サムライガールの幼馴染みは王様を目指す   作:ボルメテウスさん

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ソラからの使者 Part10

戦いが終わった後の静けさは、妙に耳に痛い。

夜風の音まで輪郭を持って聞こえてくる。どこかで鉄骨がきしむ音。遠くの車のタイヤが砂利を噛む音。それと、三人分の荒い息。

「大丈夫かお前ら」

声を出すと、自分の喉が思ったより乾いているのが分かった。

「……ええ。私は、大丈夫です」

「うん……立てるよ」

絶花は膝をついたまま答えた。あんなは尻もちをついた格好のまま、小さく手を挙げて見せる。二人とも、よくやった。あとでちゃんと労ってやらないと。

身体が重い。ワイルドバーストの反動が臓腑の奥まで染みている。立とうとしたが、膝が笑ってうまく力が入らなかった。まあいい。少し休んでからでいい。

何気なく見上げた空の端が、まだほんの少しだけ白い。

いや、気のせいだ。

あれは雲だ。戦いで吹き飛ばされた粉塵が街灯の光を受けて、そう見えているだけだ。そういうことにしておく。

「……ソラ」

ぽつりと呼ぶと少女は瓦礫の近くに立ったまま、こちらを見ていた。

いや、正確には俺たち三人と、そのはるか後ろの空間を順番に見ている。何かを確かめるように、ゆっくりと視線が泳いでいた。

「どうした」

「……あ、はい」

ソラが我に返って、こちらへ小走りに近づいてきた。足元の瓦礫の破片を避ける動きは、どこかぎこちない。戦闘後の緊張がまだ抜けていないのだろう。

「お二人とも、動けますか。今飲み水を……」

「いや、いい。あとで自分で買う」

「そうですか……」

妙に素直に引き下がった。いつものソラなら「でも!」と食い下がりそうな場面なのに、今はどこか上の空だ。

無理もない。さっきまで百メートル超の白い女神と殴り合っていたんだ。感想をまとめる時間だって必要だ。

「太郎さん」

ソラが不意に、背筋を伸ばした。

「わたし、今日の戦いを見ていました」

「見てたな。お前が助けてくれたから助かった。礼を言う」

ソラは一瞬きょとんとして、それから慌てて手を振った。

「そ、そんな、お礼なんて。わたしは大したことをしていません。むしろ、お二人が止めていなかったらわたし一人で突っ込んでいました」

「だろうな」

「そこは否定してください」

小さく笑う。

だが、ソラの声は吹っ切れた明るさではなかった。何か考え込むように、夜の地面を見つめている。

「……わたし」

ソラが、うつむき加減で言った。

「わたしは、ただ目の前の人を守ることで精一杯で。でも、太郎さんは違いました」

「俺が何かしたか」

「味方の力を全部、引き出していました。絶花さんに的確な指示を出して、あんなさんの力を引き出して。ゾグの動きを読んで、みんなで勝った」

彼女は顔を上げた。青い瞳が、街灯の光を受けて濡れているように見える。

「ヒーローは一人で戦うものじゃないって、あんなに近くで見せつけられたら……わたし、まだまだだなって」

「……お前はお前で、十分戦えてただろ」

「でも、それだけじゃ」

ソラが言いかけて、口を閉じた。

「それだけじゃ、何だ」

「あの光が来た時、わたし、動けなかったんです」

光。

ガイアの力が二人に重なった時のことか。フォトンビクトリウムの変身が起きた時、ソラは瓦礫の陰で立ち尽くしていた。背中の翼が光に反応して、それ以上の行動ができなかった。

