もし体長1mほどのアリが知性を持っていたら   作:二度見屋

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完結までの全30話分の予約投稿が全て完了したので明日から1日4話投稿です


第13話

キルトゲイン軍第3砦の崩壊は、北方大陸の戦場における「勝利」という概念を根底から覆した。食料に仕込まれたミリトンモスの毒は、最強を誇った獣人の重装歩兵たちの肉体を、ただの重い鉄の棺桶へと変えてしまったのだ。テランダナ王が「救世の奇跡」と称賛したその戦果は、キルトゲイン軍にとっては拭いがたい屈辱であり、テランダナ兵にとっては反撃の狼煙であった。

 

当初、テランダナ軍の将兵たちは、味方であるはずのクロノスを激しく忌避していた。「化け物共が、俺たちの背後にいる。いつ首筋を噛み切られるか分かったもんじゃない」と。前線の兵士たちは、隣に立つ漆黒の巨躯に対し、キルトゲイン軍へ向けるものとは質の違う、本能的な嫌悪と恐怖を抱いていた。しかし、戦火が激化するにつれ、その感情は驚くべき速度で変質していく。

 

クロノスの戦い方は、人類の戦術概念を遥かに超越した、冷徹なまでの自己犠牲に基づいていた。キルトゲイン軍のボウガンによる斉射がテランダナの魔導師隊を襲う際、クロノスたちは命じられるまでもなくその矢面に立ちはだかり、文字通りの肉壁となって矢の雨を遮った。獣人の重斧がその胴体を叩き割り、体液が飛散しても、彼らは一歩も退かない。それどころか、致命傷を負いながらも残された脚で敵に食らいつき、味方の魔導師が詠唱を完了するための数秒を、自らの命を端材のように消費して稼ぎ出したのである。

 

「あいつら、俺たちを守って死んでやがる」

その光景を目の当たりにした兵士たちの間で、反感は急速に霧散していった。恐怖を感じず、痛みに怯えず、ただ味方を守り敵を排除するという目的のみに殉じるその姿。それは、戦場という極限状態において、これ以上ないほど頼もしい理想の戦友に見えたのだ。魔導師たちは、クロノスという絶対に崩れない前線を得たことで、かつてないほどの高威力魔法を、かつてない精度で連射し始めた。

 

一方、キルトゲインの本陣では、大陸最強を自負する獅子の誇りが、真っ赤な怒りとなって燃え上がっていた。

「我が国の誇り高き戦士たちが、一歩も歩けぬまま毒に倒れ、挙句の果てに虫ごときに足止めされて、無抵抗なまま焼かれているというのか!」

毒という卑怯な戦法で不意をつかれるのはまだ理解できる。しかし正面からの闘争でも、大陸最強を自負するキルトゲイン軍が、虫ケラが参戦したから負けました。はプライドが許さなかった。

 

キルトゲインの老王は、そのプライドを示すかのような赤い机を拳で粉砕し、全軍へ無慈悲な命令を下した。「毒も魔法も、獅子の咆哮の前には無力だ! 予備役をすべて投入せよ! 蟻の殻ごと、テランダナの魔導師どもを噛み砕け! 退く者はこの私が処刑する!」

 

王のこの短慮が、キルトゲインの命運を決定づけた。

 

王の命を受けた重装歩兵の突撃。彼らはクロノスの執拗な拘束に足を取られ、その隙を突いたテランダナの爆炎によって、鎧の中で蒸し焼きにされた。損害に激昂した王は、さらに兵を継ぎ足す逐次投入を強行。しかし、クロノスは戦場に転がる味方の死骸すらも防壁、さらには糧食として再利用し、戦線をさらに強固に維持した。どんなにクロノス達の数を減らしても迷いの森からの追加の援軍が途切れることはなく、ついに王は、国を守るべき若年兵や、退役した老兵にまで出陣を命じた。

 

それはもはや戦争ではなく、一方的な屠殺であった。テランダナの魔法部隊は、クロノスが固定した密集する標的に対し、容赦なく広域殲滅魔法を叩き込み続けた。数ヶ月に及ぶ特攻の果てに、キルトゲイン軍の精鋭たちは、その大半が戦場の泥に沈んだ。王のプライドが、国を支えるべき人という資源を、冷徹な蟻の計算機に全て注ぎ込ませてしまったのだ。

 

「陛下。これ以上は、国が滅びます」

忠実な将軍たちが震える声で進言した。かつては大陸一と謳われたキルトゲイン軍の威容は、もはや見る影もない。老王の瞳からは覇気が失われ、ただ自身の信じた武勇が、感情を持たぬ虫ケラに完敗したという残酷な事実だけが残されていた。クロノスの参戦からわずか数ヶ月。数年続くと予想されたこの大戦は、キルトゲインの無条件降伏という形で幕を閉じた。

 

テランダナの街々は勝利の歓喜に包まれ、人々は救世主であるクロノスを称えた。だが、最戦線で戦った兵士たちだけは、どこか冷めた、薄ら寒い心地でいた。彼らは、戦場を掃除するクロノスたちの姿を網膜に焼き付けていた。

クロノスは、無数に転がるキルトゲイン兵の死体を、まるで熟した果実でも回収するかのように淡々と運び去り、自らの糧食とした。それだけではない。彼らは戦死した同種の死体であっても、一切の弔いも躊躇もなく、ただの「利用可能な肉資源」として食べていた。

 

それを見たテランダナ兵たちは、深く悟った。彼らは確かに自分たちを守ってくれた。だが、彼らの倫理や生命に対する価値観は、我々人類とは根本から決定的に異なっている。自分たちが共に戦ったのは「勇気ある戦友」ではなく、ただ効率と生存を最優先する「理解不能な隣人」だったのだと。

しかし、それでも。敗戦の危機を救い、勝利をもたらした恩義を忘れることは、今の彼らには出来なかった。

 

勝利に沸くテランダナ王とその国民たち、1匹のクロノスが文字の書かれた木の板を王に手渡した。

『約束の対価を。』

怪物は、ついにその口を、北方の大地に向けて大きく広げ始めていた。

 

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