サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
校舎の裏手に回ると夕日が途切れた。
本館の影が裏庭を覆っている。草の色が夕方の光の中で鈍く見える。一週間前に地脈が揺れてから庭の手入れが追いついていない。伸び放題の灌木が壁沿に蠢いている。
「太郎」
絶花が小声で呼んだ。天聖の柄に手を添えている。まだ抜かない。だがいつでも抜ける。
俺も見ていた。
裏庭の隅。給水塔の陰。そこに人影があった。
一人だけじゃない。
夏目だ。さっき掲示板の前で会った。植え込みの中の妖怪を気にしていた男。穏やかな顔立ちの高校生。
だが夏目だけじゃない。
俺にも見えた。夏目の周囲に小さな影が三つ。四つ。給水塔の陰から灌木の隙間から草の茂みから。
妖怪だ。
小さい。膝ほどの高さのものから腰ほどのものまで。形は様々だ。一つは丸い。一つは細長い。一つは鳥みたいな輪郭だが羽がない。
太郎と絶花は妖怪の存在を知っている。驚く必要がない。俺たちが一週間前に助けた妖怪たちもいた。俺の盤面にはその時の光点がまだ残っている。
だがこれらの妖怪は俺の盤面にいない。八坂の集落の妖怪とも違う。
「太郎さん」
夏目が気づいた。俺たちを見て少し背筋を伸ばした。警戒している。だが敵意はない。
妖怪たちが動いた。夏目の背後へ。太郎と絶花から距離を取る。俺たちを怖がっている。
「怖がらせたか」
「いえ。ただ彼らは知らない人間には慎重なので」
夏目の声が柔らかい。妖怪たちの方へ目を戻す。
「大丈夫ですよ。この人たちは敵じゃないと思います」
妖怪たちに話しかけている。俺たちにじゃない。
丸い妖怪が夏目の足元で震えた。細長い妖怪が夏目の袖に掴まる。鳥みたいな妖怪が夏目の肩に止まった。
「友達なんですか」
絶花が聞いた。素直な質問だ。
「友達…でしょうか。住まいが同じなので」
「住まい」
「この辺りの妖怪です。僕が小さい頃からここにいて、僕もここにいました」
俺は周囲を見た。
危険はない。妖怪たちに敵意がない。夏目にも敵意がない。だし妖怪たちが夏目に凭れて震えているのは恐怖だ。俺たちに対する恐怖じゃない。何か別のものに対する恐怖だ。
「俺たちも妖怪のことは知っている。ただこの辺りの連中とは詳しく話したことがない」
夏目が俺を見た。目が少し細くなる。値踏みしている。俺が何を知っていて何を知らないか。
「知っているというのは」
「一週間前にこの町で起きた事件を解決した。その中で妖怪たちを助けた。八坂って奴の下で動いてる妖怪たちのことも知ってる」
「八坂様を」
夏目の表情が変わった。少し驚いた。だがすぐに戻る。
「八坂様とは別の妖怪たちです。ここにいるのは」
「別の集団か」
「集団というほどではないんです。ただ同じ土地で暮らしているだけの。八坂様の領域の外側で」
俺は頷いた。八坂の領域の境界。その外側に住む妖怪たち。八坂が管理しきれていない妖怪たちだ。
「事件の時、避難させたのは八坂の集落の妖怪たちだ。こいつらは逃げなかったのか」
夏目が俯いた。少し間を置いてから答えた。
「逃げたんです。でも戻ってきたんです。ここが住まいなので」
「戻ってきて何かあったか」
夏目は答えなかった。代わりに足元の丸い妖怪を見た。
「おじいさん。話していいですよ」
丸い妖怪が震えた。夏目の足元から顔を出した。俺には見える。小さな老人の姿をした妖怪だ。背は膝ほどしかない。顔の皺が深い。
「…いなくなった」
声が小さい。だが確かに聞こえた。
「誰がいなくなった」
「佐吉が。お松が。三郎が」
名前だ。妖怪の名前だ。
「三人いなくなった」
「いなくなったというと」
