サムライガールの幼馴染みは王様を目指す 作:ボルメテウスさん
拠点の一室。食卓を兼ねた小さな卓を三人で囲んでいる。
戦いの後始末を一通り終え、落ち着ける場所に戻ってきた。絶花が淹れた茶がカップから湯気を上げている。俺はその湯気を眺めながら、戦場で見た光景を思い返していた。
アンビーの戦い方。
避難誘導中に袖から覗いた剣の手つき。ネオザルスの動きを冷静に観察し最小の動きで誘導していく判断。そして一度だけ見せた電撃——青白い光が掌から走った瞬間。
(ただの避難民じゃない)
俺はカップを手に取り一口飲んだ。それから顔を上げた。
「アンビー」
「何?」
琥珀色の目がこちらを向く。表情は変わらない。だがカップに添えた指がほんの僅か止まった。
「今日の戦いでお前、剣を使ってたよな。それに電撃も」
アンビーは答えなかった。
カップの縁を指が辿る。ゆっくりと。一度、二度。部屋のどこかで配管が鳴るコトンという音がした。絶花も何も言わず、ただ静かにアンビーを見ていた。
沈黙が数秒続いた。
「……話すわ」
アンビーが口を開いた。声はいつも通り淡々としていた。だがその前に一つ息を吸ったのが分かった。
「私の出自について」
カップから指が離れた。両手を膝の上に置く。背筋が伸びる。
「私はシグルド機関という場所で生み出された」
アンビーの声が少し低くなった。
「クローンよ。誰かの遺伝子を元に造られた人間。量産される存在——それが私」
部屋が静かになった。配管の音も止んだ。
俺はカップを持ったままアンビーを見た。絶花も同じだった。手元の湯気だけが揺れている。
(クローン。量産。機関)
予感はしていた。ただの避難民ではないと。だが実際に言葉にされると、その重さが違った。
アンビーの視線が俺から絶花へ移り、また俺へ戻った。二人の反応を確かめるような目だった。ここで拒絶されないか。この話を聞いてもらえるか。それを測っている瞳。
俺はカップを置いた。
「……続けられるか」
短く聞いた。それ以外に言うことがなかった。いや言いたいことはあったが今はそれが正しいと思った。
アンビーが少しだけ目を開いた。驚いたようなほんの僅かな変化。
絶花が小さく頷いた。「話してくれていいです」
アンビーの肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。
「……ありがとう」
その声は、さっきまでの淡々とした声より少しだけ柔らかかった。
「機関には、お前以外にも同じような境遇の奴がいたのか」
俺は聞いた。カップの茶が少しだけ冷めている。
「ええ」
アンビーは短く答えた。それから膝の上で組んだ指が少し動いた。
「十一号——私たちは番号で呼ばれていた。姉妹みたいなものよ」
「姉妹」
「同じ素体から造られた個体。全部で何人いたかは正確には覚えてない。でも十人はいたと思う」
アンビーの声が少しだけ柔らかくなったのに俺は気づいた。番号という無機的な言葉を口にしているのに、そこにある温度が違った。
「訓練は毎日あった。射撃、格闘、戦術判断。一緒に受けることが多かった」
「一緒に」
「ええ。十一号は……あの子は照準が甘かった。射撃の時間になると必ず最後まで残されてた」
アンビーの目が少し細くなった。笑っているのかもしれない。
「ある時、訓練が終わって装備の手入れをしていたの。十一号が隣で銃を分解していて——」
言葉が止まった。カップの縁を指が撫でる。
「部品を一つ落として。私の足元に転がってきたの」
「それで」
「拾って渡した。十一号は小さく頷いて——ありがとうって言った。それだけ」
アンビーはそれ以上何も言わなかった。だがその沈黙の中に、何かが残っていた。部品を拾って渡した手。小さく頷いた十一号の顔。ありがとうという短い一言。それだけのことが、アンビーの中で確かに残っている。
「十一号は銃の手入れが雑だった。でも——抜刀は速かった。私より速かったかもしれない」
