サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
夕暮れが境内を飲み込み始めていた。
折れた枝が地面に散らばり、土煙の匂いがまだ鼻の奥に残る。戦いの跡は、誰かが片付けるまでここに残り続けるだろう。
絶花は境内の隅で、まほの肩の包帯を丁寧に結んでいた。あんなとソラが、地面に散らばった術式の破片を黙々と拾い集めている。まほは包帯を巻かれながらも、汚れた弓と残った矢を休むことなく確かめていた。弦に指を走らせ、軸の歪みを触覚で探る。
俺はまほの横に立ったまま、視線を落とす。
さっきの問いが空気に溶けている。
「以前の部隊でもそうだったのか。一人で前に立って、全部背負って」
まほの手が止まる。弓弦の上に置かれた指が、微かに白くなった。
彼女は顔を上げない。夕闇に沈んだ横顔に、何の表情も浮かんでいない。ただ、その沈黙の重さが、触れられたくない領域に踏み込んだことを告げていた。
「今の任務には関係ないことです」
平坦な声。感情を削ぎ落とした返答が、壁になる。
俺は舌打ちをしそうになったのを、奥歯で噛んで止める。責めるつもりはない。ただ、このままじゃ次も同じことになる。彼女が勝手に潰れるのを、指をくわえて見ているわけにはいかないんだ。
「関係あるだろ。お前がまた無茶して、今度は動けなくなったら、俺たちはどうすればいい」
「そんなことはさせません。それが私の役目ですから」
「役目かよ」
「太郎」
絶花の声が割って入った。包帯を結び終えた彼女が、少しだけ離れた場所に立つ。まほからも俺からも、等しい距離。
「話したくないなら、無理に話す必要はないです」
静かな声。責める響きは一切ない。ただ、そこにある事実を置くように。
まほの視線が絶花へ動く。包帯の結び目を見つめ、それからゆっくりと俺へ移る。
俺は口を閉じた。急かすつもりはない。ただ、彼女が壁の向こうに閉じ込めているものが、この先の戦いに影響するなら、知っておきたいだけだ。
風が吹かない。境内の空気が、止まっている。
まほの指が弓弦から離れた。膝の上に置かれた左手が、軽く握りしめられる。
「……八坂様の下で、妖怪部隊を率いていました」
ぽつりと、落ちた声。
俺は瞬きをしなかった。絶花も動かない。
「部隊長を、退いたんです」
言葉は短い。だが、その一言に積もっていた沈黙の分だけの重みが乗っていた。彼女はまだ、俺を見ていない。視線はただ、割れた石畳の一点を捉えている。
話は、そこから始まるはずだった。
まほの声は平坦だった。
朗読でもなければ、告白でもない。任務報告を上へ提出する文書を声にしているみたいな喋り方だった。だが、その文書の中身は、彼女の喉の奥で鈍く光る欠片みたいに響いていた。
「二年前の夏です。八坂様の領域、山間部の集落へのはぐれ悪魔の侵入」
* * *
夜の山道には灯火が並んでいた。
集落の外周に等間隔に置かれた松明。妖怪の集落では夜の方が活動的な時間帯だ。だが、その夜の灯火は日常のものじゃなかった。間隔が狭い。数が多い。警戒配置だ。
結界の一部が破られたのは日が変わる直前だった。山の北側、岩肌が露出した尾根沿い。結界の継ぎ目が脆かった場所へ、複数のはぐれ悪魔が押し入った。下級だ。だが数がいる。集落を襲う目的で来ている。
まほの部隊は五分で展開した。
左翼班が住民の避難誘導。右翼班が集落への退路確保。後方支援班が負傷者保護と結界の応急修復。まほ自身は中央、防衛線の最前段に立った。
「中央から前へ出すぎだ。下がってください」
部下の一人が言った。弓を持った妖怪。まほより年上。経験も多い。
「敵の侵入口は三箇所。それぞれの到達時間を計算して迎撃順序を決める。私が前にいれば全員の位置が把握できる」