「自分の体が、あの光に引っ張られるみたいで。何をすればいいか分からなくなりました」

「……そうか」

「怖かったのかもしれません」

ソラは、小さく笑った。

「わたし、未熟です。戦いに巻き込んでもらって助けてもらって……やっぱり一人じゃ何もできません」

「一人でできたことはあっただろ」

「でも」

「でも多くを求めるな。あの場はそれぞれの仕事をした。お前が来なければ、俺たちはゾグの出現に気づくのがもっと遅れた。お前の仕事だ」

ソラが目を丸くして、俺を見た。

「それで十分なのか、そうじゃないのかはお前がこれから決めればいい。ここで落ち込んでる暇があるなら、次のために歩けよ」

「……っはい!」

背筋が伸びる。いつもの大きな声が、ようやく戻ってきた。

「はい。わたし、太郎さんたちみたいにもっと強くなります。目の前の一人だけじゃなくて、もっとたくさんの人を守れるヒーローに」

「そりゃまたでかい目標だな」

「目標は大きくないと! ヒーローですから!」

……らしい。

熱くて、真っ直ぐで、たまに空回る。だがこの空回りは嫌いじゃない。

「ソラさんならなれますよ」

絶花が静かに言った。膝をついたまま、いつもの鋭い目つきを少しだけ和らげて。

「私も剣だけでは届かない場所を知りました。ソラさんの真っ直ぐさは、それだけで誰かの道しるべになります」

「絶花さん……」

「あとで、その飛び方を教えてくれませんか。私も空はまだ苦手で」

「はい! もちろんです!」

ソラの顔がぱっと明るくなる。あんなも地面に座りながら、微笑ましそうに二人を見ていた。

「よかったぁ……ソラちゃん、元気になった」

「お前も、そろそろ立てるか」

「うん、お尻が痛いだけで立てる」

「何で座ってたんだよ」

「足がふにゃふにゃで」

仕方ない。そういう日もある。

四人で顔を見合わせて小さく笑った。夜はまだ深いが、空はもう白い残滓を残していない。

ただ、静かだ。

この静けさは、戦いの後の警戒と少しずつほどけていく緊張が混ざっている。勝利の余韻というには、まだ体が覚えている恐怖が近いけれど。

「帰るか」

俺がようやく立ち上がると、三人がそれぞれに頷いた。

ソラが、一歩前に出る。

「わたし、何か力になれることはありますか」

「ああ、お前なら。その翼で俺たちを運ぶとかどうだ」

「え、三人は無理です! 二人が限界です!」

「知ってる。冗談だ」

「……太郎さん、意外と冗談言いますよね」

「お前の中で俺はどんな男なんだよ」

「怒ってる怖い人……いえ、そうでもなくてあの、怖くてかっこいい人です」

「真顔で言うな」

絶花が後ろでくすりと笑った。あんなも「かっこいいは分かる」と頷いている。やめろ。疲労でむず痒いところに堪える。

帰り道を歩き出す。四人の影が、街灯の下で一つの塊になった。

空には星が数個。

数個でも、今日はやけに近くに見えた。

帰り道は静かだった。

廃工場から町の中心部へ戻る道のり。街灯が等間隔に光を落とし、俺たちの影を四つ生み出している。救急車のサイレンが遠くで鳴っているのが聞こえる。ゾグとの戦闘で崩れた建物の救出活動が始まっているのだろう。俺たちがやるべきことは終わった。あとはプロに任せるしかない。

 

「太郎さん」

歩みが止まった。

ソラだ。彼女が俺の前に回り込んで立ち塞がった。街灯の光が青い髪を縁取り、彼女の表情をくっきりと浮かび上がらせている。真剣そのものだ。まるで敵を前にした時のような、いやそれ以上の覚悟を瞳に宿している。

 

「どうした」

「お願いがあります」

ソラが一歩近づいた。拳を胸の前で握りしめている。

 

「わたしを、あなたの家臣にしてください」

唐突だった。

いや、さっきの会話で予感はしていた。彼女がただ目の前の人を守るだけでいいと納得するタマじゃないってことくらい。

だが、言葉にされると重い。

「理由を聞かせろ」

俺は彼女の目を見据え返した。

「力が欲しいからか。ヴァルキリーとして格上げされたいからか。それとも、あんなみたいに強くなりたいからか」

 

「違います!」

即答だった。声が大きい。夜道に響く。

「力が欲しいわけじゃありません。地位が欲しいわけでもありません。わたしは…わたしは、ヒーローになりたいんです」

 

ヒーロー。彼女にとっての根源的なキーワードだ。

「今日の戦いで分かりました。わたしは一人じゃ、目の前の人しか守れなかった。飛んで、殴って、飛ばされる。それだけじゃ、ゾグみたいな大きな敵には勝てない」

 

ソラの声が少し震えた。悔しさが滲んでいる。

「でも太郎さんは違いました。みんなの力を引き出して、戦局を作って、勝ちました。わたしは王様にはなれないけど…太郎さんの下でなら、もっと多くの人を救える力が見つけられる気がするんです」

 

