もし体長1mほどのアリが知性を持っていたら   作:二度見屋

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第18話

北方大陸の凍てつく大地に、その異形は静かに、しかし圧倒的な質量をもって屹立していた。

テランダナ王がクロノスへ割譲した居留地の中央。そこには窓一つなく、装飾も一切排除された巨大な円筒状の建築物が数本、天を突くように並んでいる。塔の頂からは、絶え間なく白い蒸気と、石炭を燃やした煤を含んだ煙が噴き出し、冬の空を重く覆い隠していた。

 

テランダナ王宮では、この正体不明の建築物に対する懸念が日増しに強まっていた。恩義ある友とはいえ、自国内で「理解不能な巨大構造物」が稼働し続けている現状は、王としての危機感を煽るに十分だった。

 

全権大使ナサニエルは、王の命を受け、居留地の視察をクロノスへ打診した。返ってきたのは、拒絶でも挑発でもなく、至極淡々とした承諾の言葉だった。

 

『テランダナの友よ。望むのであれば、我らの事業を検分されるがいい。隠すべき秘事はなにもない』

 

数日後、ナサニエルは数名の魔導師を伴い、居留地の境界を越えた。

案内役のクロノスは、ナサニエルに対して最低限の礼節を保ち、静かに頭を下げると、地上にそびえ立つ塔の内部――すなわち、この巨大なシステムの「心臓部」へと一行を導いた。

 

塔の内部に入った瞬間、ナサニエルたちは熱気と、石炭が燃える独特の匂いに包まれた。

そこには、人類の歴史がこれまで一度も目にしたことのない、鋼鉄の怪物が鎮座していた。地下を掘り進める過程で大量に掘り出された「石炭」が、巨大なボイラーの中で猛烈な勢いで燃え盛っている。魔法の炎を火種として一度着火されたそれは、石炭自体の持つ強大な熱量によって、魔法の補助など不要なほどの高火力を維持していた。その熱で熱せられた水は、凄まじい圧力の「蒸気」へと姿を変えていた。

 

本来、蒸気機関という技術はこの世界において、さらに二百年の歳月を経て産まれるはずの代物であった。

 

人類が試行錯誤を繰り返し、数多の失敗の果てにようやく辿り着くはずだった「動力」の夜明け。しかし、クロノスというイレギュラーは、テランダナやアマルティアからもたらされたこれまでの人類の叡智――熱の伝導、水の性質、金属の加工、そして魔法理論による精密な制御――それらを一つの歪みもなく統合し、この全く新しいシステムを独力で作り出したのだ。

 

ゴオオオオオという鼓膜を震わせる駆動音。

蒸気の圧力によって回される巨大な回転翼が、人類には未知の速度で回転している。この地上施設こそが、地下深くまで新鮮な空気を送り届けるための「鉄の肺」だった。

 

「風を……作っているのか。魔法ではなく、この石炭の火と、鉄の塊だけで」

 

ナサニエルは、地下からの大気が鋼鉄の駆動音とともに地上へと吸い込まれていく様子を見て、肌が粟立つのを覚えた。

クロノスが求めていたのは、魔導師の資質に左右される不安定な魔法ではなく、燃料がある限り物理法則に従って確実に機能し続ける「永続的な換気システム」だった。この地上のプラントが稼働し続ける限り、彼らは酸素の欠乏や有害なガスの充満を恐れることなく、地下という人類の手の届かない領域を無限に広げることができる。

 

次に案内されたのは、その構造物の根元に口を開けた暗黒の縦穴だった。

垂直に切り立った穴の壁面には、クロノスたちが移動に使ったであろう鋭い爪の跡が無数に刻まれている。壁を自在に歩める彼らにとって、階段や昇降機といった「足の弱い種族のための補助」は考慮にすら入っていない。

ナサニエルたちは魔導師が放つ「光」の魔法を頼りに、ロープを伝って慎重に深淵へと降りていった。

 