声が少し変わった。懐かしさと、もっと別の何かが混じった声。
「私は優秀な個体って評価されてた。戦闘適正も高かったし、学習能力も上だった。機関の報告書にはそう書かれてた」
評価の話になると声が平坦になった。さっき姉妹の話をしていた時との違いが、はっきりと分かった。姉妹を語る時は声に温度がある。自分の評価を語る時は、まるで報告書を読み上げるみたいに無機質になる。
(優秀な個体、か)
俺はその言い方に引っかかった。優秀だから価値がある。そういう言い方だ。人間に対する言い方じゃない。
「十一号の他にも何人かいたわ。三号は静かであまり話さなかったけど、手話が上手かった。七号は——少しうるさかった」
「うるさい」
「訓練の合間に喋るのよ。集中しろっていつも言われてた」
アンビーの口元がほんの僅か動いた。思い出しているのだ。姉妹たちの癖を。番号で呼ばれるそれぞれの顔を。
(大事なんだな)
俺は思った。アンビーが語る姉妹の話はどれも短い。部品を拾った。照準が甘かった。手話が上手かった。些細なことばかりだ。だがその一つ一つに温度がある。
番号でしか呼ばれていない相手たちのことを、アンビーはただの個体とは思っていない。姉妹だと言った。それが答えだ。
俺はカップを置いた。絶花も静かに聞いている。手元の茶が冷めているのにも気づいていないくらい、真っ直ぐにアンビーを見ていた。
アンビーが俺たちの視線に気づいた。
「……何?」
「いや。続けてくれ」
アンビーは少し間を置いてから、小さく頷いた。
絶花がカップを置いた。
「アンビー。あなたの剣は、どういう訓練で身につけたの」
剣士同士の問いだった。絶花の目は真っ直ぐだ。構えの手癖が出るくらい、自然に聞いていた。
アンビーは少し間を置いた。
「…素質検査から始まったわ」
「素質検査」
「適性を調べるの。聖剣と魔剣、両方の素質があるか。機関では個体の能力を分類するために、まず検査を行う」
俺は黙って聞いていた。絶花も同じだ。だが絶花の眉が僅かに動いたのが分かった。
聖剣と魔剣。絶花が今持っている二本の剣と同じ区分だ。偶然にしては出来すぎる。
「聖剣の適性は平均より上。魔剣の適性はそれより少し下。でも両方扱える個体は珍しかったらしい」
「両方を」
「ええ。だから訓練も二刀流の基礎を中心に組まれたわ」
絶花が小さく息を吐いた。俺には分からないが剣士にとって何か引っかかるものがあったのだろう。
「訓練は何時間くらい」
「長い時で十時間。短い時でも四時間。毎日」
「毎日」
「ええ。休む日はなかった」
絶花の手が膝の上で握られた。俺はそれを見た。絶花はギレーヌの鍛錬に巻き込まれている。厳しい訓練を知っている。だが毎日、休みなしで十時間となると話が変わる。
「電撃もそうよ」
アンビーが続けた。
「電撃の扱いが得意だった。戦闘適性検査で数値が出て、それから訓練に組み込まれた。剣技と電撃を組み合わせる戦闘スタイル——それが私に割り当てられた戦術」
「割り当てられた、か」
俺は口を出した。
「自分で選んだんじゃなく」
アンビーが俺を見た。
「…自分で選ぶという選択肢はなかった」
短く返した。その声は平坦だった。さっき姉妹の話をしていた時の温度はない。
(評価される生活。能力を測られて、用途を割り当てられる)
俺は口を結んだ。何か言いたいことはあった。だが今は聞く番だ。
「機関には私たち以外にも色々な情報があったわ」
アンビーが視線をカップへ落とした。
「研究員が話すのを聞いたことがある。フリード・セルゼンという名前」
「フリード・セルゼン」
「詳しいことは分からない。ただ、機関の研究員がその名前を出しているのを聞いた。戦士育成に関する何か——」
アンビーはそこで言葉を止めた。
「私が見聞きしたのはそれだけ。フリードが何者で、機関とどう関わっていたのか。正確には知らない」
「分かった」