飾らない言葉だった。打算も野心もない。ただ、自分が足りないものを補い、前へ進むための選択だ。

「わたしは、王を目指すあなたの背中を見ながら、自分なりのヒーロー像を見つけたい。そのために、あなたの隣で戦わせてください」

 

風が吹いた。彼女のサイドテールが揺れる。

俺は少しの間、沈黙した。

王国の駒。家臣を増やすことは、俺の負担を増やすことだ。王の駒が増えれば、その分念話のネットワークは広がり、感覚の負荷は上がる。俺が気絶すれば指揮系統は崩壊する。それは遊びじゃない。命のやり取りだ。

 

「…覚悟はあるか」

「はい!」

「俺の家臣は使い捨てじゃない。だが、俺がミスすれば全員死ぬ。俺が倒れれば指揮は止まる。お前が俺の指示で動くってことは、俺にお前の命を預けるってことだぞ」

 

「承知しています!」

ソラが目を逸らさずに言った。

「わたしは、自分の判断で突っ込むよりも、太郎さんの判断で勝つ方がいい結果を生むと信じます。だから、命を預けます!」

 

いい度胸だ。言語センスはちょっとアレだが、芯はブレていない。

俺はポケットから右手を出した。その手に握られているのは、王の駒だ。黒と金の升目模様が夜光で微かに輝いている。

 

「ソラ。お前には『兵士』の駒をやる」

 

ソラの眉が一瞬動いた。「兵士」という言葉に反応したのか。

「…一番下、ですか?」

小声で尋ねる。そりゃそうか。チェスじゃポーンは一番下っ端だ。

「違うな」

俺は首を横に振った。

「兵士は一番下じゃない。一番柔らかい駒だ。前に進めるし、横にも動ける。条件を満たせば、戦車にも騎士にもなれる。どんな役割にもなれるのが兵士だ。お前にはそれが合ってる」

 

俺は駒をソラへ差し出した。

「受け取れ。本心から俺に忠義を誓い、自分の意志でこの駒を受け入れるなら、契約は成立する」

 

ソラが駒を見つめた。金色の光が彼女の青い瞳に反射する。

彼女はゆっくりと、しかし迷いなく手を伸ばした。

指先が駒に触れる。

光が弾けた。

ドォン。

音はしなかったが、衝撃は腹の底に響いた。王の駒がソラの胸元へ吸い込まれていく。いや、彼女の存在そのものに溶け込んでいく感覚だ。

俺の脳内に回線が繋がった。

新しい接続。ソラ・ハレワタール。見習いヴァルキリー。兵士の駒。

位置と状態が頭の中の盤面に浮かぶ。彼女の鼓動が遠くから伝わってくる。緊張と、高揚と、強い決意。

 

『…聞こえますか、太郎さん』

念話だ。少し上擦った声が直接脳内に響く。

「聞こえてる。繋がったな」

『はい! ありがとうございます!』

 

念話越しでも彼女の声が弾んでいるのが分かる。

後ろで絶花とあんなが見ていた。絶花は少し驚いた顔をして、すぐに納得したように頷いた。あんなは目を丸くしている。

 

「えっと、ソラちゃんも太郎くんの家臣になったの?」

「ああ。文句あるか」

「ないよ! すごいね! 仲間が増えたね!」

あんなが無邪気に喜んだ。絶花も小さく口元を緩めている。

「ソラさん、これからよろしくお願いします」

『はい! よろしくお願いします絶花さん!』

念話と生声が重なって響く。うるさい。だが悪くない。

 

「よし。帰るぞ」

俺は歩き出した。

今度こそ本当に帰るだ。風呂に入って寝る。明日は学校だ。怪獣退治の翌日に学校に行くなんて物騒な世の中だが、行かないとリアスに怒られる。面倒だ。

 

背後で足音が重なる。四つの足音。俺と絶花とあんなとソラ。

王と家臣たち。

まだ足りない駒もある。だが今はこれでいい。

夜空を見上げた。星が数個。

変わらない数だが、何故かさっきより少し明るく見えた気がした。

 

  *  *  *

 

翌朝。

駒王学園中等部の昇降口前。

俺はあくびを噛み殺しながら靴を履き替えていた。

隣で絶花が同じようにあくびをしている。目の下にクマがある。昨日の反動だ。あんなはけろりとして「おはよー!」と元気だ。体力の違いかメンタルの違いか。たぶん後者だ。

 

