もし体長1mほどのアリが知性を持っていたら   作:二度見屋

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第26話

スリカンス国は、クロノスからの貿易の提案を受諾した。

 

もちろん、断る。という選択肢が存在しなかった。というのもあるが、元々彼らは人口5万程度の小国家、土地も狭く、そこまで豊かな国と言える訳ではない。

貿易によって、新たな風がこの国に吹くのを、躊躇う理由はそもそもなかった。

 

人類の常識であれば、峻険な山脈にトンネルを通し、鉄路を敷くなど、十年単位の時間がかかる国家事業である。しかし、休息を知らず、数万という数の暴力で動く「クロノス」という名の労働力にかかれば、特筆することもないような「穴掘り」でしかない。

 

たった2ヶ月で開通した鉄路は、かつてキルトゲインが支配していた広大な土地を貫き、アマルティア、コール、テランダナという大陸の主要国家とスリカンスを最短距離で繋いだ。

 

貿易が始まると、スリカンスのみならず、内陸の各国も歓喜に沸いた。

元々アマルティア、テランダナ、コールの3国は、その領土に、海に面した土地を有してはいる。

しかし、アマルティアは王都の中心から西の海へ出るまでには、高い山脈を越える必要がある。テランダナはその寒冷な気候ゆえに漁業に適さず、コール国にいたっては土地そのものが山々に囲まれている。

そのためこれらの国において「海の幸」は貴族のみが嗜む高級品であった。

それがスリカンスという国との貿易によって、一般家庭の食卓にも当たり前に並ぶようになった。

 

たった数年でスリカンスの風景は一変した。

駅の貨物ホームには、内陸では希少な「塩」と、新鮮な海産物が山のように積み上げられた。それらは、北方のテランダナから届いた氷と、列車本体に刻み込まれたルーン文字魔術によって、鮮度を保ったまま大陸全土へと運ばれていく。

 

その引き換えに、スリカンスにはかつてない富が流れ込んだ。

アマルティアからは、土地の狭いスリカンスではあまり採取できない農作物が。

コール国からは、鉄や石炭と言った鉱山資源が。

そしてテランダナからは、「技術」と「機械」が。

 

「……信じられるか、ユリアン。我々が数十年かけても辿り着けなかった繁栄が、わずか数年で、この手にある」

 

王都のバルコニーから、活気付く街並みを眺め、若き王が呟いた。

かつての質素な石造りの街並みは、今や石炭の煙と蒸気、そして人々の歓声に満ちている。

 

特に、テランダナの技術者たちがクロノスの仲介によってもたらした「蒸気機関の知識」は、海洋国家であるスリカンスにとって革命的な恩恵となった。

スリカンスの造船技師たちは、コール国から手に入れた高品質の鋼鉄と、テランダナから学んだ蒸気機関の心臓を組み合わせ、人類史上初となる「蒸気動力船」を完成させたのだ。

 

それは、風を待つ必要のない、海を征く鉄の巨獣であった。

従来の帆船では不可能だった荒天時の航行を可能にし、動力を帆と風に頼る帆船では不可能な大きさの船で、漁に出る。

一度の漁で得られる海産物の量はこれまでの十倍、二十倍へと跳ね上がった。

 

スリカンスは、クロノスという名の「飼い主」が与えた餌によって、かつてないほどに肥え太っていった。

 

しかし。

若き王がクロノスへの感謝を隠し切れずにいる中、その護衛のユリアンは、潤う街の至る所に「彼ら」の影があることに、拭い去れない冷え冷えとしたものを感じていた。

 

ユリアンは、自分の首筋をなぞるように触れた。

そこには目に見える鎖などない。だが、彼は確かに感じていた。

アマルティア、コール、テランダナ。そしてこのスリカンス。

大陸のすべての国家は、既にクロノスという巨大な生態系の中に組み込まれた「細胞」に過ぎない。

彼らは暴力で支配しない。ただ、彼らのシステムなしでは一日たりとも生きていけないほどの「依存」という首輪を、人類すべての首にかけたのだ。

 

既に、クロノスにとっての人類は「保護すべき資産」である。

より効率よく、より生産的に。

スリカンスに満ちる活気は、クロノスの胃袋を潤すための代謝反応に過ぎなかった。

 

漆黒の合理主義者が支配する大陸に、かつての「自由」という名の荒野はもう存在しない。

ただ、一定のリズムで鳴り響く蒸気機関の鼓動だけが、新しい時代の平和を刻み続けていた。

 

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