もし体長1mほどのアリが知性を持っていたら   作:二度見屋

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第23話

キルトゲインという国家を文字通り地図から消し去ったあの日、迷いの森から溢れ出した黒い奔流には、勝利の雄叫びも、凄惨な闘争の余韻さえも存在していなかった。

何十万という圧倒的な個体群を動かした意思、クロノス。彼らにとって、あの蹂躙は「戦争」ですらなかった。それは、ただ進路を塞ぐ障害物を取り除き、降りかかる火の粉を払っただけ。人類が不快な羽虫を無造作に追い払うのと、本質的には何ら変わらない作業であった。

 

クロノスたちは、動かなくなった獣人の戦士達や、崩れた城壁の瓦礫を、冷徹な効率性で片付け始めた。彼らにとって、キルトゲインの死骸が横たわる大地は、もはや「敵国の領土」ではなく、単なる「次の開墾予定地」に過ぎない。

テランダナで行ったように、彼らはまず地下へと深く穿孔を開始した。地表には、巨大な垂直の穴が幾千、幾万と穿たれ、かつての王都や街があった場所には、不気味なほど整然と並ぶ換気塔が建設され始めた。

巨大な蒸気機関が、地下の巨大な空洞へ新鮮な空気を送り込む。石炭燃料の黒い排気が空を染め、かつて人間が呼吸していた地上の空気は、今や地下に潜む一〇〇万の「労働者」を養うための資源へと変換されていった。

 

それらに加えて、彼らは迷いの森の木々を元キルトゲイン領に植林し始めた。

北方のテランダナの居留地では不可能だったが、キルトゲインのあったこの土地の気候ならば、問題なく森を広げる事が叶う。

彼らにとって森は、自らを守る要塞であり、食を産むための土台でもある。それを広げることは、彼らにとって「繁栄」と同義なのだ。

 

彼らは、ただ開墾を続ける。地下牧場と森を広げ、新たな個体を育み、種の最適化を進める。

キルトゲインという壁が物理的に消滅したことで、クロノスの「作業域」は東へと大きく押し広げられていった。

 

だが、この圧倒的な「最適化」の行進は、人類やクロノスの予期せぬ副産物を生んでいた。

 

キルトゲインの東端に連なる、峻険な山岳地帯。そこには、古くからこの地を支配する巨大な影、ドラゴンが棲まっていた。

ドラゴンがこれまでこの峻険な山々から動かなかったのには、明確な理由がある。そこに「キルトゲイン」という名の、邪魔な国が存在していたからだ。

ドラゴンに人類のような高度な知能はない。だが、彼は決して愚かではなかった。脆弱な個体であっても、群れて「文明」という名の牙を剥く人類という種族は、無闇にその生活圏へ侵入すれば手痛い反撃を仕掛けてくる厄介な存在であることを、理解していたのである。

 

ゆえにドラゴンは、不快な刺激をもたらす「壁」であるキルトゲインを避け、厳しい山岳地帯に留まることを選択し続けてきた。

 

だが、今、その状況は一変した。

眼下に広がっていたはずの、忌々しい人類の要塞や街並みは、跡形もなく削り取られている。そこにあるのは、人類の放つ喧騒や乱雑な生命力の気配ではない。無機質に並ぶ謎の塔と、立ち昇る煙の臭い、そして統率された「漆黒の軍勢」が蠢く、異様な静寂の世界だった。

 

「壁」がなくなったのだ。

自分を牽制し、行動を制限していた障害物が消え去ったことを、捕食者の本能が敏感に察知した。

 

ドラゴンは、巨大な翼をゆっくりと広げた。その一振りが巻き起こす突風は山頂の雪を乱舞させ、岩肌を震わせる。

彼の黄金色の瞳はもはや、寒々とした険しい山々には向いていない。

邪魔者が消えたことで開かれた視界の先――豊かな獲物の気配が漂う、クロノスたちが開墾を続ける西方の森へと、その巨大な質量が動き出そうとしていた。

 

クロノスは、最適化の邪魔となる「人類」を排除した。

しかし、その合理的な作業の結果、人類という種が図らずも果たしていた「原生の脅威に対する防波堤」という役割までをも、彼らは自らの手で壊してしまったのである。

 

西から押し寄せる「漆黒の合理主義」。

東から舞い降りる「原生の暴力」。

 

キルトゲインという壁が崩れ去った大地で、今、二つの異なる理が衝突しようとしていた。

 

---

 

空を切り裂く轟音と共に、それは飛来した。

体長二十メートル。日光を撥ね返す金属質の鱗に覆われたその巨躯は、人類の定義によれば「第6等級」――一個の都市を地図から消し去り、国家の存亡を左右する災害級の脅威である。

それが、かつてのキルトゲインの跡地、今や「クロノス」の開墾地となった場所へ舞い降りた。

 

ドラゴンの本能は、足元で蠢く漆黒の群れを「不快な羽虫」と断定した。

大きく開かれた顎から、鉄をも溶かす超高温の火焔が放たれる。地表を覆っていたクロノスの作業個体が、一瞬で炭化し、あるいは蒸発した。

クロノスという集合知にとって、これは未知の「計算外」であった。

 