「おはようございます、太郎さん」

背後から声がした。

振り返るとソラがいた。制服姿だ。青い髪のサイドテールが朝日を受けて輝いている。背筋が伸びている。これ以上伸びたら背骨が折れるって昨日言ったのに、やっぱり伸びている。

 

「おはようソラ」

「今日から同じ学校ですね! 授業一緒かもしれません!」

「騒ぐな。目立つ」

「すみません! つい嬉しくて!」

彼女の胸元。制服のリボンの下に、微かに金色の光が透けているのが見えた。王の駒だ。契約の証。

俺の脳内にもソラの位置が表示されている。中等部の昇降口。俺のすぐ後ろ。正確だ。

 

「行くぞ。遅刻する」

「はい!」

四人で廊下を歩く。

一つだけ気になっていたことがある。

昨日の戦闘終了時。あんながゾグを大地に縫い付けた時、ソラの瞳に映ったあの光。

V字型の輝き。

ビクトリーの力とソラが共鳴したあの現象。

まだ理由は分からない。本人も気づいていないようだ。

だが王の駒に登録された今、その共鳴がどう作用するか。

まだ明言できない。だが、いずれ答えは出るだろう。

その時まで、俺はこの盤面を見守るだけだ。

王とは、家臣が帰還できる盤面を作る者だ。

なら、その盤面に何が潛んでいようと、全部背負ってやる。

 

「太郎くん、次の授業技術だって」

「あー、面倒だな。米研ぐの?」

「違うよ裁縫! 太郎くんボタンつけられないの?」

「知るかよそんなの」

「わたし得意です! ボタンつけ!」

「ソラさんすごい!」

「へえ、やるじゃねえか」

「はい! ヴァルキリーの裁縫は手縫いですから!」

 

賑やかだ。

耳が痛い。

だが、この騒がしさは、俺の盤面の上で生きている証拠だ。

俺はポケットの中の王の駒を握りしめた。

温かい。

さあ、始めようか。

俺の王国は、まだまだこれからだ。

「待て」

 

俺は駒を引っ込めた。

 

ソラの手が空中で止まった。差し出しかけた指先が行き場を失い、ぷるりと震える。まるで骨付き肉を目前に待てを食らった犬だ。いや犬に失礼か。彼女は犬ほど待ち慣れていない。

 

「太郎さん…?」

 

「簡単に言うなよ。承知しています、じゃねえんだよ」

 

俺はポケットに駒を戻した。じゃり、と金属の音がした。ソラの視線がポケットへ吸い寄せられる。だが俺は取り出さない。

 

「お前、分かってねえだろ。家臣ってのは、俺の命令一つで死地へ放り込まれるってことだ」

 

ソラが唇を噛んだ。

 

「今日の戦いみたいに、『前に出ろ』と言われれば前へ出る。『右へ回れ』と言われれば右へ行く。だがそれだけじゃない。『引け』と言われたら、目の前で泣いてる子供がいても背を向けなきゃならねえ。できるか?」

 

「……っ」

 

ソラの表情が歪んだ。

 

想像しているのだろう。泣いている子供の手を振りほどいて背を向ける自分を。ヒーローとは正しいことを最後までやり抜く者だと信じている彼女にとって、それは矛盾だ。

 

「守りたい気持ちだけで救える奴もいる。だが守りたい気持ちだけで救えない奴もいる。今日ゾグを倒せたのは、お前の守りたい気持ちじゃねえ。絶花が翼を砕き、あんなが脚を封じ、俺が核を撃ち抜いた。三人の連携だ。お前一人の気持ちだけじゃゾグは倒れてねえ」

 

ソラが目を伏せた。拳が胸の前で握りしめられている。指節が白い。

 

「……はい。分かっています」

 

「分かってねえよ。分かってたら即答しねえよ」

 

俺は一歩近づいた。ソラの顔が上がる。青い瞳が揺れている。迷いだ。迷いがある。それでいい。迷いのない覚悟なんざ信用に足りない。

 

「俺はな、お前みたいな馬鹿正直な奴を嫌いじゃねえ。だが戦場で迷わず突っ込むのは勇気じゃねえ。ただの自殺だ。俺の家臣に自殺志願者はいらねえ」

 

「……自殺、じゃありません。わたしは守りたくて——」

 

