大陸を横断する鉄路を走る蒸気列車が、真っ黒な煤煙を吐き出しながらコール国の峻険な山脈を越えていく。
その貨車には、アマルティアから運ばれてきた黄金色の穀物が満載されていた。かつては数ヶ月を要した難所を、鉄の巨体はわずか数日で踏破する。
石炭の産出国であるコール国は、この「鉄道路線」によって空前の富を得た。
自国の地下から掘り出される石炭は、いまや大陸の心臓を動かす血液となり、一袋の石炭が金貨数枚に化ける時代となった。
当初、コール国の領主たちはこの繁栄を「怪物が施した毒餌」と呼び、クロノスという未知の知性が自分たちの支配領域を侵食することに強い危機感を抱いていた。だが、鉄道が開通してから数年のうちに、その反感は急速に霧散していった。
目の前に積み上がる莫大な金貨と、自国が大陸のエネルギーを握る覇権国となった事実。それらは、かつての恐怖や嫌悪を塗り替えるに十分な「果実」であった。クロノスは実のところ、人類に干渉する気などなく、ただ利便を与えてくれる便利な隣人なのではないか――。
コール国の上層部は、いつしかクロノスを「利用価値のある協力者」として、半ば盲目的に受け入れ始めていたのである。
しかし、そうした「平和な妥協」を良しとしない勢力が、東方の軍事大国キルトゲインであった。
鉄道が開通するまでの数年間、そして開通後もなお、コール国からキルトゲインへの秘密裏の援助が途絶えることはなかった。
その為、キルトゲインの指導層にとって、コール国は今なお「頼もしい潜伏中の同志」であった。
「コール国は表面上、クロノスから与えられた富を笑顔で享受しているが、その本心は我らと同じく打倒クロノスにあるはずだ。その証拠に、彼らからの支援が途切れたことは一度としてない」
キルトゲインの将軍たちはそう信じて疑わなかった。
実情は、膨れ上がった富の使い道に困ったコール国が、過去の惰性で支援を続けていたに過ぎない。それにいま支援をやめれば、逆恨みを覚えたキルトゲインがこちらに対して矛を向けるかもしれない。
そんな事態になるのを避ける為の保険としての側面もあって援助を続けているに過ぎなかったのだが、その誤解がキルトゲインの復讐心を加速させた。
キルトゲインの軍事拠点である「灰色の要塞」の奥深くでは、テランダナやアマルティアの活気をよそに、万を越える軍隊が組織されていた。
「テランダナもアマルティアも、あのアリどもに魂を売った。だがコール国だけは違う。彼らが支えてくれたこの力で、今こそ大陸の誇りを取り戻すのだ」
将軍が地図を睨みつける中、要塞の外では幾千もの兵士が、無理な徴兵と過酷な訓練によって「復讐の嚆矢」へと変えられていた。
一方で、地下の静寂の中にいるクロノスたちは、この不穏な胎動さえも「観測データ」として淡々と受け止めていた。
彼らは、キルトゲインが自らに復讐をしようとしているであろうことも、予測の範囲内として放置していた。
クロノスにとって、いま重要なのは、人類が蒸気機関という技術の種をどう進化させるか。
人類が技術を発展させる動機が、経済であろうと友情であろうと憎悪であろうと関係はない。
重要なのは、彼らが蒔いた「蒸気」という種火が、人類の持つ「無駄な情熱」によって、どのような新しい形へと結実するか、その一点のみだ。
コール国の経済を豊かにした蒸気列車、それすらも、クロノスからすれば「自分たちには思いつかなかった、興味深い最適化」に過ぎない。
何も知らぬアマルティアとテランダナは、今日もまた、鉄道でもたらされた平和に感謝し、クロノスへの信頼を深めていく。
しかし、彼が眺める鉄道のレールの先、東方の暗雲の中では、蒸気ボイラーが、侵略と浄化のための熱を上げ始めていた。