サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
買出しを終えた俺と絶花は、帰路の途中に公園へ立ち寄った。
拠点の近くにある小さな公園だ。ベンチが三つ並んで、街灯が一本だけ立っている。夜の公園に人影はない——はずだった。
「ん?」
俺は足を止めた。
一番奥のベンチに、何かが固まっている。いや、何かだ。最初は荷物かと思った。だが風が吹いて、ぼろ布のような mantle が揺れたところで、それが人間だと分かった。
少女だ。
ベンチの上で膝を抱え、顔を埋めるように身体を丸めている。
「絶花、あれ」
「…見えてます」
絶花も既に気づいていたらしい。手元の紙袋を持ち直し、俺の横に並ぶ。
俺たちはベンチへ近づいた。
足音が響く。砂利を踏む音が夜の静寂に場違いに大きく聞こえる。
少女の肩が、ビクッと動いた。
(反応はあるか。動けないわけじゃなさそうだ)
「おい、大丈夫か?」
俺は声をかけた。
反応はない。だが肩の力が一層強くなったのが見える。まるで自分を守るように、膝を抱える腕に力が込められているのが分かった。
「具合でも悪いのか?」
もう一声かける。今度は一歩近づいて。
ゆっくりと、顔が上がった。
赤い髪だった。夜目でもはっきりと分かるほど鮮やかな、深紅の髪。乱れて顔に掛かっているその間から、こちらを窥うような視線が覗いた。
その目に力は入っていない。だが——俺たちを確かめるような光だけは、確かに残っていた。
(動けないのに、警戒だけは解いてないってわけか)
身体には力が入っていない。ベンチに座っているのがやっとという風で、背中を預けているだけなのに姿勢がふらついている。だが目だけは、俺と絶花を交互に見ていた。
「…誰ですか、あなたたち」
声も弱い。だが言葉の端には棘があった。
「悪い人じゃないぞ。通りすがりだ。具合が悪いのかと思って」
俺は手を挙げて敵意がないことを示す。別に心得があるわけじゃないが、こういう時は下手に踏み込まないのが一番だ。
「…大丈夫ですか」
絶花が、俺の横から少し前に出て声を掛けた。その声が俺よりずっと素直だったことに、俺は少し驚いた。
(絶花、お前そういう言い方できるんだな)
少女の視線が絶花に向く。女同士というところか、少し警戒が緩んだように見えた。
「別に…具合は、悪くないです。ただ少し」
少女が何かを言いかけた——ふいに『ぐぅ〜〜〜……』
間の抜けた音が、夜の公園に響いた。
少女の腹からだ。
俺と絶花が同時に黙った。少女も口を閉じた。
三人の間に、短い沈黙が落ちた。
(あー……)
俺は何と言えばいいか一瞬迷った。からかうのは簡単だ。だがこの沈黙が既に充分に彼女を追い詰めている。顔が赤くなっているのが分かる。
絶花が視線を俺に向ける。「言わないでください」と言いたげだ。俺は口を結んだまま小さく頷いた。
少女が膝に顔を伏せる。赤い髪がベンチの木に掛かっている。
(空腹で動けない、か。具合が悪いんじゃなくて腹が減ってるだけだった)
俺は手元の紙袋へ目を落とした。
中には買ったばかりの食事が入っている。温もりがまだ残っているはずだった。
俺は紙袋を開けた。
中から漏れ出るのは、温かい匂いだった。肉の焼ける香りと、パンの甘い匂いが混じった、夜の公園には場違いすぎるそれ。
(腹は減ってるが……まあ、後でなんとかなるだろ)
俺は包み紙に包まれたハンバーガーを取り出した。自分用に買ったやつだ。温もりが掌に伝わる。包み紙の端から湯気が立ち昇り、夜の冷気に溶けていく。
「ほら」
俺はそれを、少女の前に差し出した。
少女が顔を上げる。赤い髪の間から覗いた目が、俺の手にあるハンバーガーと、俺の顔を交互に見た。
手は伸びてこない。
(警戒してるか、それとも遠慮してるか)
この距離、この間。たぶん両方だ。腹は減っている。だが他人の差し出したものを、そう簡単に受け取れる人間はいない。ましてや動けない状態で、自分には何も返すものがないと思っているなら尚更だ。