「だからと言って単独で——」
「持ち場を守って。敵が来る」
まほは振り返らなかった。弓を構えたまま、山道の闇を見据えていた。
最初のはぐれ悪魔が姿を現したのは、防衛線の前方三十メートル。岩の陰から飛び出した影は、四足の獣のような形をしていた。だが皮膚がない。筋肉が剥き出しのまま、地面を引っ掻いて走ってくる。
矢が放たれる。速い。正確。まほの矢は走る標的の眼窩を正確に射抜いた。一撃。獣が転がる。だが次が来る。二匹目が右から。三匹目が左から。
まほは中央に留まった。
矢を放ち、印を結び、近接を裁く。三方向からの侵入を一人で受け止める。能力が高いからできた。普通の妖怪なら三秒で崩れている。まほは崩れない。崩れないから、周りが動かない。
(あそこで崩れていた方が、良かったのかもしれません)
まほの声が、俺の耳に届く。だが彼女は俺を見ていない。境内の暗がりを見ている。
防衛線に隙ができたのは、まほが三匹目を処理する間だった。右翼班の担当区域へ四匹目が回り込む。まほは気づいた。だが対応が遅れた。
遅れたのではない。自分で処理しようとした。
「右翼班は持ち場を維持。私が対処する」
声が飛ぶ。だが、まほの位置から右翼区域までは二十メートル以上ある。走れば間に合う。だが走れば中央が空く。まほは走らず、矢を放った。距離が遠い。角度が悪い。矢は悪魔の肩を掠めただけで、止まらない。
右翼班の部下が動いた。まほの矢が外れたのを見て、自分で止めようとしたのだ。持ち場を離れて。退路確保の位置を捨てて。
「戻れ」
まほが叫んだ。初めて声が上がった。だが部下は戻らなかった。悪魔の爪が部下の腕を払う。血が飛ぶ。もう一人が援護に走る。持ち場が空く。そこへ五匹目が来る。
連鎖だ。
まほが一人で三方向を抑えている間に、各班がまほを援護するために持ち場を離れ始める。まほが全てを自分で処理しようとするから、部下は自分たちが何もできないまま仲間が危ないのを見ていることになる。じっとしていろと言われても、目の前で仲間が傷つけば動く。当たり前だ。
防衛線が崩れかかったとき、まほは前線から中央へ戻った。そこで残った部下と一緒に悪魔を叩き、集落への侵入を最終的に防いだ。
防衛には成功した。
だが、三人が負傷した。一人は腕の裂傷。一人は肋骨の骨折。一人は背部の打撲。全員、まほを援護するために持ち場を離れた結果だ。
戦闘が終わった後、まほは治療を受ける仲間の前で足を止めた。
何か言おうとした。感謝か、謝罪か。口は開いた。だが声が出ない。喉の奥で何かが詰まっている。言葉じゃない。もっと重いものだ。
指先が手のひらへ食い込む。爪が皮膚を破る。血が滲む。だが表情は変わらない。ただ立っている。ただ見ている。
「部隊長」
腕に包帯を巻かれた部下が、横たわったまま言った。
「俺たちが守れなかったから怒ってるんじゃないです」
まほは動かない。
「信じてもらえなかったのが、一番堪えました」
声は静かだった。責めているんじゃない。ただ事実を伝えている。
「役割を任せてほしかったんです。足手まといじゃないって、証明したかったんです」
まほは何も答えなかった。答えられなかった。
* * *
翌朝、まほは八坂の前に片膝をついた。
「私には部隊を預かる資格がありません」
八坂は黙って聞いていた。怒らなかった。叱らなかった。ただ、長い沈黙の後、一言だけ言った。
「わかりました。但他の道を閉じはしません」
まほは顔を上げなかった。そのまま頭を下げ続けた。
* * *
境内に沈黙が戻った。
まほは話し終えた後、弓を膝に置いたまま動かない。俺は何も言わなかった。絶花も黙っている。あんなとソラは術式の破片を集める手を止めて、遠くから聞いていた。
風が吹かない。虫の音もしない。この山の生き物はまだ戻ってこない。