「いなくなったんです。いなくなった。どこへ行ったか」
老人妖怪の声が震えている。恐怖じゃない。悲しみだ。
「いつから」
「五日前に。地震の後で。戻ってきたのに。いたのに。気づいたらいなかった」
五日前。俺たちが魔術炉を破壊してから二日後だ。
「俺たちが事件を解決した後か」
「解決した…」
夏目がその言葉を繰り返した。俺を見る目が変わる。少し強くなる。
「あなたたちが解決した。それで地脈は戻ったんですか」
「戻った。完全に戻ったはずだ」
「はず」
「確かめた。仲間が地脈の状態を確認した。正常に戻っている」
夏目は黙った。老人妖怪の頭を撫でている。優しく。
「でも彼らはいなくなった。地脈が戻った後に」
俺は考えた。
地脈が戻った。ガイアの光が還った。だが完全に戻ったと言い切れるか。まほが確認したのは地脈の流れが正常に戻ったことだ。だが残滓がどこかに残っている可能性はある。
「失踪した妖怪たちの暮らしていた場所は」
「学校の北側です。裏山の麓の」
裏山の麓。俺たちが戦った場所の近くだ。
「太郎」
絶花が声を落とした。
「北側って魔術炉があった方角じゃないですか」
「そうだ」
「地脈の残滓が残ってる可能性は」
「まほが確認して正常だと言ってた。だが全ての場所を調べたわけじゃない」
俺は夏目を見た。
「失踪した場所を見せてくれるか」
夏目は迷った。妖怪たちの方を見る。丸い老人妖怪が夏目の足に掴まっている。
「おじいさん。僕が行ってきます」
「だめだ」
老人妖怪の声が強くなった。
「だめだ。夏目様もいなくなる」
夏目様。俺はその呼び方に引っかかった。夏目は妖怪たちに慕われている。ただの相談相手じゃない。信頼されている。名前を呼ばれるほどに。
「大丈夫ですよ。この人たちも一緒です」
「この人たちは」
「大丈夫な人たちです」
夏目が俺を見た。俺の目を見て何かを探している。危険じゃないか。信頼できるか。
俺は何も言わなかった。言う必要がなかった。
夏目が老人妖怪の頭を撫でた。
「行ってきます。必ず戻ります」
老人妖怪が夏目の手に顔を押し付けた。離したくない。だが離した。
「行ってきます」
夏目が立ち上がった。俺と絶花を見る。
「案内します。ですが一つ聞かせてください」
「何だ」
「あなたたちは妖怪を傷つけませんか」
「傷つけない。俺たちの仲間もこの町の妖怪を守ってる」
夏目は三秒ほど俺の目を見てから頷いた。
「わかりました。案内します」
* * *
校舎の裏手を出て北側へ回る。
通学路の角を曲がると坂道になる。登り坂。裏山の麓へ向かう道だ。
坂の途中で俺は気配を感じた。
微かだ。だが確かだ。さっき掲示板で感じたのと同じ種類の気配。地脈の残滓とは似て非なるもの。
「ここか」
「はい。この辺りで暮らしていました」
夏目が坂の途中の空き地を指差した。
空き地の隅に祠があった。古い。苔が生えている。だが苔が一部剥がれている。最近誰かが触った跡だ。
「この祠の中に住んでいたんです。佐吉さんたちが」
俺は祠に近づいた。
中は空っぽだ。だが気配が残っている。微かだが確かに。三つの気配。三つの妖怪がここにいた痕跡。
「太郎。ここ」
絶花が空き地の隅を指差した。
地面に亀裂が走っている。一週間前の地震の跡だ。だが亀裂の端が新しい。最近広がった跡だ。
「亀裂が広がってる。地震の後も」
「地脈の影響か」
「かもしれない。でも角度がおかしいです」
絶花がしゃがんで亀裂を見た。
「地震の亀裂は放射状に広がります。これは一本だけ真っ直ぐに走ってる。地脈の流れじゃない」
「じゃあ何だ」
「わからないです。でも何かがここを通っていった跡かもしれない」
俺は空き地を見渡した。祠。亀裂。空き地の隅にあるゴミ箱。ベンチ。ベンチの下に空き缶が転がっている。