「毒は入ってねえよ。俺の昼飯だしな」
俺は言ってから、少しだけ後悔した。
(昼飯、って言うと自分の分って強調しすぎたか。まあいいか。嘘じゃねえし)
少女が、もう一度ハンバーガーを見た。包み紙の温もりが、この距離でも分かるのかもしれない。
「……本当に、いいんですか」
声は小さかった。だが確認するように、俺の目を真っ直ぐに見てきた。
「いいんだよ。つーか腹減って動けない奴に、食べるなとは言えねえだろ」
俺はハンバーガーを少し前に押し出した。
「……」
少女の手が、膝の上で動いた。指先が、 Bay の縁を抓む。迷っているのが分かった。受け取っていいのかどうかを、まだ計りかねている。
「ほら、これも」
絶花が、俺の横から紙コップを差し出した。買ってあった温かい飲み物だ。それと、ポケットからくしゃくしゃの紙ナプキンを取り出して、ベンチの手すりに乗せる。
「……その、使ってください」
絶花の声は、いつも通りのぶっきらぼうだった。だがその動作には、嫌悪がない。ただ不器用に、食べやすいようにと気を配った跡があった。
(絶花、お前そういうことできるんだな。知らなかったよ)
絶花が俺の視線に気づいて、少し顔を背けた。耳が赤い。
少女が、もう一度俺を見た。
「……貰うわ」
小さな声だった。だがその手が、ベンチの手すりを離れて、俺の手からハンバーガーを受け取った。
ずしりと、小さな重みが俺の手から離れる。
少女は両手でハンバーガーを握りしめた。包み紙の温もりが、冷えた指に染み渡っているのが分かった。
「……温かい」
ぽつりと、独り言のように呟いた。
俺は何も言わなかった。絶花も何も言わなかった。
少女が包み紙を開いた。中から現れたハンバーガーは、買ったばかりのまだ温かいそれだ。パンの表面に油が浮き、中から肉の香りが立ち昇る。
少女がそれを、口元へと運ぶ。
少女が、ハンバーガーをかじった。
ガブリ、と音がした。小さな口には不釣り合いなほど大きく開けて噛みついたそれが、確かに一口分、減った。
咀嚼する。目を閉じる。その表情は無表情に近いが、頬が僅かに動く。柔らかいパンが崩れ、肉の温かさが舌の上に広がっているのが想像できる。ソースの甘辛い香りが夜の空気に混じった。
(…どうだ)
俺は黙って見ていた。絶花も黙っている。ただ少女の次の動作を待っていた。
一口目を飲み込んだ少女が、ふと目を開けた。そして包みの中をじっと見つめる。
(ああ、次の一口をどこから食べるか探してるな)
その目に、僅かに光が宿ったのを俺は見逃さなかった。好物だとか好きだとか、そういう感情の光じゃない。ただ純粋に「もっと」と思う気持ち。
次の一口は、さっきより速かった。
ガブリ。
さっきよりも深く噛みつく。包み紙を持ち直す手つきが変わった。最初はぎこちなく握りしめていただけだったのが、こぼさないように指を添え、角度を調整しながらかぶりついている。
(食えるじゃねえか)
俺の口元が緩む。絶花も小さく息を吐いた。安心したようなそれだ。
少女は黙々と食べた。一口、一口。その間に目線がハンバーガーから包み紙へ移った。包み紙の端に印字された店の名前を、じっと見ている。
「…ここ、どこで売ってるの」
少女が不意に尋ねた。
「え?」
「そのハンバーガー。この店の名前、どこで売ってるのかしら」
淡々とした口調だ。だがその問いは、紛れもなく「また食べたい」という意味だった。
「ああ、この辺の商店街の端にある店だ。赤い看板の所。俺の拠点の近くだな」
俺は答えた。少女の目が僅かに細くなる。場所を記憶しようとしている。
絶花が横から小さく呟く。
「…もう一つ、あった方がよかったですね」
「俺のだぞ。腹減ってるのはお前もだろうが」
「私はまだ大丈夫です」
「嘘つけ」
軽口を叩き合っている間も、少女は食べ続けていた。ハンバーガーが着実に小さくなっていく。最後の一口を口に運び、包み紙が空になる。
少女は包み紙を丁寧に畳んだ。汚れを拭い、四角く折りたたんでポケットにしまう。その手つきは丁寧だった。
