サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
一週間経っても町の傷は残っていた。
道路の亀裂に仮設の補修テープが貼ってある。電柱の傾きを支えるロープが張ってある。住民は戻ってきたが空き地が増えた。崩れた塀の撤去が終わった場所がぽっかり開いている。
放課後の校舎は静かだった。
生徒の半分くらいがまだ避難先から戻ってきていない。廊下の音が少ない。靴箱に残る上履きがまばらだ。
俺と絶花は通学路を歩いていた。いつもの道だ。だが一週間前までと同じではない。地脈の修復は終わった。だが地面の傷はまだ癒えていない。人間の世界は地脈より遅い。
「太郎。あれ」
絶花が声を落とした。
俺の目も同じものを捉えていた。
掲示板。
校門の外に立てられた掲示板。貼られた紙が揺れている。だが風がない。
今日は穏やかな夕方だ。木の枝も動いていない。生徒のスカートの裾も揺れていない。なのに掲示板の紙だけが左右に揺れている。
「風じゃないな」
「風じゃないです」
絶花が天聖の柄に手を添えた。まだ抜かない。だがいつでも抜ける位置。
俺は周囲を見た。
生徒が三人ほど残っている。部活帰りだろう。誰も掲示板に気づいていない。当たり前だ。風がなくても紙が揺れるなんて、気にする人間の方が珍しい。
俺たちは歩き続けた。
通学路の角を曲がったところで二つ目の異変があった。
空き缶が転がる。
コンクリートの上をカンカンと音を立てて。風がないのに。斜面でもないのに。まっすぐ三メートルほど転がって止まった。
「太郎」
「見てる」
絶花が空き缶を見ている。俺も見ている。空き缶は止まっている。もう動かない。
だが。
空き缶が動いた方向に、もう一人いた。
中学二年生くらいの少年。黒いおかっぱ頭。目立たない服。背は低い。俺たちより頭一つ分小さい。学校の壁に寄りかかって何かを見ている。
空き缶を見ている。
俺と目が合った。すぐに視線を外す。断りもしない。ただ視線を外して壁の方へ向いた。
(あいつが見てたのか)
空き缶が動く瞬間を見たのか。それとも動いた空き缶を見たのか。どちらでも構わない。今は確かめる必要がない。
「太郎、あそこ」
絶花が顎で示した方向に、三つ目の異変があった。
校舎の脇。植え込みのそば。
人影があった。
一人目。高校生くらい。俺たちより少し年上に見える。細身。淡い色の髪。穏やかな顔立ち。
植え込みの前に立っていた。しゃがみ込んでいる。何かを見ている。
俺は歩調を落とさずに観察した。
敵じゃない。少なくとも今は。構えがない。武器も見えない。ただ植え込みを見ている。
だが植え込みの中に何かいる。
俺の目には見えない。だが気配がする。微かだ。確かだ。地脈の残滓とは違う。もっと生き物っぽい気配。
植え込みの前の人物がこちらに気づいた。
顔を上げた。穏やかな目と目が合った。
警戒していた。目が細くなっている。だが敵意はない。何かを守る目だ。植え込みの中の何かを。
俺は立ち止まった。絶花も止まった。
「何かいるのか」
俺が聞くと、相手は一瞬返事をためらった。
「ここに、何かいるみたいです」
柔らかい声。控えめ。だがはっきりしている。
「何かって、人間じゃないのか」
「人間では、ないと思います」
相手は答えを急がなかった。俺の目を見てそれから植え込みの方へ視線を戻した。植え込みの中の何かを見ている。
「誰かが困っている気がします」
「困ってる」
「声は聞こえないんです。でも何か、訴えているような」
俺は植え込みを見た。
低い灌木の枝の隙間。何かいる。俺には見えない。だが気配はわかる。微かだが確かに生き物だ。妖怪か。それとも別の何かか。
一週間前にこの町で起こった事件。魔術炉の暴走。地脈の変動。その余波で場所を失った妖怪がいるかもしれない。
「太郎」
絶花が俺の背中に声をかけた。
「今の、見たか」
「空き缶か」
「あの子のそばで」
俺は振り返った。さっきの中学二年生。黒いおかっぱ頭。壁に寄りかかっていた場所はもういない。歩き出している。背中が遠ざかっている。
だが俺の目が捉えたのは別のものだった。
空き缶だ。
さっき止まった空き缶がもう一度だけ跳ねた。小さく。三センチほど。音もしないほど軽く。中学二年生の背中が曲がった角の向こうへ消える直前に。
本人は気づいていない。
俺だけが見た。
(あいつの近くでも何か起きてる)
空き缶が動いた。掲示板の紙が揺れた。植え込みの中に誰かがいる。
