キルトゲイン軍の無条件降伏という衝撃的な結末から数ヶ月。勝利の立役者となったテランダナ国では、救世主であるクロノスを「真の友人」として迎え入れる祝祭の空気が続いていた。テランダナ王は、絶望の淵にあった自国を救った彼らに対し、深い敬意と恩義を感じていた。王は公式にクロノスを国家の盟友と宣言し、彼らが居留地で進める開拓や研究を「新たな文明の息吹」として全面的に支援する方針を打ち出した。
もちろん、彼らがテランダナの魔法技術を凄まじい速度で吸収し、それを独自の加工技術へと変換していく様子は、宮廷の魔導師たちの目にも明らかだった。しかし、テランダナ王の言葉は揺るぎなかった。
「彼らは我々の技術を糧に、我々の想像も及ばぬ高みへ至ろうとしている。だが、それを恐れる必要がどこにある? 彼らは一度として我々を裏切らず、その強靭な肢体と命を賭して、我が国民を、それ以上にこの国を守り抜いてくれた恩人なのだ。友が強くなることを、なぜ我々が拒まねばならん」
王は、クロノスとの間に築かれた絆を何よりも重んじていた。確かにその力は、敵に回せばこれほど恐ろしい存在はない。だが、だからこそテランダナは誠実な友として、彼らと共に歩む道を選んだのだ。王の指示により、テランダナからはさらなる農耕のノウハウや魔法理論の書物が惜しみなく居留地へと送られ、両者の間には「信頼」という名の、かつてない強固な外交関係が築かれつつあった。
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一方、敗戦の泥を舐めた東方の軍事大国、キルトゲインの現状は惨憺たるものであった。
かつての広大な領土の多くをテランダナに明け渡し、多額の賠償金によって国庫は底をついた。武勇を誇った精鋭騎士団は壊滅。街には傷ついた兵士と、明日の食料にも事欠く民があふれていた。物理的な破壊以上に深刻だったのは、大陸最強と謳われた獣人としての「誇り」が、無残にも砕け散ったことであった。
王都の奥深く、傷ついた老獅子のようにうずくまるキルトゲイン王の胸中を占めるのは、焼けつくような憤怒と、それ以上に冷たい「現実」であった。
「虫に頭を下げてまで勝利が欲しいか……これだから誇りを持たぬ毛無し共は好かんのだ。あの虫ケラどもめ…必ず駆除してやる」
王は理解していた。軍を再建し、再び剣を握るだけの体力を国が取り戻すには、少なくとも数年、下手をすれば十数年の雌伏が必要であることを。獣人の寿命は短く、平均して40年前後。既にその年齢に達した彼にとって、残された時間は少ない。自らの命の火が消える前に、あの「害虫」をこの世から一匹残らず消し去ること。それが今の彼の、生への唯一の執着となっていた。しかし、現実は非情だ。今はただ屈辱に耐えながら生き延びるしかない。そのもどかしさが、王の肉体を内側から蝕んでいた。
そこへ、南方の山脈地帯から訪れた『コール国』の特使が拝謁を求めた。
「……東方の雄、キルトゲインの王よ。此度は心よりお見舞い申し上げます。貴国の武勇が、あのような不条理な存在に足を取られたこと、我ら南方の民も深く嘆いております」
特使は深く頭を下げ、王に対する最大限の礼節を示した。
「何をしに来た、鉄の商人め、我が国にはもう一銭の金もないと言ったはずだ」
老王の低い唸り声に、特使は静かに顔を上げた。
「金など要りませぬ。我らが求めているのは『世界の秩序』の回復でございます。……王よ。貴国から誇りを奪い、今や我らコールの伝統ある鍛冶技術さえも侵食し始めたあの漆黒の異物ども。奴らが蔓延る世界では、貴国の再興も、我らの商売も、共に土に還る他ございません」
特使の声には、隠しきれない私怨と逆恨み、切実な危機感が混じっていた。クロノスが生み出す高品質・低コストな武具は、コール国の国権そのものを脅かしている。
「我々は貴国に対する援助を惜しみません、キルトゲインの軍を、かつての倍以上の速さで再建するための投資は、すべて我が国が負担いたします。……王よ、お急ぎになられるのであれば、我らの技術をお使いください」
特使は老王の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「我々の資金と、貴国の武勇。共に手を組み、あの不気味な隣人をこの大陸から排除しようではございませんか。数年……。我らの支援があれば、王よ、あなたがその手でアリどもを踏み潰す日は、必ずやあなたの代で訪れます」
老王の瞳に、新たな、そして危険な光が宿った。それは希望ではなく、狂気に近い復讐の輝きだった。
「……面白い。その誘い、我が国が受けよう。虫ケラに支配される未来など、我ら獣人のプライドが断じて許さぬ」
恩義に応えようとするテランダナの光と、利権のために憎悪を煽るコールの影。
その隠密な同盟が、歴史の裏側で結ばれた。
その狭間で、クロノスの無機質な進化は止まらない。
この大地に、再び戦火の予感が漂い始めていた。