地下数百メートル。本来そこは、空気の淀んだ暗黒世界、しかし地上の「換気扇」によって清涼な風が吹き抜ける中、魔法の光が照らし出したのは、広大な「農園」だった。

彼らが育てているのは、主食である発光キノコ「グロウ・ファンガス」の群生地。そして、そのキノコを餌として増殖する、巨大な蛾の魔物「ミリトンモス」の牧場だった。

 

暗闇の中、魔法の光に照らし出されたのは、羽を切り取られた無数のミリトンモス、それが人工的に管理された空間で蠢いている。かつて迷いの森の脅威であった猛毒の蛾が、ここでは単なる「家畜」として、その糸や鱗粉さえも資源として効率的に生産されていた。蛾の特有の嫌な臭いが、地上の換気風によって吹き上げられていく。

 

「食料の自給を、地下で完結させている……」

 

ナサニエルは確信した。彼らはもう、アマルティアから食料を乞う必要も、テランダナの魔法に頼る必要もない。地上の施設で石炭を焼き、地下で育つキノコを食らい、蛾を育てる。彼らはこの閉鎖された暗闇の中に、人類を一切必要としない「完結した文明」を築き上げてしまったのだ。

 

『視察は十分か、テランダナの友よ。我らは次の区画の開墾へ向かわねばならぬ』

 

クロノスの個体は、事務的な丁寧さを保ちながら石の上に置いたパルプ紙に、脚の1本に結び付けられた鉛筆(ナサニエルにはそれが筆のようなもの、としか分からなかったが)で文字を刻んだ。

そこには悪意も蔑視もない。ただ、自分たちとは異なる歩度で生きる種族に対する、淡々とした「配慮」があるだけだった。しかしその配慮こそが、ナサニエルには、もはや対等な交渉相手として見られていない証拠のように感じられ、ひどく恐ろしかった。

 

地上に戻ったナサニエルは、報告書を纏める前に、随行した魔導師たちと緊急の協議に入った。

「……陛下に報告しなければならない。クロノスの技術は既に、人類のそれを上回っている…」

 

テランダナ王宮に持ち帰られた報告は、重臣たちに絶望的な沈黙をもたらした。テランダナはすでに、古の魔法体系から最新の農耕技術まで、持てる知識をすべてクロノスに差し出した後だった。

しかし、王の瞳には冷徹なまでの執念が宿っていた。

テランダナは貧しい寒冷な土地にある国だ。だがそんな過酷な環境であっても生き抜いてきた矜恃がある。クロノスの作り出したという謎の鉄の塊、それを知ったテランダナ王は、「その技術をテランダナが一番に研究を進めれば、他国に対して一歩有利に立てる。」という打算があった。

 

「ナサニエルよ、クロノスへ伝えよ。我々が君たちに与えられるものは、きっともう無いのだろう。だが、それでも君たちを『真の友人』と呼び続けたい。その証として、君たちが切り拓いたその新しい技術を、我々の技術者にも学ばせてはくれないか……と。これは取引ではない。ただの願いだ」

 

恩義に報いようとした誠実さが、皮肉にも自分たちを「無価値な存在」へと追い込んでしまった。テランダナは今、かつての生徒であった怪物に頭を下げ、その余り物でもいいからと分け前を乞う、惨めな友人の立場に甘んじようとしていた。

 

ナサニエルが再び窓の外を見上げた時、白い蒸気はさらに勢いを増していた。

あの中から響く駆動音は、もはや祝祭の鐘の音ではない。それは、人類という種が積み上げてきた数千年の優越が、石炭の熱と蒸気の圧力によって容易に吹き飛ばされていく音だった。

 

その歴史の裏側で、南方のコール国と東方のキルトゲイン国が「駆除」を誓い、闇に紛れて手を結んでいることなど、この時の彼らにはまだ想像も及ばないことだった。

 




実は鉛筆って現実世界において筆よりももっと後になってから発明されたんですよね。
この世界において鉛筆はクロノスが初めて発明しました。
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