これまで対峙してきた人類の軍隊や魔物は、地上という二次元の盤面で動く存在に過ぎなかった。だが、上空から一方的に高エネルギーを叩きつけ、金属のような硬度で物理攻撃を無効化するドラゴンの存在は、クロノスにとって完全に初見の、未知の脅威であった。

 

地上から数百の個体が尾部から放出する酸で健気にも戦おうとするが、ドラゴンの翼が巻き起こす突風に吹き飛ばされ、羽を持たないクロノス達は、牙を立てることさえ叶わない。

 

さらに多くの個体が火焔の海に消えていく。クロノスの計算回路は、かつてない「損失」という数値に明滅した。

だが、彼らには恐怖という感情が存在しない。あるのは、非効率を排除し、目的を完遂しようとする冷徹な最適化の意思だけである。

 

「観察」は半日で終わった。

クロノスの集合知は、ドラゴンの飛行パターンを完全にデータ化すると同時に、「ある兵器」を脳内で再構成した。

 

反撃は、驚くべき速さで実行された。

彼らは、お得意の金属加工魔法の応用によって、石と木で形作られた、数mを越える巨大なボウガン(弩)をその場で製造した。

弦にミリトンモスの糸を束ねて使用し、鏃には(効くかどうかは知らないが)ミリトンモスの毒鱗粉を含めた、クロノスの思いつく限りの毒物を塗りたくった。

 

それは人類の工学を再現した、歪で巨大な狙撃兵器であった。

 

ドラゴンが次なる掃射のために旋回した瞬間、その「鋼の矢」が放たれた。

一発目の矢はドラゴンの硬い胸鱗に弾かれたが、一射目のフィードバックを元に計算されて放たれた二発目の矢が、揚力を生み出す翼の付け根、そのもっとも脆弱な皮膜を正確に貫いた。

 

「グオオオオォォォォ!!」

 

絶叫が森に響く。

翼を射抜かれ、飛行バランスを崩したドラゴンの巨躯が、重力に従って森の深奥へと墜落した。

ドラゴンの胸中には困惑が広がっていた。

「この戦法はまるで…過去の人類を相手にしているような…」

しかし彼が今、相手にしているのは人類ではない。

 

高々度から地に叩き落とされたとて、ドラゴンの頑強な肉体は小揺るぎもしなかった。翼をはためかせ、強引に皮膜に突き刺さった矢を吹き飛ばすと、すぐにその穴が、目に見える速さで塞がり始めた。クロノスが鏃に塗った様々な毒は、当然のように効いていない。

 

しかし、ドラゴンが体勢を立て直そうと火焔を吐こうとした瞬間に見たのは、数万の漆黒の粒が、一斉にこちらへなだれ込んでくる様子であった。

 

地上に落ちた「トカゲ」は、もはやクロノスにとって脅威ではななかった。

「圧殺」という言葉以外、その後の光景を表現する術はない。

一匹一匹はドラゴンに踏み砕かれる微細な存在に過ぎない。だが、その個体数が万に達した時、それは敵をすり潰す「ヤスリ」として機能した。

 

ドラゴンの巨躯を、漆黒の塊が完全に覆い尽くす。時折その漆黒の隙間から炎が吹き出していたが、それもすぐに止んだ。

 

一時間後、バラバラと漆黒の塊が上部からほつれていき、クロノス達が巣穴に戻った後には、そこには骨すらも残っていなかった。

 

この光景を、ドラゴンという脅威の監視という名目で、遠巻きに観測していたテランダナの冒険者たちは、ただ震えながら沈黙を守るしかなかった。

彼らは、ドラゴンを恐れていた。

はるか東方、その山脈に昔から棲んでいると言われていたドラゴン。人類が数を増やすにつれ姿を現すことは無くなり、居なくなったと思われていた。

 

故に、クロノスは人類との外交において、ドラゴンというものを、おとぎ話程度の存在としてしか認識していなかった。

 

だが、その災害を初見で分析し、たったの半日で処理してしまったクロノスの姿に、冒険者たちは底知れぬ寒気を覚えた。

 

人類たちは、かつての天災が飲み込まれる様子を、ただ見届けることしかできなかった。

 

ドラゴンの息の根を止めたクロノスは、勝利を祝うこともなく、何事も無かったかのように、ドラゴンの起こした被害の修復作業へと移行した。

 

静まり返った森には、再び、淡々とした開墾の音だけが響き始めた。

 

 




えードラゴン(かませ)の登場でした。この後の展開のためにキルトゲインの奥にドラゴンが居たって事にする必要があったんや…すまんな

---

ドラゴン
成体は体長20mほどにもなる魔物、翼を持ち、空を飛び、口からは炎を吐くおとぎ話に出てくるような怪物そのもの。
多少の傷ならば瞬く間に治癒し、鉄を溶かす温度の魔法炎を嵐のように空から吹きかける。
魔物等級換算で第6等級に分類される正真正銘の怪物
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