「…ありがとう」
小さな声だった。
「助かったわ。あなたたちの言う通り、動けないくらいには腹が減っていたみたい」
「だろ」
俺は頷いた。
「毒も入ってなかったしな」
「ふふ…そうね。毒より、もっとやっかいなものだったみたい」
少女は立ち上がろうとした。だが足がふらつき、ベンチに手をつく。
「おっと、まだ無理するな。腹に入っただけで力は戻らねえだろ」
「…分かってるわ。少しだけ休ませて」
少女は再びベンチに腰を下ろした。さっきよりも姿勢が少しだけ前向きだ。身体を丸めるのではなく、背筋を伸ばしている。
(腹に入ると、人は少し前向きになる。これ絶対真理だよな)
俺は空になった自分の手を見て、小さく笑った。
少女が、ベンチに腰を落ち着かせてから数十秒。食事の余韻がまだ唇に残っているような、そんな間があった。
「改めて、ありがとう。あなたたち」
「いいって。困ってる奴を放っとく趣味はねえからな」
俺は肩を竦めた。
「ところで自己紹介くらいしておこうか。俺は唯我太郎。太郎でいいぞ」
「私は宮本絶花です。そのまま絶花と」
絶花が小さく頭を下げる。少女が二人を交互に見て、短い間を置いた。
「…私はアンビー」
名前だけ。それだけ。理由も姓もなし。だがその声は嘘をついていないと感じた。
「アンビーか。いい名前だな」
「そう?ありがと」
返事は淡々としていたが、ほんの少し唇の端が緩んだ。名前を呼ばれて悪い気はしないらしい。
「で、アンビー。お前、なんでこんな所で飢えてたんだ?家とか帰る場所は」
俺は何気なく聞いた。
アンビーの視線が、俺から外れた。遠くを見るような目になる。そのまま言葉を選ぶように口を開いた。
「……今は、帰る場所というものがないの。少し前に、いろいろあって」
「いろいろあって?」
「映画で見た通りね。主人公が追われる展開って、案外理不尽で、説明不足で、理不尽で」
「理不尽二回言ったぞ」
「…映画だと、主人公は追われて逃げて、最後には何かを得る。でも現実は、ただ逃げるだけ」
アンビーは淡々と言った。まるで他人事のように。だがその声の奥に、俺の言葉では掬いきれない何かが沈んでいる気がした。
「…お前、映画好きなのか?」
「ええ。好きよ。物語は分かりやすいから。展開にも予想がつくし、終わりもある」
「現実は終わりがないってか」
「映画なら三時間で終わるけど、私の今は続きが見えないわ」
言い方が独特すぎる。俺は何と返せばいいか迷った。慰めの言葉ならいくらでも浮かぶ。だが今ここで安易に口にするのは違う気がした。
(映画の主人公か……)
ふいに――サッ、と足音が近くを通り過ぎた。
アンビーの肩がピクリと跳ねた。顔が公園の出口へ向く。目が鋭くなる。だがすぐにその光が消えた。
(…来ると思ったのか)
俺はその反応を見逃さなかった。近づいたのはただの通行人だ。俺たちには目もくれず、足早に去っていく。
だがアンビーの手は、膝の上でぎゅっと握られていた。指先が白くなっている。呼吸が浅くなっている。
「大丈夫か?」
俺は声を落とした。
「…大丈夫。ただの通行人ね」
「そうか」
俺はそれ以上追及しなかった。
(帰る場所がない。追われている。理由は言えない)
アンビーは、今ここで全てを話せるわけではないのだろう。腹が減っていても、誰かの声を聞いても、その警戒だけは解けない。
(まあ、無理に聞き出すもんでもねえか)
「アンビー」
「何?」
「落ち着いて休める場所はあるのか?」
アンビーが俺を見た。その目に、僅かな戸惑いが浮かんだ。
「……ない、わね」
正直な答えだった。
「そうか」
俺は頷いた。そして、どうするか考えた。
「今夜はどこへ行くつもりだ?」
俺は聞いた。答えは分かっていても聞かずにはいられなかった。
アンビーはすぐには答えなかった。膝の上に畳んだ包み紙へ視線を落とす。ハンバーガーの油の染みたその紙を、指先で撫でている。
(考え込んでるのか、それとも断りを探してるのか)