俺は頷いた。それ以上聞かない。アンビーが言える範囲は、在籍中に実際に見聞きしたことだけだ。推測を事実のように語らせる必要はない。
「でも」
アンビーが続けた。
「私たちが唯一の対象ではなかったということだけは、分かってた」
声が少し低くなった。能力の評価の話に戻った時と同じ無機質さ。だがその奥に何か別のものが滲んでいた。
「優秀な個体として評価されていた私でも——」
アンビーはそこで言葉を切った。
カップの茶が冷めている。湯気はもう上がっていない。部屋の配管がまたコトンと鳴った。
俺は待った。絶花も待った。
アンビーの指が膝の上で止まっている。
アンビーがカップを見つめたまま、息を吐いた。
「…ある日の夜だったわ」
声が低くなった。さっきまでの姉妹の話とは違う。もっと暗い。
「訓練が終わって、装備を返却しに廊下を歩いていた。時間は遅かった。研究所の区画は静かだった」
アンビーの視線が宙を泳いだ。記憶を辿っている目だ。
「角を曲がろうとした時、声が聞こえたの」
「声」
「研究者の声よ。二人。会話していた。私は足を止めた」
部屋が静かになった。配管の音も止んだ。
「『三号と七号の評価が下がっている。性能が安定しない。再調整の余地は——』」
アンビーの声が研究者のそれを真似た。低く平坦な、事務的な調子。
「『再調整で改善するならいいが。そうでなければ——破棄の対象だ』」
俺は息を止めた。絶花も同じだ。卓の向こうで拳が握られているのが見えた。
「破棄。その言葉が出た時、私は——動けなかった」
アンビーの指が膝の上で震えた。ほんの一瞬。だが見えた。
「三号は静かな子だった。手話が上手かった。七号はうるさかった。訓練の合間に喋るから、集中しろって私がいつも——」
声が途切れた。
アンビーが唇を噛んだ。小さな音がした。自分の唇を噛む音。
「その声で——笑ってた。七号はいつも笑ってた。三号は黙って頷くだけだったけど、目は——優しかった」
部屋に沈黙が落ちた。アンビーの声だけが残る。
「研究者は続けたわ。『十一号の照準精度も基準値を下回っている。再訓練で改善しなければ、同じ処遇になるだろう』」
十一号。部品を落として、ありがとうと言った子。アンビーの足元に転がった部品。小さく頷いた顔。
「同じ処遇。つまり——破棄」
アンビーの声が震えた。声色は変わらない。だが震えが隠せていなかった。
「私はその場から離れた。廊下を歩いて、自分の部屋に戻った。でも——眠れなかった」
絶花が口を開きかけた。何か言おうとして、やめた。唇が閉じる。俺はそれを見て、待った。
アンビーが続けるのを。
「次の日も、訓練があった。三号も七号も十一号も——いつも通りにいた。何も知らない顔で。笑ったり、黙ったり、喋ったり」
アンビーはカップを見た。もう冷めた茶が揺れている。
「破棄の話が本当かどうか、分からない。でも——可能性がある。それを知ってしまった」
声が途切れた。
アンビーが顔を上げた。俺と絶花を見る。その瞳には何かが宿っていた。決意か、それとも——。
「それが、私が機関を離れることを考えたきっかけ」
アンビーは言った。
それ以上は言わなかった。脱走の行動には触れない。ただ、知った事実だけを語り終えた。
部屋の沈黙が重かった。
「それで、お前はどうした」
俺は聞いた。声が低くなった自分の声に、少し驚いた。だが他に聞き方が分からなかった。
アンビーは膝の上で指を組んだまま、少し間を置いた。
「私は優秀な個体だった」
声が平坦だった。さっきと同じだ。自分の評価を語る時の無機質な声。
「破棄の対象にはならない。訓練も順調。戦闘適性も高い。機関にとって私は使いやすい存在だった」
「使いやすい」
「ええ。だから——残る選択肢はあった。何もしなければ、私は破棄されない。優秀なら、生かされる」
アンビーの目が少し細くなった。
「でも」
言葉が止まった。部屋の静寂が戻る。冷めた茶がカップの中で揺れている。
