サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
地下施設の通路は狭かった。
幅は二人分。天井は低い。壁の術式はもう光っていない。だが地脈の残滓がじっとりと壁に染みついている。青い光が弱く脈打つ。
「ここです」
スレッタが曲がり角の先で立ち止まった。
壁際に男が座っていた。四十代くらい。白衣を着ている。だが汚れている。血もついている。右脚を押さえている。顔色が悪い。
「大丈夫ですか」
スレッタが駆け寄った。俺も続く。男が顔を上げた。眼鏡の奥の目が虚ろだ。
「ああ…君たちは…」
「静かに。動かないでください」
スレッタが膝をつく。脚の傷を見る。裂傷だ。深い。だが太い血管はやられていない。応急処置の知識があるらしい。自分のジャケットの袖を破いて包帯を作る。手際がいい。
「ありがとう…助かります」
男の声が弱々しい。俺は周囲を見た。この男がここにいた理由。施設の構造。敵の残党か。それとも本当にただの研究者か。
「あんた、何者だ」
「地脈を研究しています。この施設の調査に来たのですが…地震に巻き込まれて」
「一人で」
「ええ。仲間は別の場所に」
嘘くさい。だが今は問い詰める時じゃない。スレッタが手当てを終えた。
「終わりました。でも歩くのは難しいです」
「いえ、大丈夫です。それより…」
男がポケットから小さな端末を取り出した。起動すると白い光の輪と幾何学模様が空中へ投影される。ホログラムだ。
「これは?」
「携帯型の地脈観測装置です。君の神器…ビットステイヴでしたか。干渉を受けたと聞きました。非接触で解析できます」
スレッタが俺を見た。判断を仰ぐ目だ。
「どうする」
「私が決めていいんですか」
「お前の神器だ。お前が決めろ」
スレッタは端末と男を見た。それから周囲に浮かぶ十基のビットを見た。
「一つ条件があります」
スレッタの声が硬い。
「直接触れないでください。調べるのも、この子だけです」
「もちろんです。神器に直接触れるなど危険すぎます」
男は頷いた。傷の痛みに顔をしかめながらも、端末を構える。
「それと、異常があればすぐに接続を切ります」
「当然です。慎重なのは良いことです」
スレッタは十基を自分の周囲と警戒に残した。干渉された一基だけを装置の前へ移動させる。白い光の輪がビットを包む。幾何学模様が回転する。解析が始まった。
* * *
俺は通路の入り口に立っていた。
スレッタと男のやり取りを聞いている。ビットの解析が進む。白い光がビットの表面を走る。内部を透かすように。
だが。
何かが引っかかる。
男の手つきだ。端末を操作する指が滑らかすぎる。傷の痛みで震えているはずの指が、キーを打つときだけ正確だ。
(気のせいか)
俺は目を細めた。白い光に紛れて、何かがビットの内側へ入り込む。髪の毛ほど細い。黒紫色。一瞬だ。見間違えるほど一瞬。
「スレッタ」
呼ぼうとした。
「解析終わりました」
男が先に言った。端末の光が消える。
「外部から接続しようとした痕跡がありました。制御経路に微細な干渉が残っています。ですが、今の解析で除去しました。問題ありません」
「本当ですか」
「ええ。もう大丈夫です」
スレッタはビットに指を添えた。確かめるように。
「…ありがとうございます」
「いえ。助けてもらったお礼です」
男が立ち上がろうとした。スレッタが手を貸す。男は壁に手をつきながら立った。
「私はもう行きます。仲間が心配しているので」
「一人で大丈夫ですか」
「この先に連絡用の通路があります。そこから仲間へ連絡します」
「気をつけてください」
スレッタが帰還経路を教えた。男は頷き、通路の奥へ歩いていく。足を引きずる。だが歩ける。
俺は男の背中を見送った。何かが喉に引っかかっている。言い表せない。
「スレッタ」
「はい」
「あの男、大丈夫だったのか」
「親切な研究者でした。ビットも調べてくれて」
「そうか」
俺はそれ以上言わなかった。根拠がない。ただの勘だ。だが勘が当たるのがこの世界だ。
* * *
男は通路を曲がった。
角を曲がって十歩。誰も見ていない。
男は立ち止まった。
右脚を押さえていた手を離す。傷はない。血痕もない。裂けた皮膚もない。
「偽装術式、解除」