「守って死んだら守れねえだろ」

 

ソラが黙った。

 

正論だ。残酷な正論だ。だが戦場では残酷な正論だけが命を繋ぐ。綺麗事で死ぬのは勝手だが、死んだらその後の誰も守れない。

 

「退却を命じられても従えるか。目の前に敵がいて、倒せそうで、でも俺が『下がれ』と言う。お前は下がれるか?」

 

「……」

 

「答えろ。今ここで」

 

ソラの唇が震えた。

 

彼女の中で何かがせめぎ合っているのが見える。ヒーローとしての本能と、家臣としての覚悟。目の前の敵に向かって走る衝動と、命令に従って引く理性。

 

長い沈黙だった。十秒。二十秒。夜風が二人の間を吹き抜ける。遠くで救急車のサイレンが鳴り続けている。

 

「……できます」

 

小さな声だった。

 

「できます、か。迷いがあんだよ」

 

「……はい。迷っています。でも」

 

ソラが顔を上げた。瞳が潤んでいる。だが泣いていない。泣かない。彼女は泣かないと決めているのだ。

 

「今回の戦いで学びました。一人で突っ走るだけがヒーローじゃない。仲間の指示に従って、引く時に引いて、次のために残る。それもヒーローのやることだと」

 

「……ほう」

 

「わたし、今まで逃げたことがありませんでした。いつも前に前に。怖くても前に。それがヒーローだと信じていました。でも今日、太郎さんが『待て』と言った時、止まってよかったと思いました。止まっていたから、絶花さんとあんなさんの力が見えました」

 

ソラの声が少しずつ大きくなっていく。

 

「だから……引くのは逃げじゃないって、分かりました。太郎さんが引けと言う時は、次のために残れって意味だと。わたしはそれを信じます」

 

「信じる、か。俺を信じるってことは、俺が間違えばお前は死ぬぞ」

 

「それでも、です」

 

ソラが一歩踏み出した。街灯の光が彼女の顔を照らす。迷いはまだ瞳の奥にある。だがその奥に、迷いを超える何かが光っている。

 

「わたしは未熟です。でも未熟なりに前に進みます。太郎さんの指示で前に進んで、太郎さんの指示で引いて、また前に進む。その繰り返しで、わたしはもっと多くの人を救えるヒーローになります」

 

「……」

 

俺は黙って彼女を見た。

 

迷いがある。怖さもある。だがその上で覚悟を選んでいる。迷いのない覚悟なんてただの蛮勇だ。迷いを抱えたまま前に進む。それが本当の覚悟だ。

 

「いい顔してるな」

 

「え?」

 

「俺の家臣は全員いい顔してる。絶花もあんなも、そしてお前も。面倒だな本当に」

 

俺はポケットから駒を取り出した。黒と金の升目が夜光で輝く。

 

「ソラ・ハレワタール。お前には『兵士』の駒をやる」

 

ソラの目が大きく見開かれた。

 

「兵士は一番下の駒じゃねえ。一番柔らかい駒だ。前に進める。横にも動ける。条件を満たせば戦車にも騎士にもなれる。どんな役割にもなれる。お前にはそれが合ってる」

 

駒を差し出す。

 

「受け取れ。本心から俺に忠義を誓い、自分の意志でこの駒を受け入れるなら、契約は成立する」

 

ソラが駒を見つめた。金色の光が青い瞳に映る。

 

迷いはまだある。だが彼女は手を伸ばした。ゆっくりと、確かに。

 

指先が駒に触れた。

 

光が弾けた。

「ソラ」

 

俺は右手をポケットから出した。その手のひらに、黒と金の升目模様が夜光を吸い込んで微かに発光する小さな駒が乗っている。

 

兵士の駒だ。

 

「お前にはこれをやる。『兵士』の駒だ」

 

ソラが駒を見つめた。金色の光が彼女の青い瞳に反射する。だが、その表情は少し硬い。兵士。チェスにおいては最前列に置かれる駒。数は多いが、動きは限定され、価値も低く見られがちな駒。彼女が何を思ったかは分かる。だが、それは間違いだ。

 

「変な顔するな。兵士は弱い駒じゃねえ」

 

俺は駒をソラの目の前に突き出した。

 

「兵士はな、一番前を歩く駒だ。一歩ずつ、真っ直ぐに。退くことはできねえが、前に進むことにかけてはどの駒より速い」

 