「十一号が部品を落とした時、私の足元に転がってきた。拾って渡した。十一号はありがとうって言った」
声がまた変わった。温度が戻る。
「三号は黙って頷いた。七号は笑っていた。ただそれだけのことだった」
アンビーが息を吐いた。
「それだけのことが、破棄の対象になる。照準が甘いから。喋りすぎるから。手話しかできないから」
声が震えなかった。だが膝の上の指が組む力を強めたのが分かった。
「私は——それを受け入れられなかった」
短く言った。それだけだった。だがその短さの中に、何かが詰まっていた。
「ある夜、訓練区画の廊下に立った。いつも通る廊下。十一号と一緒に歩いたことがある廊下」
アンビーの視線が卓の上を漂った。
「足を止めた。前に進むか、戻るか。それだけを考えていた」
「進んだのか」
「ええ。進んだ」
それ以上の説明はなかった。手順も手段も語らない。ただ足を止めて、踏み出した。それだけだ。
アンビーがカップに手を伸ばした。冷めた茶を一口飲む。冷たさに少しだけ眉が動いた。
「…冷めてる」
ぽつりと言った。その声が、今の部屋にいるアンビーの声に戻った。回想の中の声ではない。今、ここにいるアンビーの声だ。
俺は見た。手元の冷めた茶。絶花の握られた拳。アンビーの組まれた指。
アンビーが俺と絶花を見た。琥珀色の目が、二人を交互に映す。
「それが、私が機関を離れた理由」
言い終えた。声は淡々としていた。だがその奥に、十一号のありがとうが、三号の頷きが、七号の笑い声が——残っているように見えた。
俺は口を開いた。何か言おうとして。
言葉が見つからなかった。
短い沈黙があった。
アンビーが俺たちを見ている。逃げないか。拒絶しないか。それを確かめるような目だ。
俺は息を吐いた。言葉を探した。何か気の利いたことを言いたかったが、すぐには出てこない。
(姉妹のため、か)
十一号の部品。三号の手話。七号の笑い声。アンビーが語ったのはどれも些細なことだ。だが、その些細なことが破棄される。それを受け入れられなかった。
「…正しい判断だな」
口から出たのはそれだけだった。俺は続けた。
「優秀だから助かる。そういう場所に、お前はいなかった方がいい」
アンビーの目が少しだけ動いた。驚いたのか、それとも別の何かか。
「俺は機関の評価で人を見る気はない。お前が何番号だろうと、どういう経緯でここに来たか関係ねえ。腹が減ってたから飯を食わせた。それだけだ」
「それだけ」
「ああ。それだけだ」
アンビーは黙った。何か言おうとして、やめた。唇が閉じる。
その時、絶花が立ち上がった。カップを手に取り、キッチンへ向かう。足音が静かだ。
「冷めてしまいましたね。替えます」
絶花の声は淡々としていた。だがその背中には迷いがなかった。ただ当たり前のことをする、そんな顔だ。
しばらくして戻ってきた絶花の手には、湯気の立つカップが三つ。アンビーの前に置かれたカップから立ち上る湯気が、部屋の空気を少し和らげた。
アンビーがカップに手を伸ばした。指先が湯気に触れる。少しだけ目が細くなる。
「…ありがとう」
小さな声だった。さっきまでの淡々とした声ではない。少しだけ柔らかい声。
アンビーがカップを両手で包む。さっきまでの組んだ指とは違う。力が抜けている。温かさを確かめるような手つきだった。
俺も自分のカップを手に取った。一口飲む。温かい。
部屋には湯気と沈黙だけがあった。だがそれは、さっきまでの重い沈黙とは違う。ただ三人が同じ場所にいる、静かな時間だった。
アンビーがカップから顔を上げた。琥珀色の目が俺たちを映す。そこにあったのは、確かな安堵だった。
「ここにいてもいいのよね」
問いかけのような言葉。俺は頷いた。
「ああ。ここにいろ」
アンビーはもう一度カップを口に運んだ。温かい飲み物を飲む音が、静かな部屋に響いた。
夜は深い。だが、ここには灯りがある。
俺たちは黙って、その灯りの中にいた。
次回の王は
-
妖怪王
-
機械王
-
怪獣王
-
幻想王