サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
朝の空気は冷たい。
地震で傾いた塀が長い影を落としている。道路のアスファルトに走る細い亀裂から、時折かすかな光が漏れるのが見えた。
臨時拠点の前、白・青・赤の電動スポーツバイクが停まっている。汚れは拭き取られ、磨き上げられた車体が朝日を反射して眩しい。後部シートには、あんなが用意した調査器具の小箱がベルトで固定されていた。
スレッタが手慣れた様子で車体点検を行っている。タイヤの空気圧を指で押し、ブレーキレバーを数回引いて感触を確かめ、メーター横の充電残量表示をじっと見つめる。一連の動作に迷いがない。
(こいつ、やる気だらけだ)
俺は腕を組んでその背中を見ていた。
神器が反応したのはスレッタだ。彼女が気になっているのは当然だ。自分も調査の役に立ちたいと考えているのもわかる。
だが、俺は関係のない旧友をこれ以上事件へ連れ回したくなかった。昨日だって無茶してここまで来たのだ。これ以上危険な場所へ近づけるのは避けたい。
「スレッタ、お前はここで——」
言いかけた俺は、言葉を止めた。
スレッタがバイクのサドルバッグから手帳サイズのクリアファイルを取り出したからだ。中には色とりどりの紙が整然と収まっている。
(あいつ、何をそんなに準備してるんだ)
俺の視線は、バイクとスレッタの顔を交互に行き来する。眉間にしわを寄せて問いかける。
「待て。そのバイク、免許とか大丈夫なのか」
スレッタの手が止まった。
一瞬、時が止まったみたいに固まる。青緑の瞳が泳ぐ。
「あ……えっと……」
彼女は慌ててクリアファイルを開いた。
「ぜ、全部あります! 普通二輪免許、車両登録書、自賠責保険証、任意保険の契約証、昨日の出発前点検記録まで!」
書類が次々と俺の目の前に突き出される。揃いも揃って、日付も印字も鮮明だ。
「へえ……」
あんなが横から顔を出して、書類を覗き込む。
「すごいね、完璧じゃん。車検ないバイクでもここまで揃えるの大変だったでしょ?」
「は、はい! 交通安全は社会人の義務ですから!」
スレッタの声が裏返る。緊張しているが、交通規則に関することだけは妙に自信がありそうだ。
「そこまで準備して来たんですか……」
ソラが目を丸くしている。
「そこまで見せろとは言ってねえよ」
俺はため息をついた。聞いたのは「大丈夫か」だけだ。全書類の提示まで求めてない。
「太郎」
絶花が俺の横で呆れたように言う。
「確認自体は正しいですけど、聞き方が職務質問みたいですよ」
「…そうか?」
「そうです。まるで前科のある犯人を取り調べる刑事みたいに」
「私は安全管理に問題はないと判断します」
まほがバイクの横にしゃがみ込み、タイヤの溝を指でなぞっていた。
「書類の揃い方もそうですし、車体の整備状況も完璧です。走行に支障はありません」
猫又の感覚で即座に判定を下すまほに、スレッタがほっと息をつく。
「よ、よかったです……」
「まあ、いい。書類があるなら話は早い」
俺は手を振って、これ以上の書類審査を打ち切った。
スレッタが書類をサドルバッグに戻す。その手つきは、大切な宝物を仕舞うみたいに丁寧だった。
「唯我さん」
スレッタが向き直る。青緑の瞳に、はっきりとした意思が宿っていた。
「私のエアリアルが反応したのは、地脈の光です。昨日だけじゃなくて、また何かがあるなら、私が一番わかるはずです。だから、調査に連れて行ってください」
「……わかったよ」
彼女の準備万端な姿と、真っ直ぐな目を見ては、断りきれなかった。
「ただし、無理はするな。危なくなったらすぐに逃げろ」
「はい! 約束します!」
スレッタが大きく頷く。赤褐色の髪が揺れた。
* * *
町外れへ向かう。