小さく呟く。声が変わった。弱々しい研究者の声じゃない。冷たい。平坦だ。
白衣の下から黒い手袋が現れる。指先で空中に何かを描く。黒紫色の術式が浮かび、消える。
「接続経路は確保した」
小声で告げる。
ビットステイヴの一基。制御経路の奥深く。誰にも見えない場所に埋め込まれた黒紫色の術式。それはまだ眠っている。
男は歩き出した。足を引きずらない。早足だ。
通路の奥へ消えていく。
* * *
通信が回復した。
「太郎!」
絶花の声が念話に飛び込む。
「大丈夫か。スレッタは」
「はい。負傷した研究者の手当てをしました。ビットも解析してもらって、問題ないって」
「研究者?」
「はい。地脈を調べに来た人です。もう行きましたけど」
「どこへ」
「連絡用の通路があるって。仲間のところへ」
俺は通路の奥を見た。もう誰もいない。闇だけだ。
「スレッタ」
「はい」
「単独で行動するな。次からは俺かまほを呼べ」
「わかりました」
スレッタの声は素直だ。俺の注意を素直に受け入れている。
だが俺の胸のざわつきは消えない。
研究者。地脈。一人。負傷。親切。非接触。解析。
一つ一つは問題ない。だが組み合わせが引っかかる。
「戻るぞ」
俺は歩き出した。スレッタがついてくる。ビットが周囲を旋回する。
スレッタがビットの一基に指を添えた。戻ってきたばかりの、干渉された一基だ。
「…冷たい」
スレッタが小さく呟いた。
「何だ」
「いつもはもっと温かいのに。ちょっとだけ、冷たいです」
俺はビットを見た。表面に何もない。術式も紋様も。ただの盾だ。
「異常は」
「ないです。たぶん、解析の反動かと」
「そうか」
俺は歩き続けた。背中でスレッタがビットを撫でている。その手つきに、ほんの少しの不安が混じっている。
俺は知らなかった。
この時すでに、男は別の通路で立ち上がっていたことを。
偽装術式を解除し、黒紫色の制御術式を一基へ埋め込んだことを。
そして、その術式がまだ眠っていることを。
地下施設の通路は、昨夜の戦闘が終わった後よりも静かだった。
壁の術式は全て止まっている。地脈の光も弱くなった。だが完全には消えていない。青い残滓が壁の表面を伝って、じわりと明滅している。
スレッタが壁際の男に膝をついていた。
応急処置は終わったらしい。右脚の裂傷に、スレッタが自分のハンカチを当てて縛っている。白いハンカチが赤く滲んでいる。
男は四十代くらいに見える。白衣。眼鏡。顔色が悪い。壁に背を預えて座ったまま、荒い呼吸を繰り返している。
俺は通路の入り口に立っていた。絶花とあんなとまほとソラは上層で地脈の残留調査をしている。スレッタと二人だけ。念話は繋がっているが、地脈の妨害で声が途切れがちだ。
「ありがとう…助かりました」
男の声が弱々しい。
「動かないでください。傷が開きます」
スレッタがハンカチの結び目を確かめながら言う。手際がいい。器械の扱いに慣れている手が、怪我人の扱いにも淀まない。
「あなたは、ここの研究員ですか」
スレッタが尋ねた。顔を上げて男の目を見る。
「ええ…地脈の観測を。この施設は廃棄されましたが、データの回収に来て…地震に巻き込まれて」
男がポケットを探る。震える手で取り出したのは、身分証だった。プラスチックカード。写真と名前と所属。スレッタがそれを受け取って見る。
「…東京の地脈研究所、ですね」
「はい。悪魔の駒とも関係がない。純粋に学術的な調査です」
スレッタが身分証を返す。男はそれをポケットへしまった。
「それと、これを」
男がもう一つ取り出した。小型の端末だ。携帯電話くらいの大きさ。起動すると、白い光の輪が空中へ投影される。幾何学模様が回転する。
「携帯型の地脈観測装置です。君の…あの盾、ビットステイヴと言いましたか。干渉を受けたのがあれば、非接触で解析できます」
男の目がスレッタの周囲に浮かぶビットへ向いた。十一基の盾が、スレッタを中心に緩やかに旋回している。
俺は男の顔を見た。
(…おい)
喉まで出かかった言葉を飲み込む。根拠がない。ただの気のせいかもしれない。だが、怪我人の出すタイミングとしては出来すぎだ。地脈観測装置を持っているのも少しおかしい。
「スレッタ」
俺が声をかけると、スレッタが振り返った。俺の顔を見て、何かを読み取ったのだろう。視線が俺から男へ戻る。