「それが、俺にお前が似ていると言った理由か」
俺の声は低かった。自分でも驚くくらい。
まほは初めて俺を見た。暗がりの中で、猫又の瞳が薄く光る。
「似てなどいません。私は部下を危険に晒しました。太郎は家臣を帰している」
「帰せてるわけじゃない。帰れる盤面を作ってるだけだ。それも完璧じゃない」
俺は境内の傷跡を見た。割れた石畳。倒れた灯籠。枯れた草木。
「俺だって一人で抱え込んで、絶花に怒られたことはある。だからわかるんだ。お前のやり方が間違いじゃない。ただ、全部一人でやる必要はない」
まほの指が弓の上で動いた。弦に触れる。離す。また触れる。
彼女は何も答えなかった。だが、何も答えなかったこと自体が答えだった。八年分の習慣を、一度の話で変えろという方が無理な話だ。
俺は立ち上がる。膝が痛い。石畳に長く座りすぎた。
「今日はここまでにする。町へ戻って、八坂に報告する。術式のことも、地脈のことも」
「太郎」
まほが呼んだ。初めて名前で呼ばれた。
「…ありがとうございます」
声は小さかった。だが、弓を握る指の力が、少し緩んだように見える。
話が終わったとき、境内はもう夜だった。
夕暮れがいつの間にか消えている。空の青が濃くなり杉の枝が黒く沈んだ。あんなが祠のそばに置いていた携帯ライトを点けた。小さな明かり一つ。それだけが五人分の視界を支えている。
まほの弓のそばに、血の付いた布が落ちていた。絶花が手当てに使ったガーゼだ。汚れないように畳んであったが、風で端がめくれている。まほはそれを拾い、折り直して懐に入れた。汚れを片付ける動作が、戦闘の直後よりも人間らしく見えた。
あんなが境内の隅で術式の破片を並べている。地面の上に六個の欠片。光は消えているが、表面に刻まれた線がライトに照らされて浮かび上がる。ソラはその隣に座り、膝を抱えたまま動かない。まほの話を聞いてからずっとそうだ。
「あの時から、自分には人を率いる資格がないと思っています」
まほが言った。弓を膝に置いたまま。俺の目を見ていない。石畳の割れ目を見ている。
「部下が怪我をしたからではありません。私が彼らを信じなかった。役割を任せなかった。それが怪我に繋がった。指揮官として失格です」
声は揺れない。揺らさないように組んでいる。八年間そうしてきたみたいに。
俺は何も言わなかった。すぐには。
失敗を否定しない。部下を信じなかった。それは事実だ。事実に蓋をするつもりはない。だが、その事実を認めて、そこで手を止めるのが一番危ない。
「お前の判断が間違いだったとは言わない」
まほが顔を上げる。
「ただ、一人で背負い続ければ、また仲間を信じないことになる。今ここで同じやり方をして、同じ結果が出ない保証があるか」
まほの唇が動く。何か言い返そうとして止まる。俺の目を見た。一秒。二秒。
彼女は視線を下げた。
答えがない。否定もできない。それが答えだ。
「まほさん」
ソラの声がした。膝を抱えたまま。顔は上げていない。だが声ははっきりしている。
「わたしは、かばわれるだけの存在になるつもりはありません」
まほがソラを見る。ソラは顔を上げた。青い瞳がライトの光を受けている。潤んでいる。だが泣いていない。
「まほさんがわたしを守ってくれたのはわかっています。でも、それでわたしが何もできなくなったら、まほさんがまた一人で戦うことになります」
「ソラ」
「わたしはヒーローになります。誰かに守ってもらうだけのヒーローはいません」
ソラの声が少しだけ震えた。だが最後まで途切れない。まほの包帯を巻いた肩へ、一度だけ目が向く。それからすぐに視線を外す。
「わたしたちも」
絶花が口を開いた。天聖を腰に戻したまま、石段のところに立っている。
