刻さとは不釣り合いだ。
「変な匂いだね。玉ねぎ? 玉ねぎが腐ったやつ?」
「玉ねぎじゃねえよ。もっと…生臭い。海藻が干潟で腐敗したような、いや有機溶媒とタンパク質が混ざり合ったような…」
俺は言葉を探したが、正確な表現が見つからない。それもそのはずだ。この臭気の正体は、地球上のどの辞書にも記載されていない物質からなるものなのだから。
俺は懐中電灯を点けた。
LEDの白い光が理科室を切り裂くように照らし出す。
まず目に入ったのは、割れた窓ガラスだ。
内側から粉砕されている。ガラスの破片が、床に散乱していた。無数の結晶が、懐中電灯の光を受けてキラキラと冷たい輝きを放っている。それはまるで、凍った湖の表面が砕け散ったかのような美しくも残酷な光景だった。
だが破片の散り方がおかしい。
俺は懐中電灯を床に向け、破片の分布を観察した。
「あんな、ガラスを見ろ」
「見てるけど」
あんなが俺の横に並んで、床のガラス破片を見下ろす。彼女の顔が懐中電灯の逆光で半分影になり、表情が読み取りにくい。
「内側から割れたなら、破片は外に飛ぶはずだ。爆発なら外側へ、打撃なら貫通方向へ。だがこれ、全部内側に散ってる。まるで真空ポンプで吸い込まれたみたいに」
「ホントだ。ガラスが全部こっち側に落ちてる」
あんながしゃがみ込み、破片の一つを指先でつついた。
「ってことは…外から押し込められたってこと?」
「いや。ゼロどう思う?」
俺はブレスレットに語りかけた。ゼロの知識が欠かせない。奴は宇宙で数多の敵と戦ってきた。ババルウ星人の生態について、誰よりも詳しいはずだ。
『ババルウの擬態エネルギーが漏れたんだ』
ゼロの声が低くなった。戦況を分析する時のトーンだ。
『奴が人間に化けている時、擬態を維持するためのエネルギーフィールドを常に展開してる。だがそれが不安定になった。一瞬だけ本来の姿が「漏れ出た」。その衝撃でガラスが内側から破裂した。破片が内側に散るのは、爆発ではなく「吸い込み」が起きたからだ』
「吸い込み?」
『擬態が崩れた瞬間、周囲の空間を巻き込んで元の形に戻ろうとする。一種の収縮現象だ。その「吸い込み」でガラスが内側に引っ張られた。つまり、ここで奴の変装が一瞬だが剥がれたってことだ』
「一瞬だけ宇宙人の顔が見えたってことか」
『見えたかどうかは分からねぇ。だが確実に綻びが起きてる。奴にとっては致命的なミスだな』
俺はガラスの破片を拾い上げた。
指先にザラリとした感触。ガラスの鋭利な縁が指紋を削り取るような鋭さを持っている。だがそれだけじゃない。
「…ぬるい」
破片の表面に薄い膜が張り付いている。
指の腹で撫でると、ヌルリとした粘液が指紋の溝に入り込む。不快な感触だ。まるでナメクジが這った跡を触っているようだが、それよりもっと粘度が高く、そして生温かい。
懐中電灯を近づける。
膜は、乳白色で半透明。光を当てると、微細な粒子がその中で蠢いているのが見えた。粒子は不規則に動き、まるでそれ自体が生命を持っているかのように脈動している。
「うわ、なにこれ。ネバネバする」
あんなが顔をしかめて後ずさりした。彼女の直感が「近づくな」と告げているのが表情から分かる。
『それだ』
ゼロの声が弾んだ。歴戦の戦士が敵の痕跡を発見した時の、猟犬のような興奮が声に宿る。
『ババルウの擬態粘液だ。奴が人間に化けている時、体温調節のために分泌する副産物。人間の皮膚には存在しない物質だ。地球の有機物とも無機物とも異なる成分。これが証拠になる』
「宇宙人の汗ってことか」
『まあそうなるな。宇宙人にとっては日常的な生理現象だが、地球人にとっては異物だ。これが衣類や持ち物に付着していれば、誰がババルウか特定できる』
「宇宙人の汗ねえ…」
俺は破片をポケットから出したビニール袋に丁寧に入れた。証拠品の保全だ。王たる者、証拠を粗末に扱ってはいけない。
「あんな、お前の直感を頼りたい」
「直感?」
あんなが首を傾げた。その仕草がまるで小首をかしげる猫のようで、戦略会議には不似合いな可愛らしさがある。
「この粘液がついているガラスの破片。一番多く付いてる場所を探せ。そこが奴が最も長く留まった場所だ。滞在時間が長いほど分泌量は増える」
「なるほどね。じゃあ…」
あんながガラスの破片の散乱状態を目で追い始める。彼女の視線が、床の破片を一つ一つ丁寧になぞっていく。まるで見えない線をたどっているかのように、真剣な眼差しだ。