風が吹いた。ソラのサイドテールが揺れる。

 

「それに、条件を満たせば昇格できる。戦車にも、騎士にも、女王にだってなれる。最後まで生き残って敵陣に届けば、何にでもなれる可能性を持ってる。それが兵士だ」

 

ただの消耗品じゃない。最前線で泥を啜り、それでも足を止めずに進むからこそ、どんな役割にもなれる柔軟さを持っている。それがこの駒の本質だ。

 

「特別扱いはしねえ。最初から女王面させるつもりもねえ。ただ、お前が歩いた分だけ、お前の望む形になれる場所を用意する。それでいいか?」

 

ソラの喉が小さく鳴った。飲み込んだのだ。

 

彼女は駒を、そして俺の目を交互に見た。迷いはもうない。あるのは、清々しいほどの覚悟だけだ。

 

「はい。十分です」

 

ソラは、深く頷いた。

 

「わたしは特別な場所からじゃなくていいです。ここから始めます。一歩ずつ、前に進んで、なりたいヒーローに近づきます」

 

彼女の手が伸びてきた。迷いなく、だが丁重に、俺の手のひらから駒を拾い上げる。指先が触れた瞬間、駒の光が強くなった。

 

「じゃあ、契約だ」

 

俺はソラの前に立った。

 

「その駒を、胸に当てろ」

 

ソラが両手で駒を包み込み、自分の胸元へ押し当てた。制服のリボンの下、心臓の真上だ。

 

ドォン。

 

音はしなかった。だが、腹の底に響く衝撃があった。

駒が光を放ちながらソラの胸へ溶け込んでいく。物理的に消えたわけじゃない。彼女の存在そのものに、不可逆な形で刻み込まれたのだ。黒と金の升目が、彼女の魂の設計図に追記される感覚。

 

俺の脳内で、新しい回線が繋がった。

以前の曖昧な共鳴とは違う。明確で、強固で、外せない接続。

王の駒が、兵士の位置情報と状態をリアルタイムで表示し始める。

鼓動が聞こえる。遠くから伝わる、彼女の緊張と高揚が混ざった熱い脈動。

 

『…太郎さん?』

 

念話だ。

上擦った、けれど力強い声が、直接脳内に響く。

 

「聞こえてる。繋がったな」

 

『はい! 聞こえます! わたしの声、届いてますか!』

 

「うるせえよ。普通に喋れ」

 

思わず苦笑いが出た。

脳内で叫ばれると頭がガンガンする。初めての念話でテンパってるのが丸わかりだ。

 

「ソラさん、これからよろしくお願いします」

『はい! よろしくお願いします絶花さん!』

 

絶花が静かに頭を下げると、ソラも念話と生声で同時に返す。ハモった。うるさい。だが悪くない。

 

「えへへ、ソラちゃんも仲間入りだねー」

あんなが無邪気に拍手した。

 

俺はポケットの中の王の駒を握りしめた。

重い。

家臣が増えるということは、守るべき命が増えるということだ。退くに退けない覚悟の数が増える。だが、それを背負うのが王だというなら、文句は言わねえ。

 

「よし。帰るぞ」

 

俺は踵を返した。

 

「風呂に入って寝る。明日も学校だ。怪獣退治の翌日に登校とか物騒な世の中だが、サボったらリアスに怒鳴られる。面倒だ」

 

背後で足音が重なる。四つの足音。

俺と絶花とあんなとソラ。

 

王と家臣たち。

まだ足りない駒もあるかもしれない。だが今はこれでいい。

 

夜空を見上げた。星が数個。

変わらない数だが、何故かさっきより少しだけ近く、明るく見えた気がした。

 

*  *  *

 

翌朝。

駒王学園中等部の昇降口前。

 

俺はあくびを噛み殺しながら靴を履き替えていた。隣で絶花が同じようにあくびをしている。目の下にクマがある。昨日の反動だ。あんなはけろりとして「おはよー!」と元気だ。体力の違いかメンタルの違いか。たぶん後者だ。

 

「おはようございます、太郎さん」

 

背後から声がした。

振り返るとソラがいた。制服姿だ。青い髪のサイドテールが朝日を受けて輝いている。背筋が伸びている。これ以上伸びたら背骨が折れるって昨日言ったのに、やっぱり伸びている。