スレッタはエアリアルに乗り、俺たちは徒歩で前後を囲む形だ。
現場は、昨日の地震の震源に最も近い場所だった。
道路が裂け、土が剥き出しになっている。ひび割れは一本や二本じゃない。蜘蛛の巣みたいに地面を這っていた。
「ここです」
まほが立ち止まる。猫又の感覚が反応している場所だ。
亀裂の奥から、かすかに光が漏れている。昨日の夜見た色と同じだ。大地の光。ガイアの残滓。
スレッタがバイクを降りた。ヘルメットを外し、亀裂の近くへ歩み寄る。
「エアリアルが、反応してます」
スレッタが胸に手を当てる。その周囲に、再び白・青・赤の光が集まり始めた。
薄い装甲板を思わせるビットステイヴが一基、空中に実体化する。昨日と同じだ。
「全部出せるか?」
俺が聞くと、スレッタは一瞬迷ってから頷いた。
「やってみます」
スレッタが目を閉じ、深く息を吸い込む。
ビットステイヴが音を立てた。澄んだ、ガラスを弾いたような音。
一基が二基に。二基が四基に。四基が八基に。
空中に浮かぶ盾の輪郭が、次々と形を成していく。
最終的に、十一基のビットステイヴがスレッタの周囲を取り囲んだ。
「大気の盾、展開します」
スレッタが静かに告げる。
十一基のビットが、地割れの上空へ配置につく。地中の光を探るみたいに、ビットの先端が一斉に地面へ向けられた。
調査の準備は整った。
俺は地割れの奥を見つめた。
光はまだ消えていない。
長い夜は明けたはずだったが、どうやら朝の光の中にも、まだ影が潛んでいるらしい。
地割れの淵に立つ。
土埃がまだ舞っている。風が弱いせいだ。地面から漏れる青い光が、脈打つみたいに明滅している。昨日の夜に見たガイアの光と同じ色。だが強さが違う。弱い。だがしつこい。消えかけてはまた灯る。蝋燭の残り火みたいだ。
「行くぞ」
俺が言うと、スレッタが頷いた。
ヘルメットをバイクのシートに置き地割れの前に立つ。目を閉じる。深呼吸。肩が上がって、下がる。
空気が変わった。
白、青、赤。三色の光がスレッタの胸元から溢れ出す。光は集まり、形を作る。大きな盾だ。俺の背丈ほどもある。表面に大気の流れを思わせる紋様が走っている。
澄んだ音がした。ガラスを弾いたみたいな高い音。
盾が割れた。
いや、分かれた。一枚の大きな盾が十一枚の小さな盾に分裂する。ビットステイヴ。それぞれが独立して空中に浮かび、スレッタの周囲を旋回する。
「すご…」
ソラが息を呑んだ。無理もない。十一枚の盾が一斉に動いている。それぞれが別の方向を向き、別の速度で回りそれでいて一つの群れみたいにまとまっている。
「三基は上空。四基は地表。二基は亀裂の中。残り二基は周囲警戒」
スレッタが淡々と指示を出す。声が滑らかだ。さっき書類を出した時のどもりが嘘みたいに。
十一枚の盾が散開する。三枚が空へ上がり地形を見下ろす。四枚が地面すれすれを滑り、亀裂の縁を這う。二枚が地割れの奥へ潛り込む。残り二枚が俺たちの周囲に残り、緩やかに旋回する。
「十一枚、全部見分けられるの?」
あんなが聞いた。
「声が違うわけではありません。でも、どこにいるかは分かります」
スレッタは前を見たまま答える。両手を広げ、指先で空気を操るみたいに動かしている。指の動きに合わせてビットが動く。右手の人差し指を立てれば一枚が上がり、左手を軽く払えば別の一枚が横へ流れる。
「すごいです! 端末を自在に飛ばしてます!」
ソラが感嘆の声を上げる。
「そんなことないです。まだ慣れてなくて」
スレッタの声が少し照れた。だが指は止まっていない。四枚の盾が地表を這い、地割れの縁の地脈を調べている。
「スレッタ。捜索範囲を分担しましょう」
まほが横から声をかけた。
「上空の三基は地形の歪みを見てください。地表の四基は亀裂の広がりを。地下の二基は光の発生源を。全部を同時に細かく見ようとすると、集中が散ります」
「はい」