三つの異変。それぞれが別の理由を持っている可能性がある。一つの原因で起きた可能性もある。今は判断できない。
植え込みの前の人物が立ち上がった。
「移動しました。校舎の裏手へ」
「何に」
「わかりません。でももう少しだけついていきたいんです。大丈夫です、危ないことではないと思います」
俺は相手を見た。
穏やかだ。怖がっていない。だが油断もしていない。植え込みの中の何かを守ろうとしている。守るというより、訴えを聞こうとしている。
「俺たちも行く」
「えっ」
「一人で行くより安全だろ。それに俺たちもこの町の異変を調べてる」
相手は俺を見て、それから絶花を見た。絶花が頷く。
「大丈夫です。私も剣を使えます」
絶花が言うと相手は少し目を丸くした。だがすぐに戻した。
「…ありがとうございます。では、一緒に」
俺たちは校舎の裏手へ歩き出した。
植え込みの脇を通り抜けると道が細くなる。通用口の前を過ぎると生徒の姿が消える。裏庭だ。雑草が伸びている。一週間分の庭の手入れが済んでいない。
気配が強くなった。
俺にもわかる。植え込みの中よりはっきりしている。何かがここにいる。動いている。ゆっくりと。だが確かに。
「ここに」
相手が足を止めた。裏庭の隅。壁と植え込みの境目。
「います。小さい。何かを訴えている」
俺は目を凝らした。
見えない。
だが気配はわかる。壁の際。草の下。何かが震えている。
(傷ついているのか)
「太郎」
絶花が天聖に手をかけたまま言った。
「気配だけなら敵じゃない。でもまだ何かわからない」
「わかってる」
俺は振り返った。通学路の方角。
中学二年生が角を曲がって消えた場所。空き缶が跳ねた場所。
二つの異変。
一つはここにある。もう一つはあそこにあった。
植え込みの中の気配。空き缶を動かした何か。
同じ異変か。別の異変か。
俺は結論を出さなかった。出す材料がない。ただ記録する。三つの異変が放課後の町にあったこと。三つとも小さくて騒ぎにはならないこと。三つとも俺と絶花が気づいたこと。
「行くぞ」
俺の声に絶花が頷いた。植え込みの前の人物も頷いた。
三人で裏庭の奥へ進む。
空き缶が跳ねた角の向こうで中学二年生の背中はもう見えない。
だが俺は知っている。
あいつの近くでも何かが起きている。本人は気づいていない。気づいていないのに起きている。
それは今日の終わりではなく、何かの始まりの匂いがした。
裏庭の隅で夏目がしゃがんだ。
壁と植え込みの隙間。草が伸びている。夕方の光が届きにくい場所だ。薄暗い。
「いるんです。ここに」
夏目が声を落とした。俺には何も見えない。気配だけが微かにする。
「どんなやつだ」
「小さいです。犬より小さい。猫くらい。丸まってます」
夏目は手を伸ばした。草の隙間へ。俺には見えない何かに触れようとしている。
「見えるのか」
「はい」
夏目は振り返った。穏やかな目が俺を見る。警戒は残っているが、敵意はない。
「俺には見えない。気配だけだ」
「そうですか」
夏目は少しだけ目を細めた。俺を値踏みしている。何を見ているのか。何ができるのか。
「あなたは、何か感じますか」
「気配だけ。姿は見えない。だがいるのはわかる」
「それは、珍しいことです」
夏目が立ち上がった。俺と向き合う。植え込みの中の何かを背にしたまま。
「僕は夏目貴志と言います」
「唯我太郎だ」
「宮本絶花です」
絶花が横から名乗った。天聖の柄から手を離していない。だが抜かない。夏目の態度を見ている。
「夏目。お前、何者だ」
「普通の高校生です。ただ、小さい頃から変なものが見えるんです」
「変なもの」
「妖怪とか、そういうものです」
夏目は淡々と言った。大げさじゃない。自慢でもない。ただ事実として。
「妖怪が見えるのか」
「はい。話もできます。ここにいるのは、小さい妖怪です。傷ついているみたいで」
「なぜ傷ついてる」
「わかりません。でもこの辺り、一週間前から少し変なんです。僕も今日来てみたんです」
一週間前。
俺と絶花は顔を見合わせた。一週間前は魔術炉の事件があった日だ。
「この町で何かあったんですか」
夏目が聞いた。
「ああ。ちょっとした騒ぎがあった」
「地震ですか」
「それもあった」
夏目は俺の返事を待った。言葉を急がせない。俺が言える範囲で言うのを待っている。
「地脈が変動した。それでこの辺りの妖怪が影響を受けた可能性がある」
「地脈…」
夏目が小さく繰り返した。わかるのか、わからないのか。表情からは読み取れない。
「あなたたちは、何か知っているんですね」