 

「おはようソラ」

「今日から同じ学校ですね! 授業一緒かもしれません!」

「騒ぐな。目立つ」

「すみません! つい嬉しくて!」

 

彼女の胸元。制服のリボンの下に微かに金色の光が透けているのが見えた。王の駒だ。契約の証。

俺の脳内にもソラの位置が表示されている。中等部の昇降口。俺のすぐ後ろ。正確だ。

 

「行くぞ。遅刻する」

「はい!」

 

四人で廊下を歩く。

 

一つだけ気になっていたことがある。

昨日の戦闘終了時。あんながゾグを大地に縫い付けた時、ソラの瞳に映ったあの光。V字型の輝き。ビクトリーの力とソラが共鳴したあの現象。

まだ理由は分からない。本人も気づいていないようだ。

だが王の駒に登録された今、その共鳴がどう作用するか。

まだ明言できない。だが、いずれ答えは出るだろう。

その時まで、俺はこの盤面を見守るだけだ。

 

王とは、家臣が帰還できる盤面を作る者だ。

なら、その盤面に何が潛んでいようと、全部背負ってやる。

 

「太郎くん、次の授業技術だって」

「あー、面倒だな。米研ぐの?」

「違うよ裁縫! 太郎くんボンつけられないの?」

「知るかよそんなの」

「わたし得意です! ボタンつけ!」

「ソラさんすごい!」

「へえ、やるじゃねえか」

「はい! ヴァルキリーの裁縫は手縫いですから!」

光が、彼女の胸元から漏れた。

 

駒が吸い込まれるようにしてソラの身体へ融けていく。黒と金の粒子が制服の上からでも分かるほどはっきりと光り、彼女の輪郭を縁取る。指先が震えている。契約の衝撃だ。初めて駒を受け取った時の絶花も、あんなも同じように身体の芯を揺さぶられていた。

 

「ッ……!」

 

ソラが小さく息を呑んだ。

 

彼女の背中で青白い魔力の翼が弾けるように広がる。普段は戦闘時にしか展開しないはずの翼が、勝手に反応している。光の粒子が舞い夜道に青い火花を散らした。

 

その青に、赤が混ざった。

 

はっきりと見えた。彼女の魔力の流れの奥翼の付け根から腕にかけてのラインに、深い赤い光がまるで血の通るようにして走っている。熱い色だ。力の色だ。

 

「……な、に、これ」

 

ソラが自分の両手を見下ろした。

 

「あったかい……胸が、すごくあったかいです」

 

「契約が成立したんだ。駒が馴染んでる。じきに落ち着く」

 

「そう、ですか……」

 

彼女は深く息を吸って、ゆっくりと吐いた。魔力の翼がようやく静かに背中へ収まっていく。はらり、と数枚の青い光が夜風に流れて消えた。

 

ふいに足元が、揺れた。

 

地震というほどの大きさじゃない。廃工場からだいぶ離れた舗装路の上だ。なのに、靴底から伝わる感覚があった。微かな振動。地下から響くような、地脈の鼓動。

 

(なんだ……?)

 

気のせいか、と思うなよ。俺はこういう感覚を無視しないようにしている。この町は普通の道の下まで、何かが通ってる。

 

ソラが、はっと下を見た。

 

「今、地面の下で……」

 

彼女は、言葉を続けなかった。

その青い瞳が一瞬だけ、金色に染まったように見えた。V字型の光。フォトンビクトリウムが出現した時に見せた、あの光と同じ。地中で何かが脈打つようにして、彼女の存在と共鳴している。

 

「……光りました」

 

「ああ」

 

「これ、前も……ゾグの時に、あんなさんが光ってる時にも似た感覚が」

 

ソラは自分の手を見つめて、首を傾げた。

 

「わたし、どうしてですかね」

 

「知らねえよ。お前の身体に何かあるんだろ。俺が知るか」

 

俺は、肩を竦めて見せた。追求はしない。

 

今はまだ、その正体に触れる時じゃない。本人にも分かっていない。だがあのビクトリーと呼ばれる存在と彼女の魂が近い位置にあるのは確かだ。だったら、答えはそのうちあっちから来る。

 

「そのうち分かる。慌てんな」

 

「……はい。太郎さんがそう言うなら」

 

ソラが、ようやく笑った。

 

