もし体長1mほどのアリが知性を持っていたら   作:二度見屋

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第27話

キルトゲインが消滅し、スリカンスが大陸の物流網に組み込まれてから、二十年の歳月が流れた。

 

かつて「漆黒の軍勢」に怯え、その蹂躙を恐怖と共に語り継いでいた世代は、今や歴史の表舞台から去りつつある。代わって大陸の主役となったのは、産まれた時から、空を衝く巨大な換気塔を当たり前の景色として見慣れ、クロノスのもたらした蒸気機関の鼓動を世界の呼吸として受け入れてきた若者たちだ。

彼らにとって、クロノスは「魔物」ではない。産まれた時からそばで自分たちを見守る隣人であり、秩序をもたらし、飢えを遠ざける存在。――文字通りの「生ける神」であった。

 

この精神的土壌から、北方の工業国テランダナを発端として、ある宗教が急速に産声を上げた。

「クロノス教」

彼らはクロノスを慈悲深き管理者、あるいは人類という未熟な種を完成へと導く「神」と定義した。

 

クロノスはこの現象を「非合理的」として排除しなかった。むしろ、彼らの集合知はこの人類特有の「宗教心」さえも、種全体を効率的に駆動させるための制御装置として利用し始めたのである。

『神が定めた単位に従い、神が示した法を守れ。それこそが平穏への道である』

宗教的熱狂に乗じ、クロノスは大陸全土に「統一規格」を浸透させた。かつて国ごとにバラバラだった通貨、度量衡、果ては法律さえも、クロノスが暗に提示する「規格」へと統合されていく。

クロノスたちが定めた、画一的な学校教育が各地で行われるようになり、人類の文明レベルとでも言うべきものは、さらに数段上へと、強引に引き上げられた。

 

この流れに従う都市には潤沢な資源と優先的な物流が与えられ、抗う者は物理的な弾圧を受けるまでもなく、システムの「圏外」へと追いやられ、緩やかに自滅していった。

 

人類の文明は今や、クロノスという巨大な計算機を滞りなく動かすための「共通言語」へと書き換えられていた。

 

そんな喧騒をよそに、この二十年という月日で、この大陸に「奇跡」と称されるような技術革新が起きていた。

 

クロノスから蒸気機関という叡智を、一番に啓蒙された北方のテランダナでは、蒸気機関動力によって磁場の回転を極限まで安定させることで、ついに「電気」というエネルギーを安定して取り出すことに成功した。街を照らす電灯、そして鉄路に沿って張り巡らされた銅線を通じた「超遠距離通信」の実現。人類の意識は、電気の糸によって、一つの巨大なネットワークへと編み上げられた。

 

地下資源の国コールは、この20年の間に石油の精製に挑んでいた。石油そのものは昔からコール国で採掘されていたが、精製技術の無かった頃はそれらは使い道のない、ただの無用の長物であった。しかし、魔法による精密な熱量制御と、人類のたゆまぬ錬金術的アプローチの結果、ついに石炭の代替となる高密度の動力を手に入れた。

 

そして穀倉地帯アマルティアでは、一人の天才が歴史を塗り替えた。彼は魔法によって数千気圧という絶望的な高圧環境を局所的に維持し、空気中の窒素を直接取り出す手法を編み出したのである。疑似的な「ハーバー・ボッシュ法」の再現というべきこの技術は、アマルティアの生産量を指数関数的に増大させ、大陸から「飢え」を事実上抹消した。

 

この二十年で起きた爆発的な技術革新の主役は、決してクロノスではなかった。それらはすべて、人類がその知恵と、魔法による物理現象の制御を極めた末に掴み取った「奇跡」であった。

 

しかし、これらの人類の奇跡とも言える技術革新を、クロノスはまるで青々と実った果実を「収穫」するかのように、冷徹な手際で自らのシステムへと取り入れていった。

 

テランダナが生んだ電気通信技術を流用し、クロノスはモールス信号による高速通信を自分たちの巣穴に導入した。これにより、大陸全土にまで大規模に膨れ上がった自分たちの「群れ」の管理を、かつてのフェロモンなどを利用した意思疎通を、遥かに凌駕する効率で行うようになった。

 

さらにコールの石油を用い、石炭による蒸気機関に代わる、次世代の動力として、彼らは瞬く間に「内燃機関」を生み出した。彼らの作業機械や輸送車両はより小型化・高出力化され、開墾の速度はさらに加速した。

 

そして、アマルティアの農作物。魔法的アプローチで増産された食料は、人類を養うためだけのものではない。クロノスたちはその膨大な余剰資源を自らの栄養源へと転換し、その個体数をさらに爆発的に増大させた。

 

クロノスは一度も、人類に「発明しろ」とは命じていない。だが、その漆黒の複眼は、常に無言の圧力を発し続けていた。

 

『停滞は非効率である。我々の役に立つ資源であり続けよ。さもなくば、最適化という名の、排除の対象となるのみである』

 

その剥き出しの合理主義を、本能的に感じ取っているからこそ、人類の技術者たちは死に物狂いで知恵を絞り、魔法を研鑽した。彼らは自由を求めて進歩したのではない。自分たちが「収穫し甲斐のある果実」であることを証明し続けるために、進化を強いられたのだ。

 

スリカンスの港で、かつて護衛を務めていたユリアンは、今や老境に差し掛かった身で、電気の光に照らされた街を見つめていた。

港には巨大な鋼鉄の蒸気船が並び、規則正しく積み荷が捌かれていく。若者たちはクロノスの個体を「神の使徒」として敬い、その冷徹な動作に合わせるように整然と働いている。

 

「……陛下。もはや、我々がかつて感じていたあの『冷たさ』を口にする者は、誰もおりませんな」

隣に立つ、同じく老いた王が、自嘲気味に笑う。

「ああ。管理され、家畜として肥え太ることで、誰も死なず、誰も飢えない。民がこれほどの笑顔でこの世界を選んだ以上、私のような旧時代の王に、それを否定する言葉はないのだ」

 

大陸は今や、一つの巨大な「生体機械」となっていた。

人類は、その機械を構成する部品。

クロノスは、その機械を運用し、実った果実を刈り取るオペレーター。

 

人類が手に入れたのは、永遠に続く、波一つ立たない平穏。

それは、史上最も美しく、そして最も逃れられない「完成された飼育」の風景であった。

 




この世界の技術開発は、一度革新が起きると魔法という超常のおかげで現実世界よりも、かなり早く進みます。
今回の話で語られたような数千気圧を魔法で再現したり、石油精製を魔法によって実現したりなどですね。
科学者が頭の中で思考実験し、準備を重ねて実証する。という段階を一気に魔法で済ましてしまうのがこの世界の技術開発です。(という作者が話を早く進めたいから付け足された後付けの設定)
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