「あの、一つ確認させてください」
スレッタの声が変わった。敬語は崩さない。だが硬さが増す。
「この施設の構造、どこまで把握していますか」
「…上層部と中層部の概要は。下層は封鎖されていて入っていません」
「封鎖されていた場所を、地震で通れるようになった箇所は」
「いえ、私は上層から入りました。崩落箇所は避けて」
男の返答に迷いはない。だが迷いがないこと自体が、怪我人の返答としては少し整いすぎている気がした。
スレッタは三秒ほど考えた。ビットの旋回が少し速くなる。
「わかりました。お願いします。ただし条件があります」
スレッタが男の目を見た。
「直接触れないでください。調べるのも、この子だけです」
スレッタが手を振ると、十一基のうち一基が前方へ出た。前話で外部操作を受けた一基。残る十基はスレッタの周囲に留まる。
「もちろんです。神器に直接触れるなど、私のような人間には不可能ですし危険です」
男が頷く。眼鏡の奥の目が穏やかだ。
「それと、解析以外はしないでください。制御にも操作にも触れないでください」
「理解しています。あくまで観測です」
「異常があれば、すぐに切ります」
「当然です。慎重なのは良いことです」
男の口調が丁寧すぎる。傷の痛みに顔を歪めながら、それでも声だけは整っている。研究員としての礼儀か。あるいは——。
俺は壁に寄りかかったまま、男の手元を見ていた。
スレッタが干渉された一基を装置の前へ移動させる。ビットがゆっくりと前へ出る。十基はその場に残る。警戒と防御を維持したまま。
白い光の輪がビットを包む。幾何学模様が回転する。表面をなぞるように、内部を透かすように。
「解析を始めます。少しの間、動かさないで」
男が端末を操作する。指先が滑らかに動く。
(傷で震えてたはずだろ)
俺の思考が引っかかる。さっきまでポケットからカードを出す手も震えていた。それが端末を操作する指だけは揺れない。
白い光の中で、何かが動いた。
一瞬だ。
髪の毛ほど細い線。黒紫色。白い光の輪の回転に紛れて、ビットの表面から内側へ滑り込む。地脈の残光に偽装された色。青い光に重なって、見えなくなった。
俺は目を細めた。
だが見間違いか。白い光が眩しい。地脈の残滓も青く光っている。その中に黒紫色の線が一筋混じったとして、見えるか。見えない。
スレッタの腕が微かに動いた。一瞬だけ。まるで冷たいものに触れたみたいに、指先が止まる。
「…今、何か」
「残留反応です。外部から接続しようとした痕跡が制御経路に残っています。今の解析で除去しました。問題ありません」
男の声が即座に返る。即座すぎる。スレッタが質問し終わる前に答えが来ている。
「…そうですか」
スレッタがビットに指を添えた。確かめるように。いつもの仕草だ。だが指先が一瞬止まる。
「ありがとう。助かりました。応急処置も、解析も」
男が端末をしまった。笑顔を見せる。痛みに耐えながら笑う、弱々しい笑顔。
「いえ。助けてもらったお礼です。私はもう行きます。仲間が心配しているので」
「一人で大丈夫ですか」
「この先に連絡用の通路があります。そこから仲間へ連絡します。大丈夫ですよ」
男が壁に手をついて立ち上がった。足を引きずる。ゆっくりと。痛みに耐えながら。
スレッタが男の背中を見送る。十基のビットが男の動きを追っている。だが攻撃はしない。警戒だけ。
「あの、出口はあちらです。通路を真っ直ぐ行って左です」
スレッタが帰還経路を教えた。男が頷く。ゆっくりと歩き出す。
男が通路の角を曲がった。足音が遠ざかる。
俺はその角を見ていた。男が消えた角。
(…何か)
胸の奥に引っかかるものがある。だが言葉にできない。身分証はあった。怪我は本物だった。装置も機能した。スレッタの条件も守った。直接触れていない。一基だけの解析。異常があれば切るという約束も守った。
何もおかしくない。何も問題ない。
だが。
「唯我さん」
スレッタが呼んだ。
「ああ」
「あの方、大丈夫でしょうか。一人で」
「歩けたから大丈夫だろ」
「そうですか」
スレッタがビットに指を添えた。戻ってきた一基。干渉された一基。
「…冷たい」
小さく呟いた。
「何だ」
「いつもはもっと温かいのに。ちょっとだけ、冷たいです」