それから彼女は一歩下がって、背筋を伸ばして俺の目をまっすぐ見た。夜の街に立つ戦乙女の礼儀作法だ。

 

「唯我太郎さん。今日からわたし、あなたの家臣です。あなたの駒として最前線を歩きます」

 

彼女は、息を吸った。

 

「王様、御命令を」

 

一瞬、変な空気になった。

 

「……王様、今のなしですか」

 

「なし。呼び方変えろ」

 

「では、あるじ様」

 

「呼び捨てにしろ」

 

「太郎さん」

 

「……それでいい」

 

俺はポケットに両手を突っ込んで、歩き出した。

 

「太郎さん!」

 

ソラが追いかけてくる。

 

「行き先はどちらですか! 朝まで訓練しますか! わたし、まだまだ動けます!」

 

「馬鹿言え。帰って寝る。明日は学校だ」

 

「学校! そうですね! おにぎり作っていきます!」

 

「作らんでいい」

 

「じゃあ、ふりかけ持ってきます!」

 

「人の話を聞け」

 

その後ろで、絶花が呆れたような顔をしていた。あんなは笑いながら駆け寄ってくる。

 

「ソラちゃん! 仲間だよ! 私と同じ兵士だよ!」

 

「あんなさん! 先輩ですね!」

 

「え、幼いけど……うん、先輩!」

 

「先輩風吹かせるな。お前まだ一戦しかしてないだろ」

 

「一戦は一戦だよ!」

 

騒がしい。やっぱりだ。こいつが入ったら、うちの盤面はもっと騒がしくなる。そう思っていた。

 

でも、足取りは軽い。

 

王の駒が、新たな光を一つ宿している。さっきまで三つだった駒が、今は四つ。盤面が少しだけ賑やかになって俺の背中を引っ張っていくようだった。

 

(重いな)

 

重いさ。守るものが増えるというのはそういうことだ。だが、その重さこそ王の仕事だ。

 

俺は、空を見上げた。

 

星が数個。いつもと一緒だ。

 

だけど、今日はあいつらが少しだけ疲れてそれでいて機嫌よく見えた。まるで、俺たちの帰り道を照らしてくれてるみたいに。

 

* * *

 

翌朝。俺は自分の足音を聞きながら通学路を歩いていた。隣には絶花。前を行くのは、あんなに案内されながらキョロキョロしているソラ。

 

四人分の影が、朝日に伸びている。

 

「気持ちいです! 朝の駒王町! 空が広い!」

 

「ソラちゃん、あれが商店街だよ。昨日のお店朝ごはんにコロッケ売ってるんだよ」

 

「コロッケ! また食べたいです!」

 

「夕方来よう! 私、パン屋さんの近くのコロッケ屋さんが好きなんだ」

 

「二人とも朝から食欲ありすぎだろ」

 

「太郎さんも食べますか?」

 

「遠慮しとく」

 

絶花が隣で、小さく欠伸を噛み殺した。

 

「眠いか」

 

「……いえ、大丈夫です。それより今日は委員会があるので、放課後は部室に行けません」

 

「知ってる。俺も補習だ」

 

「太郎、また何かやらかしたんですか」

 

「やらかしてねえ。古典の提出を忘れただけだ」

 

「提出を忘れるのはやらかしです」

 

「うるせえ」

 

歩きながら、何とはなしに思う。

 

昨日、ソラの瞳に映った光。地中で脈打つようにして反応していた力。俺の家臣となった瞬間、確かにソラの魔力の青に赤が混じった。

 

あれが何なのか、まだ分からない。

 

だが、直感がある。あの光は俺の駒とは別のルートで、ソラを探していた。いやソラを待っていた。

 

王の駒を握る手に、少しだけ力が入る。

 

「どうした太郎さん?」

 

いつの間にか隣に来ていたソラがまっすぐに俺を見上げていた。朝の光が彼女の髪を透かしていて、青がひどく鮮やかだ。

 

「なんでもねえ。行くぞ」

 

「はい!」

 

元気な返事だ。

 

この先に何があっても、俺は王としてこの駒の進む道を見届ける。前に進むなら背中を押すし、退けと言うならその足がちゃんと地面につくまで待ってやる。

 

それでいい。それが俺の戦い方だ。

次回の王は

  • 妖怪王
  • 機械王
  • 怪獣王
  • 幻想王
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