スレッタが頷く。指の動きが変わる。さっきは十一枚を個別に動かしていた。今は三枚、四枚、二枚の群れとして動かしている。
「…楽になりました」
スレッタの声が少しだけ軽くなった。
だが。
六枚目を超えたあたりから、スレッタのこめかみに汗が浮かび始めた。指先がわずかに震えている。集中しているからじゃない。疲労だ。十一枚を同時に操作する負荷が、確実に彼女の体に来ている。
俺は一歩前に出た。スレッタの斜め後ろ。いつでも彼女を引っ張って下がれる位置だ。
「スレッタ。無理なら戻せ」
「まだ大丈夫です。あと少しで地下の光の位置が——」
スレッタの言葉が止まった。
空気が変わった。
さっきとは違う。ビットの動きが止まったのだ。十一枚全部が。空中で静止する。まるで時が止まったみたいに。
「スレッタ?」
「…違います」
スレッタの声が震えた。
「私の操作じゃありません」
亀裂の中に潛っていた二枚のうちの一枚が動いた。スレッタの指が動いていないのに、勝手に動いている。地割れの奥へ。まっすぐに。誰かに引っ張られるみたいに。
「スレッタ、切れ」
「でも——」
「すぐに切れ。お前の操作じゃない」
俺の声が低くなった。スレッタが息を呑む。指を握りしめる。接続を切ろうとしている。だがビットは止まらない。どんどん奥へ進む。
「戻ってきて、エアリアル!」
スレッタが叫んだ。
十枚が反応した。スレッタの周囲へ戻ってくる。だが一枚だけ戻らない。地割れの奥で静止している。
「エアリアル!」
スレッタが手を伸ばす。指先が震えている。必死に呼んでいる。だがビットは動かない。まるで誰かに掴まれているみたいに。
その時、ビットの表面に紋様が浮かんだ。
黒紫色。
見たことがない。俺の盤面にも、まほの妖術にもあんなの術式にも、ソラのルーンにもない色。禍々しい。だが派手じゃない。じっとりと滲むみたいに浮かんでいる。
「あれは…」
あんなが息を呑む。
「見たことない術式だ。ガイアの光とは別物」
「まほ」
「はい」
まほが目を細める。猫又の感覚を研ぎ澄ませている。
「ガイアの光ではありません。もっと冷たい。別の魔力です。誰かが外からスレッタの神器へ接続しようとしています」
「誰が」
「わかりません。ですが、一方的な接続ではありません。向こうはスレッタの神器を介して何かを探っています」
スレッタが手を引いた。
ビットが戻ってきた。遅れて。ゆっくりと。誰かの手から抜け出すみたいに、もつれるように。スレッタの手のひらに収まった。
「…誰かが、エアリアルに触ろうとしました」
スレッタの声が掠れている。指先が白くなっている。ビットを握りしめすぎて血が通っていない。
「大丈夫か」
「はい。でも…エアリアルが怯えてます。さっきまで導こうとしてたのに、今は逃げたいみたいに震えてます」
俺はビットを見た。表面の黒紫色の紋様は消えている。だが、残像みたいにじっとりとした気配が残っている。
「あんな。あの術式、解析できるか」
「無理。見た瞬間に消えた。断片も残ってない」
「まほは」
「ガイアの光と似て非なるもの、としか。地脈の奥に何かがいます。それは確かです」
俺は地割れを見下ろした。青い光がまだ脈打っている。その奥に、黒紫色の何かがいる。ビットを掴もうとした何かが。
「地下施設があったな。廃棄された」
「はい。さっきビットが示した方向と一致します」
「そこに何かがいる。スレッタの神器に触ろうとした何かが」
俺は振り返った。五人を見る。
「面倒だな。だが、放っておけねえ」
スレッタがビットを抱えたまま頷いた。指先の震えがまだ止まっていない。だが目は逃げていない。
「行くぞ。地下施設を調べる」
俺の声に、五人が応えた。
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