「仲間が倒れる前提の作戦には従えないです。太郎がそういう指示を出したら、私は従いません」
「俺もだ」
あんなが術式の破片の前から顔を上げる。
「全員生き残る前提で組まないと、あたしは動かないよ。太郎でも西住さんでも」
四人の視線がまほに集まる。まほは四人を見なかった。一人ずつ目を動かす。俺、絶花、あんな、ソラ。順番に。丁寧に。
沈黙が長い。風が一度だけ吹いて、枯れた葉が境内を横切る。
「……わかりました」
短い。三文字。
だがその前に、五秒間の沈黙があった。その五秒で、まほは何かを飲み込んだ。八年分の習慣を、五秒で全部変えられるわけがない。だが五秒間考えてから口を開いた。それが今の彼女に出きる精一杯だろう。
「次は全員の意見を聞いてから作戦を組みます」
言い終えて、まほは弓を立ち上げた。右肩が動く。眉がわずかに動く。だが声は出さない。
「太郎」
「何だ」
「この前の戦闘で、各員の能力は大体把握しました。ですが、まだ足りない部分があります。次の調査の前に、全員のできることを教えてください」
俺は少し驚いた。素直に聞いてきたからだ。
「俺に聞くのか。本人たちに聞けよ」
「本人の自己申告より、指揮官の観察記録の方が正確です。太郎は全員を戦場で見ている。だから太郎に聞きます」
なるほど。確かに俺は盤面で全員の動きを見ている。索敵、火力、機動、防御。各人の能力を配置として把握している。まほの言う通りだ。
「全員分か? 長くなるぞ」
「構いません」
まほは立ち上がった。弓を持ったまま。右肩をかばう動きが消えていない。だが、さっきより背筋が伸びている。ほんの少しだけ。
「太郎さん」
あんなが破片を並べたまま声を上げた。
「これ、見て」
ライトの光が六個の欠片を照らす。あんなが指を伸ばし、破片の表面の線をなぞる。
「この術式、全部が同じ方向を指してる。地脈の流れを一本に集めるための導線だよ」
「集める? どこへ」
「町の地下。一点だけ残ってる。全ての地脈がそこへ向かって流されてる」
俺は欠片を見た。線は確かに一定の方向へ向かっている。バラバラに見えた術式が、実は全部同じ目的地を持っていた。
「一点に集めて何をする」
「そこまではわからない。でも、複数の地脈を一箇所に集めるなんて、普通の術じゃない。相当な出力が必要だし、失敗したら地脈が暴走する」
あんなの声から軽さが消えている。さっきまでの飄々とした調子がない。
まほは欠片を見下ろした。弓を持ったまま、しゃがまずに立ったまま見ている。
「全員の能力を確認してから、次の作戦を組みます。太郎、話せるか」
「ああ。戻りながらでいいなら」
「構いません」
まほは歩き出した。石段の方へ。右肩がまだ動きにくいはずだが、足取りはしっかりしている。
俺はその背中を見た。小さい。十七歳の少女の背中だ。だが、さっきより広く見える。ほんの少しだけ。
気のせいかもしれない。だが気のせいじゃないかもしれない。
「行くぞ。長くなる」
俺も歩き出した。絶花が隣に来る。ソラが後ろからついてくる。あんなが最後にライトを消して、暗い境内を背にした。
石段を降りる音が五人分。虫の音はまだ戻ってこない。だが五人の足音だけは、確かにこの山に響いていた。
次回の王は
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妖怪王
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機械王
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怪獣王
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幻想王