「正直に言うと、あてはないわ」
「だろ」
「……ええ」
俺は息を吐いた。夜風が冷たい。腹に入れたばかりの温もりが少しずつ失われていくのが分かる。
「なら、まずうちに来い」
俺は言った。
「は?」
アンビーが顔を上げた。琥珀色の目が丸くなっている。
「うちってのは拠点だ。綺麗じゃねえけど屋根はある。飯もとりあえずある。今夜だけでも身体を休めろ」
「……どうして?」
「困ってる奴を放っとく趣味はないって言っただろ」
「それはさっきも聞いたわ」
「じゃあもう一回言う。俺はそういう奴なんだよ」
アンビーの目が俺を探るように細くなった。
「あなた、怪しい人ね」
「名前で呼べ。太郎でいいって言っただろ」
「……太郎」
アンビーが舌で名前を確かめるように呼んだ。
「少しはまともね」
「お前な」
俺は呆れた。絶花が横で小さく息を吐く。笑いを堪えているのか呆れているのか、たぶん両方だ。
「絶花はいいのかしら」
アンビーが絶花を見た。
「自分の拠点に見ず知らずの他人を連れ込むの、普通は嫌がるものよ。映画でもそういう展開は大抵トラブルの始まりだし」
「映画の話は置いといてくれ」
「……置いとくわ」
絶花が小さく俯いた。それから顔を上げ、真っ直ぐにアンビーを見た。
「私は、別に構わないです」
「構わない?」
「王が連れてくるなら、理由があるんだろうと……思うからです。あと、ご飯を渡した相手を野に放るのも、なんか、那个……」
絶花が言葉を探す。不器用だ。だがその不器用さが逆に正直だった。
「……不器用な人ね」
アンビーがぽつりと言った。
「すみません」
「褒めてるのよ。たぶん」
「たぶんなのかよ」
俺がツッコミを入れると、アンビーの唇が僅かに動いた。笑ったのかもしれない。
* * *
アンビーはまた沈黙した。包み紙を指で撫でる手が止まる。
(迷ってるな)
俺も絶花も急かさなかった。夜風がベンチの背を撫でていく。街灯が明滅する。遠くで車の走る音がした。
「……一つ聞いていい?」
アンビーが口を開いた。
「何だ」
「なんで自分の食べ物を渡したの?お腹空いてたんでしょう」
「空いてたけどな」
「じゃあなんで?」
「腹が減って動けない奴が目の前にいたら、食わすのが先だろ。俺の空腹は後でなんとかなる。お前のは今なんとかなんねえんだから」
俺は肩を竦めた。
「……なんとかなる、か」
「なる。コンビニもあるしな」
「そういう問題じゃない気がするけど」
「お前が言うな」
アンビーは俺と絶花を交互に見た。視線が俺に止まる。次に絶花に移る。そしてまた俺に戻る。
「……あなたたち、変な人たちね」
「よく言われる」
「言われないです」
「否定すんなよ絶花」
アンビーが立ち上がった。
先ほどよりも足元が確かだった。腹の温もりが少しだけ力を取り戻させている。ふにふにだった膝が、今は地面をしっかりと踏んでいる。
(やっり食うのが先だ。腹が減っては何もできねえ)
「……ついて行ってもいい?」
「いいぞ」
俺は間を置かずに答えた。
「……即答ね」
「迷う理由がねえよ。来い」
俺は手を差し出した。アンビーがその手を見て、少し間を置いてから、自分の足で一歩踏み出した。
手は取らなかった。だが俺の隣に立った。
(……それでいい)
「じゃあ行こうか」
「ええ」
「……はい」
三人の足音が重なる。公園の出口へ向かって、並んで歩き出す。
街灯の光が三人の影を長く伸ばしていた。夜は深い。だが道は見える。
次回の王は
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妖怪王
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機械王
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怪獣王
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幻想王