やがて彼女の視線が、教室の隅の実験台で止まった。
「あそこ」
「なんでそこだ」
俺は素直に聞いた。あんなの直感はこれまで外れたことがない。だが理由を聞かずにはいられない。
「なんとなく。破片の角度が、あそこを中心に放射状に広がってるから」
俺が懐中電灯を向けると、確かにその通りだった。
ガラスの破片が、実験台を中心にして同心円状に散らばっている。あそこが爆発の震源地だ。
「よく気づいたな」
「はなまるでしょ?」
「まだ出してない」
「けち」
あんなが頬を膨らませたが、すぐに真剣な表情に戻った。
俺は実験台に目を落とした。
粘液の中に、さらに微細な粒子が混ざっている。
キラキラと光る塵。懐中電灯を当てると、虹色の干渉模様を描いて輝く。それはまるで、宇宙空間に漂う星間物質の縮図のようだった。
『それは…宇宙微粒子だ』
ゼロの声が低くなる。先ほどの興奮が消え、代わりに戦士の緊張が宿る。
『ババルウの母星の大気成分が、擬態の裂け目から漏れ出したものだ。地球の大気には存在しない物質。微量元素としては検出されないが、光の戦士の感覚なら識別できる。これが決定的な証拠になる』
「つまりこれがあれば奴が宇宙人だと証明できるのか」
『証明できる。だが問題は「誰」に証明するかだ。普通の人間に見せてもただの汚れにしか見えない。この粒子を識別できるのは、光の戦士の感覚か、あるいは神器の持ち主だけだ。あの嬢ちゃんは…もしかしただの直感じゃねぇかもしれないぞ』
「あんなお前そういう力あったのか?」
「知らないよ! ただ嫌な感じがするだけだもん!」
あんなが自分の胸を押さえた。その手が微かに震えているのを俺は見逃さなかった。彼女は表面上は明るく振る舞っているが、この粘液の臭気に対して生理的な拒絶反応を示している。それが「直感」という名の感応能力の正体なのだ。
『その嬢ちゃん、擬態エネルギーの歪みを感知できるかもしれない。ババルウが人間に化けている時、周囲の空間に微細な歪みが生じる。それを無意識に感じ取れるってことだ。そういう人間は珍しい』
「なるほどな」
俺はビニール袋をポケットにしまった。
証。
証拠は揃った。擬態粘液と宇宙微粒子。ババルウ星人がこの学校に潛伏しているという物証だ。
あとは、この粘液の臭いを追って奴を探し出すだけだ。
「明日、学校で捜査を始める。ババルウは擬態中も微量の粘液を分泌し続ける。それが体表から染み出し、衣服や持ち物に付着する。その臭いを追えばいい」
「了解!」
あんながビシッと敬礼した。その仕草があまりにも芝居がかっていて、夜の学校の緊張感を一瞬で粉砕した。
「その敬礼はやめろ。目立つ」
「はーい」
俺たちは夜の理科室を後にした。
廊下に出ると、窓の外に夜空が見えた。京都の空とは違う。見慣れた東京の夜空だ。だがその下に、宇宙からの侵入者が紛れ込んでいる。
日常の皮の下に蠢く異物。
王として、この異物を見つけ出し排除する。それが俺の仕事だ。
「ねえ太郎くん」
あんなが廊下の途中で立ち止まった。
「なんだ」
「もし犯人が見つかったら…どうするの?」
その声は、いつもの明るさの中に微かな不安を含んでいた。
「王として、排除する」
「排除って…殴るの?」
「状況による。だが基本的には、奴の擬態を剥がして正体を暴く。そうすれば防犯カメラの映像が捏造だったことが証明される」
「そっか。じゃあ私にできることある?」
「ある。お前の直感だ。奴の歪みを感じ取れるのはお前だけだ」
あんなが少し驚いたような顔をした。自分の力を認められることに慣れていないのだろう。
「…じゃあ、頑張る」
彼女は小さく握り拳を作った。
その手が、懐中電灯の光に照らされて、白く輝いていた。
次回の王は
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妖怪王
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機械王
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怪獣王
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幻想王