「調べてる」
「そうですか」
夏目はそれ以上聞かなかった。俺もそれ以上言わなかった。初対面だ。互いに探り合っている。
植え込みの中で気配が動いた。
俺にもわかる。何かが動いた。小さい。だが確かに。
夏目の顔が変わった。
「様子がおかしいです」
夏目がしゃがみ直した。草の隙間へ手を伸ばす。
「大丈夫ですよ。出てきてください」
声が柔らかい。妖怪に話しかけている。俺には見えない相手に。
「何が見える」
「小さな妖怪です。狐みたいな形。でも色が違う。灰色で、光っています」
「光ってる」
「はい。普通じゃない。何かに感染しているみたいで」
感染。
俺は一週間前のことを思い出した。ガイアの光。地脈への流入。魔術炉の残滓。
「その光、青いか」
夏目が振り返った。
「知っているんですか」
「青い光なら、一週間前の事件で地脈に流れ込んだ力だ。それが妖怪に付着した可能性がある」
夏目の表情が変わった。警戒が強くなる。
「あなたたち、何者ですか」
今度は夏目が聞いた。
「この町で起きた事件を解決した。その残りを調べてる」
「解決した」
「そうだ」
夏目は立ち上がった。植え込みの中の妖怪を背にして俺と絶花を見る。背中を向けたまま。
守っている。
「その妖怪をどうするつもりですか」
「どうもしない。ただ調べるだけだ」
「本当に」
「本当だ。俺たちは妖怪を敵にしたことはない」
絶花が口を開いた。
「この町には妖怪の集落もあります。一週間前の事件で助けた妖怪もいます」
夏目の目が動いた。絶花を見て、俺を見て、また絶花に戻る。
「妖怪を助けた」
「はい」
絶花が頷いた。嘘のない声だ。
夏目の肩から少しだけ力が抜けた。
「…すみません。疑って」
「当然だ。初対面だしな」
俺は植え込みを見た。
「その妖怪、動けるか」
「いえ。丸まったままです。出てこようとしない」
「ここに置いても安全じゃないかもしれない。一週間前の力がまだ残ってる場所がある」
「そうですね」
夏目は植え込みを見た。迷っている。
「どこか安全な場所に移せますか」
「できる」
俺は盤面を展開した。足元に黒と金の升目が浮かぶ。夏目が一歩下がった。
「何ですか、これ」
「王国の駒。俺の神器だ。この盤面で家臣の位置を把握できる。だが今は使わない。妖怪を運ぶのに安全な経路を確認するだけだ」
夏目の目が盤面を見ている。理解しているのか、していないのか。
「神器…」
「悪魔の駒の原型になったやつだ。説明は長くなる」
「悪魔」
夏目の声が硬くなった。
「俺は悪魔じゃない。人間だ」
「でも神器を持っている」
「そうだ」
夏目は黙った。
植え込みの中で妖怪が動いた。弱々しい動きだ。
夏目がしゃがんだ。
「大丈夫ですよ。この人たちは、敵じゃないと思います」
妖怪に話しかけている。
俺は盤面を見た。安全な経路を確認する。ここから神社まで。裏道を使えば人目につかない。
「神社に運ぶ。そこで保護できる」
「神社に」
「この町の神社だ。妖怪の集落に繋がりがある」
夏目はしばらく考えた。
「…お願いできますか」
「いいぞ」
俺は絶花を見た。
「絶花、先導してくれ。俺は盤面で経路を維持する」
「はい」
絶花が歩き出した。天聖を腰に戻して裏道の方へ。
夏目が植え込みの中の妖怪を抱き上げた。俺には見えない。だが夏目の腕の中に何かがあるのはわかる。気配が動いている。
「行きましょう」
夏目が言った。
俺は歩き出した。
背後で空き缶がもう一度だけ跳ねた音がした気がした。だが振り返らなかった。
中学二年生のことはまだ調べていない。三つの異変のうち二つしか触れていない。
だが今は、この妖怪を安全な場所へ運ぶのが先だ。
それと。
(夏目貴志か)
ただの高校生じゃない。妖怪が見える。話ができる。守ろうとする。
敵じゃない。味方かどうかはまだわからない。
だが少なくとも、今日は同じ方向を向いて歩ける。
神社へ向かう道を、三人で歩いた。
夕日が背中を照らしていた。
次回の王は
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妖怪王
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機械王
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怪獣王
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幻想王