空き缶だ。
さっき校門の外でも空き缶が転がった。俺の近くで。
(あれは校門だけじゃなかったのか)
俺はベンチの下の空き缶を見た。動いていない。ただの空き缶だ。だが——
「夏目。失踪した妖怪たちに共通点はあるか」
「共通点」
「三人とも同じ場所に住んでいたのか。同じ種類の妖怪か」
「同じ場所に住んでいました。でも種類は違います。佐吉さんは狐の、お松さんは狸の、三郎さんは蛇の」
「種類が違うのに同じ場所からいなくなった」
「はい」
俺は亀裂を見た。一本の亀裂。真っ直ぐに。何かがここを通っていった跡。三つの妖怪が住む場所を。
「何かがここを通っていったんだ。地脈じゃない。別の何かが」
「太郎。あの子です」
絶花が坂の下を指差した。
坂の下。通学路の角。さっき俺たちが曲がってきた角だ。
そこにいた。
影山茂夫。中学二年生。黒いおかっぱ頭。さっき掲示板の前で空き缶を見ていたやつだ。
坂の下に立っている。何かを見ている。空き缶だ。さっきと同じ空き缶だ。
空き缶が動いた。
小さく。三センチほど。音もしないほど軽く。
モブは空き缶を見下ろした。首を傾げた。風のせいだと思った。風はないのに。
「風かな…」
モブが呟いた。声が小さい。独り言だ。俺と絶花に言ったわけじゃない。でも俺の耳には届いた。
モブは背を向けて歩き出した。
空き缶がもう一度だけ跳ねた。モブの背中が角を曲がる直前。本人は気づいていない。
俺は見た。
(あいつの近くで物が動く)
掲示板の前でも。ここでも。
モブ自身は気づいていない。風のせいだと思っている。偶然だと思っている。
だが偶然じゃない。俺にはわかる。何かがあいつの中で目覚めかけている。まだ本人は気づいていない。だが物が動く。あいつの感情が揺れた時にだけ。
「太郎。あの子知り合いですか」
「いや。在校生だろ。中学の方の」
「何か」
「ああ。あいつの近くで異変が起きてる。あいつ自身は気づいてないが」
夏目が坂の下を見た。モブが消えた角だ。
「あの子ですか。学校の子ですか」
「ああ。中学二年くらいの。名前は知らない。だが今日二度目だ。あいつの近くで物が動く」
「動く」
「空き缶が。掲示板の紙が。全部あいつがいる場所で起きてる」
夏目は黙った。少し考えてから聞いた。
「妖怪では」
「いや。妖怪とは違う。もっと物理的な。力だ」
俺は亀裂を見た。空き缶を見た。祠を見た。
二つの異変がある。一つは妖怪の失踪。一つはモブの周囲の現象。
同じ原因か。別の原因か。
まだわからない。
「夏目。一つ頼みがある」
「何ですか」
「失踪した妖怪たちを探すのを手伝ってくれ。俺たちも手伝う」
夏目は俺を見た。それから絶花を見た。絶花が頷く。
「お願いします。太郎さんたちが協力してくれるなら心強いです」
夏目が頭を下げた。深く。丁寧に。
「でも一つ。あの子のことも調べた方がいいかもしれない」
「あの子」
「あいつの近くで物が動いてる。原因が何であれ放っておけない」
夏目は坂の下を見た。モブが消えた角だ。
「わかりました。でも無理はしないでください。あの子にはあの子の事情があるかもしれません」
「事情か。お前は何でも事情を気にするんだな」
「妖怪も人間も同じです。理由がないことは起きない」
俺は空を見上げた。
夕日が沈みかけている。空が橙から紫へ変わる。
二つの異変。一つの町。六人の目。
まだ何も始まっていない。だが何かが始まっている。
俺は坂を降りた。絶花と夏目がついてくる。
空き缶はもう動いていなかった。
次回の王は
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