スレッタがビットの表面を撫でる。指先が装甲をなぞる。
「異常は」
男が言った。外部から接続しようとした痕跡が残っていた。除去した。問題ない。
「ないです。たぶん…解析の反動かと」
スレッタがビットを群れへ戻した。十一基が再び旋回を始める。
「唯我さん」
「何だ」
「あの方の解析、受けさせてしまいましたが」
「お前が判断したことだ。条件も出した。直接触らせなかった。一基だけだった。十分慎重だったぞ」
「はい。でも」
スレッタが自分の手を見た。指先。ビットに触れた指。
「あの方の怪我、大丈夫でしょうか。一人で帰れるでしょうか」
「歩けたからな」
「はい」
スレッタが頷いた。だが声に少し引っかかりが残っている。自分でも気づいているのだろう。何かがおかしいと。でも何がおかしいかがわからない。だから疑いを言葉にできない。
善意だ。傷ついた人を助けたい。親切を受けて、礼を言われたら疑うのが難しい。スレッタは慎重だった。条件を出した。直接触れさせなかった。だが慎重さを上回る善意があったから、解析そのものを断ることはできなかった。
俺は壁から背を離した。
「戻るぞ。上の連絡が回復してるか確認する」
「はい」
スレッタがついてくる。十一基のビットが周囲を旋回する。そのうち一基だけ、ほんの少しだけ他より遅れている。旋回の速度が一拍分遅い。
俺はそれに気づいた。だが言わなかった。根拠がない。
念話を飛ばす。地脈の妨害が弱まっている。声が通る。
「太郎!」
絶花の声。
「大丈夫か。スレッタは」
「はい。負傷した研究者の手当てをしました。ビットも解析してもらって、問題ないって」
「研究者?」
「はい。地脈を調べに来た人です。もう行きましたけど」
「どこへ」
「連絡用の通路があるって。仲間のところへ」
俺は通路の奥を見た。もう誰もいない。闇だけが残っている。
「スレッタ」
「はい」
「単独で行動するな。次からは俺かまほを呼べ」
「わかりました」
スレッタの声は素直だった。俺の注意を正しく受け取っている。だが俺の声にも、確信がない。疑えと言うべきだったか。信じるなと言うべきだったか。
いや。あの状況でスレッタの判断を間違いとは呼べない。条件を出した。直接触れさせなかった。警戒を維持した。あれ以上やれと言われても、傷ついた人間を完全に拒絶するのは別の問題だ。
「戻るぞ」
俺は歩き出した。スレッタの足音が後ろからついてくる。ビットが浮遊する音が微かに響く。
* * *
通路の角を曲がって十歩。
誰もいない。
男は立ち止まった。
右脚を押さえていた手を離す。
傷がない。
血痕もない。裂けた皮膚もない。ハンカチが落ちた。白いハンカチに滲んでいた赤は、最初からそこになかった。
「偽装術式解除」
小さく呟く。声が変わった。弱々しい研究者の声じゃない。低い。平坦だ。温度がない。
白衣の下から黒い手袋が現れる。指先で空中に何かを描く。黒紫色の術式が浮かび、消える。
白衣を脱いで丸める。壁の陰に置く。眼鏡を外す。顔立ちが変わるわけではない。だが表情が違う。さっきまでの穏やかな研究者の顔じゃない。冷たい目だ。計算だけが動いている目。
「接続経路は確保した」
小声で告げる。誰へ向けた声でもない。自分の記録だ。
黒い手袋の指先で空中に術式を描く。黒紫色。一基のビットステイヴの制御経路の奥深く。誰にも見えない場所。白い光に紛れて滑り込んだ、髪の毛ほど細い一本の線。
それはまだ眠っている。今は何もしない。ビットは動く。スレッタの指示に従う。温かいまま。いつも通りに。
だが、制御経路の奥に異物がある。目を閉じて、息を潛めて。
いつか目を開ける時のために。
男は歩き出した。足を引きずらない。早足だ。
通路の奥へ消えていく。
足音が止まった。
次回の王は
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妖怪王
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機械王
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怪獣王
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幻想王